『かげきしょうじょ!!』11話の表情と芝居について

f:id:shirooo105:20210912023540j:plainf:id:shirooo105:20210912023631j:plain

終始芝居が良かった11話。中でも特に気になったカット、シーンについて。まずはAパート頭のお風呂のシーンですが、瞬間瞬間でドキッとするような端正な顔立ちが描かれていたのがとても良いなと思いました。元々のデザインが可愛らしく良い意味で情報量が多くない*1感じなので、話の方向に従って絵の印象を大きく変えられるのかなとは感じます。主人公のさらさの性格も相まってか、コミカルなシーン/芝居もあったり、真面目な話をしだすとこういうキリッとした表情になったり。それも含めて彼女たちが紅華歌劇音楽学校の生徒である所以と思えるのも面白いというか。日常生活が舞台であり、演劇。そんな風に思えたりするのも尚、拍車を掛けて良いです。

f:id:shirooo105:20210912024408j:plainf:id:shirooo105:20210912024430j:plain

当のさらさがこういった感情の乗った表情をするとグッとくるというのも、ようは同じことなのだと思います。表情がコロコロ変わるのも彼女の良さであり、それが主人公 (舞台の主役) 足る所以。彼女の一挙手一投足が織りなす芝居、その表情がその場をステージにしてしまう。そういう予感があるからこそ、彼女をみているだけでこんなにもワクワクしてしまうのかも知れません。

f:id:shirooo105:20210912024908j:plain

物語の感情曲線、その岐路にシリアスだったり感情的なカットが入るとグッとくる、という点においてはこのカットなどもかなり印象に残りました。なんでしょう、あまりうまく言葉にできないのですが、瞳や睫毛あたりの力強さと、あとは前髪の落ち影がめちゃくちゃ良いです。ちょっとした情報が付加 (より強調) されたことで印象も、その時に抱く感情へのアプローチも変わってくるというか。惹き込まれますよね。

f:id:shirooo105:20210912030126j:plainf:id:shirooo105:20210912031530p:plainf:id:shirooo105:20210912030524j:plain

一番好きだったのはさらさと愛が部屋で会話するシーン。ここの芝居やコンテワークにはとても感動しました。皺の入り方やポージングがめちゃくちゃ良い、というのももちろんそうなんですが、芝居の流れがよりその良さを引き出してくれている感じがしました。例えばこのカットだと、愛がさらさの方に向いてポーズを決める、そうするとさらさが反応して愛をみる、そこから会話が発展して愛が最後に頭をかく、という流れが出来上がっています。それぞれの流れがシームレスで自然な芝居で順番に構成され、それがワンカットで描かれることでその場の空気感やふたりの会話のリズムというものがより強く感じ取れる。そういうシーンやカット観ているとなんだかとても嬉しくなれるんですよね。

f:id:shirooo105:20210912031446g:plain

このカットなども同様です。少し長めに尺をとってさらさが胡坐をかくまでの芝居をワンカットで描き切る。この辺りのプライベート感も堪らないんですが、そのままカット跨ぎを感じさせるタイミングで次のカットに入り頭から芝居を入れる。カットを分断させないというか。あくまで一つの空間、同じ時間軸の上で呼吸が続いていると感じさせてくれる芝居だからこそ、こちらも観ているだけでよりグッとのめり込むことが出来るのだと思います。

f:id:shirooo105:20210912032509g:plain

愛がベッドに向かって歩く、座る、その行動を目で追っていたさらさは愛が座るタイミングを見計らってさらに一段下に腰を落とすことが出来る。呼吸を感じ取れるというのはそれだけ日常風景に近い一幕であるということだと思うのですが、もうこういった芝居はその代名詞だとも言えると思うんです。関係性や空気感をそのまま伝えてくれる芝居、その説得力がこの風景を彼女たちの日常足らしめてくれる。ようは生っぽいというか。ある意味でそれは、舞台にも近いというか。演劇を生業にしようとしている彼女たちの動的な動き/作画が、こういったシーンやカットでより強調されるというのはとても良いなと感じます。

 

そういう意味で言うともう一つここで面白いのは、立ち位置が変わることです。それまで入り口側にあったカメラが大きく逆側へ移動し、愛がベッド側へ渡ることで、ある種の想定線を超えてふたりの関係性を入れ替えてくれる。もちろんここで言う関係性というのは大きなものでは決してなく、愛がさらさへ教える立場に立つ程度のものだと思うのですが、なんだかそういう部分で舞台性をより感じさせてもらえたのは作品性に合致していて面白く、素敵だなと思いました。

f:id:shirooo105:20210912032600g:plain

母と愛の回想を経て元のカメラアングルへ。以前、愛の教えは続いていますが、さらさが彼女の言葉を吸収し考えを深めようとする展開へとフェイズが移っているので、舞台的にもさらさが上手に戻る、というのはとても得心のいく流れではありました。くわえてなんだか二人のポージングも演劇感あるな、と感じてしまうのは少しこの作品が演劇をテーマにしてることへのバイアスをかけ過ぎなのかな、と自分自身思わなくもないのですが。でもやっぱりそういう感じはしますね。あとやっぱりカット割らずに立つ芝居をこの距離感で描き切るの。日常風景って感じ。好きですね。

f:id:shirooo105:20210912040119g:plain

話が終わるとそれぞれ元の定位置へ。この演技終了みたいな空気感も堪りませんでした。この芝居があるからこそ、逆説的にそれまでの流れがより演技感強く感じられるのもありますし、彼女たちにとってはそこここに舞台の肥やしになるものがあるのだなと強く思わされたりしました。くわえて、もっとメタ的なことを言えば、こういった些細な芝居の豊かさこそがより彼女たちを役者として見立てるための要素に成り得ているというか。芝居作画の説得力がそのまま世界感の支えになり、個々人の身体性を高めてくれることで、より良き役者になり得ることへの足掛けとして機能している。

f:id:shirooo105:20210912041432g:plain

紗和が練習をしていた場面なんてその象徴だったと思います。作中では劇本番にもっとも近いシチュエーションではありますが、こういった芝居が描かれるからこそ彼女の演技へ掛ける想いやその執念、実力のほどがより目に見える形で担保されるのだなと。もしかしたらアニメにおいてそれって当たり前のことなのかも知れません*2が、でもやっぱりそういった芝居と物語、或いは感情の関連性を感じさせてもらえる瞬間が個人的には一番感動するところでもあるので、そういうことに改めて気づかせてくれた今回の話を経てより本作のことが好きになれたような気がしています。

f:id:shirooo105:20210912042504g:plain*3

いまだ恋などは分からず、その感情を模索する中で気づくことになった、それとよく似た "まだ名もなき" 感情。その衝動に満ち溢れた姿を彼女の演技・芝居作画を通して描くことの意味は、この物語にとっても、世界にとっても、また奈良田愛という一人の少女にとっても、とても大切なものであったはずです。そして彼女の演技に見入っていた他の生徒たちの感情と、この芝居作画を踏まえた物語に見入っていた一視聴者である私の感情が同期した瞬間でもあったというのは、切に伝えたいところです。

*1:簡略のうまさが際立っている

*2:もちろんそれは例に挙げてきたような些細な芝居だけでなく、大胆なアクションなどでも同じ

*3:1カット目と2カット目の間は中略。本来繋がっているカットではありません。