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視線の交差、重なる映像、そして立像 / 『夜桜四重奏 ハナノウタ』 10話

先日『夜桜四重奏』10話を観たんですが、これが本当に素晴らしかったのでそのことについて少しばかり。それもそれぞれの視線の交差感というか、ああ、向き合ってるんだなって感じられる映像の見せ方というか。生きてるって支え合うってこと、そんな当たり前のようなことをとてもノスタルジーに夏の風景に落とし込むその美しさが本当に素晴らしかったなと。

特に顕著だったのが瞳のアップショットの多さと、それを半ばで切ってしまうカットの多さでした。彼女は今なにを感じ、なにを想うのだろうという、そんな感情の想像。その発露へと導いてくれる “視線” の描かれ方が凄く丁寧でいて、その映像の運び方が本当に綺麗で。


ヒメを見つめるアオの視線。遠くを見つめるアオの視線。そして友人を睨むアオの視線と他の人物たちからアオに対し注がれる幾つもの視線。ことAパートにおいては決してその場所から舞台を移すことのなかったあの大部屋の中であって、実はそれだけ多くの視線が交差し合いながら、その方向の違いを描き出していたのだということ。またそうした数々の視線が築き上げる交点の数だけ、想いや感情がじわりと滲み出ていたように感じられます。中でもアオの瞳 → ヒメの瞳 → 交わる二人の腕(交点)と紡がれるたった3つのアップショットはそれだけで十二分に多くの感情を想起させてくれていたのではないかと思います。

また教頭先生が来てからの流れもめちゃくちゃ流麗で、それも “町長としての資質” の境目、その揺らぎを寡黙にして雄弁に表現したこの一連のシーンは本当に素晴らしいの一言に尽きる映像の連なりでした。“柱” のモチーフをもって描かれる境目と空間。じっくりと右方向にパンされていくカメラワークによって柱は徐々にその位置を左にずらし、向き合う両者の空間の面積を対等にしていく。そしてその柱に対し当てられたピントを後ろの二人へとずらせば必然、二人が息を飲み、部屋が軋み、感情が揺らぎ、そうして感情は正論(柱)によって砕かれる。


けれどそれで終わりはしない(論点の決着をみせない)のがこの10話最大の強みと言いますか、むしろそれこそがこの作品においてはここまでの物語の中でずっと描かれ続けてきた優しさや温かさ所以の力強さであり、またその賜物でもあるのでしょう。そこからはただただヒメが町民からどれだけ愛されてるのかっていう理屈抜きの言葉と姿勢と感情的な抵抗によって織り成される物語と映像に沿うだけで十分だったような気がします。それも「若過ぎる」と突き付けられた決定的な根拠に対し、「だから助け合う」と答えたその圧倒的説得力に捻じ伏せられる快感と団欒、夕景の眩しさ。その心酔感にあとは浸るだけでした。

またその象徴として差し伸ばされる二人の手の温かさが本当に心地良く、そうして映される二人の表情の柔らかさにはついこちらの頬も緩んでしまいました。目を開いたアオの主観アングルから描かれる擬似家族的な風景。誰かが誰かを案じている、という多くの視線が散り散りに描かれたそれまでのカットを、しかし一纏めに “でもそれはこの景色のためなんだ” と提示してくれるその優しい映像が本当に好きで、そこからヒメの主観に移り、アオの表情を切り取ることもそれはきっと同じことなんだっていうそんな温かいカットも本当に良かったと思います。

そんなAパートに大満足しながらその余韻に浸っていたところ、あんなBパートがやってきたのだからもう震えだって止まる筈もなく。それも、じゅりさんの昔話として語られるこの物語もその輪郭は段々と “あの物語” に重ねられていくのだなぁという感覚が強くあったとでも言えばいいんですかね。それは例えば私たち視聴者からしてみればつい先程までそこに映し出されていた物語の上に重ねられるリフレインであり、また彼女たちにとってみれば、それはこれから迎えるであろう共に過ごす物語の下に添えられる、とても地続きな残像であるという確信で。


また、そうして繰り返し差し出される二人の町長の手とその手の平の中で柔らかく崩れる表情は、だからこそそうして告げられることになる 「若過ぎる」 という根拠を否定するに事足りる最も素敵な証明として描かれる上、またそれ故にこの物語はそんな二つの画(カット)によって確固たる “町長としての資質” を描き切ってみせたのだと思います。それも “なにかに迷い俯いている人が身近にいるのなら、まずあなただけは迷うことなくその手を差し伸ばしてあげて欲しい” という祈りそのものであったというか、それを常に行動に移すことがつまりは “資質” であり、皆が愛し愛した桜新町町長としての “像” に至るためのパーソナリティそのものなのだろうということ。


そしてその差し伸ばされた手に対し、今度は「私が」と手を差し出し返すことがこの作品の根幹的な部分、その『重奏』にあたるところでもあるのかなぁとか、ヒメの頬に伸ばし返された二人の手と彼女に向けられた各々の視線にあてられ、そんなことをふつふつと考えてしまった次第です。というわけで、まさしく映像を “紡ぐ” ことが物語を “描く” ことに繋がるような、そんなアニメーションの素晴らしさが詰まった回だったのではないかと思います。絵コンテ・演出は山下清悟さん。本当に素晴らしかったです。