『天気の子』予報を観て

先日公開された新海誠監督最新作『天気の子』の予報第二弾。キャッチーな見せ方を取り入れつつ、楽曲に同期していくカッティング、添えられるモチーフの数々など節々に新海監督らしさを感じられたのがとても良く、胸を打たれました。『言の葉の庭』で深く掘り下げられた “雨” という題材。モチーフとしてはこれまでも数多く監督作で描かれてきたものですが、それを晴らすことに重さを置いていたような映像美がとても印象に残りました。暗過ぎず、前向きな輝きを捉え描いていたのも特徴的で、登場人物たちの背中を押すような光の趣きが新しい新海監督の一面を覗かせているようにも感じられます。

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ですが、そんな中一際これまでの作品たちがフラッシュバックしていくカットがあったことは私にとって非常に感慨深いものでした。それがこのバックショット。走る主人公の背を追い掛けていくカットですが、本作の大きな要素の一つであろう巨大な雲を目掛け走っていく様は、まさしく新海監督が描き続けてきた “届かないものに手を伸ばす姿” の美しさそのものだったと言えるはずです。3Dによる背景動画、走るという動きにより前へ進んでいると感じられる前景と、その奥で微動だにせずそびえ立つ大きな雲。こういったレイアウト・対比が決まっているからこそ、このカット一つにさえ物語が宿り、感傷性が帯びていくのはまさしく監督の “らしさ” だと感じます。

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特に、一番重なったのは『ef -the latter tale』OPムービーのこのカットでした。届かないものを追い掛けようとする少年少女たちの青春性をワンカットで示す新海監督の巧さにはやはり何度でも唸らされてしまうものがあります。『天気の子』という作品名を聞いた時に一番最初に思い浮かんだ映像が『ef -the latter tale』でもあったのですが、雨が晴れ、差し込む光を望み駆けていく姿を前にしてはやはり思い浮かべずにはいられませんでした。

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ロングかつバックショットに宿る感傷性も同じことです。どこまでもモノローグの物語であった氏の作品にとって登場人物の背を離れた位置からそっと見つめるよう映していくスタンスは非常に掛けがえのないものになっていました。奥行きがあり広がる遠景、またはその空間とその広大さに対比される個の小ささ (抗いようのなさ) は、それでも尚 “夢” に立ち向かう人間の美しさを雄弁に語るようで、だからこそ私は新海監督の映像というものにここまで恋焦がれてしまったのかも知れません。

 

そういった物語の方向性が出会いに主軸を置き、ダイアローグの物語へと移ろいでいったことは新海監督の変化でもあったのだと思いますが、突き詰めればどこまでも個のミクロな視点に帰っていくことが出来るのはやはり新海誠という作家性の強みなのだと思います。そういったことを今回予報で描かれたワンカットから改めて “感じられた” ことは、自分にとって途方もなく大きく、大切で、喜びそのものでした。

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なにより “雲” というモチーフ、それを遠望するファーストカットからこの作品の前風景として『雲のむこう、約束の場所』を視てしまうのは、もうどうしようもないことのだと思います。『君の名は。』でも描かれた逆光と再会、そして別れ。『天気の子』に至っては陽菜がなにを想いあの焼ける夕景を望んでいたのかを今は知る術がありませんが、このビジュアルに胸を焦がすことが出来るのは “予告を観た今だからこその特権” なのだと思います。

 

レンズフレアに込められた新海監督の祈り、世界の祝福が、彼・彼女らにどう降り注ぎどういった結末を迎えるのか。今はそれをただただ楽しみに残された約二ヶ月を待ちたいと思います。本当に楽しみで仕方ありません。

小説 天気の子 (角川文庫)

小説 天気の子 (角川文庫)

 

*1:サムネ画像参考

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