『薄明の翼』6話の演出について

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月夜のファーストカットで始まった今回の話でしたが、オニオンが月を見上げるカットほどから、今話では意図的に月を前景で隠しているような印象を受けました。怪しさを醸し出す雲隠れから一転、手前の木の葉で月を覆ってしまうレイアウトに対しては、かなり演出的意図を感じてしまったからです。それこそオニオンが内気な性格であることは原作からして知っていたのもあり、そういった彼の内面を映像から映し出す意味合いもあるのかな、などとも同時に考えさせられました。

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その後も、画面に月が映るシーンではことごとくその姿に雲がかかります。前述したような不気味さを演出するためのものでもあったのかも知れませんが、オニオンがトミーの話を聞き病院へ向かうことになってから以降、どちらかといえばトミーとジョンが仲直りすることへの希望的観測を持つことに物語自体はシフトしていった印象を受けました。そしてそれは映像的にみても同様*1であり、あの月が持つ役割もまたトミーの内面や感情に寄るものへと移ろいでいったのだろうと思います。

 

それはジョンを残し退院してしまったことへの心残りであったり、謝りたいと塞ぐ感情のモチーフであったり、関係性への陰りであったり。ひとえにこれだという意図は限定できない*2ものではありますが、そういった各々の心情を代弁するものとしても、本話においては月が物語へと腰を据え、ずっと彼らを見守り続けていたのでしょう。

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それを裏づけるよう構成されていたのが終盤の病室のシーンです。カットバックするよう二度差し込まれる月へ焦点をあてたカット。これまでの例に漏れずその姿を前景の雲が覆っていますが、時間が経過していくにつれその雲がスライド、月から次第に離れていくのが分かります。

 

それは奇しくもトミーがジョンの元へと訪れたタイミングと重なるものであり、彼が本心を包み隠さず伝えようとしたことへの予感としても、その姿を重ねていたのでしょう。それこそ、ここでは雲が月から完全に離れるまでを描いていたわけではありませんが、次のカットでトミーに当たる光量が変化し、彼を導くように部屋の明度が変化していたのはもはやその証左でもあったのだろうと思います。なによりその "心の" 陰りから本当の意味で抜け出すのは "あなたのその一歩" なんだよ、と背中を押すような。そんな印象さえこのシーン周辺の映像には感じさせられました。

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そしてトミーが「俺、謝りたくて...」と彼に告げた瞬間に今回の話の中で初めて満月がありのまま映るのです。なんの陰りもなく。なんの前景/建前もなく。その逆光にジョンが照らされる、という構図・レイアウトも本当に素敵でした。もちろん、彼の想いを受けジョンがどういった想いを持ったのか、ということは未だ明白にはわかりませんが、その月を見つめ、最後には微笑むという一連の流れには少なからず前を向くための感情が織り交ざっていたように思います。

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そして、そんな互いの心情を映し出した月夜に紡がれた関係性がもう一つ。陰りある月を見つめていたファーストシーンが裏返り、今度はオニオンとトミーの二人で、一緒に満月を見つめる。トミーとジョンの関係性を示唆した月がオーバーラップし、違う関係性を象徴する月へと移ろいでいく。本当は同じ月だけど、同じ月夜の下で二つの物語が少しずつ前進していたんだよと、そんなことをシームレスに伝えてくれる演出がとても美しく映りました。

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そして、その結びとしての芝居。固く手を取り合い、グッと力強く一度沈むお互いの手が一夜で結ばれたその関係の太さを描いているようで、なんだかとても感傷的にさせられました。距離感の縮まりを感じる最後のカットも素敵です。レイアウトといい、朝焼けが差し込むことで生きる暖かみとか。撮影感の良さが一つ一つのカット、シーン、物語をより彩ってきたのは1話から描き続けられていたことですが、個人的には6話のそれが一番好きかも知れません。

 

月というモチーフを軸に据えつつ、感情曲線と時間経過に沿った空の色味で彩られた映像美。何度観返してもグッと引き込まれてしまう良さに溢れていますね。実は楽しみにしていたオニオンの話ですが、今後何度も観返すことになりそうな、そんな素敵なお話・映像だったことがとても嬉しかったです。最後は次回以降に繋がっていきそうな話もありつつ。次回も本当に楽しみです。

 

*1:空の色の変化なども含め

*2:むしろこの話の中では限定させないようにもしている

『イエスタデイをうたって』3話ラストシーンの演出について

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雨降りしきる中の喧騒から一転、少し落ち着きを取り戻した晴の心情を汲み取ったかのよう快晴から始まるラストシーンがとても情緒的に映りました。特に二輪車に跨り走る彼女の背を捉えたカットは素晴らしく、空へ抜けていく画の良さには強く胸を打たれました。まるで広大な空に対し、その存在の小ささを際立たせるようポツンとその身をフレームに収めるレイアウト。「コンビニに行かなくなったらそれで終わり」という彼女のモノローグにもあるように、それは彼女の孤独さや物語上における彼女自身の非力さにも由来していた見せ方でもあったのでしょう。

 

その中で特に印象的だったのは3D背景を含めた背景動画。バックショットの時*1もそうでしたが、彼女の背後に向かい景色が流れていくことを強く印象付けるカットで映像が繋がっていきます。これはきっと前述したような彼女の孤独さにも寄せる演出で、陸生と喧嘩別れした現状がこのまま続くのであれば、それは過ぎ去っていく景色、時間のように、彼女たちの関係もまた “このまま過ぎ去ってしまう“ ことを案じていたのだろうと思います。そういった現状に対する晴の立ち位置を言外に、情感よく見せる映像に強く引き付けられました。

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でも、だからこそ運命のいたずらか赤信号で止まる、というのが非常に良い物語の岐路として彼女の前に横たわっていくのです。過ぎ去っていく動的なカットから、一度立ち止まるための静的なカットへの自然な移ろい。想うため、考えるための時間を映像としても捉えていく意味。陸生と晴の姿をオーバーラップで重ねていくのも、つまりは同じことなのでしょう。互いが互いのことを考え続けていることへの示唆。その想いの根っこは違えど視線の先に相手を “視ている“ ことはきっと確かで、それを伝えるために二人を重ねていく。情感たっぷりにスローPANしていくカメラの動きも、きっと同じ理由での見せ方であったはずです。

 

互いが気づかずにすれ違うトレンディドラマの様な趣向もありつつ、その中でじっくりと足を止め、カメラを据えて登場人物たちの内面を映像として浮かび上がらせてくれる。アニメ『イエスタデイをうたって』を観ていてグッと胸を掴まれ、好きだなと思わせられる部分の一つが、まさにそこなのです。

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加えて、そんな流れの中でインサートされる自販機のくだりも非常に素晴らしく、思わず膝を叩きました。前述してきたような感情の描写、その一抹の吐露として叫んだ晴の声にタイミングを合わせ落下する缶コーヒーですが、そのボタンがどのタイミングで押されたのかが映像の中では描かれていないのです。ボタンを押した後に晴が叫んだのか、もしくは晴の声に驚き思わずボタンを押してしまったのかーー。

もちろん、どちらであっても陸生の行動としてはなんら可笑しなことはありません。ですが、こと意図的なカッティングのタイミングとして晴の声に合わせ缶コーヒーが “落ちた” のであれば、それが自らの意思で押したものなのか偶発的に押されたものなのかでは大きく意図が変わってくるのではと、どうしても考えてしまうのです。なぜなら、この缶コーヒーは陸生の中に落ちる(芽生える) “何らかの感情“、そのモチーフとしての役割も果たしていたはずだからです。だからこそ、それを陸生がどのタイミングで押したのかどうか、というのはとても大切な感情の指針になると思うのですが、それを敢えて描かない*2というところにまた良さを感じてしまうのがこのシーンの趣きでもあるのでしょう。だって、この時点では陸生が晴に対し抱いていた感情にはきっとまだ名前がつけられない。だからこそその細部 (彼女の声に促されるよう押してしまったのかどうか) は決して映さない。あくまで映像が彼らの気持ちを先回りし過ぎてしまわないように。そんな意思を感じるカッティングが本当に素敵なんです。

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そして走り出す陸生。過ぎ去ろうとした晴との時間、景色を再度詰めるような、去っていこうとする彼女を必死に追いかけるような非常に動的なカットが再度、描かれます。晴に対する感情にまだ名はなくとも、彼女に対しての感情は在るという事実だけが彼の足を動かし、その瞬間に物語/背景もが同時に動き出す、という非常にドラマチックなカットです。序盤にふれた晴の背景動画のカットとは大よそ対を成しているような気さえしますが、そういった動的なカットと静的なカットのシームレスな流れがこのシーンを一層素敵なものに仕立て上げていたことはまず間違いないはずです。

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やがて、その足はついぞ晴が踏みとどまり待つ一線へ。白線と境界のカットは2話でも濃厚に描かれていましたが、それが地続きな演出として描かれていたのもグッときたポイントでした。青信号に変わるも葛藤の末その場に残った晴と、その瀬戸際に一緒に立つ陸生。そんな二人の関係性や心情がリンクする瞬間までを非常に劇的かつ、繊細に捉えてくれた映像の運びです。オーバーラップで映像的に重ねた二人が、実際的に重なる (向き合う) 映像の帰結でもあり、二人の物語を支える演出の構成が本当に美しいなと思わされます。

 

また、晴が意を決して自分のことを曝け出す瞬間の逆光感も堪りません。最初のバックショットでは小さく感じた彼女の存在が大きく見えるレイアウトと撮影感、広角パース。このシーンにおいても色々な表情芝居を見せ、その複雑な心境を表層に出してきた彼女でしたが、その気持ちをぶつける瞬間に劇的なカットへと繋がっていくのは前述してきたようなカッティングの流れ、シーンテーマともきっと一致していたはずです。あくまで彼女たちの気持ちを前に据え、その流れの中でどう印象づけ、その想いをどうやってより強く伝えていくのかという映像の見せ方。このあとに描かれた晴の表情芝居、作画もそういう意味では同様の演出だったのだろうと思います。彼女の心が取り戻した前向きさ、決意とか、それでもって気持ちとか。そういうもの全てを含めたものを感じさせてもらえたことにとても感動しました。

 

そんな登場人物たちの感情曲線と映像演出の相互関係。ここではふれなかった一つ一つのカメラワークなどもそうですし、その大切さとか、それが合わさった瞬間の喜びを改めて噛み締めさせてもらえた挿話であり、ラストシーンでした。これから二人がどういった道を歩むのかはまだ分かりませんが、より彼女たちの今後を見守っていきたいと思えたことも嬉しかったです。本当に素適な幕引き、次回が一層楽しみです。*3

*1:こちらで描かれたプロップは手描き?

*2:おそらく意図的に

*3:アイキャッチ参考画像:

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ブログ10年目

自分から新番を調べたり録画したり。そうやって能動的にアニメを観始めてから既に約10年が経っていたわけですが、先日調べたところちょうど今日がアニメ感想ブログを始めてから10年目になるそうです。なんとなく他人事なのは余りそういう実感がないからなんですが、ブログを始めた最初の頃はこんなに長く続けるとは思いもしませんでした。

 

正直、10年なんて月日も感覚的にはあっという間だなという思いもありつつ、自分がアイドルマスターの10thライブに行ったとき「10年もの間このコンテンツを支え続けてきた人たちがいるんだよな…」などと感じたこともあり、その時に感じた大きな節目?を今自分がこうして迎えていることに少し不思議な感覚を覚えています。

 

もちろんだからと言ってなにかを変えるということもなく、これからも健康にアニメを視聴し、楽しんでいられる内はブログの方も続けようとは思っています。本当は自分がなぜブログを書くのかとか、アニメの感想を書き続ける理由などもいいタイミングなので書き残そうかなと思ったのですが、それについて今自分が感じていることを文字に起こすとなにかが崩れたり、これからの自分がそれに縛られてしまいそうな気がするので、今はやめておこうと思います。それに関しては、そのうちどこかで喋ったりするかも知れませんし、しないかも知れません。

 

ただ、10年間アニメ感想というものを続けてきたからこそ一つだけ言っておきたいことがあるとすれば、それはなにがあっても、起こっても。自分はやっぱりアニメが好きなんだということです。それこそあっという間の月日だったとは言ったものの、その歳月の中では身体的にも精神的にもかなりキツイ時期が多々ありました。それは昔から自分の状況を知る方や近年の出来事を振り返ればそれとなく分かって下さる方も居るのかなとは思います。それでも「アニメが好き」という気持ちが消えたことは一度だってありませんでした。だからこそ、ありがたいとも思うし、助けてもらったとも感じてしまうし、勝手に恩を感じてしまうのです。

 

それはこんな場末のブログに来て文章を読んで下さる方々に対しても同じです。ブログは備忘録なんていう捉え方も出来ますが、こうして感じたことを包み隠さず公開しているからには、やはり伝えたくて書いているという部分は多分にあるのです。好きなものを好きだと言える場所、もの。ツイッターもその延長ではありますが、ここ最近はやはり自分にはブログが性に合ってるし、この場所こそがより大切な場所なんだなという気持ちを改めて噛み締めています。

 

というわけで少し長くなりましたが、10年目を迎えての今の気持ちを整理するとこんな感じですかね。これからもマイペースに、自分の感じたままに自分なりの好きを書き起こしていければなと思っています。そして最後に、ここで言うかはかなり迷いましたが、アニメ制作に携わられている方々にも最大の感謝と敬意を。本当にいつも、ありがとうございますと、心から。