『響け!ユーフォニアム』 11話の感情、或いは吉川優子の物語

些細な噂から個人パートオーディションのやり直しにまで話が大きくなってしまった『響け!ユーフォニアム』、その第11話。それもその舞台上をドタバタと駆け回り、まるで高坂麗奈への嫌がらせのように不正を叫び続けた吉川優子に至っては心底辟易とさせられてしまっていたわけですが、むしろ “過ちを犯していた” のは自分の方で、この挿話を視聴するに辺り私は彼女に対しての理解を大きく間違えていたのだとも思い知らされたようでした。

それこそ今回の騒動における彼女の一挙手一投足は決して褒められたものではないと思うし、ましてや頭を下げ八百長を願い出るなど言語道断であり、愚の骨頂。ヒール役に徹するにも限度があると言いたくなる程に彼女の言動は我がままで稚拙なものであったように思えたし、そんな彼女に対し私はどうしても嫌気を感じずには居られなかったのも事実です。それも自己主張するかのよう揺れるあの大きなリボンがこの目に入る度、溜息が出る程には彼女のことが好きではなかったですし、「そんなことをしたって香織先輩は決して喜ばない」という自論を盾につい語気を荒げそうになってしまったことさえあった程です。


でもね、そうじゃない。そうじゃなかったんですよ。偽善とか、香織先輩によく思われたいとか、麗奈がムカつくからとかそんな幼稚な考えで物語を引っ掻き回していたわけでは決してなかったし、ましてや見返りが欲しくて倫理を外れた行動を起こしたわけでも決してない。ただ彼女は信じたかっただけなんです。自分が信じた青春を。自分が憧れた風景を。初めて恋した旋律を。そうした “夢” とさえ置き換えられる何もかもを、彼女はただ必死に守ろうとしていただけなんです。

そしてそれはこの作品が『響け!』とその言葉尻に託していた願いと何一つ変わらないものであった筈なのだとも私は思います。久美子や秀一が「もっと巧くなりたい」と願うように。麗奈が「あの人の特別になりたい」と語るように。とても不器用で、遠まわしで、本当に下手にしか立ち回れないから余り良くない印象ばかりが目立ちがちなのだけれど、その根底にある熱量とそうして “夢” に手を伸ばそうとする彼女の横顔は、とても真剣で、真っ直ぐで、あらゆる理不尽な物語の圧力に対し懸命に抗おうとするヒロインの姿そのものでもあったんじゃないかって。


自分が初めて愛した音色、先輩の “歌声”。それを何よりの支えとして生きてきた彼女はだからこそ立ち向かう。「私の信じるものを倒していくと言うのなら刺し違えてでも止めてみせる、私の青春は誰にも穢させはしない」と。

もちろん、それは予兆を裏付けるような暗澹たるフィルムからも溢れ出ていたように、彼女にだって自分の “夢” が負けてしまう予感は多分にあったのだろうとは思います。それでもだからこそ諦めたくない、諦め切れるわけがないと自身の夢を押し通そうとする彼女の姿はとても尊いものであったように思いますし、少なくとも私は “青春” とも呼べるをそうした彼女の姿を頭から否定することだけは絶対にしたくないのです。


それも自身の夢が破れていくのをただ茫然と眺め諦めていく少女さえ居る中にあって、彼女はそこで立ち止まることを決して善しとはしなかった。受け入れられない。認められない。自分の物語が誰かの物語に塗り替えられてしまうなんて許容できる筈がない。そんなの誰だってそうでしょう。そしてそんな彼女にとっての “夢” がこの物語においては中世古香織だった、というこれはただそれだけの話であり、それをあのラストシークエンスによって思い知らされた私はもう数分の間、顔を上げることが全く出来ませんでした。彼女だけが、吉川優子だけが吹き鳴らすことの出来た青春謳歌。その美しい音色に私はただ心を委ねるしか感情の置き場を見つけられなかったのです。

けれどそうした彼女の物語は奇しくもそれそのものの存在である香織先輩の言葉を以ってその夢に幕を下す結果となりました。そして、その瞬間。彼女の曲はきっと終わりを迎えたのでしょう。香織先輩が居る最後の夏。言い換えれば、一人の少女が抱いた夢が終わりを迎え、彼女自身の物語もまたこの瞬間にその最期を迎えたのだということ。まただからこそ、私は彼女に言ってあげたいとも思うのです。思う存分、泣けばいいって。泣き疲れるまで涙を流せばいいって。


それこそいつの日にかに語られた「どっちにも挙げなかった誰か」になるわけでもなく、自らの意思を貫き、誰よりも先に高らかにその拍手を響かせた彼女は “この物語” において誰よりも美しかったのだと断言したいですし、またそんな彼女だからこそ、こんな場所で “終わって” しまう人では決してないのだと私は強く信じています。それも京都アニメーションの慟哭にも似た泣き顔を背負うこととなった彼女です。物語には屈しても彼女が懸命に生きた証としてそれはきっと生涯この胸に刻まれることとなるでしょう。


そして何より、あの叫びは彼女自身の産声でもあったのだと私は思います。此処が吉川優子の終わりの地であり、また始まりの地。それこそ彼女にはまだ一年もの時間がある。だからこそ見守りたい、見届けたいのだと。そうして始まる次の曲に想いを馳せながら、一先ず彼女にはお疲れ様と言ってあげたい気持ちで今は一杯です。