フールズ・ゴールドと物語、そして人――『Re:CREATORS』を語る

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本物の黄金と酷似した鉱石、フールズ・ゴールド。これを気に入っている、と語ったのは本作の登場人物である築城院真鍳ですが彼女はその理由を次のように語っていました。

「私がこれを気に入っているのはね… 欲をかいて一喜一憂、こんな “くだらないもの” のために死んだり生きたり争ったりするのが見てて幸せ感じる瞬間なわけなの。それはね、本物の黄金で死んだり生きたりするよりも、もう一つ輪をかけて頭が悪いじゃん。超笑えるよね… それが人。それこそ人。私はだから人が好き。」

姿形が似ているからと言って黄金の価値に似通った価値がこの鉱石に生まれるのはつまらない、そんなことは求めていないし、どうでもいいんだと語った彼女らしい結論。変化や面白いことを優先する真鍳にとって、ありのままに美しいだけの価値なんてないも同然で、だからこそそ彼女は何かしらの可能性を秘めた “偽物” が放つそれ特有の輝きにこそ強く惹かれていたのだと思います。もちろん言葉通り、そうした偽物の輝きに吊られ魅了される人々の喜怒哀楽も含め、あるがままのものではなく “本来なら価値のないものに対しそれ以上の価値を見出す人々の業” を彼女は面白いと表現し、深く愛していたのでしょう。

 

そしてそれは、フールズ・ゴールドのことだけを指して語られたものでは決してないのだとも思います。偽物、虚構、現実との対比。それは物語です。数知れないこの世界に溢れる創作物とその中で紡がれた物語は、きっと真鍳の言う “偽物(空想)” に他ならず、それはどれだけ現実に根差した話であっても、誰かの視界/フィルターを通すことで脚色され、物語へと変化していく。それが例え誰かの人生であっても、そこに物語を綴るための想像の余地が生まれれば全ては “真実に近い偽物” の物語になってしまう。それは自分の人生を他の人が語った時、どこかに語り部のバイアスがかかり少なからず別の物語になってしまうことと同じなのだと思います。

 

でも、だからこそ “物語” は面白い。それは人の数だけ存在するものだから。読み手や書き手によって辿る軌跡は変遷し、たった一つのボタンの掛け違いで丸っ切り違う物語になったりもする。それはセレジアが自分の物語を自分自身で変えたように。アリスが自らの意思で戦うことを決めたように。マミカがそれでも「助けたい」と語ったように。物語は最初から真実が決まっているわけではなく、そこに関わる人々の感情、情熱、あらゆる想いで姿(結末)を変える。まただからこそぶつかりもする。物語が空想の産物であるからこそ、人の数だけ存在するからこそ、自分の物語を肯定しようと人は想いを賭して、争う。そしてそれはこの作品の中で奔走し続けたすべての登場人物・クリエイターたちにとっても同じことであったはずです。なぜなら、彼ら・彼女たちの作品に向けた情動は紛れもなく真鍳の語った「輪をかけて頭の悪い “愛すべき人”」 の生き様であったはずだからです。創作者も。キャラクターたちも。蓋を開けて見なければ分からない物語なんて曖昧なものに命や誇りを賭けて戦った。だからこそ、その姿は尊いのだと。だからこそ物語は面白いのだと。そんな物語賛歌、創作賛歌としても真鍳のあの言葉は捉えられたはずです。“そんなもの” に必死になれる愚かな人々に向けた賛歌。それこそが彼女の価値観であり、なによりこの作品が描き続けてきたことなのだと思います。

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特にアルタイルはそんな典型的な “愛すべき人” であり “クリエイター” の姿そのものであったとも言えるはずです。自らを産み落としてくれた創作者セツナの人生。その背景に向けた恨みや悔恨を力にここまで必死の抵抗を続けてきたアルタイルは、だからこそ自身の作り上げたシナリオ・物語で、酷く絶望的なこの世界を消し去ろうとした。「あなたを苦しめた物語を許せなかった」というあの言葉通りに。それは傍から見ればとても危険で傍若無人な話でしかないのかも知れないけれど、彼女にしてみれば大好きな人の存在価値を掛けた決死の創作でもあったはずです。むしろ創作は自分の好きなように物語や世界を描けるからこそ創作足り得るわけで、そう思えばアルタイルのやろうとしたことだって正しくはなくとも、間違ってはいなかったはずです。颯太が島崎由那の人生を元に二次創作を生み出し、あの世界に創作物としてのセツナを顕現させたのもまた同じことです。自らの過ちや、後悔、責念。そしてセツナと同じ場所に立ちたかったという夢、切望。それらのなにが正しくて、間違っているかなんてことは誰かが決めれることではないけれど、それでも人は不確かな妄想や想像、自己を実現せずにはいられない。だって “そんなくだらないことのために一喜一憂、死んだり生きたり争ったりするのが人” なのだから。創作のために。自分のために。この物語を知ってくれる “誰か” のために。

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これはそんな願いと情熱、想いを掛けた物語であり、その物語のぶつかり合いの果てを見据える話でもあるのだと、今回の21話を観て考えさせられました。またそうした物語(自己)同士の衝突の果てに新たな物語が生まれることも、この作品は描いてくれました。颯太とアルタイルの創作・物語のぶつかり合い。その果てにアルタイルの “あの選択” が生まれたのなら、それはとても素敵なことであったように思えます。「死んだ人は戻ってこない」その言葉通り進んでしまった物語を巻き戻すことはできないけれど、でもだからこそ、人は新たな可能性を求めて道を進み続ける。そうすれば、いつかきっと奇跡だって起きるのかも知れない。アルタイルが夢にも思わなかったであろうセツナとの逃避行は、そんな創作の可能性を見せてくれた一つの輝きであったように思います。それが例え、本物のセツナではなかったとしても。

 

不可逆な本物の黄金の世界(現実)では成し得なかった、虚構だからこその可能性。死が確定した世界の枠の外で行われた創作の浪漫。周到に用意された舞台においても、結局は颯太と真鍳の奇跡がことを収束に向かわせたように、物語はだからこそ面白いのだと。少なくとも私はそういった奇跡や浪漫が好きですし、そんな数多くの物語たちにこれまで何度も救われてきました。現実の替わりに虚構を愛しているわけじゃない。なにかを埋めるために物語を愛しているわけでもない。虚構だからこそ、物語だからこそ。

「情熱と切望と、悪い願いも良い願いも全部そんな衝動の中に含まれて、そして物語は誰かの心に根差して、その人の世界を変える」

私にとっては、そうアルタイルが語ってくれたことが全てです。もちろん、そうやって物語を信じ続ける私も、真鍳に言わせれば 「輪をかけて頭の悪い人」 なのかも知れませんが、それでいいのでしょう。そんな物語賛歌を描いてくれた『Re:CREATORS』はとても素敵な作品だったと思いますし、創作と物語への想いを恥ずかしげもなく描いてくれたことにはとても感謝しています。アルタイルやあらゆる創作・物語を否定せず、救ってくれたことも含め。この作品が描いた創作・物語への寛容さと厳しさはとても胸に沁みるものでした。