フールズ・ゴールドと物語、そして人 『Re:CREATORS』を語る

f:id:shirooo105:20170910181823p:plainf:id:shirooo105:20170910181805p:plain

本物の黄金と酷似した鉱石、フールズ・ゴールド。これを気に入っている、と語ったのは本作の登場人物である築城院真鍳ですが彼女はその理由を次のように語っていました。

「私がこれを気に入っているのはね… 欲をかいて一喜一憂、こんな “くだらないもの” のために死んだり生きたり争ったりするのが見てて幸せ感じる瞬間なわけなの。それはね、本物の黄金で死んだり生きたりするよりも、もう一つ輪をかけて頭が悪いじゃん。超笑えるよね… それが人。それこそ人。私はだから人が好き。」

姿形が似ているからと言って黄金の価値に似通った価値がこの鉱石に生まれるのはつまらない、そんなことは求めていないし、どうでもいいんだと語った彼女らしい結論。変化や面白いことを優先する真鍳にとって、ありのままに美しいだけの価値なんてないも同然で、だからこそそ彼女は何かしらの可能性を秘めた “偽物” が放つそれ特有の輝きにこそ強く惹かれていたのだと思います。もちろん言葉通り、そうした偽物の輝きに吊られ魅了される人々の喜怒哀楽も含め、あるがままのものではなく “本来なら価値のないものに対しそれ以上の価値を見出す人々の業” を彼女は面白いと表現し、深く愛していたのでしょう。

 

そしてそれは、フールズ・ゴールドのことだけを指して語られたものでは決してないのだとも思います。偽物、虚構、現実との対比。それは物語です。数知れないこの世界に溢れる創作物とその中で紡がれた物語は、きっと真鍳の言う “偽物(空想)” に他ならず、それはどれだけ現実に根差した話であっても、誰かの視界/フィルターを通すことで脚色され、物語へと変化していく。それが例え誰かの人生であっても、そこに物語を綴るための想像の余地が生まれれば全ては “真実に近い偽物” の物語になってしまう。それは自分の人生を他の人が語った時、どこかに語り部のバイアスがかかり少なからず別の物語になってしまうことと同じなのだと思います。

 

でも、だからこそ “物語” は面白い。それは人の数だけ存在するものだから。読み手や書き手によって辿る軌跡は変遷し、たった一つのボタンの掛け違いで丸っ切り違う物語になったりもする。それはセレジアが自分の物語を自分自身で変えたように。アリスが自らの意思で戦うことを決めたように。マミカがそれでも「助けたい」と語ったように。物語は最初から真実が決まっているわけではなく、そこに関わる人々の感情、情熱、あらゆる想いで姿(結末)を変える。まただからこそぶつかりもする。物語が空想の産物であるからこそ、人の数だけ存在するからこそ、自分の物語を肯定しようと人は想いを賭して、争う。そしてそれはこの作品の中で奔走し続けたすべての登場人物・クリエイターたちにとっても同じことであったはずです。なぜなら、彼ら・彼女たちの作品に向けた情動は紛れもなく真鍳の語った「輪をかけて頭の悪い “愛すべき人”」 の生き様であったはずだからです。創作者も。キャラクターたちも。蓋を開けて見なければ分からない物語なんて曖昧なものに命や誇りを賭けて戦った。だからこそ、その姿は尊いのだと。だからこそ物語は面白いのだと。そんな物語賛歌、創作賛歌としても真鍳のあの言葉は捉えられたはずです。“そんなもの” に必死になれる愚かな人々に向けた賛歌。それこそが彼女の価値観であり、なによりこの作品が描き続けてきたことなのだと思います。

f:id:shirooo105:20170910220919p:plainf:id:shirooo105:20170910220937p:plain

特にアルタイルはそんな典型的な “愛すべき人” であり “クリエイター” の姿そのものであったとも言えるはずです。自らを産み落としてくれた創作者セツナの人生。その背景に向けた恨みや悔恨を力にここまで必死の抵抗を続けてきたアルタイルは、だからこそ自身の作り上げたシナリオ・物語で、酷く絶望的なこの世界を消し去ろうとした。「あなたを苦しめた物語を許せなかった」というあの言葉通りに。それは傍から見ればとても危険で傍若無人な話でしかないのかも知れないけれど、彼女にしてみれば大好きな人の存在価値を掛けた決死の創作でもあったはずです。むしろ創作は自分の好きなように物語や世界を描けるからこそ創作足り得るわけで、そう思えばアルタイルのやろうとしたことだって正しくはなくとも、間違ってはいなかったはずです。颯太が島崎由那の人生を元に二次創作を生み出し、あの世界に創作物としてのセツナを顕現させたのもまた同じことです。自らの過ちや、後悔、責念。そしてセツナと同じ場所に立ちたかったという夢、切望。それらのなにが正しくて、間違っているかなんてことは誰かが決めれることではないけれど、それでも人は不確かな妄想や想像、自己を実現せずにはいられない。だって “そんなくだらないことのために一喜一憂、死んだり生きたり争ったりするのが人” なのだから。創作のために。自分のために。この物語を知ってくれる “誰か” のために。

f:id:shirooo105:20170911180111p:plainf:id:shirooo105:20170911181323p:plain

これはそんな願いと情熱、想いを掛けた物語であり、その物語のぶつかり合いの果てを見据える話でもあるのだと、今回の21話を観て考えさせられました。またそうした物語(自己)同士の衝突の果てに新たな物語が生まれることも、この作品は描いてくれました。颯太とアルタイルの創作・物語のぶつかり合い。その果てにアルタイルの “あの選択” が生まれたのなら、それはとても素敵なことであったように思えます。「死んだ人は戻ってこない」その言葉通り進んでしまった物語を巻き戻すことはできないけれど、でもだからこそ、人は新たな可能性を求めて道を進み続ける。そうすれば、いつかきっと奇跡だって起きるのかも知れない。アルタイルが夢にも思わなかったであろうセツナとの逃避行は、そんな創作の可能性を見せてくれた一つの輝きであったように思います。それが例え、本物のセツナではなかったとしても。

 

不可逆な本物の黄金の世界(現実)では成し得なかった、虚構だからこその可能性。死が確定した世界の枠の外で行われた創作の浪漫。周到に用意された舞台においても、結局は颯太と真鍳の奇跡がことを収束に向かわせたように、物語はだからこそ面白いのだと。少なくとも私はそういった奇跡や浪漫が好きですし、そんな数多くの物語たちにこれまで何度も救われてきました。現実の替わりに虚構を愛しているわけじゃない。なにかを埋めるために物語を愛しているわけでもない。虚構だからこそ、物語だからこそ。

「情熱と切望と、悪い願いも良い願いも全部そんな衝動の中に含まれて、そして物語は誰かの心に根差して、その人の世界を変える」

私にとっては、そうアルタイルが語ってくれたことが全てです。もちろん、そうやって物語を信じ続ける私も、真鍳に言わせれば 「輪をかけて頭の悪い人」 なのかも知れませんが、それでいいのでしょう。そんな物語賛歌を描いてくれた『Re:CREATORS』はとても素敵な作品だったと思いますし、創作と物語への想いを恥ずかしげもなく描いてくれたことにはとても感謝しています。アルタイルやあらゆる創作・物語を否定せず、救ってくれたことも含め。この作品が描いた創作・物語への寛容さと厳しさはとても胸に沁みるものでした。

『NEW GAME!!』8話の芝居について

f:id:shirooo105:20170831001833g:plainf:id:shirooo105:20170831163937j:plain

一度パチッと瞬きをしたあとに、スッと瞼が沈むこの表情芝居に胸をグっと掴まれました。前後の間やタイミングも凄く好きですが、一番の理由は青葉が紅葉との関係性を気にする素振りとして、とても良い表情づけだと感じたからです。観ての通り、派手な作画ではありません。 けれど、感情というものは細かな機微にこそ宿り私たち視聴者の記憶により強いイメージを与えてくれるものだと思います。それこそ細かな芝居が多ければ作画する枚数は増え、負担も大きくなるはずです。それでもこうしてちょっとした機微を損なわないよう描くのは、登場人物の想いや気持ちを蔑ろにしないためであることは少なくないはずです。

f:id:shirooo105:20170831084122g:plainf:id:shirooo105:20170831084207g:plain

特に本作においてひふみは口数の少ない人物です。でもそれ以上に表情が豊かな人だとも思います。内気な性格から一つ殻を破りたいと願っていたのは一話の面談シーンで描かれていましたが、それ以降彼女はよく笑うようになりました。これは作中でしずくさんも言及していたことです。けれど、まだぎこちなさが残っていたりもしていて、特に紅葉に話しかけるシーンでは力んでいる様子が見える、溜め・詰めを少し意識した動きになっていたと思います。それも非常にひふみらしいなとは思うのですが、その会話の最後に見せる自然に笑う表情とその際の動きはまた違った彼女の側面を描いてくれていました。ふわっとした動き。優しい目と表情。青葉の時と同じく瞬きのあとに少し瞼を下げる芝居。でもその印象は真逆ですし、感情描写としてもそれは同じだったと思います。もちろん、眉毛や瞼の角度で表現される感情が変化する、というのは多くの作品がやっていることですが、特に今回の話ではそういった芝居づけを強く意識させられました。

 

ただ、もしかしたらこういった芝居は『NEW GAME!!』全体で意識されていることなのかも知れませんし、今話を視聴した際にそこに注視した結果、そう感じただけ(今回の話に限ったものではない)なのかも知れません。けれど、今話における上に挙げたような芝居づけはとても素敵でした。演出指示なのか、アニメーターのアドリブなのかハッキリとしたことは分かりませんが、感情との同調などを考えれば演出方針の要素もあるのかなとは思います。コウと紅葉の目パチが合ったカットなんかも演出意図がハッキリしていて面白かったですね。そして新しく登場した紅葉は常にきつめの表情。それが今後どう変化し、どの様な芝居がつけられていくのかも今後楽しみだなと思います。

『メイドインアビス』の縦の動き・レイアウトについて

f:id:shirooo105:20170708191440g:plainf:id:shirooo105:20170708224055j:plain

メイドインアビス』はアビスと呼ばれる縦向きの穴の底に向かい冒険をする話ですが、こういった崖・絶壁を下っていく芝居へ贅沢にカットを使う、またそれを縦方向の俯瞰で撮ることに拘る、みたいなポイントは本作の世界観やその奥行きの深さを伝えることに強い影響を与えていたと思います。舞台設定上、今回のファーストアクションがこういったシーンだったのも納得で、そこからロングでモヤの掛かる背景を映し、アップで原生生物も映す、という繋げ方も世界観の提示として凄く良かったと思います。

 

特に最後4カット目の俯瞰のカットが素晴らしいです。縦穴を降りていく物語だからこそよりそのイメージを強く想起させるカットになるのがこういった上から下への動き。またそれを俯瞰で撮ることによって手前から奥の動きにする、というのが巧みです。より底へ移動していく感じの強いカットになると思いますし、例えば歩きの作画でも手前から奥、またその逆の動作などは難しい動作の作画として挙がることが多々あります。歩きの作画ではないので一概には言えませんが、同じような上下運動と奥行きを使ったカットとしてとても良い芝居な上に、そういった奥へ向かう動きが “穴の底・奥へ” というベクトルをより強固なものにしてくれていたと思います。

f:id:shirooo105:20170708193114g:plainf:id:shirooo105:20170708193135g:plain

同じような俯瞰での芝居は他にもありました。隠れていたレグが部屋に降りるカット。場面としては穴の底に向かう、といったものではありませんが、天井の高さ、室内の空間を生かした動きとレイアウトだと思いますし、底に向かうという動きの意味合いでは同じです。またリコと二人で逃げるシーンでも縦パン風に最後は俯瞰。これは二階?から飛び降りているので自然にこういうアングルになっていますが、印象としてはやはり同じだと思います。降りる運動がこの作品の下へ向かうイメージをより強いものにしてくれている。なにより、こういうカットをさらッと入れてくるのは凄く面白いですし、縦方向に伸びる舞台設定ならではの動きだと感じます。

f:id:shirooo105:20170708213928p:plainf:id:shirooo105:20170708213943p:plain

またこの作品における建築の構造は非常に独特なものでした。敷地面積が狭いためなのか、穴に向かう斜面に沿い建造物が建っているからなのか、上へ向かっての壁面積が大きくなっています。つまりは敷地面積が取れない分、出来るだけ屋根を高くして縦の面積を稼ぎ、屋内を立体的に使っているのではないか、ということです。さきほどのリコたちが暮らしていたお仕置き部屋も同様だったと思います。だからこそこういった俯瞰だったり煽りだったり、奥行きのある構図が使われていたのでしょうし、それがまた空間や物語に立体感を出していたのだと思います。先程挙げた縦の動きが上下のベクトルに強い影響を与えていたのと同様、こういった画面設計そのものが今作においては世界観を彩る重要な基盤になっていたはずです。これは舞台がアビス/縦穴に映った時も同じでした。

f:id:shirooo105:20170708215618p:plainf:id:shirooo105:20170708215658p:plainf:id:shirooo105:20170708220604p:plain

画面上部の空間、または反り立つ周囲の岸壁や大木を意識した様なカットの数々。巨大なものに圧倒されるようなスケール感もこういうレイアウトだと映えますが、それ以上に舞台の深度を出す画面の見せ方としては、もうこれ以上はないような気さえします。光源は常に上から降り注ぐイメージが多用され、入射光が入る。これも深さを感じさせる要因になっていて、上から下へ、より下へ、というイメージがあるように感じられます。もちろん、文字通り地面に平行な奥行きも表現されているのはそうなんですが、それ以上に上下の奥行き感をここまで強く出せるのは凄いと思います。パンも横パンよりは縦の方が多かったり、世界観的にもやはりこの作品は縦の風景とそれに付随する動きを見せたいのではないか、みたいな風には強く感じられました。

 

またこういった俯瞰、煽り、ロングショットとそれを支える美術・撮影の素晴らしさが一枚一枚のカットを神秘的に映しているのだとも思います。正直、OPの辺りやラストシークエンスにはただただ圧倒されました。息を飲む、とはああいうことなのでしょう。あの美しいカットを見せられるだけで、この世界での物語をはやく観てみたい、早く冒険したいと思わされますし、それと同時に胸が高鳴っていくのを実感します。まただからこそ彼女たちの気持ちも分かるというか、もしかしたらリコたちも周囲を取り巻く景色たちによって同じような気持ちにさせられたのかも知れませんよね。なにより、そうした「知りたい」「見たい」と思わせる絵としての強さが世界観をまた一際美しく強固にしてくれる。立体的な動き、構図、レイアウト。それを支える映像美と、そこから芽生える好奇心。『メイドインアビス』の魅力は本当に底知れないのだと改めてつきつけてきた映像だったと思います。*1

*1:一部、文章を変更しました。