『先輩がうざい後輩の話』OP、竹下良平さんの演出について

f:id:shirooo105:20211021002201j:plainf:id:shirooo105:20211021002111j:plain

主題歌の一節、ワンフレーズ毎に映像をはめ込み、組み立てていくような構成。楽曲の力や楽しさはもちろんありますが、それを何倍にも膨れ上がらせてくれる映像の華やかさとテンションの高さは、何だかそれだけで気持ちを昂らせてくれる良さで溢れていました。

 

歌詞を一つ一つ丁寧に拾い上げ、その状況とマッチした表情を登場人物にさせていくことに加え、各々のオフショットを組み込むことで彼女たちの生活感や実在感をよりよく伝えてくれるのもとても素敵でした。なによりそこには、この映像そのものを "彼女たち" が構成し、作り上げていると信じさせてくれるフィルムの妙がありました。出来るだけメタ的に見せない。メタ的な表現をしたとしてもそれをサラっと流し、あくまでこの世界の主役は彼女たちであることを前面に押し出し描いているような雰囲気さえそこには感じられたのです。

f:id:shirooo105:20211021003334j:plainf:id:shirooo105:20211021003339j:plain

特にそれを感じさせてくれたのはオフショットの質感の良さ、またそんな各々の日常風景をカメラに収めたようなフォトテイストなカットの数々でした。個人的にはどこかレンズ越しに写し取ったような撮影感が一つ動画工房の強みであり、良さでもあると常々感じていましたが、それは今回のオープニングでも如何なく発揮されていたはずです。

 

そして、それをより自然体で。あくまでふとカメラを向けた瞬間に撮れた写真のように描くのが本当に素敵だなと思います。この世界の主役足る彼女たちの日常風景を垣間見せてもらえることで、より強く認識できるそれぞれの "人物像"。双葉たちがこの世界で暮らしている様子をフラットに映し、描いてもらえることで、よりその存在を身近に感じられるというのはこの世界観に没頭するための大きな足掛かりにすら成り得ているはずです。ああ、そうか。こうやって彼女は笑うんだ。こうやって日々を過ごしているんだな、とか。そんな感情を想起させてくれることがこのオープニング、ひいては作品そのものをより親しみやすい (感情を寄せやすい) 物語として感じさせてくれているのだと思います。

f:id:shirooo105:20211021005513j:plainf:id:shirooo105:20211021005524j:plainf:id:shirooo105:20211021005906j:plain

そういった感情を呼び起こしてくれていることにはもちろん他の要因もあります。映像的な面で言えば被写界深度の浅さだったり、(写真的、回想的な) 画面比率の変化、あとはどこかドキュメンタリータッチに感じる映像の趣きとか。特に社内で働く彼女たちの様子、その忙しなさをオーバーラップを使いながら繋ぎ、描いていたことはとても臨場感に溢れていたと思います。ただ、そういったことも結局はすべて前述してきたような "実在感" に寄与している映像表現なのだということは強く感じるところです。それも一つ一つのカットに奥行きがあるとでも言えばいいのでしょうか。そこには時間の流れや空気感が確かにあって、温度がある。だからこそこのフィルムからは、まるでこの社内で働く人々の様子をカメラで記録していくような質感さえ強く感じられるのでしょう。

f:id:shirooo105:20211021010401g:plain

そういった表現の極致的なものがこういったカットなのかなとは思いました。映像記録としての質感を伴った、スマホなどで撮影したような演出のカット。実際、この次点以降のカットではこの双葉の様子をスマホで撮影していたことが分かる描写があるのですが、こういったカット・表現が彼女たちがこの場所に生きた証左として根付き、機能し、彼女により強い実在感を与えているというのは、もう言うまでもないことなのだと思います。なにより、こういった表現は本オープニングの絵コンテ・演出を担当された竹下良平さんが手掛けられた他作品からも、強く紐づいていることが分かります。

f:id:shirooo105:20211021011238g:plain

近いところでは『呪術廻戦』後期エンディングがとても顕著でした。戦いに身を置く彼らの本編ではなかなか描かれない青春の風景。その日々を切り取るために用いられたであろうスマホ撮影的な演出の数々。このエンディングの主たるテーマ性はそれこそ "彼らが此処に生きた証としての映像記録" に他ならないはずです。そしてこの映像/エンディングがあったからこそより彼らに感情を寄せることが出来たのは間違いなく、とても身近な感覚として "彼らが生きていること/我々と何一つ変わらない生活も送っていること" を実感できたからこそ、この作品をより好きになれたのです。

f:id:shirooo105:20211021012653g:plain

こちらも同じく竹下良平さん演出の『無職転生異世界行ったら本気だす~』2期エンディング。このカットをもって言いたいことは上記となんら変わらないので多くは割愛しますが、やはりこのカットからも時間の流れや空気感というものは顕著に感じられます。もちろんスマホでの撮影ではありませんし演出手法としては違うのだと思いますが、ルーデウスの瞳に映る光景をそのまま主観的に映すことで、この世界・その時間感覚をありのまま映像として抽出しているという意味では演出意図的にもほとんど変わらないように思います。この後にも同じ類の主観カットが映りますが、彼が見た光景の数々を直に我々が目にすることで、より彼の感情に近づける (彼らにより強い実在感を感じられる) というのは、やはりとても素敵な体験なんだろうと思います。

f:id:shirooo105:20211021085153g:plainf:id:shirooo105:20211021085250g:plain

Just Because!』オープニング、絵コンテ演出竹下良平。こちらはコマ撮り的な演出ですが、これらのカットも結局は同じことなのだと思います。"この世界で生きる彼女たちをカメラに収めた" という質感を強く感じとれるからこそ、登場人物たちの "生" を確かに実感することが出来る。映像表現としての面白さももちろんありますが、それ以上に登場人物たちの快活さがそれを追い越していく。ようは突飛に見える演出も全ては彼女たちを引き立てるための舞台装置でしかない、ということなのです。

 

でも本来はそれで良いんじゃないかって思ったりもするんです。だって演出ってそれ自体を誇示するためのものというよりは、物語やそこで自由に駆け回る登場人物たちによりフォーカスをあてるためのものだと思うから。少なくとも私の場合は、"そういった演出" に強く心を打たれることが多いのは確かです。そしてその演出と物語/登場人物たちの関係性が非常に素晴らしく噛み合っていたのが今回のオープニングであり、だからこそ「面白い演出」という感想よりも、「こんな風に彼女たちは過ごしているんだ」という感慨がより前に出てきてしまうのだと思います。

f:id:shirooo105:20211021022530j:plainf:id:shirooo105:20211021022536j:plain

エロマンガ先生 OVA』1話エンディング、こちらも絵コンテ演出は竹下さんです。インスタグラム的な見せ方がとても作品性にマッチしていて演出手法としても凄く好きですが、このエンディングにおける一番グッときたポイントもやはりこれまでと同様でした。エルフたちのオフショット、その本編では描かれなかった日々と風景から彼女たちの生活感を少しばかり感じられたことにとても温かい気持ちになれたり、どういう気持ちでエルフはこの投稿をしたんだろうなと考え、想い馳せることが出来たり。もちろんエルフのインスタアカウントを覗き見れるという映像的なサプライズもありましたが、それ以上にエルフのパーソナルな部分に触れることが出来た感動はやはり大きく、だからこそこの時、私はより彼女のことを好きになれたのでしょう。

 

そしてなにより、これらの演出を手掛けられた竹下さんの演出・その本懐といものもきっとそういった "登場人物たちの感情と物語" にあるのではないか、という気はなんとなくですがしています。もちろん、これは私の勝手な憶測ですが。でもそう思えてならないほどに竹下さんが手掛ける映像は、どこまでも彼ら・彼女たちを包み込むような質感に溢れているなと強く感じます。理由はここまで述べてきたとおりです。それこそ作品の方向性によっても映像の主体というものは変わっていくものだとは思いますが、登場人物たちが見た風景・居た風景をしっかりと捉えることでまた一つ解釈のステージを上げてくれる強さが氏のフィルムには根強く在る様な気がしています。

f:id:shirooo105:20211021085512g:plainf:id:shirooo105:20211021223933g:plain

最後に一つ気になった点について。『先輩がうざい後輩の話』オープニングのこの辺りのカット*1が、とても繊細な芝居づけで感動したんですが、この演劇感って先程あげた『エロマンガ先生 OVA』の1話に近い表現なのかなと、なんとく感じたりはしました。エルフの感情が芝居となって力強く表現されるシーンですが、それをより素敵な作画が支えているというのが本当に感動的だったんですよね。そしてそれは前者の双葉のサビパートでも同様で、コロコロと表情を変えながら溌溂と踊る彼女の動きの素晴らしさにより感動させられてしまったというか。この一つ前の同様のカットでもそうですが、芝居作画が時に感じさせてくれる "実在感" というのも、やはり堪らないなと改めて感じた次第です。

*1:双葉が歌いながら迫ってくるカットとしてはもう一つ前のカットも同様