『小林さんちのメイドラゴン』6話の演出と『MUNTO』のこと

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アバンのカットで思い出したのは『無彩限のファントム・ワールド』6話でしたが、どちらのカットにも根源的には『MUNTO』という作品の影を大きく感じてしまいます。それも本話のコンテ演出を担当されたのは同作品の監督をされた木上益治さん。正直、繋げて語らずにはいられないと言ってしまえるほどに、あの作品は心の内に強く打ちつけられていて、京都アニメーションの水面鏡と言えばやはりあの作品を思い浮べてしまいます。

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現実と別次元の世界の交わりを描いた作品『MUNTO』。際立った画作りとしてはやはり水面鏡を上手く画面の中に織り交ぜるレイアウトがとても印象的でした。常人には見えないものを空に見てしまう少女の話にあって、その空(異世界)を常に意識させるカットの数々には舌を巻かざるを得ません。現実の世界の他にもう一つの世界を空想させる力強い画面の美しさはこの作品の大きな魅力。異世界への扉は常にそこに在るのだと思わされる説得力があります。

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話を戻して本話はどうだったでしょうか。印象的だったのは二人で川沿いを歩く夕暮れのシーン。木上さんらしいレイアウトだなと感じるのと同時に、綺麗なコントラストの空はどことなく二つの世界を柔らかく繋いでくれているようにも見えますし、逆に弱めのグラデーションにはまだ少し残る種族の距離も感じ取ることでがきます。奇しくも本話は群像的にドラゴンと人間との共存を描いた話でもありましたから、どちらの意味合いも含んでいたのかも知れません。『MUNTO』でも同じような色味のカットがありました。水面に写った二人の姿から画面が回転していくカットですが、こちらも二つの世界を意識したカットになっています。

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逆に二つの世界・種族といった距離感を全く感じさせないカットも本話では多くありました。特に傘はパーソナルエリアのモチーフとして色々な作品で使われることが多いですが、本作もおそらくはその内の一つ。二人が一つの傘の中に入る、ということが今回の話ではやはり大切なのでしょうし、それはあのシークエンスのラストカットでも強く表現されていたと思います。被写体を端に寄せたレイアウトは親密度を照らし出し、上部を画面から切ることで本来なら一人一つの傘を持っていることを忘れさせてくれます。水面に映った影も粋な演出。なにより、その後のシーンでカンナが言った「雨が好き」という台詞は違う意味で考えても、やはりそういうことなのだろうと思います。

 

雨は二つの世界を繋いでくれる。雨はその契機をくれる。だから雨は特別なのだと。もちろん、本来は原作からとった台詞なのかも知れませんが、同じような台詞が『MUNTO』にも出てくることを加味すれば、きっとその言葉は木上さんの考える雨の日のロマンとファンタジーに強くフィットしているのだろうと言えるのではないかと思います。

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また、今回の話ではつがいの鳥がよく描かれていました。それが夫婦なのか、家族なのかはもちろん分かりませんが、結び付きを語る画としては十分なほどの説得力を携えていたと思いますし、身体を寄せ合うカットは特に相合傘をするトールと小林さんを連想させてくれます。

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そして、それと連続的に身を寄せあうてるてる坊主のカットがあって、一つ屋根の下で暮らす彼女たちと彼らの姿があり、その背中を見守るようにカメラが置かれる。まさに家族観を象徴するようなフィルムだと感じます。なにより、二つの世界・種族の橋渡しをする本作だからこそ、『MUNTO』という作品との親和性も自然と高くなったのだとも思いますし、そう考えれば木上さんが本作に来られたことはもはや必然と言えるのかも知れません。

 

本当に温かく、情緒感に溢れる演出です。必要なことは言葉で語り、語り過ぎてしまわないように映像でも多くのことを語る。ここまでの話を通してもそうでしたが、それは単衣に京都アニメーションの美学、もとい木上益治さんのアニメーション・ドラマの描き方でもあるのではないでしょうか。これは『響け!ユーフォニアム』5話でも感じたことなのですが、今回の話を経たことでより強くそう思えました。ラストカットのてるてる坊主。あれを長回し気味に撮る意味。あれなんです。

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余談ですが、木上さんらしいなと感じた演出の一つに、カットの切り替わりでパンから被写体にカメラを向けるというのがありました。その中で特に面白かったのがパノラマの一枚背景からぐーんとトールたちにカメラがパンしていったこのカット。本来なら窓辺の辺りにもパースがつくと思うんですが、自然に正面に周っています。ルコアと翔太君の家で談笑する場面でも変則的なパンがありましたが、この辺りのカメラワークは見ていて面白いなと感じますね。

『小林さんちのメイドラゴン』5話の演出について

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光源側にトールが立っているというのが非常に示唆的だったカット。周囲から「変わった」と言われる小林さんを “変えている” のは一体誰なのかということが非常にセンシティブに描かれていたと思います。陰影を意識した画面の構成はこれまでも何度かありましたが、光と陰でしっかり立ち位置を区分するというのは本作だと新鮮に感じられました。最近だと『響け!ユーフォニアム2』4話なんかが顕著で、その話を担当された小川太一さんが今回も演出をされていたわけですが、コンテは石立さんとの共同なのでその辺りがどういった配分・掛け合いで制作されていったのかは気になります。

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特にこの俯瞰のカットは他のカットより光量が多く描かれているようで面白いです。トールが自分の職場を覗きに来ていたというのが明らかになった直後なのでより光を当てる格好になっているのと、横構図でなく俯瞰である分、くっきりと陰影をつけるよりはこうして二人の間を光で渡すことで画面的な映えを意識したのかも知れません。例えば前後のカットのように二人を陰影で区分してしまうとレイアウト・構図的にトールだけが光で囲まれたような画面になってしまうと思います。なので、それを避けるためという意味合いはもちろんあるのかなと。ですが見栄えの問題を考えなくともここはトールの光が小林さんに向けられていることを描くためにこういう画面である必要性はやはりあったのではと感じます。

 

また帰路につく時にそのままカメラを据え彼らの背中を映していたのも凄く良かったです。見守るような視線・カメラ配置というのは一話から徹底して描かれていたように思いますし、このパートのラストカットをイメージBGのカットで締めたことさえそういった演出の一環だったのではないかと思います。妙な縁から一緒に居ただけだったはずの二人が少しずつ家族としての関係を構築していく温かさと、それを映像で紡いでいく優しさがあります。画面から体温を感じる、というのはこういうことなのかも知れません。

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この辺りの見せ方も良かったです。信号機のモチーフはベタですが京都アニメーションの作品でも結構出てきますので、そこでも連続性を感じられます。なによりこのシーンを素晴らしいと思えたのは、トールの葛藤を描くことに注力していたからではなく、むしろトールが抱く小林さんと暮らす日々への大きな愛を強く感じることが出来たからということが一番大きいです。それこそ葛藤するような雰囲気を全面に出していたのはファフニールが忠告したシーンくらいのもので、あの辺りは山田尚子さんぽい?手ブレとボケの処理で心の揺れをしっかりと描写していたと思います。ですがトールは続けざまに「今、ここが私の居場所ですから」と前を向いて語り始めます。寿命がれっきとして違うことも、いつか別れが来ることも理解しているし、人間を蔑む気持ちもある。それでも過去や未来を悲観するのではなく彼女は “今” を懸命に肯定しようと顔を上げるのです。

 

理屈ではなく感情を優先し、憎悪を打ち消し愛を語る。そんな彼女の姿に私は強く胸を打たれました。屈託のない笑顔で「(この世界に掛ける価値は) あります。小林さんがいますから」と言い切る彼女はまさに人の心を知る人間そのものだったように思います。

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まただからこそ、Bパート後半の話が生きる。人と暮らす道を選んだトールは、それ故に人間のことをもっと知ろうとする。けれど私たちは既に “彼女が人と暮らすために必要なものを持っている” ことを知っているわけです。それは誰かを愛そうとする心であったり、自らを省みながらコミュニケーションを取ろうとする姿であったり。そしてそれを小林さんも分かっているから、そんな無理しなくていいんだよと諭そうとする。でも少し目を落とすとそこには彼女が “人間でない” ことの証がちゃんと存在していて、嫌でも思い知らされてしまうんです、彼女がドラゴンであるという事実を。

 

その辺りのナイーブな部分にまでちゃんとスポットを当てたり、視線誘導してくるのはさすがだなという思いもありつつ、そこは見逃してくれないんだなぁという思いもあったりで色々複雑な心境ですが、そういった場所にもしっかりメスを入れてくれるからこそ私は京都アニメーションが描く家族観や群像劇というものを信じ続けていられるのかも知れません。

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ちゃんと視線を落とす動きを入れてから主観のカットや示唆的なカットに繋ぐカッティングが凄く巧くて溜息すら出てしまいますね。今回で言えば、視線の先に尾と角が。画面の余白を使う見せ方も上手いです。間も情感たっぷり。

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言葉数少なく表情と芝居・レイアウトやその場に流れる時間の速度で感情を伝えようとしてくれているのが素敵だなと思います。喋ってしまえば野暮になってしまうことも、心の内でなら。そんな優しさを感じるフィルムです。

 

それこそあの場面において言えば “小林さん自身さえも” そうだった(喋ってしまえば野暮になると考えた)のかも知れませんよね。ドラゴンと人間、見てきた景色の違いや、それぞれに得手不得手はあっても、通じ合える部分は確かにあると教えてくれたここまでの物語。小林さんが伸ばした手の先でなにを伝えたかったのか、その全ては分かりかねますが、その手を引き、少し微笑んで見せた彼女の気持ちはなんとなく分かるような気がしています。

 

もちろん、小林さんはトールとファフニールの会話を聞いていたわけではないと思いますが、ああいう風に考え、決意していたトールの気持ちを彼女は既に十分受け取っていたはずです。だからこそ、頑張るトールを見守っていよう、彼女の優しさを受け取ろうと小林さんは身を引いたのかも知れません。それでも小林さんが「頑張り過ぎないで」と身を寄せてしまう気持ちも分かる。だから、少しづつでいい。一歩ずつでいい。焦ることなく、これから共に生きる日々をより大きな “信頼” へ変えていって欲しいなと今は切に思っています。

『小林さんちのメイドラゴン』2話の演出について

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誰がなにを見つめていて、そこにどんな想いが託されているのか。そんな数多くの情報をしっかり汲み取ってくれる京都アニメーションの作劇はだからこそ人間味に溢れ、感情的なフィルムへと昇華されていくのでしょう。トールの手を小林さんが引いていくシークエンスはまさにその象徴だったように思います。

 

言葉数少なく歩いていく二人をじっくりフォローしていくカメラワーク。初めは遠巻きにロングショットを挟みながら静観するのも凄く情緒的。けれど、それぞれが抱くものを想起できる機微ある表情にはしっかりそのレンズを寄せ、ちょっとした力みや瞼の動きなどの感情的な仕草を本作は決して見逃そうとはしません。だからこそ、言葉は交わさずとも彼女たちの感情は映像を通してこちら側に伝わってくる。「この手しばらく洗わない」と語られたモノローグも立ち位置的にはむしろ決定打でしかなくて、そう決意した “彼女の心情” はそれより以前のシーンにおいて既に語られていたはずです。

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同じような構成だったのがカンナとのやり取りを描いたシーン。この場面においても「私、小林さんを好きになって良かった」と心の内で語るトールの心情の理由をその言葉より前の映像で全て物語ってくれていたように思います。

 

演出的には一話におけるトールとの一連のシーンを思い出す武本さんらしいカッティングで、互いの表情を交互に繋げづつ、その表情にじっくり寄せていくことで内面を掘り下げていく見せ方。不安を募らせるカンナの言葉に同調するよう矢継ぎ早に繋げられるフィルムという印象でしたが、小林さんの手がカンナの頭に触れると、彼女の言葉がそのままカンナに流れ込むようにシームレスなカッティングへと印象が変化していきます。シリアスな話になると場の雰囲気と照らし合わせるように撮影・色のつき方が天候に関わらずじわっと変わるのも一話と通じていて良いです。ここは演出の領分でもあると思いますが、その点で言えば一話の藤田さんとは(やっていることは同じ=コンテ指示?ですが)少し質感が違って面白いなという印象も受けます。

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カンナの涙で溜めて、またポンポンとカットを繋いでいく。二人の仲が少し前に進んだところでカメラも見守るよう何歩か後ろに下がる。内面を映すために近寄っていたカメラが少しその距離を空けることで“彼女たちが纏う空気や関係性を捉えること”にその目的をシフトしていく。なにより、そんな一連のカッティングと二人の姿を目の当たりにすることで私たちは感じてしまうのだと思います。小林さんの温もりや、曇りのない眼差し、そこから垣間見ることの出来る彼女の人間性と安堵感を。

 

まただからこそ、その後に続くトールの言葉が痛烈に刺さる。「小林さんを好きでよかった」。彼女がそう言うならそうなんだろう、ではなくて、彼女がそう語る理由を知っているから納得できるという物語と映像のロジック。

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そして、二人の心が通い合ったことを契機に想定線を越える。越えるというより、ここでトールの視点になるのがまた凄く素敵な見せ方だなと感じます。それはまるで二人の心の通いが、「小林さんならきっとそうしてくれる」と信じていたであろうトールの視線とリンクしたように思えたからです。

 

そして、それは紛れもなく本作が大切に描いていたであろう “誰かの視線” に他ならないのだろうと思います。誰かが見つめていて、誰かを見つめていて、その視線の先に感情が在る。相手のことを知りたいだとか、私のことを知って欲しいだとか、つまりはそんな単純だけどとても大切なことをこの作品はどこまでも優しく丁寧に描いてくれているのでしょう。なによりそれは、京都アニメーションが長年に渡り根本的な部分で培い続けてきた “人の心を描く” ということなのだろうと思います。言い換えれば家族観や家族愛。少なくとも、この作品は本物の家族であっても疑似家族であっても、彼女たちの関係性が持つ温もりを映像で捉えることをとても大切に扱っていると思います。

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顕著だったのは上記のカット。これ程までに家族観を直接的に感じられるカットを私は知りません。そう言い切れるほどにこれらのカットは本話の中軸にすら成り得ているように思えますし、だからこそそこに至るまでの演出は非常に大切であったのだろうと感じます。

 

その点を鑑みれば特靴が玄関に並ぶカットへの映像運びは秀逸で、これも京都アニメーションらしい拍を置いた距離の取り方で凄く良かったと思います。一話で言えばBパート終わりでBGカットを繋げていた感じに近いでしょうか。三人を映していたカメラが居間から移動し、廊下、玄関へと遠ざかるカット運び。ラストカットには川の字に並ぶ三人の靴をモチーフとして捉える。芝生で寝転ぶカットへ向けた原点的なカットでもあって、この辺りの映像運びには本当に感動させられました。

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あとはこの辺りのカットが凄い良かったと思います。構図的には本作のお茶目なシーンや、『らき☆すた』のイメージ背景を使ったコメディチックなカットなどでよく見られたようなものに近いですが、向かう視線の先を空(BG)にすることでとても感情的でアンニュイなカットにその印象を変えています。

 

特に空は本作においてドラゴンとの親和性を強く感じさせている場所ですから、そこに視線を向けるというのはある意味、凄く示唆的だなと思います。 “彼女がなにを・誰を想い空をみつめているのか” という問い掛けに対しての一つの応えがこの挿話にはしっかりと込められていたような気がしていますし、だからこそ以降の挿話でも同じようなレイアウトや構図が観られた時には色々と感慨深げに微笑んでしまうような気が今はしています。

 

二話連続で武本監督がコンテを切っていたのはかなり驚きましたが、それだけに素晴らしい挿話だったと思います。演出は澤真平さん。演出助手で『響け!ユーフォニアム2』に参加されていましたが演出として参加されたのはこれが初めてのようです。陽だまりや青空と比較的、温かい色合い・印象の画面で構成されていて、その辺りかなりアンニュイ方向(寒色系?)の色合いを好むイメージのある藤田さんの画面作りとは違った印象を受けます。もちろん武本さんの手も入ってはいるのだはと思いますが、これから期待して追い掛けていきたい方です。