南極へ旅立つマリの話から一転、めぐみの心情を多分に含んだ話へとシームレスに変遷する物語とフィルムの構成。すっと上手が入れ替わり、話の主体がマリからめぐみへと変化していたことをカット単位で寡黙に伝えてくれる巧さに心がざわつきました。二人の関係と向き合うことを強要するような横の構図がもたらす印象はとても強烈で、対立的。なによりゲーム機のコードをわざと引っかけたことや前話のCパート、遡れば意味深だったこれまでの彼女への映し方なども含め、今回の話はそうして彼女が溜め込んでいたものを直接的に映すことへ余り躊躇 (ためら) いがありませんでした。
淀みを含んだ感情。それを覆う壁。押し流すことが出来ない心の弱さ。フレーム内フレームで閉ざされた空間にめぐみを映したのも意図的で、マリとの距離感を感じさせる上、そこから想起されるものはやはり本作の代名詞とも呼べるあの水たまりのカットに他なりません。それは普段のポーカーフェイス染みた彼女の性格ともきっと合致していて、一歩を踏み出せない・感情的にもなれないめぐみもまた同じ場所でたゆたい続けどこにも行けないままの少女であることを静かに語り掛けてくれているようでした。*1
けれどそんな彼女に反して、一歩ずつ先へと進んでいくマリの言葉はめぐみの心へ届くよう幾つかのモチーフを通し伝えられます。手押しポンプは引き上げるイメージを。カーブミラーは二人を包み込み、これまでの関係に温もりを。それは「めぐっちゃんなんだよ」の声音に宿っていたものと同じ、マリからめぐみへ向けられた愛情に他ならないのだと思います。今度は後ろからではなく、あなたと立ち並んで歩みたいという感情の奔流。それはあの時のめぐみにとってとても辛い宣告でもあったはずですが、その言葉が気づきを与え、新たな道しるべとなって彼女をその場所から引き上げたことに決して違いはないはずです。
だからこそもう一度ちゃんと向き合って話さなければいけないとめぐみは考えたのでしょうし、自らがしてしまったこととこれまで溜め込んでいた想いを彼女は感情に任せ吐露できたのでしょう。架かる橋と横構図の再演はそのためのもの。けど、今度は間違わないように。ちゃんと伝えられるように。間違ったやり方ではなく、相手の心にも自分自身の気持ちにもちゃんと向き合えるように。
絶交だなんてやり方が最善だったとは言えないけれど、でもきっとそれがこれまでの嫌な自分と決別するため苦渋しながら考えた彼女なりのやり方だったのでしょう。皺のつくほど歪む表情芝居はそういった状況に至るまでの経過と情景を克明に刻み込んでいました。
その結果、めぐみから語られたのは「ここじゃない場所に向かわなきゃいけないのは私なんだ」という熱の込もる言葉でした。そしてその言葉に呼応するよう映された流れゆく小川のfixは、さながらめぐみの中にあった淀んだ水を押し流すイメージショットとしての意図を含め、ここからすべてが始まっていく高橋めぐみの物語を緩やかに包み込んでくれていたと思います。約6秒間のfixカット。ここでそれを挟み込む意味は想像以上に大きく、決壊し、解放され、めぐみの中に積もり続けた感情が溶け出していくことを裏付けるように、それは見た目よりとても雄弁なカットとして存在していたはずです。
ただ、それはめぐみがようやくスタートラインに立てたことの証左に過ぎません。なにか目標を持ったわけでも、特別ななにかを手に入れたわけでもなく、まだ彼女にとっての目的地は定まらないままです。でも、それでいいのでしょう。世界に祝福を受け選ばれた4人の片隅に生きた少女の足跡。決して主役にはなれない、あなたが居なければ私には何もないと語った少女の物語はきっとここから描かれ、始まっていくはずです。今出来ることは、遠い場所*2に向かい走り出した親友を見つめるだけ。けれどその姿を真っ直ぐ前を向き見つめることが出来るあなただって、きっといつか遠い場所に行ける。走り出し、動き出した物語とは、何かを成し遂げずともそれだけで意味があるのだと。
そうして一人の平凡な少女にスポットライトを当て、彼女に寄り添ったフィルムを描いてくれたことが本当に嬉しく、感動しました。おそらく彼女について今後描かれるものは少ないと思いますが、その些細な描写に彼女の歩み出した未来 (遠い場所) のカタチが少しでも描かれれば良いなと思います。また本話の演出を担当されたのは澤井幸次さん。近年の作品では横構図とセンチメンタルな描写を差し込み、ドラマチックな挿話を手掛ける印象の強い方ですが、今回でもそういった見せ方は健在でした。それについては次回何か書ければなと思いますが、一先ずは本話の余韻に浸っていたいなと思います。毎話泣かされるか、泣きそうになっていますが、今回も素晴らしい挿話をありがとうございました。