『響け!ユーフォニアム2』 4話 吉川優子という希望、その陽のあたる向こう側へ

鎧塚みぞれ、傘木希美の行き違いを描いた二人の物語。紆余曲折を経て辿り着いた場所は、美しいとしか形容出来ない安堵の幕切れをもって私に強い感動と喜びを与えてくれました。

 

しかし、この物語は二人によって解決したわけでは決してありませんでした。なぜなら、それは久美子を含めた多くの部員が関り、励み、駆け抜けた結果が実りを迎えた瞬間そのものであり、だからこそこの物語を “二人だけのもの” とすることには強い違和感があったからです。むしろ、ここまで一貫し群像劇として描かれてきた『響け!ユーフォニアム』という作品は、その最たる象徴としてこの物語を描いたようにすら思えますし、それは一期の時点で石原立也監督が「この部員たちは“名も無いエキストラ”ではなく全員名前のある“登場人物”だ*1と語ったこととも大よそ同様の輪郭をもって語ることの出来る本作の大きな主題でもあったのだと思います。

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特にこの話において、常にみぞれの傍に居続けた吉川優子の奔走劇は、そうした物語の主体に成り得る様相を強く露呈していたと思います。自分の信じた道を進み、自分の夢を追い駆け、大好きな人のために懸命になれる彼女の姿は、それこそ吉川優子という人間の本質を細部まで描いたゆえの賜物でもあったのでしょう。

 

それも遡れば一期の頃からそうであったように、だからこそ彼女は自分の物語、誰かの物語のために精一杯の愛と真っ直ぐな視線を注いであげることが出来るのだと思います。自分自身が納得しなければ決して折れることはないし、相手の本当の気持ちというものが見えなければ決して妥協を許そうとはしない。それは吉川優子という一人の少女の強さであり、優しさに他ならず、故に彼女はそこに立ちはだかるものがたとえ運命であろうとも懸命に抗おうとするのです。

 

もちろん、そのせいで誰かと衝突したり、間違いを犯したりすることも多くあったことは事実です。けれど、それは彼女が自分自身の“青春”に対し誠実であったがための行いでもあったはずなのです。誰かの物語に自分(或いは、自分が信じた人)の物語が塗り替えられることに耐え切れないがための抵抗。悔しさの発露。涙の代替行為。なによりそれは、久美子が「上手くなりたい」と涙を流したことと本質的には変わることのない、青春を駆けるための慟哭でもあったはずです。だからこそ、私はそんな彼女の想いや行為の全てを否定することが出来なかったし、彼女の全てを否定しようとしていたそれまでの自分を許すことが出来ませんでした。あのコンサートホールで彼女が流した涙ほど尊いものはないと、そう心から思わずにはいられなかったのです。*2

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そしてそうした彼女の姿や信念は今回の物語においても、やはり大きな役割を担いながら強く表現されていたように思います。大好きな人を守るため。あの喜びをまた一緒に勝ち取るために。まただからこそ、彼女は決してみぞれを見捨てはしなかったのでしょう。そして、みぞれの物語を摘み取る因子に成り得るものから彼女を守ろうとした。それこそ、優子はおそらく希美のことが嫌いなわけではないし、もし彼女に嫌いな部分があるとすればそれは「なにもしようとしない」鈍感さぐらいのものだったはずです。

 

だからきっと本質的に彼女は希美のことを嫌ってはいない。でももし、みぞれの物語を奪うなら彼女は決死の形相で希美と対峙するくらいの覚悟は持っている。そして、それは紛れもなくあのオーディションの時に見せたものとほぼ同じ形をもって語ることの出来る吉川優子という人の本質に他ならないものだと断言できるはずです。

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またそうした彼女の想いの強さと、その矛先はみぞれに対しても同様に向けられることとなります。それは「優子は同情で私に優しくしてくれた」とみぞれが語った場面。本当なら余りに辛いその一言に後ずさり、その手を離すことも出来たはずです。しかし、優子は決して引き下がることなく相手の元にもう一歩踏み込み、こう叫ぶのです。「そうじゃない」って。「それでいいの?」って。それは紛れもない彼女の本心であり、鎧塚みぞれという一人の人間を愛していたからこその否定でもあったのでしょう。

 

だからこそ彼女は、これまで積み上げてきたもの、二人で培ってきたもの、この北宇治高校吹奏楽部で見渡してきた景色の全てを守るために、強い口調でその想いをぶつけていこうとする。そしてそれは、この作品が『響け!』の言葉尻に託してきたものと同様の感情をもって語ることの出来る、彼女にしか響かすことの出来ない大切な人に伝えるための“音”でもあったのだと思います。

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そしてそれは優子の目から涙となって零れ落ち、彼女の頬へ伝い、その心にきっと力強く反響したことでしょう。まただからこそ、みぞれは優子の元へともう一つ歩み寄ることが出来たのでしょうし、彼女の待つ陽のあたる場所へと向かうことがやっと出来たのだと思います。大袈裟に幾度も回転するハイライト、みぞれの流した大粒の涙はそれこそ優子が彼女にとって救いであったことの証左でしょう。

 

それこそ、優子自身が言っていたように不器用にしか立ち回れない彼女ではありましたけど、それでも大切なもののために真っ直ぐぶつかれるその強さと優しさは、この物語においてもやはり一つの希望に成り得るものであったのではないかと私は思います。言葉でぶつかり、気持ちを伝え、相手と向き合うことを選択する吉川優子という存在はやはり本作において「どっちにも挙げなかった誰か」には決してなることのない “特別” な存在だったのです。だからこそ伝えることの怖さから逃げない彼女の姿は力強い眩さをもってこの目に映り込んだのでしょうし、そこにこそ彼女が持つ素敵な心の在り方は多く映し出されるのだと思います。

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ただ、だからと言って彼女が “誰か” の一番になれるという保証はどこにもないし、それと同じだけの想いを返して貰える保障なんてどこにもないのです。それは “頑張れば叶うとは限らない” 青春の儚さや、その側面をも本作が描いてきたように、報われない想いというものは必ず存在するのだということを克明に描いてくれていたのでしょう。でも多分、優子は “報われる” ことを望んでいるわけではなく、自分の大切な想いや大切な人が “大切だと感じた理由そのままに在ること” をただ望んでいるだけなのだと思うんです。決して同情なんかじゃない。誰かを陥れたいわけでもなければ、誰かに愛されたいからでもない。自分の信じた青春を。風景を。そうした夢とさえ置き換えられるなにもかもを、ただ彼女は愛し、守ろうとしていたいだけなのでしょう。

 

ただその一方で、そうした彼女の姿勢を見てくれている人はきっと何処かにいて、その横にそっと寄り添ってくれている人も必ずいる。明日香先輩の「打算」という言葉に対し、久美子がぎゅっと手を握ったのも同じことのような気がします。あなたの想いはしっかりと誰かが見届け、感じている。だからこそ労いの言葉を一言でも掛けてあげたいと思う気持ちは私も同じですし、そんな私たちの想いを代弁するかのよう優子へ正直な想いを伝えてくれた中川先輩にはとても感謝しています。あの言葉は紛れもなく彼女にとっての救いでした。

 

見返りじゃなく、打算でもない。そんな彼女という人間を真っ向から描いたこの挿話は、再び私の胸に生涯刻み込まれるであろう挿話になったと思います。それこそ、あの十一話のことを思えば思う程、やはり彼女が “吉川優子でいてくれた” ことは凄く嬉しかったですし、それだけのことを反芻するだけでなんだか少し目尻に涙が溜まり、視界が歪みそうになります。もちろん、変わらない中にも変化はあって、そんなニュアンスを感じ取れる言葉が彼女の口から漏れる度につい幸せを噛み締めたくなるのは仕方のないことなのでしょう。そんな “彼女” の次の物語にもまた期待しつつ、これからもその想いと感情の音色に耳を傾けていければいいなと、今は強くそう思っています。『響け!ユーフォニアム』という物語において、吉川優子は私の希望そのものでもあるのだから。

*1:第二回 よろしくユーフォニアム:STORY | TVアニメ『響け!ユーフォニアム』公式サイト

http://tv.anime-eupho.com/story/02/

*2:『響け!ユーフォニアム』11話の感情、或いは吉川優子の物語

http://d.hatena.ne.jp/shirooo105/20150619/1434640822

『海がきこえる』の寡黙さと微熱

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夏の陽射し。流れゆく景色。淡々と進むフィルム。熱い恋愛ものとは程遠いまでに感情的になることを抑えつけるこの映像は、まるでそよ風のように心地良い読後感を与えてくれました。

 

それこそ主人公である杜崎が本作において激情にかられていたのはどれも怒りという感情が基盤となっている時だけでした。恋愛感情をこれといって滲ませない彼はそうした色恋事で騒ぎを起こすこともなければ、誰かを必死に追い掛けるようなシーンもほぼ本編には存在しません。それどころか、彼が走るという行為をとることさえ本編では描かないのです。故に本作にはドライブ感というものは余り感じられず、淡々と、同じ歩幅で、まるで平然を装うかのようにこの作品は閑静に纏められています。

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しかし、かくして青春とはそういうものでもあると思うのです。誰もが劇的な出会いを果たすわけではない。想い人を遠巻きに眺めたまま終わる青春もある。じゃあ、そうした“普通”の青春というものは物語に成り得ないのかと問われればそんなことは決してなく、人それぞれに物語というものはちゃんと備わっている。

 

つまり、本作はただ杜崎という一人の青年が送った青春に歩調を合わせただけなのだと思います。彼の見た景色や、感情をそのまま映像にすること。レイアウト的に映える画面はもちいても、決して感情は煽らない。流れるままに。さざ波のように。なにより、そうして心の赴くままに撮られた作品であるからこそフィルムは寡黙になっていく。余計なことは映像で語らず、語るべきことだけを映像で語る美しさ。そしてそれはこの作品を「平熱で作ろう」と決めた制作側の意図*1をそのまま映写したが故の賜物でもあるのだと思います。

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また、だからこそ彼の心が揺らげば本作の映像もまた少しずつ感情的になっていくのでしょう。「昔はなんとも思っていなかった」と語られた高知城を背にズームアウトしながらカットバック的に差し込まれるあの日の情景。それはまるで寄せては返す波のようにゆっくりと彼の心中に響き、まるで微熱の如くその想いを少しずつ膨らませていくのです。

 

そして、ようやく彼は走り出すのです。想い人の元へ。遠い昔に忘れていたあの日々を取り戻すように。そしてここでもカメラは決してその感情を煽ることなく彼をフォローしながらその行方を見守ります。劇伴も壮大にはせず。過剰な演技も必要ないと云わんばかりの見守るような演出。ただそれでも、ラストシーンで回り込み気味のカメラワークを使ったのは茶目っ気であり、祝福であり、また少しはロマンスがあってもいいだろうという、一種のファンサービスであったのかも知れません。その辺り、どこかで語られていたりするのなら、是非聞いてみたいなぁとも思います。

*1:海がきこえる』DVD特典映像:スタッフ座談会より

『ToHeart』1話 冒頭7分54秒の情景

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ヒロインであるあかりの回想から物語が始まり、オープニングを経て、モノローグから校舎内のカットへと切り替わるまでの流れが本当に圧巻で、久々に一話から肌がヒリつく感覚を覚えました。それこそ特別に派手なアクションや尖った演出があるわけでは決してないのですが、しっかりと彼女たちの “これまで” と “これから” に向けた話の輪郭を描いている辺りは特に素晴らしかったと思います。

 

若かりし頃の原風景を描き、それを夢として何年も前のことであると分かるように描く巧さというか。彼女の寝顔を近距離で描いてから部屋中をくまなく映す横長のパン、置いてある小物やぬいぐるみのアップショット、またそれらに囲まれて眠るあかりの俯瞰ショットを入れたりと、それがあの日の彼女であると伝えるまでの情感の持たせ方や、丁寧に一人の少女のパーソナルな部分を切り取っていくカメラワークがとても秀逸なんですよね。

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可愛らしい目元と映える髪の色。そして可愛らしい少女性の固まりのようなモチーフの数々など、ファーストシーンで描かれたあの小さな少女の残り香がそこには確かに存在していて。まただからこそ、このシーンには少女の “変わらなさ” というものが仄かながらに映し出されていたのでしょうし、そうして多くのものを感じ取ることが出来たのは、それだけのものを映すための尺的な寛容さと閑静さをこのフィルムがしっかりと残してくれていたからに他ならないのだと思います。

 

物語の始まりは静寂に包まれている程に美しいと言わんばかりの端正なフィルム。これから何が始まるんだろう。彼女はどういう子なんだろうという、未来への予感を携えるための余白をこの序盤で与えてくれる映像的な優しさ。それは勿論、情感を持たすための時間の掛け方であり、そのための演出であることはまず間違いないと思うんですけど、やっぱりそうした “感じ取る” ための側面って多分に含まれていたんじゃないかなと思うんです。

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特に物語の始まりに向けた高揚感などに対してはかなり意識的な映像になっていたように感じます。空に向け抜けていくカメラワークなんてその代名詞足るカットで、少女性を担保されたあかりが思春期に差し掛かりこれからどういった物語を綴っていくのか。それをあの空の向こうに視るまでがやっぱりこの冒頭一連シークエンスの醍醐味なのだとは思いますし、またそれは日々の変化を素敵なものと捉えるあかりの視線ともリンクする風景でもあったのではないかと思います。

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特に思い出の階段に差し掛かった辺りで同じレイアウトのカットを重ねたり、その場所の前でどこか嬉しそうなあかりの表情を捉えるということは、やはり彼女が抱く感情というものをここで少なからず描こうという想いがあるからですよね。そしてその想いの片鱗はその後の独白のシーンにおいても彼女の口から言語化されていくわけで、故にこの冒頭7分54秒のシーンの連なりは彼女が内に秘める情景を描き出すためだけに用意されていると言っても決して過言ではないと思うのです。

 

それこそ長い月日を経て変わったのであろう浩之(主人公)の変化などにはまず描写で触れる程度に留めておいて、何より先にあかりの心情を描き出すための映像や心の寄せ方に焦点を当てた見せ方には強い美しさすら感じられますし、そうした登場人物たちへの接し方を怠らないからこそ以降この物語は多くの場面で少女の視線や情景というものを蔑ろにしない作りになっていくのだと思います。その辺り、本当に丁寧と言うか、丹精込めて作られているフィルムって感じがして良いですよね。凄く好きだなぁと感じます。

 

また、キャラクターのフォルムの立体感なんかはこうした美少女ゲーム原作もののアニメとしては一種の完成形を見せられた気持ちにすらなってきますし、本当にうっとりしてしまうほどに流麗な造形だなと思います。特に目元の優しさや表情の柔らかさ、また頬から顎のラインや髪の繊細さは筆舌に尽くせない素晴らしさがありますね。WEBアニメスタイルの記事*1で「版権イラストが動いているよう」とも表現されていましたがまさにその感覚に近いなと思いました。

 

監督の高橋ナオヒトさんのデザインで言えば近い年に『誘惑 COUNT DOWN』や『同級生』などの作品がありますが、そのラインの造形がこうして千羽さんに受け継がれていったのかなと考えるとなかなか感慨深いものを感じてしまいます。瞳の雰囲気や髪の線に合わせた木目細かいハイライトとかは強く出てる感じがしますね。全体的な雰囲気も継承されてる感じがして良いなぁと思います。

To Heart DVD-BOX

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*1:もっとアニメを観ようー第9回 結城信輝千羽由利子対談2

http://www.style.fm/as/04_watch/watch09_2.shtml