『ヤマノススメ サードシーズン』10話の演出について

7話から描かれ続けてきたあおいとひなたの擦れ違い。おそらくは、あおいの成長、交友関係の広がりに対して “遠ざかっていくような感覚” をひなたが覚えてしまったことが原因の一つになっていたのでしょう。どこへ行くにしても常に傍にいた存在が少しずつ “自分の居ない場所” へ足を向けることに抱いてしまう寂しさや戸惑い。互いを見続けてきた二人の関係だからこそ変化というものにはとても敏感で、どちらかが変わっていく分だけその間には少しだけ小さな溝が生まれてしまったのだと思います。

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そして、本話はそんな溝とそのせいで出来てしまった心的距離をとても繊細に切り取っていました。特に本人さえまだ言葉にすることが出来ていなかったひなたの抱く感情を寡黙に、且つ雄弁に映し出してくれていたのは本当に素晴らしく、冒頭から終盤にかけ彼女の想いを一つ一つ拾い上げていくよう紡がれたフィルムの運びは非常に感傷的でした。

 

冒頭で描かれた視線を意識するようなカットもおそらくはその延長で、相手を見つめる、見つめていると分かるカットの存在がその先に向けられる感情の輪郭をシームレスに描いていたはずです。楽し気な会話から始まったシーンでしたが、これまでに描かれた擦れ違いもあり、相手を見つめるという芝居にすらとてもドキッとさせられてしまいます。空気を裂くよう差し込まれるひなたの驚いた表情は特に印象的で、見つめるという行為に含まれる感情の大きさを改めて思い知らされるようでした。

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続くシーンではエモーショナルなカット、レイアウトが続きます。被写体を端に寄せるカットはこの辺りから多くなっていきますが、どれも情感が厚く、なにかを訴えかけるような絵になっています。二つ目のカットでは、一緒に帰っているにも関わらずあおいだけを切り取るフレームで描かれていたのが大胆であり、切ないです。「ひなたが居ないのは不安」と感じるあおいと、それとはまた別のところに不安や寂しさを感じているひなたとの違いをまさしく分け隔てているようにも見えます。あおいの心に “ひなたの想い” 在らず、といった印象も受けるカットで、この流れは観ていて非常に辛かったです。

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あおいが立ち去ってからのカッティングも非常に巧いです。「じゃあね」と語り掛けるひなたの声は虚空に消え、ポツンと佇む姿、見つめる視線に寄ることでカメラはあおいとは別の孤独感に苛まれるひなたをそのフレームに収めていきます。画面端に被写体を寄せることで生まれる空間はまるで感情の溜まり場のようで、美しく焼ける夕景と見つめ続ける視線の残り香が溢れるほどの感傷をそこに描き出していました。

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立て続けに描かれる同様のレイアウト。エモーショナルな劇伴に一人で散策するひなたのゆったりとした体感時間をも感じさせてくれるカットの運びがマッチしていて、素晴らしいシーンになっていました。「あおいのやつ、本当に私が居なくて大丈夫かな」と語られたモノローグももはや裏腹にしか聞こえず、ひなた自身はまだ気づいていないであろう、その心の内を透かすような一連のシーンには堪え切れず少し、泣いてしまいました。

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特にこのロングショットでの長回し芝居が凄く良く、普段は忙しないひなたとは正反対の芝居、動かし方がどこか “いつもと違う” 雰囲気を出していました。心に小さな穴が空いているような。そんな風に思える芝居、見せ方であることがこのシーンにおいてはとても大切であったはずです。もちろん、このカットを担当されたアニメーターの方の膨らませ方が素晴らしかったのだろうとは感じますが、ここをこの距離感で、fixで撮ると判断したことは演出の領分が大きいように思います。今回の話を通しては総じて言えることですが、演出と芝居の描きたいこと、解釈、膨らませ方がそれぞれのシーン・カットを本当に素晴らしいものに仕立ててくれていたと思います。

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この辺りもそうでした。今話においてはあおいとの唯一の接点であったスマホをひなたが見つめる、というカットが散見されましたが、寄りでと言うよりは少し距離を置いた位置でひなたを映し、ここでも空いた空間に彼女の感情を少しずつ流し込んでいるような印象を受けました。芝居における間や表情でも良く情感を出していたカットですが、ひなたがスマホの向こうに向ける視線、その先で生まれる感情とそれを滲ませるための画面構成という意味では、やはりレイアウトの良さが感傷さをより引き立てていました。ナメで撮られていたのも、これらのカットが彼女の心を覗き込む立ち位置で描かれていたこととおそらくは一致しているのでしょう。視線誘導的な意味でも、物陰の役割としても前景を置くレイアウトが非常に上手く決まっていたと思います。

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そういった意味ではこのカットも非常に印象的でした。ナメ、PAN、ピン送りからひなたの表情、そして視線の先を描いたカット。かえでさんの「将来の選択」「後悔しないために」「続けるために」という言葉から少し目の前が開けたような、その心内に少し潜り込むような質感を持っていたのがひなたの現状や今のあおいとの関係性にシンクロしていて凄く良いな、素敵だなと思えました。(ひなたにとって) 言葉数少ない寡黙なシーンではありますが、前述してきたひなたの感情を描いたものとして本当に雄弁なカットです。

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ひなたの表情とそれを捉えるレイアウト。かえでとゆうかを見つめ、少し目線を下げて、その先に自分とあおいを重ねる。実際的な目の前の風景ではなく、ひなたが何を感じ、何を想い、その先に何を見ているのかということを描いていく。そしてそれを描くため画面に余白を作る。感情が少しずつ滲んでいくように。少しずつ伝わっていくように。ひなたとあおいの未来、その行方に少しでも希望が生まれるように。

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そしてそんなひなたの想いが通じた “ように” 繋げて描かれるあおいの芝居。直接的になにかを感じ取ったということを描いていた訳ではないはずですが、前述のシーンからここへ直接繋いでいくことで “そう見える” ようにしていたのはおそらく意図的だったのでしょう。柔らかい指先の芝居と、そこへ触れる淡い光。擦れ違う中に未だ残る絆の強さを感じられる素敵なカッティングです。

 

またここだけではなく本編の多くで言えることですが、入射光、透過光など撮影の良さが明確な意図をもってフィルムに多大な質感を与えていたのは今回の話の大きな魅力だと感じました。色指定や美術で織りなす画面の色味をさらに感傷的なものにしていく撮影の素晴らしさは溜息が出る程です。淡く照らしたり、陰影とのコントラストをより明確にしたり。時に優しく、時に厳しく彼女たちを見守る世界そのもののような印象も受けますし、登場人物たちの感情がそのまま映像に同期しているようにも感じられます。

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電車内のシーンは特に撮影による演出が顕著でした。それぞれの立ち位置、未来への展望、感情との同期。それこそ世界からの祝福、なんて言うと大袈裟な言い回しに聞こえてしまいそうですが、満面の笑みを見せるあおいを照らす光・映像美はまさにそう喩えるに相応しいものでした。

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一方で、より時間帯の深い黄昏のような風景を演出することでひなたの心情がそこに浮き彫りになっていくのは対比的でとても良いなと思いました。芝居、表情、余白を作るレイアウト、被写体との距離感、そして色味・撮影など画面構成する全ての要素が噛み合い、素敵な映像を創り上げています。狭い空間に4人で居たあおいたちとは違い、広い空間にポツンと佇むひなた。感情的で、感傷的で、この絵を見ているだけで心苦しくなってきてしまう良さで溢れています。

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光と陰の分断で明確に現状を分ける構図、レイアウト。撮影によるコントラスト。そしてここまで描かれてきた視線とその先に描かれる複雑な感情。どこまでもひなたに寄り添い、ひなたの想いを一つ一つ汲み取ろうとするカットの運びが観ている私たちを居た堪れなくさせます。ですが、感情の動線を追う、というのはまさにこういうことなのだとも思うのです。ひなたの一日を追い掛けるようなフィルムとしても成立していた今回の話ですが、たった一日であっても色々なものを見て、感じ、考える。その繰り返しを捉えていくことで描くことの出来る少女たちの繊細な感情というものは、確かにあるはずなのですから。

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最後まで徹底して描かれるひなたの視線と余白。今感じている “この気持ち” の正体。その感情について考え続ける少女を映し続けることにおそらく本話の主題の一つはあったのだと思いますし、『擦れ違いの物語』がサードシーズンに入り描かれた意味もきっと同じなのでしょう。共に歩み続ける中、成長した少女たちが今一度互いへの想いを確かめ合うこと。その過程を描いた中でも今回の話は特に繊細で、どこまでも優しさに溢れ、常に情感を感じ取ることの出来る距離感で描かれていたと思います。

 

コーヒーに混ざるミルクや、水滴の落ちるイメージカットなど話に沿ったモチーフが要所で描かれていましたが、そういったカットもシームレスに流れの中で構成されていたのがまた素晴らしかったです。願わくば、早くひなたとあおいにはまた仲睦まじい関係に戻って欲しいですが、今話の映像がそうしてくれたように、私も彼女たち自身が自分で答えを出すまではしっかりとその姿を見守っていてあげたいなと思います。芝居・作画と演出の余りに素敵なマッチング、本当に素晴らしい挿話をありがとうございました。

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『ヤマノススメ サードシーズン』2話の演出について

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特徴的で可愛らしい表情、フォルム、皺のニュアンス、デフォルメ。挙げれば切りがないほどに素敵な作画を見せてくれた本話でしたが、少しアンニュイな空気を抱えた今回の話にとっては、あおいの心情に寄り添った演出がとても良い補助線を引いていて話に引き込まれる大きな要因の一つになっていました。

 

中でも特に良いなと感じたのはカメラワークで、かえでさんに登山靴の購入を薦められるシーンなどでの演出は前述したような心情への寄り添いがとても顕著でした。かえでさんの話に聞き入るようぐっと前へカメラが動いても良さそう*2な場面ですが、このカットでは少しずつ引いていくようにカメラがT.Bしているのが分かります。「登山靴、 やっぱり必要ですかね?」と後ろ向きな声色であおいが聞き返したように、カメラが下がっていくことが、おそらくはあおいの気持ちが “登山靴” から遠ざかっていたことへ同調していたのでしょう。登山が趣味であることと、高額な靴を買うことに距離間を感じてしまうのもまた彼女らしい等身大の悩み。アイレベルも丁度あおいの主観に近いものであったことが、よりそんな彼女とカメラの重なりを演出していたと思います。

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直後のレイアウトもエモーショナル。それまでの活気ある会話とは裏腹に静まり返るような孤独感のあるレイアウトがあおいの心模様をそこに映し出してくれていました。ですがそこへ注釈するようにひなたの目線が入る、というのがとても素敵で、そこにはこの作品がこれまでもずっと携えてきた温かく優しい関係性が寡黙に描かれていました。

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ここでは逆にカメラは動かさずfix。ですが、ひなたとかえでの会話が弾む傍らただあおいを映し続けるということにおそらくは意味があり、動かさないということがここでは彼女の心情を描く (捉える) 上で大切だったのだろうと思います。それはあおいの表情を映すということだけではなく、会話のラリーをカメラが追い掛けず、会話がうわ滑るようカメラを動かさないことでより疎外感を演出していた、ということでもあるのでしょう。

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その疎外感を一番強く描いていたのがこのカット。ドリーズーム*3で描かれた距離感はより心の遠さを演出し、フォーカスの変化も彼女の心情的な孤独を映し出していました。カメラが引いていくという括りでは冒頭のカットと同様で、ここも彼女の一歩引いてしまう視点とリンクしたカメラワークになっています。あおいの立場で考えれば辛い話ではあるものの、こうした心情に寄ったちょっとした見せ方の変化がそのまま物語や人物へ重なっていくのは本当に素敵です。

 

動きや絵から感傷的なものを滲ませるだけでなく、カメラワークやレイアウトなどからも心情にアプローチをかけてくれるとより一層その作品世界・物語に没入できる感覚がありますし、今回のフィルムを受け “寄り添っている” と思えたのは、やはりこういった見せ方に彼女が抱く想いの滲出を感じられたからに他なりません。

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そして冒頭のシーン同様、ここでも次点カットのレイアウトは感傷的です。登山靴を履き感触を確かめるカットでもそうでしたが、少し空間を空けることでそこには言葉にならない、言葉にし難い感情が漂っていくような印象が残ります*4。時折り逆光を強く意識した陰影で表現されるのも同じことです。彼女がなにを考え、なにを想っているのか。その心の在り処を知りたい、考えたいと思わせてくれる画面であることがとても良く、嬉しいのです。

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そして、そんなあおいを見つめる、見つめていたと語り掛ける視線を描くことでさらに物語に奥行きがでる。距離感の変化からあおいにだけ当たっていたフォーカスが奥の二人にも送られていく。冒頭でひなたが見せた視線と合わせ、その二か所に視線を置いてくれたからこそ、あおいが靴を買うまでの間ずっと二人が見守ってくれていたんだと思うことすら出来るのは演出の賜物であり、本当に素敵なことです。

 

もちろん「さっきまでお金勿体ない、って顔してたくせに」とひなたがあおいを茶化したことも「ああ、ずっと見ていたんだな」と思える要因の一つではあったわけですが、きっとそれは “見ていた” ということを言葉にしただけに過ぎなかったのだとも思います。なぜなら、言外として語られた視線とそれを切り取っていく映像はその台詞より前に描かれ、時折り彼女たちの想いをそこに映し出してくれていたのですから。

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他にも今回の話ではつけPAN、PANアップなどカメラが動くカットが多く見られました。もちろんその全てに意図や心情とのリンクがあったとは思いません。間を持たせるため、景観を見せるためなど色々な理由があるのだとは思います。ですが、その中で時折り心情に重ね合わせたような動きをカメラが見せることはやはりあって、それが今回の話をより感情豊かにしてくれていたのは間違いないはずです。

 

基本的にあおいのモノローグで物語が繋がっていく作品ではありますが、彼女もその心の内をすべて語ってくれるわけではありません。だからこそカメラが動く、表情を切り取るというのはそんな彼女の心を捉える上でとても大切なことなのだと思います。あおいが登山靴の大切さを理解していく過程を映してきたカメラが最後は富士山へ寄っていく、というのもとてもロマンがあり、力強い光景。今話はそんなカメラワークの良さが物語の積み重なりと心情の変化に重なっていた素晴らしい挿話でした。

 

演出を担当されたのはちなさん。コンテから処理まで担当されたのはおそらく二作目で、一作目の演出回『ろんぐらいだぁす!』3話もとても素敵な話だったのをよく覚えています。改めて観直すと今回ほどカメラは動いていませんでしたが、心情を描くレイアウトや間、芝居、カメラワークは非常にエモーショナルで今回の話にも通じる部分がありました。アニメーターとして素晴らしい方ではありますが、ちなさんが担当される演出回ももっと観たいなと改めて思えましたし、氏が参加される作品は今後も見逃さず追い掛けていきたいなとも思います。ともあれ、本当に素敵な挿話をありがとうございました。

*1:サムネイル画像

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*2:直前に富士山へのリベンジに向け気合を入れるあおいを映していたことから

*3:背景をT.B/T.Uしながら被写体をズームアウト/インすることにより生じる映像・実写技法。アニメ的に言えばあおい意外の人物と背景からのみT.Bしつつあおいのレイヤーは動かさないことで成立していると思われます。アニメ的に言うのであれば密着マルチとT.B?

*4:右カットの際はここでも引いていくカメラワークがつけられ、より空間を空ける見せ方が使われています

『アイカツフレンズ!』13話のラストシーンについて

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月に向かい手を伸ばし「まだまだ遠いな」と呟くみおをエモーショナルに切り取ったラストシーン。月灯りに照らされる質感がとても良く、モチーフやレイアウトなどカレンやラブミーティアに交錯した感情を抱いていたみおの内心をとてもよく描き出してくれていました。月と手の “遠さ” で憧れとの距離を映しながら、カメラが反転することで決意を瞳に宿す彼女の表情が映し出されるーー例えば、こういったカットの運びが本当に良く、カメラ位置による見え方・陰影の変化*1と月光の意図を多層的に切り取ったカメラワークが「でも、いつかきっと」と語るみおの想いを力強く反映させていたはずです。 

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ですが、なにより印象深かったのは続けざまに描かれたこのカット。差し伸べられるあいねの手はまるで本作に題される『フレンズ』の意味を多く携えているようで、フレームインしてくる手と手の重なり合いが “共に歩み、支え合う” 未来への展望を大きく拓いてくれていたことが、とても素敵でした。

 

もちろん、月や空に向け手を伸ばすという芝居・構図は他作品でも広く使われている*2モチーフ的なカットですが、こういったアクションが同一カット内で起きるのは全く記憶になく、かなり衝撃的で感動しました。主観で描かれることに意味を置くことが多い中、あいねの手が交じり合うことで本作はピュアパレットの物語をあくまで “二人の物語(視点)” として描こうとしたのかも知れません。一人では悩み、立ち止まってしまうこともきっと二人でなら届く。そう思わせてくれる力強さがこのカットにはありましたし、本作の代名詞足る「二人でなろう」の意味を寡黙に伝えてくれた二つの手は、これまで『アイカツフレンズ!』で描かれてきたものの中でも特に雄弁なカットであったように感じました。

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そしてそれを契機に超える想定線。これまで手を差し伸ばされ続けてきたあいねが今度は自らの手を差し伸ばしたことで、きっと彼女たち二人の関係にまた一つ変化が生まれていくのだと思います。

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物語の分岐路。そんな両カットと今回は立ち位置が逆になり、あいねが上手に立っていたのも印象的です。アイドルとしては先輩であるみおがあいねに手を引かれ進んでいくその先でピュアパレットがどう活躍していくのか。そんな未来が今は本当に楽しみで仕方ないですし、彼女たちと同じ歩幅でその背中を見守りながら、少しずつ変わりゆく景色を私も見ていきたいなと思います。

 

アイカツの “アイ” は愛情の “愛”」。それを体現する二人の関係性をラストシーンでも示してくれた素晴らしいエピソードでした。

TVアニメ/データカードダス『アイカツフレンズ!』OP/EDテーマ「ありがと 大丈夫/Believe it」

TVアニメ/データカードダス『アイカツフレンズ!』OP/EDテーマ「ありがと 大丈夫/Believe it」

 

*1:逆光から順光(影から光)への移行

*2:参考作品の一例。

左から『STEINS;GATE』1話、『アイカツスターズ!』41話、『響け!ユーフォニアム』12話

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