『盾の勇者の成り上がり』22話・25話の終盤シーンについて

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以前から触れたいと思っていた挿話がありました。それが22話終盤のシーン。「尚文様は居なくならないですよね?」とラフタリアが尚文に問いかける場面でした。

 

ラフタリアが抱いていたこういった感情はこれまでも何度か描かれ、話が進むごとにその深刻さは増していたと思います。それが画面において顕在化されたのがこのカットであり、フレーム内フレームにおいて分断された二人の距離、空間が底知れぬ彼女の不安を描いていました。まだ幼く話が深くは読み取れないフィーロは、尚文が返した言葉に納得をしすぐに境界を越えますが、以前ラフタリアは取り残されたまま。そのまま彼女が右フレーム内に取り残されたままこのカットが終るのも印象深く、動かないラフタリアとその間に情景を感じられたのがとてもエモーショナルでした。しかし、このカットは尚文の葛藤をも描いていたのだと思います。分厚い瓦礫、境界に分断された世界で自分はどうするべきなのか、どうしたいのか。二人の関係性とその深度を主軸に描いてきた本作だからこそ、心情を描くという点において、どちらか一方ではなく互いの心に寄せたカットが描かれていたのは、むしろとても自然なことだったのでしょう。

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そういった尚文の心情はこの直後のカットでも描かれていたはずです。フィーロとラフタリアに両脇を引かれる尚文。その光景には微笑ましさすら感じてしまいますが、彼の揺れる心情を思えばこそ若干の複雑さを感じてしまうのはやはり否めません。空抜けしていくPANと、上空を舞う3羽の鳥。この余白とモチーフに残される余韻がより感傷的に今 “この瞬間” の居心地の良さと元の世界に帰るという彼の目的を天秤に乗せ計るのだから、なんとも言えないセンシティブな感情を抱かずにはいられませんでした。

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そして、ラフタリアもまた彼のそんな心情には薄々気づいていたのかも知れません。だからこその最終回、25話におけるどこか遠くを見据えるような表情の数々。目の前に居る尚文ではない、その心の奥に隠しているであろう彼の思惑を見透かそうとするようなアンニュイな表情芝居。それはこれまで積み重ねてきたラフタリアの想いと、「帰って欲しくない」と語る彼女の願いが溢れ出してしまったが故のものなのだと思いますが、そういった “これまでの物語” を下地にするという点においてはやはり前述した22話ラストシーンの存在はどうしても大きく感じてしまいます。

 

それは、ラフタリアの心情においても。演出の側面から見ても。あの分断*1があったからこそ、その奥を見つめるという視線に強度が生まれ、彼女の想いをより強固なものにしたのだと。

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それに関しては遂にラフタリアが尚文に縋った、帰って欲しくないと強く訴えた終盤のシーンでも同様でした。住む世界の違い、勇者としての使命。そういった色々なものの象徴として描かれたフレーム内フレーム分断のカットが強烈な印象を残していたからこそ、その先に居る尚文にラフタリアが触れる、言葉・想いを投げつけるという行為の強さが何倍にも増すのです。そしてそれは芝居レベルにまで浸透し、マントの皺、引く腕の強さ、正面から捉えられるラフタリアの表情の迫真さに多く託されていったのでしょう。

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縋る手、寄る皺の数々、目元から伝う涙の軌跡をしっかりと捉えるレイアウトの巧さ。密着するラフタリアの懇願、想いを描いた素晴らしいカットです。芝居・作画が演出となり、人物の心情を表層に浮かび上がらせてくれる。一定の距離感を保っていたからこその、反動、感情の爆発。積み重ねていったものがこういった芝居や演出により尚強烈に描かれていくのは何度観ても堪らず、本当に素適です。

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また積み重ねと言えばもう一つ。これまでの本編とは質感の違うタッチで描かれたカットの存在、そこから思い出されるのは何を隠そうこれまで物語に添えられた二つのEDでした。一つ目のEDは尚文の心情に、二つ目のEDはラフタリアの心情に寄せたものとして描かれていましたが、その二つの感情がついに入り混じった今話において、あの質感を再現する、ということにはやはり大きな意味があったように感じます。通常の画面に戻ったあとにカメラが逆位置にいき、想定線を越える挙動を見せていたことももしかすればそんな二人の想いに応えてのものだったのかも知れませんし、上述した22話のカット的にもそれはとても大きな意味を持つ演出です。

 

カメラが回り込むことで壁・境界を意に介さないとするコンテワーク。あの日とは入れ替わり立ち位置が変化することの意味。どこまでが意図的な見せ方なのかは分かりませんが、そんな風に直感として思えてしまう程、このシーンのカッティング設計は緻密さに溢れていたと思います。

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ラストカットは一つ目のEDのラストカットと同じレイアウトにするという粋な演出も光りました。どこまでもEDを、二人の物語を意識した画面作りです。22話と同じくここでも鳥が飛んでいたのはもはや様式美。しかし、あの時とは違い後ろ髪を引かれるような印象もなく、ここから新しく旅立つ彼らの門出に相応しい祝福そのものとして描かれていたのがとても胸に刺さりました。もしかすると振り返れば他の話数でもモチーフとして登場しているのかも知れませんが、個人的には印象に残っていた22話と重なったことがなによりも嬉しく、印象深く感じられました。

 

幼少期とは違い、今度は同じ目線で。孤高ではなく、仲間に手を振るラフタリアと世界を望む尚文の姿。焼きつく夕景に浮かぶシルエットが本当に素適でした。それこそ、振り返れば夕景を含めたライティングが美しい作品でもあったなと思います。二人の物語の中に感傷性を与えた見せ方、映像。ビジュアルや演出含め、そういったものの構成がとても素晴らしかった作品です。出来れば彼らの物語の続きがまだ観ていたいのですが、一先ずはここで幕引き。素敵な最終回を本当にありがとうございました。彼らとまた会えること、とても楽しみにしています。

*1:前述したフレーム内フレームのカット