『響け!ユーフォニアム』 8話の演出について、そしてスカートは翻る

「その美しさに惹かれ命を落としてしまう気持ちというものは、こういうものなのだろう」。そう語る久美子の心情が「私は今、この時なら命を落としても構わないと思った」と言い切るまでに変化する様子を捉えたBパート終盤。それはまるで久美子の瞳に映る世界をありのままフィルムに収めたかのように感情的で、とても煽情的な、まるで「夢でも見ているかのような」映像そのもののように思えました。

それも「特別になりたい」と語る麗奈の本心は未だ見抜けないままにあって、その心意気を帯びた姿に類稀な美しさを感じたそれは、久美子の心情そのものでもあったのだということ。


星々が輝く夜空の如き夜景でさえ、彼女を前にしては決して主役には成り得ない佇まいと美しさ。それも黄前久美子という一つのフィルタを通して観れば「自らの命と等価である」とまで思わせる程に、それはとても魅惑的な存在であったということに他なりません。久美子の心を覗くよう据えられたカットの数々や、揺れるフレーム。揺らぐ瞳。その全てが彼女の感情を伝えるための導火線として描かれたのもそれを伝えるためです。なにより、麗奈が胸に秘める感情を少しずつ吐露していく度に彼女の魅力がひしひし伝わってくるのはだからこそなのです。それはまるで久美子の中で高坂麗奈という一人の少女の存在が音を立てて描き替えられていくような。そういう瞬間の連なりをこの映像は刻一刻と捉えていたのだと。

まただからこそ、翻るスカートはより過剰にして大胆にその軌道を描き、私たちに淡い泡沫のような夢を見させてくれる。そしてそれは高坂麗奈が併せ持つ強さと優美さの象徴でありながら、久美子があの瞬間、彼女に見た “生” 的な魅力でもあったのだと思います。滑らかな曲線と街並みの光を透過して映す揺らめきはまるで生きているかのように艶美で、不思議な魅力に溢れていて。彼女がベンチに腰を下ろす際にフワッと浮くスカートの可愛らしさも、あの瞬間に久美子が見た麗奈の子供っぽさと重なるものであったはずで、いかにあの周辺の映像が久美子の視点に立ったものであったのかということが強く浮き彫りとなったシーンでもありました。

また前述したように今回のエピソードには幾つかの “死” に纏わる台詞回しが遣われていたわけですが、そうして “死” のイメージを意識するということは “生” を感じることとも同義であり、ゆえに久美子は今話における様々な瞬間において確かに “生きている” という実感を強く抱いたのではないかとも思うのです。


そして我々はそうした “生の実感” を時に “青春” と呼び、今この瞬間にしか感じることの出来ない多くの情動にロマンを感じ、憧憬を抱いてしまうわけで、むしろこの作品に大きな魅力を感じるのは、そんな今を駆け抜けようとする少年少女たちの姿に感銘を受けているからに他ならないのでしょう。それも少しずつ、一歩一歩何かを感じ取り、一秒秒針が振れる毎に変化していく彼女たちの繊細な心情に心を打たれているとでも言えばいいのでしょうか。またそれはワンカット毎に各々の感情が明かされていく映像の妙そのものであり、技術的に言えばカッティング、レイアウトといったものの素晴らしさにそれは他ならないのだと思います。

また「特別になりたい」と語る麗奈の言葉を受け入れた久美子が共に吹き鳴らした昔馴染みの曲。それが皆に等しく降り注がれたあの一幕は、まさしく誰においても “今この瞬間” がいかに特別なものであるのかということを雄弁に語り掛けてくれていたように感じられました。


街を見下ろしながら演奏される曲はさながら祝福の賛歌。多くの登場人物においても決して順風満帆な物語であったとは言えない本作ですが、このシーンではそんな全ての登場人物たちに「頑張ったね」とまるで優しい言葉を投げ掛けていたようにも思えました。それこそ、本話を絵コンテ・演出として手掛けられた藤田春香さんは「等しく流れる時間の中の彼女たちの特別な一時」とこの第8話にコメントを添えてくれました。なによりそうした全ての登場人物を主役と捉えた本作の作品性は監督である石原立也さんが語った「この部員たちは“名も無いエキストラ”ではなく全員名前のある“登場人物”です」というあの一文から一切のブレを許すことなく一貫して描かれていたように感じるのです。


それこそ今回のサブタイトルは『おまつりトライアングル』。カットバックで紡がれる三者三様の物語を軸にオーディションへと向かう彼女たちの心情を深く、時に深淵にまで掘り下げてくれた素晴らしい挿話だったように思います。またそれは翻るスカートの如く、少年少女の内面にまで迫った苦さと美しさを兼ね備えたフィルムとして、生涯私の胸に刻み込まれることとなりそうです。