最近観たアニメの気になったこととか8

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『女神寮の寮母くん。』5話。傘を広げたら内側に夜空と月が描かれているっていうのがすごく良いなと思いました。月のパワーが満ちていないと遠出できないせれねに対する粋な計らい。なんだか『sola』を思い出すエピソードでもあったなと。あと貰った傘を広げながら見上げる彼女の表情がやけに良いというか。修正が載っているのかも知れませんが、ここの煽りの絵が良いっていうのはかなり大切だと思うんですよね。彼女にとってこれが掛け替えのないものになっていく証左でもあるし、その細めた瞳の中に寡黙な彼女の感情が映る。それがよりこの話を彩っていたように思います。

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『白い砂のアクアトープ』3話。水の中における光の屈折を生かした演出。腹部が拡大され映ることによって、まだ見ぬ赤ん坊の存在に強くスポットをあてる感じがとても印象的でした。本作が海、水の中の生体や生命からうまくモチーフを拾い上げている作風であったことを踏まえても、この見せ方にはグッと惹き込まれる良さがありました。花瓶に光が反射してハレーションを起こしているのもいいですね。命の輝き、強さ。また花瓶内に母親の手が映り込むことによって画面の情報量がふえるのも素敵です。手が描かれるからこそ映り込むものが腹部であることが強調されているっていうのももちろんそうなんですが、母の手ってそれだけでも温かくて強さを感じる象徴のような気もするので、ここで腹部と一緒に映り込むのはマストなんだなって今回のお話を観ていて思ったりしました。

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小林さんちのメイドラゴンS』7話。同じく水中の光の屈折。アニメシンクロニシティ。あまりこういう尖った?演出を同時期に観ることって少ない気もして、驚いたりしました。被写体のトールが逆向きに映るのが科学的にどうこう、みたいな話に関しては自分は分からないですし、これがリアリティのある表現かどうかっていう話はとりあえず置いておきます。ただ人間の社会に馴染むということ、言い換えればある種、同調圧力のうねりの中に身を置くトール自身が今はその波の中に飲まれているというテーマ性が、この演出意図にかなり嵌っていて驚きました。カップを置き切ると頭部近辺だけが少し水面から顔をのぞかせていたのも彼女の心情に寄り添っていて良いなあと思いました。テクニカル過ぎる。

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小林さんちのメイドラゴンS』9話。水面に反射した光がエルマに映り込むのがめちゃくちゃ綺麗でしたね。それと同時にそのキラキラとした輝きがエルマの純真無垢さをそのまま映し出していた気がして、この話の肝を改めて振り返るとより素敵な演出に映ったりもしました。あとフットライト的な見せ方は最近の京アニのトレンドなのかなっていう気もしないでもないです。意識して観始めたのはユーフォ辺りからですが、なんだかハッとさせられる絵的な美しさもあったりして良いんですよね。この処理は撮影でやっているのだと思いますが、どこまでがコンテ段階、或いは後工程による指示なのかは気になったりします。撮影班のアドリブ的な感じもしますが、果たして*1

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『かげきしょうじょ!!』8話。「あなたと私、ちょっと似てるなって」。その言葉に合わせるようつり革と柱ナメでPANしていくカメラワーク演出にものすごく興奮しました。全く違う世界に生き、違うものに打ち込んできた二人が共通点を見つけた瞬間。その瞬間そのものに特別なことは起きないけれど、二人にとってはその瞬間こそが特別であるということをモチーフとフレームを生かして演出し、後押しする。もう堪りませんよね。カット尻には硬球野球の打球音が先にインサートしてくるのもほんと、最高の流れなんだよなというか。でも薫が手すりの内側に入り切れていないのがここでは肝要というか。入ってはいるんだけど柱で隠れてしまっている。その寄り切れない感じが最終的には彼女の心にそのまま踏襲されている感じもなんだか素敵だなと思いました。

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『ぼくたちのリメイク』4話。扉を隔てのシンメトリー的な構図。徐々に横PANしていくことでその加減が変化していき、二人の関係もまた対等になる。加えて、恭也の言葉が少しずつ奈々子の心を満たしていく感じも素敵でした。スペース的には彼の居る空間が次第に大きくなっていくんですが、画面全体を考えればこれは奈々子の心そのものだからっていう。だから彼の言葉が奈々子の心にスッと入っていけば、それは彼女の心の内を占める恭也の存在の大きさにそのまま直結していくんだよって。

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それに今回のエピソードってある種、扉がキーモチーフみたいになっていたので、余計に前述した見せ方が刺さったというのはありました。関連のものは他にもありましたが、一番意識させられたのはAパートのラストカット。カラオケボックスから出ていく二人を見つめる恭也が閉まり際まで映り続けていたのが、そのまま彼女たちのパーソナルスペースにはまだ彼が踏み込めていないんだなっていう関係性の在り様にそのまま繋がっていく感じがして、グッときました。先ほどの壁際のシンメトリーカットの後にはドアノブにスポットを当てたカットもあったりして、しっかりと "ドアが開く" ことに注釈を入れていくようなコンテワークがとても丁寧で良いなと感じました。

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余談ですが、上記で挙げたようなカットをそういえば他の作品でも観たなというので、思い出したのが『八月のシンデレラナイン』7話でした。多少ニュアンスは違うかも知れませんが、やはり相手のパーソナルスペース/心の一番奥深い部分へ踏み込んでいけない九十九先輩の立ち位置が明確に描かれていて、とても印象に残っています。でも扉が閉まる (動く) のなら開けることだって出来るっていう、相互的な意図が内包されているからこそ、こういった扉に纏わる見せ方って良いんだろうなっていうのはやっぱり思います。

*1:京都アニメーションの撮影は結構こういう盛りだったり過剰な撮影処理をアドリブ的にやったりするという話はあるので