『22/7「あの日の彼女たち」』day01 滝川みうの演出、芝居について

先日、久しぶりに『あの日の彼女たち』を観返したわけですが、映像から溢れ、受け取れるものの多さに改めて感動させられました。環境音を使いBGMをなくすことで、そのシーンを特定の感情へ誘い込むことをしない。けれど、BGMがないからこそ受け手へ緊張感が走る、だから登場人物たちに向けより強いまなざしを向けることが出来るという没入のメソッド。それはきっと監督・演出をされた若林さんが意図したことでもあるのだとは思いますが、それを実現する画面からのアプローチ、映像の組み立ても非常に情感に溢れていて、より “彼女たち” に没入するための一助となっていました。

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特に本話で強く印象に残っているのはレイアウトとライティングです。外と内、屋上と室内、ステージと袖というある種二つの場所を描いた話でしたが、それが光と影を映し、扉一枚分の境界を敷くことになるのが今回の話においては一つ大きなテーマになっていたのだと思います。暗がりの中にぽっかりと浮かぶ窓枠、そこに映るみうと外界の風景はまるで絵画そのもののようで、だからこそそれを望む二コルの視線がエモーショナルに映ってしまう。逆側から二コルを映した際にも、窓ガラスにみうの姿を映すのは非常に繊細な描写で、彼女が “なに” を見ているのか、ということがハッキリと伝わってきます。滝川みうという少女の存在感。彼女の居る風景。それを二コルに重ね描く意味はとても大きいものであったはずです。

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二コルが窓に近づくカットでも境界、光と影という分断的な演出は光ります。カット初めから彼女を映すのではなく、滲む光に歩み寄る彼女を撮ることに意味があるのでしょう。そして、扉の目の前で立ち止まるまでの芝居を描き映すことがなによりも “あの日の彼女” を捉えることに繋がっていく。視線の先を描くレイアウトとライティング。そういった映像美が、『day01滝川みう』と謳うこの話がその実、斎藤二コルの物語でもあったことを雄弁に語ってくれるのです。

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このシーンも同様です。光を纏うみうと、それを浴びる二コルの対比。特に、先日若林さんが投稿された絵コンテ段階*1では、みうが振り向くカットは構成として描かれていませんでした。さらに印象的なシーンへと変えるため、あとから追加されたカットなのだと思いますが、そういったことからもこの話が強くライティングを意識したフィルムであったことが伺えます。二コルの髪が靡き、光が滲んでいくカットも元のコンテ段階では「じわPAN?」のト書き。カメラが移動することで光の加減や印象が変わってしまうことを考えれば、やはりこのカットも光を強く正面から捉えられるものへと変えられた、ということなのでしょう。

 

『あの日の彼女たち』シリーズを振り返っても基本ライティングがフィルムの大切な要素になっているのは同様でしたが、今回の話はそういった点が顕著に描かれていて、もしかすればその軸を築き上げたのは他でもなくこのday01だったのかも知れないとさえ思えてしまいます。光源の位置、強さ、淡さ、それを見つめる人の視線、反応。そういったものを細部から築き、重ね、心情とリンクすることが出来るのは一つアニメーションの大きな強さなのだと、改めてこの話を観返すことで感じられました。

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またもう一つ、今回若林さんが投稿されたコンテに気になる記述がありました。それがこのカットにト書きされた「やるぞっと一人気合を入れる(みうらしくあくまで小さく)」という一文。小柄ながら大きく伸びる所作、だらんとした腕の振りから、小さく腕を上げる動きがとても良く、見た目からだけでは分からない彼女の新しい面を幾つも描いてくれていた芝居です。だからこそそこに「みうらしく」と書かれていたことに、なんだかとても嬉しさを感じてしまいました。登場人物たちの性格、芝居をとても丁寧に汲み取る演出であったことは本話を観れば十分に感じ取れますが、きっとそれを裏づけてくれる文章を読めたことに胸を打たれてしまったのでしょう。

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そういったト書きは『エロマンガ先生』8話の絵コンテを掲載した『若林信仕事集2』*3でも見ることが出来ます。それがこの土手でエルフがマサムネを呼び止めるシーン、添えられていたのは「エルフらしいとこなので*4」という一文でした。ミドルショットからバストショットへのポン寄り。その中で描かれるゆったりとした動きの中に感じる大きさ、大らかさがとてもエルフらしく好きだなと感じていたのもあり、そのト書きを見た時もまたすごく嬉しくなってしまったのよく覚えています。

 

エロマンガ先生』8話もまた繊細な芝居に各々登場人物たちの心情を乗せていた話ではありましたが、それは前述した『あの日の彼女たち』においても同様です。多くを語らない、喋らせない代わりに芝居、仕草で語る。だからこそ伝わるもの、浮かび上がるものがあるのだということーー。若林さんの演出回にとって “らしく” 描くということは、そんな彼女たちの側面を新たに描き、心情を語り、物語全体の質感を上げていくことへ繋がっているのかも知れません。寡黙な演出と丁寧な芝居。その両面から登場人物たちを強く支えていくフィルム。若林信さんの演出に惚れ込んでしまう理由が、そこにはありました。

何もしてあげられない (Type-A) (DVD付) (特典なし)

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*1:若林信 ツイッター https://twitter.com/huusun/status/1143476764129165312

*2:サムネ参考画像:

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*3:2017年冬発刊の同人誌

*4:一部抜粋