『小林さんちのメイドラゴン』5話の演出について

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光源側にトールが立っているというのが非常に示唆的だったカット。周囲から「変わった」と言われる小林さんを “変えている” のは一体誰なのかということが非常にセンシティブに描かれていたと思います。陰影を意識した画面の構成はこれまでも何度かありましたが、光と陰でしっかり立ち位置を区分するというのは本作だと新鮮に感じられました。最近だと『響け!ユーフォニアム2』4話なんかが顕著で、その話を担当された小川太一さんが今回も演出をされていたわけですが、コンテは石立さんとの共同なのでその辺りがどういった配分・掛け合いで制作されていったのかは気になります。

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特にこの俯瞰のカットは他のカットより光量が多く描かれているようで面白いです。トールが自分の職場を覗きに来ていたというのが明らかになった直後なのでより光を当てる格好になっているのと、横構図でなく俯瞰である分、くっきりと陰影をつけるよりはこうして二人の間を光で渡すことで画面的な映えを意識したのかも知れません。例えば前後のカットのように二人を陰影で区分してしまうとレイアウト・構図的にトールだけが光で囲まれたような画面になってしまうと思います。なので、それを避けるためという意味合いはもちろんあるのかなと。ですが見栄えの問題を考えなくともここはトールの光が小林さんに向けられていることを描くためにこういう画面である必要性はやはりあったのではと感じます。

 

また帰路につく時にそのままカメラを据え彼らの背中を映していたのも凄く良かったです。見守るような視線・カメラ配置というのは一話から徹底して描かれていたように思いますし、このパートのラストカットをイメージBGのカットで締めたことさえそういった演出の一環だったのではないかと思います。妙な縁から一緒に居ただけだったはずの二人が少しずつ家族としての関係を構築していく温かさと、それを映像で紡いでいく優しさがあります。画面から体温を感じる、というのはこういうことなのかも知れません。

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この辺りの見せ方も良かったです。信号機のモチーフはベタですが京都アニメーションの作品でも結構出てきますので、そこでも連続性を感じられます。なによりこのシーンを素晴らしいと思えたのは、トールの葛藤を描くことに注力していたからではなく、むしろトールが抱く小林さんと暮らす日々への大きな愛を強く感じることが出来たからということが一番大きいです。それこそ葛藤するような雰囲気を全面に出していたのはファフニールが忠告したシーンくらいのもので、あの辺りは山田尚子さんぽい?手ブレとボケの処理で心の揺れをしっかりと描写していたと思います。ですがトールは続けざまに「今、ここが私の居場所ですから」と前を向いて語り始めます。寿命がれっきとして違うことも、いつか別れが来ることも理解しているし、人間を蔑む気持ちもある。それでも過去や未来を悲観するのではなく彼女は “今” を懸命に肯定しようと顔を上げるのです。

 

理屈ではなく感情を優先し、憎悪を打ち消し愛を語る。そんな彼女の姿に私は強く胸を打たれました。屈託のない笑顔で「(この世界に掛ける価値は) あります。小林さんがいますから」と言い切る彼女はまさに人の心を知る人間そのものだったように思います。

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まただからこそ、Bパート後半の話が生きる。人と暮らす道を選んだトールは、それ故に人間のことをもっと知ろうとする。けれど私たちは既に “彼女が人と暮らすために必要なものを持っている” ことを知っているわけです。それは誰かを愛そうとする心であったり、自らを省みながらコミュニケーションを取ろうとする姿であったり。そしてそれを小林さんも分かっているから、そんな無理しなくていいんだよと諭そうとする。でも少し目を落とすとそこには彼女が “人間でない” ことの証がちゃんと存在していて、嫌でも思い知らされてしまうんです、彼女がドラゴンであるという事実を。

 

その辺りのナイーブな部分にまでちゃんとスポットを当てたり、視線誘導してくるのはさすがだなという思いもありつつ、そこは見逃してくれないんだなぁという思いもあったりで色々複雑な心境ですが、そういった場所にもしっかりメスを入れてくれるからこそ私は京都アニメーションが描く家族観や群像劇というものを信じ続けていられるのかも知れません。

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ちゃんと視線を落とす動きを入れてから主観のカットや示唆的なカットに繋ぐカッティングが凄く巧くて溜息すら出てしまいますね。今回で言えば、視線の先に尾と角が。画面の余白を使う見せ方も上手いです。間も情感たっぷり。

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言葉数少なく表情と芝居・レイアウトやその場に流れる時間の速度で感情を伝えようとしてくれているのが素敵だなと思います。喋ってしまえば野暮になってしまうことも、心の内でなら。そんな優しさを感じるフィルムです。

 

それこそあの場面において言えば “小林さん自身さえも” そうだった(喋ってしまえば野暮になると考えた)のかも知れませんよね。ドラゴンと人間、見てきた景色の違いや、それぞれに得手不得手はあっても、通じ合える部分は確かにあると教えてくれたここまでの物語。小林さんが伸ばした手の先でなにを伝えたかったのか、その全ては分かりかねますが、その手を引き、少し微笑んで見せた彼女の気持ちはなんとなく分かるような気がしています。

 

もちろん、小林さんはトールとファフニールの会話を聞いていたわけではないと思いますが、ああいう風に考え、決意していたトールの気持ちを彼女は既に十分受け取っていたはずです。だからこそ、頑張るトールを見守っていよう、彼女の優しさを受け取ろうと小林さんは身を引いたのかも知れません。それでも小林さんが「頑張り過ぎないで」と身を寄せてしまう気持ちも分かる。だから、少しづつでいい。一歩ずつでいい。焦ることなく、これから共に生きる日々をより大きな “信頼” へ変えていって欲しいなと今は切に思っています。

『小林さんちのメイドラゴン』2話の演出について

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誰がなにを見つめていて、そこにどんな想いが託されているのか。そんな数多くの情報をしっかり汲み取ってくれる京都アニメーションの作劇はだからこそ人間味に溢れ、感情的なフィルムへと昇華されていくのでしょう。トールの手を小林さんが引いていくシークエンスはまさにその象徴だったように思います。

 

言葉数少なく歩いていく二人をじっくりフォローしていくカメラワーク。初めは遠巻きにロングショットを挟みながら静観するのも凄く情緒的。けれど、それぞれが抱くものを想起できる機微ある表情にはしっかりそのレンズを寄せ、ちょっとした力みや瞼の動きなどの感情的な仕草を本作は決して見逃そうとはしません。だからこそ、言葉は交わさずとも彼女たちの感情は映像を通してこちら側に伝わってくる。「この手しばらく洗わない」と語られたモノローグも立ち位置的にはむしろ決定打でしかなくて、そう決意した “彼女の心情” はそれより以前のシーンにおいて既に語られていたはずです。

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同じような構成だったのがカンナとのやり取りを描いたシーン。この場面においても「私、小林さんを好きになって良かった」と心の内で語るトールの心情の理由をその言葉より前の映像で全て物語ってくれていたように思います。

 

演出的には一話におけるトールとの一連のシーンを思い出す武本さんらしいカッティングで、互いの表情を交互に繋げづつ、その表情にじっくり寄せていくことで内面を掘り下げていく見せ方。不安を募らせるカンナの言葉に同調するよう矢継ぎ早に繋げられるフィルムという印象でしたが、小林さんの手がカンナの頭に触れると、彼女の言葉がそのままカンナに流れ込むようにシームレスなカッティングへと印象が変化していきます。シリアスな話になると場の雰囲気と照らし合わせるように撮影・色のつき方が天候に関わらずじわっと変わるのも一話と通じていて良いです。ここは演出の領分でもあると思いますが、その点で言えば一話の藤田さんとは(やっていることは同じ=コンテ指示?ですが)少し質感が違って面白いなという印象も受けます。

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カンナの涙で溜めて、またポンポンとカットを繋いでいく。二人の仲が少し前に進んだところでカメラも見守るよう何歩か後ろに下がる。内面を映すために近寄っていたカメラが少しその距離を空けることで“彼女たちが纏う空気や関係性を捉えること”にその目的をシフトしていく。なにより、そんな一連のカッティングと二人の姿を目の当たりにすることで私たちは感じてしまうのだと思います。小林さんの温もりや、曇りのない眼差し、そこから垣間見ることの出来る彼女の人間性と安堵感を。

 

まただからこそ、その後に続くトールの言葉が痛烈に刺さる。「小林さんを好きでよかった」。彼女がそう言うならそうなんだろう、ではなくて、彼女がそう語る理由を知っているから納得できるという物語と映像のロジック。

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そして、二人の心が通い合ったことを契機に想定線を越える。越えるというより、ここでトールの視点になるのがまた凄く素敵な見せ方だなと感じます。それはまるで二人の心の通いが、「小林さんならきっとそうしてくれる」と信じていたであろうトールの視線とリンクしたように思えたからです。

 

そして、それは紛れもなく本作が大切に描いていたであろう “誰かの視線” に他ならないのだろうと思います。誰かが見つめていて、誰かを見つめていて、その視線の先に感情が在る。相手のことを知りたいだとか、私のことを知って欲しいだとか、つまりはそんな単純だけどとても大切なことをこの作品はどこまでも優しく丁寧に描いてくれているのでしょう。なによりそれは、京都アニメーションが長年に渡り根本的な部分で培い続けてきた “人の心を描く” ということなのだろうと思います。言い換えれば家族観や家族愛。少なくとも、この作品は本物の家族であっても疑似家族であっても、彼女たちの関係性が持つ温もりを映像で捉えることをとても大切に扱っていると思います。

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顕著だったのは上記のカット。これ程までに家族観を直接的に感じられるカットを私は知りません。そう言い切れるほどにこれらのカットは本話の中軸にすら成り得ているように思えますし、だからこそそこに至るまでの演出は非常に大切であったのだろうと感じます。

 

その点を鑑みれば特靴が玄関に並ぶカットへの映像運びは秀逸で、これも京都アニメーションらしい拍を置いた距離の取り方で凄く良かったと思います。一話で言えばBパート終わりでBGカットを繋げていた感じに近いでしょうか。三人を映していたカメラが居間から移動し、廊下、玄関へと遠ざかるカット運び。ラストカットには川の字に並ぶ三人の靴をモチーフとして捉える。芝生で寝転ぶカットへ向けた原点的なカットでもあって、この辺りの映像運びには本当に感動させられました。

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あとはこの辺りのカットが凄い良かったと思います。構図的には本作のお茶目なシーンや、『らき☆すた』のイメージ背景を使ったコメディチックなカットなどでよく見られたようなものに近いですが、向かう視線の先を空(BG)にすることでとても感情的でアンニュイなカットにその印象を変えています。

 

特に空は本作においてドラゴンとの親和性を強く感じさせている場所ですから、そこに視線を向けるというのはある意味、凄く示唆的だなと思います。 “彼女がなにを・誰を想い空をみつめているのか” という問い掛けに対しての一つの応えがこの挿話にはしっかりと込められていたような気がしていますし、だからこそ以降の挿話でも同じようなレイアウトや構図が観られた時には色々と感慨深げに微笑んでしまうような気が今はしています。

 

二話連続で武本監督がコンテを切っていたのはかなり驚きましたが、それだけに素晴らしい挿話だったと思います。演出は澤真平さん。演出助手で『響け!ユーフォニアム2』に参加されていましたが演出として参加されたのはこれが初めてのようです。陽だまりや青空と比較的、温かい色合い・印象の画面で構成されていて、その辺りかなりアンニュイ方向(寒色系?)の色合いを好むイメージのある藤田さんの画面作りとは違った印象を受けます。もちろん武本さんの手も入ってはいるのだはと思いますが、これから期待して追い掛けていきたい方です。

『小林さんちのメイドラゴン』1話の演出と武本康弘さんについて

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ドラゴンの少女トールが小林さんの家に訪問してからの一連のシークエンス。上手側に小林さんを置くことで物語は彼女を主体に据えるところから始まります。つまりトールを自分の家で雇うかどうかの選択によってこの物語は始まっていくといことです。逆にトールが下手側に立つことで彼女が小林さんにとっての試練であるかのような印象も受けます。扉が上手く被さる(少し家を出たところで止まっている)ことで、自身のパーソナルエリアを守るようなイメージも合わさり、彼女の来訪が小林さんにとっていかに突飛であったかということが強調されているようで面白いです。自宅に入ってからもどこか視線を外したりと芝居が丁寧。

 

小林さんが「無理なものは無理」と断ってからの見せ方も凄く良くて、天候がガラッと変ったかのように室内の明度・彩度を落として、陰影でキャラクターの感情やその場の雰囲気を表現する(画面をアンニュイにする)のは武本さんらしくもあり、また演出である藤田さんの力もしっかりと加味されている感じがしました。

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目を見張るのはトールの去り際のカットバック。小林さんの「このままでいいのか」という感情のほつれと緊張感が目一杯滲み出ていました。スローも合わせて遣うことでより迷いが浮き彫りになり、非常に感情に寄せたフィルムだと思います。

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一番グッときたのはここでした。アバンでの立ち位置の逆転が起こります。今度はトールが物語の主体となり、小林さんの願いを受けるかどうかの選択を委ねられるわけですが、答えはもちろん決まっていましたね。回転するハイライトも含めこの辺りのシークエンスは非常に緻密に練られた演出という感じで感動させられました。もちろん、小林さんにとっても先が見えない選択で最初に断った時も心苦しい部分はあったのだと思いますが、“相手にも心がある”ということを改めて突き付けられることで彼女の感情が揺らぐというのは、とても京都アニメーションらしいなと感じさせられます。

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以降は終始、下手が小林さん、上手がトールの構図で描かれていたと思います。メイドの教育を受けるトールが常に学ぶ側に立つというか、物語の主体的な意味で言えば彼女が小林さんの日常に踏み込んだ側になっていました。もちろん、その他多くのカットを同様の位置関係にしていることの全てに上下(かみしも)の意味合いが込められているわけではないのかも知れませんが、この序盤や終盤、二人が就寝につく辺りのシーンにまでことが及んでいるのを観ると、この一話においてはかなりそういった二人の関係性を意識しながら画面を構築していたのではないかと感じます。

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OPでもその辺りへの意識は垣間見ることができました。上手側から小林さんを望むトール。小林さんを懸命に追い掛ける彼女のひた向きさ、実直さが伺えて一番好きなカットです。またここもカットバックで描かれていて、武本さんはカットバックで見せるのが結構好きなのかなとちょっと思ってしまいました。以下例。

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甘城ブリリアントパーク』一話。コンテ演出武本康弘。監督も務めているこの作品ですが、ここは感情的というよりは緊迫感のあるシーンです。カットバックの王道的な遣い方という感じがします。

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『日常』八話。コンテ演出。マルチエピソード型の作品ですが、短編としてこういう話も盛り込んでくる。エレベーターに閉じ込められる話です。フレーム内フレームで区切るのも話の内容そのままに閉鎖感があって非常に面白いんですが、ここでも該当の演出を遣うことでコメディ寄りの映像になっていて、こういうパターンもあるのかという気持ちにさせられます。じわじわ寄っていきながら交互に見せていくのが効いてますね。カットバックも色々だなと、はっとさせられます。

 

小林さんちのメイドラゴン』の話に戻りますが、もう一つ良いなと感じたのは家族を見守るような温かい視線の存在でした。この作品に“京都アニメーションらしい家族観”を感じたのもそれが一番大きな要因です。特にAパートや、Bパートの終わり際。それぞれ小林さんが帰宅した場面のカットと、二人が就寝する前後の締めのカットですが、一気にカメラが引きロングショットになっています。そこにはどこか二人が暮らす場所を遠くから見守るような視線があり、特にBパートのBG(背景)カットの連続は話の締め方としてとても良かったなと感じました。

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憶測ですが、小林さんが住むマンション、近場の交差点(T字路?)、さらに離れた場所、上空からの俯瞰という順番でしょうか。どんどんカメラが彼女たちから離れていくのが分かります。最終的にブラックアウトして終わっていくのも合わさり、二人の眠りに合わせるよう、まるで映像そのものが眠りにつくような印象さえありました。見守る視線というのも非常に抽象的かなとは思いますが、ようは二人の関係を邪魔しないようにそっとその暮らしを覗いている感じ、とでも言えばいいのでしょうか。もちろん、コメディ色の強い作品ではありましたが、ふとした瞬間に感情に寄り添うようなコンテワーク・演出はこの物語に対し非常に感情的で情緒のある視点を与えているのではないかと思います。

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同様の見せ方では『らき☆すた』六話(武本監督、コンテ演出回)などが同じ演出を用いています。BG・登場人物たちとは関わりのない風景による雰囲気の切り替え。それまで騒がしかった登場人物たちの喧騒を搔き消すような遣われ方で、この辺りは直近の京都アニメーション作品である『響け!ユーフォニアム』などでもよく遣われていた印象があります。場面の転換点にワンカットだけ風景を挟んだりするのは色々な作品でよく見られる手法だとは思うのですが、小林さん一話のものも含め4カット連続のBGで雰囲気を作る、というのは中々ないのではないかなとも感じました。ただ、それこそこういった見せ方に関しては、先程挙げたように他の京アニ作品でも見られましたから、武本さんがどうこうと言うよりは京アニ的な映像運びに帰するものの方が大きいような気はしています。

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また作品的には被写界深度を浅めにそれぞれの登場人物の物語(画面)に焦点を当てていた作品群とは少し違い、どちらかと言えば『らき☆すた』や『日常』のようなコメディ寄りのテンポと映像、パンフォーカスでの見せ方をしているなという印象がありました。それこそ女性同士の、現状では恋愛には発展しなさそうな雰囲気を眺めていると同監督の『らき☆すた』はやはり掠めますし、今回のようなコメディからアットホームへの流れを鑑みれば、武本さんが担当された『日常』十六話に収録されている「ゆっこが東雲家に行く話」などはやはり連想してしまいます。奇しくもあれは“ロボットと少女の心が通う話”。ああいう話は本当に好きなので、以降の話でも是非色々やってくれればいいなと思います。

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余談ですが、武本さんの担当された回を観返していくとこういった広角の構図・レイアウトが多く見られます。監督をされている『氷菓』の一話もそうですし、特に『AIR』三話はかなり凄いです。今作でも、こういった格好良いレイアウトに出会えるでしょうか。武本さんが監督をやっているので担当回は一話以降なかなか出て来ないとは思いますが、期待しながら観ていきたいところです。