『海がきこえる』の寡黙さと微熱

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夏の陽射し。流れゆく景色。淡々と進むフィルム。熱い恋愛ものとは程遠いまでに感情的になることを抑えつけるこの映像は、まるでそよ風のように心地良い読後感を与えてくれました。

 

それこそ主人公である杜崎が本作において激情にかられていたのはどれも怒りという感情が基盤となっている時だけでした。恋愛感情をこれといって滲ませない彼はそうした色恋事で騒ぎを起こすこともなければ、誰かを必死に追い掛けるようなシーンもほぼ本編には存在しません。それどころか、彼が走るという行為をとることさえ本編では描かないのです。故に本作にはドライブ感というものは余り感じられず、淡々と、同じ歩幅で、まるで平然を装うかのようにこの作品は閑静に纏められています。

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しかし、かくして青春とはそういうものでもあると思うのです。誰もが劇的な出会いを果たすわけではない。想い人を遠巻きに眺めたまま終わる青春もある。じゃあ、そうした“普通”の青春というものは物語に成り得ないのかと問われればそんなことは決してなく、人それぞれに物語というものはちゃんと備わっている。

 

つまり、本作はただ杜崎という一人の青年が送った青春に歩調を合わせただけなのだと思います。彼の見た景色や、感情をそのまま映像にすること。レイアウト的に映える画面はもちいても、決して感情は煽らない。流れるままに。さざ波のように。なにより、そうして心の赴くままに撮られた作品であるからこそフィルムは寡黙になっていく。余計なことは映像で語らず、語るべきことだけを映像で語る美しさ。そしてそれはこの作品を「平熱で作ろう」と決めた制作側の意図*1をそのまま映写したが故の賜物でもあるのだと思います。

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また、だからこそ彼の心が揺らげば本作の映像もまた少しずつ感情的になっていくのでしょう。「昔はなんとも思っていなかった」と語られた高知城を背にズームアウトしながらカットバック的に差し込まれるあの日の情景。それはまるで寄せては返す波のようにゆっくりと彼の心中に響き、まるで微熱の如くその想いを少しずつ膨らませていくのです。

 

そして、ようやく彼は走り出すのです。想い人の元へ。遠い昔に忘れていたあの日々を取り戻すように。そしてここでもカメラは決してその感情を煽ることなく彼をフォローしながらその行方を見守ります。劇伴も壮大にはせず。過剰な演技も必要ないと云わんばかりの見守るような演出。ただそれでも、ラストシーンで回り込み気味のカメラワークを使ったのは茶目っ気であり、祝福であり、また少しはロマンスがあってもいいだろうという、一種のファンサービスであったのかも知れません。その辺り、どこかで語られていたりするのなら、是非聞いてみたいなぁとも思います。

*1:海がきこえる』DVD特典映像:スタッフ座談会より