『イエスタデイをうたって』2話の境界、演出について

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遠望する視線、伏し目がちな表情、逆光から浮かぶその姿へ視線を誘導するレイアウト。陸生から告白された前回から一転、それぞれのその後の生活を描くにあたり、榀子に関しては非常に情感の強いカットが冒頭から描かれ続けていました。同僚や生徒たちと接する時とはまた違った表情であり、伏し目がちな芝居。それは序盤でも描かれた多面鏡、鏡面の演出から通づる榀子の二面性を描くための繊細な演出だったのだろうと思います。

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そういった見せ方は以降、引き続き描かれていきます。その内の一つとして挙げられるのが一話でも印象的に使われていた遮断機と線路脇のカット。前話では晴の登場を予期するようなモチーフとして使われており、二人の間に新しい風が舞い込む如く上手側からやって来た電車ですが、今回は逆 (下手側) からフレームインしてきたことが興味深く、ハッとさせられました。なぜなら、榀子とは逆側へ走り去っていく電車はまるで彼女の過去を象徴するようであり、点滅する警報器の如く過去と今の狭間で揺れる彼女の心情を際立たせているように映ったからです。もちろんこの時点では彼女に何があったのかということにまでは触れられていませんが、その輪郭をそれとなく掬い上げ、汲み取っていく映像は否応なしに榀子の "影" をそこかしこに残していたはずです。

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そういった演出が一番顕著に描かれていたのがこの公園のシーンであり、それ以降に多用された境界の演出でした。陸生と榀子の間にフレームを挟み、画面を意図的に二分していくレイアウト。陸生の知らない榀子の顔、二面性。なにより陸生がそこへ踏み込めないように見せる描き方が強い存在感を放っていました。あくまで自然に見えるよう、そこに在ることが当たり前である街灯を活かしたライティングの巧さも光り、この辺りは榀子にのみ陰を掛けることで境遇の違い、二人の立ち位置の差を明確に描くなど本当に徹底し描かれていたと思います。

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ここも同様です。真ん中で割るレイアウト、フレーム内フレーム。前述したものを詰め込んだようなカットです。もちろん陸生はそれでも食い下がり、彼女に並び立つ位置までその歩を進めますが、冒頭から描かれ続けてきたようにこの時の榀子の心情というものはとても複雑だったのでしょう。その行為に返すよう「同じところ、いつまでもぐるぐるしてるんだよ…」という台詞が彼女の口から零れると、その際にワンポイントでダッチアングルが使われ彼女の心の傾きがビジュアライズ化されるなど、台詞、心情、人物背景を凝縮するようなカットの運びがこのシーンをまた一段と印象深いものに仕立て上げているようでした。

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そして、どうしようもない彼女の心情をそのまま映し撮るような想定線越えのカッティングと境界。「送るよ」と告げた彼の背に重ねてしまった過去の憧憬が、彼女の足をまたその場所へ絡め取るような感覚をグッと感じさせられてしまうカッティングです。現状、陸生には伝えられない彼女の過去と感情。それを映像の側面から徹底的に後ろ立て、言葉に出来ない想いの数々を静かに言語化していく手際。そういった言外の見せ方が主軸に置かれていくからこそ会話のキャッチボールだけでは描き切れない情感が生まれ、その場の空気の流れや質感、果ては登場人物たちが感じている些細な感情までもが強く映像に落とし込まれていくのだと思います。

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ただ、そういった意味では引きの絵の良さ、ナメ構図による覗き見るようなレイアウトが多かったのも影響しているかも知れません。それこそこのシーンはそれぞれが胸の内を打ち明けていくシーンではあったので、前述してきたような見せ方は成りを潜めていましたが、その空間から漂ってくる質感はやはり似たものを感じました。二人だけの逢瀬のような、秘密の共有。心情のやり取り。二人を隔てる壁もなく、ただ見守るようなテイストがまたこの場の空気の流れを強く感じさせてくれていました。逆に想いを打ち明け合うシーンだったからこそ境界・分断するような演出は不要で、ここでは寄り添う二人の様子、ひらけていく視界やその景色を描くことに注力していたのかも知れません。シーン終わりの空をバックに撮るカットの連続、その美しさに溜息が漏れたのもそう紐解き考えていけば強く納得できます。

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そして最後のシーン。ここでは再度、境界と分断の演出が明確に描かれます。榀子の過去を聞き、居てもたっても居られなくなってしまったであろう陸生。だからこそ榀子側に立ち、彼女と向き合うことにも意味は生じるのでしょうが、うまく言葉に出来ず「帰って頭を冷やす」と台詞を残すと、同時に白線の向こう側へと歩き去ろうとしてしまいます。

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ですが榀子が引き留め、過去の話に触れ少し胸中を打ち明けたことで、陸生も覚悟を取り戻したのでしょう。再び白線を跨ぎ、告白の返事を待ち続けることを榀子に伝える様は、前述した公園のシーンからの連続性を考えれば非常に大きな意味を持っていたはずです。踏み込めない、踏み込ませないよう境界を引いていたものを越えるということ。ここまで足元にフューチャーしたカットが複数あったことも、ある種伏線だったのかも知れません。それも誰かが誰かのパーソナルエリアへ一歩その足を踏み入れる、それを見守るための話がこの話数であったのだということでもあるのでしょう。それこそ一話で陸生のパーソナルエリア*1に晴が足を踏み入れたことからこの物語が始まったように、きっとこの一歩が二人の関係を一つ推し進めていくことは間違いないはずです。

 

それこそ今回は他にも晴が榀子の懐へとその足を踏み入れて見せたように、未だ自身の中で抱え込み「いつまでも同じところをぐるぐる」している榀子が次はいつその足を動し、わだかまる境界を越えていくのか、もしくは越えないのか。そんな三人の関係と各々の心情に想いを馳せながら次回以降も楽しみに観ていきたいと思いますし、そう強く思わせてくれた本話にとても感謝しています。

*1:コンビニ裏手の路地

新海誠作品の記憶と、アルバム

昨日公開された新海誠監督のインタビュー動画。Macの広告動画として投稿されたものではありますが、その中で語られた新海監督の作品に寄せる想いなどはとても貴重なものとなっていました。

特に冒頭で語られた「自分で今好きだった風景が変わってしまう前に、その場所のアルバムを作品の中で作る」という言葉は非常に胸に刺さるものがありました。作品内で描かれる美しい背景美術の原点として青春時代に過ごした地元の風景をよく例にあげる新海監督だからこそ、いつの日か見た風景の記憶を作品世界に落とし込むというのは手掛けてきた作品にしっかりと根付いている部分なのだと思います。

 

ですが、それは決して緻密に描かれた背景や場所、その時代独特の空気感に関してのものだけではないのでしょう。なぜなら、新海監督の作品で描かれてきた風景というものには、これまで培われてきた作品たちの息吹もがそこに残されていたからです。現実にあった風景をアニメーションとして落とし込むだけではなく、氏が手掛けてきた数々の作品の風景が次の作品の中へと繋がっていく。それは新海監督作品を追い掛けてきた方であるならば少なからず感じることのできる、紛れもない "物語たちの記憶" に他なりません。

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それは演出、美術、台詞の細部まで行き渡り、私たちファンを "あの頃" の気持ちに引きづり戻してくれる契機にも成り得ていました。代表的なのは『秒速5センチメートル』第三話のラストシーンと『君の名は。』の終盤。前作を踏まえ後作を観た人は擦れ違う男女に言い知れぬ想いを抱いたのではないかと思いますが、それに関しては舞台挨拶で新海監督自身「以前の作品を意識したシーンがある」と語っていたのだから、おそらく意図的ではあったのでしょう。粋な計らい、ファンサービス。もちろんそういう見方も出来るのだとは思いますが、前述した言葉を借りていいのならばこれもまた一つの「好きだった風景が変わってしまう前に、その場所のアルバムを作品の中で作る」ということだと思うのです。

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それは、最新作『天気の子』のクライマックスシーンでも同様でした。階段を駆け上がる帆高を撮るカメラワークと『言の葉の庭』のクライマックスシーンで描かれるカメラワーク、そして階段の踊り場という類似性。そこに込められた意図の違いは以前の記事*1で触れたところなので割愛しますが、該当のカットを観ることで他の物語を想起させられるというのは、やはり今では一つの作品そのものが監督自身にとっても私たち受け手にとっても "新海作品を綴じ込んだアルバム" に成り得ているということでもあるのです。

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そういったことを意図してか意図せずか、冒頭で紹介した動画にそれと地続きなカットが登場します。それが『ほしのこえ』の序盤シーン。非常階段を降りる美加子と、その姿を映したロングショット。前述した二作に先駆け描かれた作品、シーンではありますが、選択を強いる階段、休息の踊り場、抜ける空の美しさなど演出意図はやはり通ずるものを感じさせます。

 

もちろんこういった共通の見せ方や心情描写はここだけの話ではありません。あらゆるモチーフを使い、撮影を駆使し、「描きたいのは、ただの風景というより人間を含めた情景」と語るような新海監督*2だからこそ、重厚な心象描写を媒介にそれぞれの作品が結びついていくのはもはや様式美なのです。

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でも、だからこそ作品の数が増えれば重なる想いも増える。美加子は、佐由理は、明里は。昇は、浩紀は、貴樹はーーと。一つの作品を観ていても、そういった感情の奔流に飲み込まれてしまうのです。それほどまでに新海監督が描く情景描写というものは、一度刺されば二度と抜けないような感傷性をもたらし続けてくれました。

 

けれど、冒頭でも触れたように「好きだった風景が変わってしまう前に、その場所のアルバムを作品の中で作る」のが新海誠作品が持つ一つの側面であるならば、それも仕方のないことなのでしょう。自身の過去作をなぞるのではなく、次の物語へ生かし、投影させ、前へ進んでいく。それは "あの頃の気持ちを忘れないよう" アルバムを綴じていくのと同じ様に、年を重ね作られていく新海監督の作品にはだからこそ必ずと言っていいほど過去に在った物語たちの断片が顔を覗かせるのです。そう感じることが出来るのもまた、私が新海誠監督の作品たちに魅了され続けている理由なのでしょう。そんなことを今回の動画を観て、改めて思い馳せました。

新海誠美術作品集 空の記憶~The sky of the longing for memories~

新海誠美術作品集 空の記憶~The sky of the longing for memories~

  • 作者:新海 誠
  • 発売日: 2008/04/24
  • メディア: 単行本
 

*1:参考記事:走り続けた貴方達へ贈る、祝福のダイアローグ――『天気の子』を観て - Paradism

*2:新海誠美術作品集『空の記憶』インタビュー項に掲載

青空の似合う貴方へ――『22/7』7話の演出について

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これまでの話とは違い、フィルムの質感が一変したのはジュンが建物の裏手に入ったシーンからでした。影中にスッと入っていく彼女の姿と、それを暗喩的に捉えるレイアウトはまだ見ぬ彼女の心根にそっと触れるような感触を与えてくれました。しかし、彼女はいつも通りの表情を再度見せ、影中から陽の当たる場所へと走り出していきます。オーバーラップしていく空の青さへの重なりと、駆け出す少女の後姿を映すことへの深い意図。それはこれから描かれていく彼女の半生が、いかにして今へ至ったのかを指し示す伏線にも成り得ていたのだと思います。

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それはまだジュンが幼少だった頃。生まれつきの持病を患い友達なんていなかったと語るその姿を捉えた映像は、余りに克明に彼女の孤独を映し出していました。回想シーン冒頭におけるジュンと空の青さの乖離は、それだけで胸を突き刺すようビジュアライズされており、ほぼ全影で塗りつぶされた彼女の存在はまるで世界から否定されているようにも映りました。コントラストの高さがより彼女と外界との境界を際出せていたのも合わさり、この話では "そういう” ライティングの使い方をしてくるのかとこの時、強く思わされたのをはっきりと覚えています。

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こういったシーン・カットでもそれは同様でした。戸を閉め、差し込んでいた光が遮られると残されたジュンはまたも孤独に苛まれていきます。コントラストの高い夏の季節感と屋内、演出意図のマッチング。零れる明かりは決して彼女までは届かず、その足元から徐々に心を締めつけていくようでした。ブラックアウトのトランジションやポツンと彼女を映していくレイアウトもおそらくは同じ意味合い。どこまでも戸田ジュンという一人の少女の仄暗い心模様を映像全体を通して伝えようとする見せ方です。

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外へ出れば世界の広大さに比べ彼女の小ささが際立つショットの数々。雲一つないのが余計に不安感を際立たせる上、それなのにカメラが寄れば影がかかる。映像としての美しさとは反比例してジュンの心情が重くのしかかってくるのだから、これほどまでに辛く、観ている側の表情が険しくなってしまうこともそう多くはありません。

その後、自室で咳き込み続けるシーンも同じです。彼女が置かれた現状に寄せる徹底したライティング。室内であるならば光は出来るだけあてない。なぜなら、彼女の心に光が差す出来事はまだなに一つ起きてはいないから。回想シーンに入ってからまだ間もない時間ではありますが、そうした一貫した演出、見せ方の積み重ねが異常なまでの没入感を与えてくれていたのはもはや言うまでもないのでしょう。彼女の言葉に、心に耳を傾けたくなる映像の妙。それは深く色づいた青空の様に、見つめれば見つめる程その先になにかがあるのではと思えてしまうこととよく似ていたように思います。

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そんなジュンの物語に変化が訪れたのは再度入院となったことが分かるシーンからでした。入退院を繰り返していた彼女にとっては、見慣れた場所だったのでしょう。冒頭がわりとフラットな画面だったのはそういったこれまでの経験があったり、周囲との人間関係がない閉じた世界だったからなのかなと感じました。ですが新たに大部屋へ入院してきた少女・悠の言葉に再度、映像のアプローチは変化していきます。自身が「可愛くない」と言ったベッドを「可愛い」と言う少女との出会い。その価値観の断絶に影中描写が入るのはこれまでと同じ意味合いでの演出であったはずです。

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しかし、それでも悠は踏み込んでくるのです。動こうとしない、むしろ視線を逸らそうとするジュンに対し、必ず動き始めを見せるのがジュンであったことはきっと脚本や絵コンテレベルでコントロールされていることなのだと思います。ジュンの居る場所にフレームインしてくる、というのはつまりジュンの心に悠が足を踏み入れようとするということでもあり、それは視覚的にも物語的にも今話のフィルムにとって大きな分岐点になっていたはずです。

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その最たる描写がこのシーンです。かくれんぼが始まりどうすればいいか分からないジュンの手をフレームインしてきた悠が引っ張る。それと同時にカメラも流れ、背中越しの悠の姿が非常に動的なフォルムで作画され、ジュンも同じくこれまでにない激しい動きで髪の靡きや皺の変化が描かれる。それはひとえに、悠の行動によって凪いでいた彼女の心に波風が立つことと同じ輪郭をもって語ることが出来る見せ方だったはずなのです。それは時として、背景動画が物語の動きだしにリンクし描かれるのと同じ様に。一本のフィルムの中でそれまで描かれてこなかったような描写が差し込まれることで、登場人物たちの心情の変化の兆しというものは大きく浮き彫りになっていくのです。

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もちろん、それでも晴れないものはあったのでしょう。これまの人生をかけ積み重ねてきた鬱々とした気持ちが一瞬で吹き飛ぶわけもなく、病気のことだっていつどうなるかは分からないし、先は見えない。だからこそやはり、執拗に影をかける。これはもう今話の一貫したテーマでもあり、きっと抜け出し切れはしないものとして割り切り描かれていたのだと思います。連れ立ってくれた悠との位置関係、背反。切り返しのカットでは近い位置で描かれるも、やはりジュンが目を逸らしてしまったり。それは病室のベッドを「可愛くない」と見てしまう隔たりと同じく、やはりそこまで彼女は色々なものを前向きに見ることが出来なかったのでしょう。

 

けれど、「人生は遊園地だと思う」という悠の一言で、きっとジュンの視界は大きく広がったのだと思います。「これが私の運命だ」と割り切っていた彼女の思考に新しく添えられた見方、アプローチ。悠の行動によって "陽の当たるきわ" にその身を置きかけていた彼女にとっては、もしかすればその一言でもう十分だったのかも知れません。

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屋上から不意に落ちてしまうジュン。その先はきっと新しい世界への入り口に繋がっていて、そこへ吸い込まれていく彼女をまるで祝福するように陽の光が包み込むような印象がこのカットにはありました。順光のカットはこれまでも幾つかありましたが、そのどれとも違う風合いを感じる画。そして我々が初めて見る彼女の笑顔と、笑い声。

 

そこからはもう、余りの幸せな空間の連続に身を寄せる以外、私には選択肢が残されてはいませんでした。「未来はそんな悪くないよーー」と歌いあげる挿入歌に乗せ紡がれていく日々。レイアウトや芝居の範疇では未だ悠が率先してジュンに歩み寄る描写が続きますが、一方でジュンの変化もしっかりと捉えられていく。そんな関係性のすべてが幸せに満ち溢れていく中で回想シーンは一旦の幕を下ろしました。

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幾度目かの回想シーン。続けて描かれたのはモチーフに継ぐモチーフ、前回の回想シーンとは打って変わり、暗く余りにも辛いシーンの連続でした。雨や誘導灯など感情表現としてのイメージショットや、悲嘆の只中に居る彼女を導くように描く道中の演出は少しばかり作為的にも感じてしまいますが、あの状況下で少しでも彼女の感情を汲み、その足を立ち止まらせないためにはもしかすれば必要なことだったのかも知れません。

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そして本話では二度目の大きな揺らぎ*1が描かれます。激しい靡き、深く刻まれる皺、寄る瀬のない感情。逆光のカットではあるものの、沈む夕陽が痛く何度も刺さるのはそんな彼女の内面に寄せた見せ方だったのだろうと思います。ここは彼女が新しい世界を与えてくれた場所だから。彼女が私に与えてくれたものは余りにも大きかったから。だからこそ、言葉にならないほどにたくさんの想いが零れ出す。叫びとなって。涙となって。「私がーー」なんて言葉が出てしまう程に。けれどそれも、この時の彼女にとっては本心だったのだと思います。そういった幾重にも折り重なった感情をすべて吐き出させてくれる夕景が、このシーンではただ一つの救いであったように映りました。

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そして皮肉にもこの出来事を機にジュンの持病が直ります。けれど、冒頭の回想シーン同様、こちら側と向こう側が "青さと影中” で分断されたのは、彼女自身がその結果を前向きな感情だけで受け止め切れなかったからなのでしょう。しかし、悠が広げてくれた向こうの世界への入り口を観てジュンが涙を流すのもやはり "その世界の美しさを知ってしまっていたから” に他ならないのです。引かれる後ろ髪と、差し込む光。その狭間にて彼女が出した答えは自らその一歩を踏み出すという、ただ一つ悠に向け贈られた応えでもあったのだと思います。

 

道中で挟まれた踏切のカットはまさしくそうした岐路のモチーフであったはずですし、だからこそ今度は一歩一歩、踏み締め続けるジュンの姿が変化のリフレインとして描かれるのです。

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あの日見上げるだけだった飛行機雲に届くように。そして彼女が見せてくれた美しい世界に飛び込んでいくように。青一面の空に向かい走り続けるバックショットはあらゆる意味を含み、もはや美しいとしか形容できない本話最高のカットにさえなっていたと思います。それこそ、冒頭に感じた深い青さへの不安感や、その中を駆けるジュンの小ささなどもはや掻き消えるほど、その姿はどこまでも一面の青空が似合うものになっていたはずです。

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もちろん、彼女だってすべてを乗り越えたわけではないはずです。今回幾度となく描かれたその仕事風景も、快活な姿も本当ではあるけれど、それでも胸に秘めているものはきっとずっとある。エレベーターを開けた途端、その眼に飛び込んできた ”彼女たち” に想いを馳せたように。「本当にありがとう、大変だったでしょう」と言われ、色々な感情が逡巡したように。無事でよかったという気持ちと、この世界に、この想いに気づかせてくれて「ありがとう」という気持ちと。

 

それは冒頭の青空へのオーバーラップショットにもきっと繋がっていて、だからこそ彼女はある日の影を背負いつつも、またその一歩を青空へと向け踏み出していくのでしょう。読まれることのなかったあの手紙に綴られた、「これからは悠ちゃんを見習って、楽しく生きていこうと思う」というあの一文に決して背かないように。「ありがとう」という言葉を嘘にしてしまわないために。

 

そんな、少しは嘯いてしまうジュンの感情を寡黙に伝えてくれるラストシーンがとても素晴らしかったですし、この話を通し、戸田ジュンという一人の女の子のことを心から好きだと思えたことが本当に嬉しかったです。物語としても、それを支える演出としても最高の挿話に、今は感謝の気持ちで一杯です。これからの彼女の人生に、良き世界の祝福があることを願って。本当にありがとうございました。

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*1:それは作画的にも