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『小林さんちのメイドラゴン』5話の演出について

2010年代 アニメ演出 小林さんちのメイドラゴン

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立ち位置的にこういう配置になるのは必然ですが、光源側にトールが立っているというのが非常に示唆的だったカット。周囲から「変わった」と言われる小林さんを “変えている” のは一体誰なのかというのが非常にセンシティブに描かれていたと思います。陰影を意識した画面の構成はこれまでも何度かありましたが、光と陰でしっかり立ち位置を区分する、というのは本作だと新鮮に感じられました。最近だと『響け!ユーフォニアム2』4話なんかが顕著で、その話を担当された小川太一さんが今回も演出をされていたわけですが、コンテは石立さんとの共同なのでその辺りがどういった配分・掛け合いで制作されていったのかは気になります。

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特にこの俯瞰のカットは他のカットより光量が多く描かれているようで面白いです。トールが自分の職場を覗きに来ていたというのが明らかになった直後なのでより光を当てる格好になっているのと、横構図でなく俯瞰である分、くっきりと陰影をつけるよりはこうして二人の間を光で渡すことで画面的な映えを意識したのかも知れません。例えば前後のカットのように二人を陰影で区分してしまうとレイアウト・構図的にトールだけが光で囲まれたような画面になってしまうと思います。なので、それを避けるためという意味合いはもちろんあるのだと思います。ですが見栄えの問題を考えなくともここはトールの光が小林さんに向けられていることを描くためにこういう画面である必要性はやはりあったのではと感じます。

 

また帰路につく時にそのままカメラを据え彼らの背中を映していたのも凄く良かったです。見守るような視線・カメラの配置というのは一話から徹底して描かれていたように思いますし、このパートのラストカットをああいったイメージBGのカットで締めたことさえそういった演出の一環だったのではないかと思います。妙な縁から一緒に居ただけだったはずの二人が少しずつ家族としての関係を構築していく温かさと、それを映像で紡いでいく優しさがあります。画面から体温を感じる、というのはこういうことなのかも知れません。

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この辺りの見せ方も良かったです。信号機のモチーフはベタですが京都アニメーションの作品でも結構出てきますので、そこでも連続性を感じられます。なによりこのシーンを素晴らしいと思えたのは、トールの葛藤を描くことに注力していたからではなく、むしろトールが抱く小林さんと暮らす日々への大きな愛を強く感じることが出来たからということが一番大きいです。それこそ葛藤するような雰囲気を全面に出していたのはファフニールが忠告したシーンくらいのもので、あの辺りは山田尚子さんぽい?手ブレとボケの処理で心の揺れをしっかりと描写していたと思います。ですがトールは続けざまに「今、ここが私の居場所ですから」と前を向いて語り始めます。寿命がれっきとして違うことも、いつか別れが来ることも理解しているし、人間を蔑む気持ちもある。それでも過去や未来を悲観するのではなく彼女は “今” を懸命に肯定しようと顔を上げるのです。

 

理屈ではなく感情を優先し、憎悪を打ち消し愛を語る。そんな彼女の姿に私は強く胸を打たれました。屈託のない笑顔で「(この世界に掛ける価値は) あります。小林さんがいますから」と言い切る彼女はまさに人の心を知る人間そのものだったように思います。

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まただからこそ、Bパート後半の話が生きる。人と暮らす道を選んだトールは、それ故に人間のことをもっと知ろうとする。けれど私たちは既に “彼女が人と暮らすために必要なものを持っている” ことを知っているわけです。それは誰かを愛そうとする心であったり、自らを省みながらコミュニケーションを取ろうとする姿であったり。そしてそれを小林さんも分かっているから、そんな無理しなくていいんだよと諭そうとする。でも少し目を落とすとそこには彼女が “人間でない” ことの証がちゃんと存在していて、嫌でも思い知らされてしまうんです、彼女がドラゴンであるという事実を。

 

その辺りのナイーブな部分にまでちゃんとスポットを当てたり、視線誘導してくるのはさすがだなという思いもありつつ、そこは見逃してくれないんだなぁという思いもあったりで色々複雑な心境ですが、そういう場所にもしっかりメスを入れてくれるからこそ私は京都アニメーションが描く家族観や群像劇というものを信じ続けていられるのかも知れません。

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ちゃんと視線を落とす動きを入れてから主観のカットや示唆的なカットに繋ぐカッティングが凄く巧くて溜息すら出てしまいますね。画面の余白を使う見せ方も上手いです。間も情感たっぷり。

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言葉数少なく表情と芝居・レイアウトやその場に流れる時間の速度で感情を伝えようとしてくれているのが凄く素敵だなと思います。喋ってしまえば野暮になってしまうことも、心の内でなら。そんな優しさを感じるフィルムです。

 

それこそあの場面において言えば “小林さん自身さえも” そうだった(喋ってしまえば野暮になると考えた)のかも知れませんよね。ドラゴンと人間、見てきた景色の違いや、それぞれに得手不得手はあっても、通じ合える部分は確かにあると教えてくれたここまでの物語。小林さんが伸ばした手の先でなにを伝えたかったのか、その全ては分かりかねますが、その手を引き、少し微笑んで見せた彼女の気持ちはなんとなく分かるような気がしています。

 

もちろん小林さんは、トールとファフニールの会話を聞いていたわけではないと思いますが、ああいう風に考え、決意していたトールの気持ちを彼女は既に十分受け取っていたはずです。だからこそ、頑張るトールを見守っていよう、彼女の優しさを受け取ろうと小林さんは身を引いたのかも知れません。それでも小林さんが「頑張り過ぎないで」と身を寄せてしまう気持ちも分かる。だから、少しづつでいい。一歩ずつでいい。焦ることなく、これから共に生きる日々をより大きな “信頼” へ変えていって欲しいなと今は切に思っています。