『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』7話のバレットタイムと添えた手の描写について
ヴァイオレットが湖へ向け飛び立つと同時に始まるスローモーション。オスカーにとってその一瞬が永遠にも感じられる特別なものであることが描かれたワンシーンでしたが、彼女が浮かぶ木の葉へ降り立つことを契機に始まるバレットタイムは、その “瞬間” を美しく、掛けがえのないものとして切り取る役目を強く果たしていて、とても印象的でした。
そしてそれは、娘のオリビアが父に交わした「いつか、きっと」の約束と、その実現を果たしたからこそ意味を帯びる映像表現であるのと同時に、オスカーの目に映った時間の流れと、その光景に抱いた彼自身の言葉に出来ない感情の高鳴りを鮮明に描写した演出でもあったのだと思います。
そこから娘との思い出がフラッシュバックしていくのもだからこそです。オスカーにとってはもう二度と見ることの叶わないと思っていた光景であったはずですが、それでも心の隅に留め、待ち望んだ光景でもあったからこそ、その一瞬から “これまで積み重ねてきたもの” 全てが表出したのでしょう。そしてその全てが彼にとっては短くも長大なものであるからこそ、「水面に浮かぶ木の葉の上に立つ」というシチュエーションがオスカーの中では永遠にも近いワンシーンになっていくのです。だからこそのこの演出。だからこその表現。なにより、それはこの作品が登場人物たちの感情に寄り添った物語・映像を描き続けてきたこととなんら変わりはなく、彼の目に映り、彼の感じたものを描くということも全てはその延長線上にあるはずなのです。
加えて登場人物の心に寄り添う、という意味合いでは今回の話で幾つか使われた手を添えるショットもそれを象徴してたように思います。手のアップショットは一話でも多く観られましたが、今回はオスカーの手にヴァイオレットが手を添えるというシーンが幾つかあり、それを見つめるオスカーの視線など非常に印象的に使われていたのが記憶に残っています。そして、そのショットを印象的に使っていた意図も、物語が進むにつれ少しずつ明かされていきました。
それはオスカーとオリビアの関係性の再演。ヴァイオレットが酒に溺れてしまわないようオスカーを守っていたように、これまではオリビアが彼の手を互いに取り合い助け合っていたことを示唆し続けたショットであったこと。娘を思う父の手。父を支える娘の手。その関係性が明るみになることで、ヴァイオレットとの手の描写にも意図が付加されていく過程は非常に感傷的で、もはや溜息をつく他ありませんでした。だからか、手を添えるという圧倒的に情感の込もる芝居に温かさを感じる反面、今回は苦しさをも感じました。そこには、鬱屈としたシーンやショットの数々がそういった感情を煽っていたからという理由ももちろんあったはずですが、“他に彼の手を支え続けていた人が居た” という事実がヴァイオレットの寄り添いに重ねられていたことは、その経緯も含めかなりショッキングなものでした。
しかし、先程のバレットタイム、浮かぶ木の葉に立つヴァイオレットを見ることで、彼自身の中に留め込まれていた感情は解放され、濁流のように押し流されていきます。「死なないで欲しかった」「生きて、大きく育って欲しかった」。だからこそ、その発露が今度は彼に幻を見せたのでしょう。それは、もしかすれば彼自身が作り出した偶像だったのかも知れませんが、誰よりも一緒に時を過ごした彼だからこそ見ることのできた、オスカーの中に生き続けるもう一人のオリビアの姿でもあったはずです。それはいつも自分のことを支えていてくれた娘の残像であり、実像。だからこそ、今度も同じようにそっと手を添え、彼女は彼の手をしっかりと掴んでくれたのでしょう。そっとその背中を押すように。先へ導いてくれるように。そこから感じられるものにはもはや苦しさもなく、誰かの手に誰かの手が添えられる芝居に従来内包されている温かさ以外、そこには存在していないように感じられました。
そしてそれがしっかりとヴァイオレットの元へと帰ってくる物語の巡も本当に素敵だったなとも思います。オスカーがオリビアとの日々を取り戻し、新たな道へ踏み出す契機となったヴァイオレットの寄り添う手と代筆。湖畔のテラスに佇むタイプライターはその象徴であり、ここを最後に映すことで今のヴァイオレットの成長と物語の歩みが色濃く寡黙に映されていたのもまた印象的でした。
ですが、その添えた手に疑問符を投げかけたのが今回の話でもありました。以前言われた「その手で人を結ぶ手紙を書くのか」という本作の命題にすらなり得る言葉。もはやここまでの物語を追っていればその答えなど既に出ていると言いたくなるのが正直な心境ですが、それは彼女自身が出す応えなのだろうとも思います。願わくば彼女がこれまで辿った自動手記人形としての歩みが彼女自身を支えてくれることを祈って。ヴァイオレットが選ぶ道と決意をしっかりと見届けたいと今は思っています。少なくとも私自身はあなたたちのその手が作り出すものに、とても救われていますと、それだけは伝えておきたいです。