ブログ10年目

自分から新番を調べたり録画したり。そうやって能動的にアニメを観始めてから既に約10年が経っていたわけですが、先日調べたところちょうど今日がアニメ感想ブログを始めてから10年目になるそうです。なんとなく他人事なのは余りそういう実感がないからなんですが、ブログを始めた最初の頃はこんなに長く続けるとは思いもしませんでした。

 

正直、10年なんて月日も感覚的にはあっという間だなという思いもありつつ、自分がアイドルマスターの10thライブに行ったとき「10年もの間このコンテンツを支え続けてきた人たちがいるんだよな…」などと感じたこともあり、その時に感じた大きな節目?を今自分がこうして迎えていることに少し不思議な感覚を覚えています。

 

もちろんだからと言ってなにかを変えるということもなく、これからも健康にアニメを視聴し、楽しんでいられる内はブログの方も続けようとは思っています。本当は自分がなぜブログを書くのかとか、アニメの感想を書き続ける理由などもいいタイミングなので書き残そうかなと思ったのですが、それについて今自分が感じていることを文字に起こすとなにかが崩れたり、これからの自分がそれに縛られてしまいそうな気がするので、今はやめておこうと思います。それに関しては、そのうちどこかで喋ったりするかも知れませんし、しないかも知れません。

 

ただ、10年間アニメ感想というものを続けてきたからこそ一つだけ言っておきたいことがあるとすれば、それはなにがあっても、起こっても。自分はやっぱりアニメが好きなんだということです。それこそあっという間の月日だったとは言ったものの、その歳月の中では身体的にも精神的にもかなりキツイ時期が多々ありました。それは昔から自分の状況を知る方や近年の出来事を振り返ればそれとなく分かって下さる方も居るのかなとは思います。それでも「アニメが好き」という気持ちが消えたことは一度だってありませんでした。だからこそ、ありがたいとも思うし、助けてもらったとも感じてしまうし、勝手に恩を感じてしまうのです。

 

それはこんな場末のブログに来て文章を読んで下さる方々に対しても同じです。ブログは備忘録なんていう捉え方も出来ますが、こうして感じたことを包み隠さず公開しているからには、やはり伝えたくて書いているという部分は多分にあるのです。好きなものを好きだと言える場所、もの。ツイッターもその延長ではありますが、ここ最近はやはり自分にはブログが性に合ってるし、この場所こそがより大切な場所なんだなという気持ちを改めて噛み締めています。

 

というわけで少し長くなりましたが、10年目を迎えての今の気持ちを整理するとこんな感じですかね。これからもマイペースに、自分の感じたままに自分なりの好きを書き起こしていければなと思っています。そして最後に、ここで言うかはかなり迷いましたが、アニメ制作に携わられている方々にも最大の感謝と敬意を。本当にいつも、ありがとうございますと、心から。

 

『イエスタデイをうたって』2話の境界、演出について

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遠望する視線、伏し目がちな表情、逆光から浮かぶその姿へ視線を誘導するレイアウト。陸生から告白された前回から一転、それぞれのその後の生活を描くにあたり、榀子に関しては非常に情感の強いカットが冒頭から描かれ続けていました。同僚や生徒たちと接する時とはまた違った表情であり、伏し目がちな芝居。それは序盤でも描かれた多面鏡、鏡面の演出から通づる榀子の二面性を描くための繊細な演出だったのだろうと思います。

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そういった見せ方は以降、引き続き描かれていきます。その内の一つとして挙げられるのが一話でも印象的に使われていた遮断機と線路脇のカット。前話では晴の登場を予期するようなモチーフとして使われており、二人の間に新しい風が舞い込む如く上手側からやって来た電車ですが、今回は逆 (下手側) からフレームインしてきたことが興味深く、ハッとさせられました。なぜなら、榀子とは逆側へ走り去っていく電車はまるで彼女の過去を象徴するようであり、点滅する警報器の如く過去と今の狭間で揺れる彼女の心情を際立たせているように映ったからです。もちろんこの時点では彼女に何があったのかということにまでは触れられていませんが、その輪郭をそれとなく掬い上げ、汲み取っていく映像は否応なしに榀子の "影" をそこかしこに残していたはずです。

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そういった演出が一番顕著に描かれていたのがこの公園のシーンであり、それ以降に多用された境界の演出でした。陸生と榀子の間にフレームを挟み、画面を意図的に二分していくレイアウト。陸生の知らない榀子の顔、二面性。なにより陸生がそこへ踏み込めないように見せる描き方が強い存在感を放っていました。あくまで自然に見えるよう、そこに在ることが当たり前である街灯を活かしたライティングの巧さも光り、この辺りは榀子にのみ陰を掛けることで境遇の違い、二人の立ち位置の差を明確に描くなど本当に徹底し描かれていたと思います。

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ここも同様です。真ん中で割るレイアウト、フレーム内フレーム。前述したものを詰め込んだようなカットです。もちろん陸生はそれでも食い下がり、彼女に並び立つ位置までその歩を進めますが、冒頭から描かれ続けてきたようにこの時の榀子の心情というものはとても複雑だったのでしょう。その行為に返すよう「同じところ、いつまでもぐるぐるしてるんだよ…」という台詞が彼女の口から零れると、その際にワンポイントでダッチアングルが使われ彼女の心の傾きがビジュアライズ化されるなど、台詞、心情、人物背景を凝縮するようなカットの運びがこのシーンをまた一段と印象深いものに仕立て上げているようでした。

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そして、どうしようもない彼女の心情をそのまま映し撮るような想定線越えのカッティングと境界。「送るよ」と告げた彼の背に重ねてしまった過去の憧憬が、彼女の足をまたその場所へ絡め取るような感覚をグッと感じさせられてしまうカッティングです。現状、陸生には伝えられない彼女の過去と感情。それを映像の側面から徹底的に後ろ立て、言葉に出来ない想いの数々を静かに言語化していく手際。そういった言外の見せ方が主軸に置かれていくからこそ会話のキャッチボールだけでは描き切れない情感が生まれ、その場の空気の流れや質感、果ては登場人物たちが感じている些細な感情までもが強く映像に落とし込まれていくのだと思います。

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ただ、そういった意味では引きの絵の良さ、ナメ構図による覗き見るようなレイアウトが多かったのも影響しているかも知れません。それこそこのシーンはそれぞれが胸の内を打ち明けていくシーンではあったので、前述してきたような見せ方は成りを潜めていましたが、その空間から漂ってくる質感はやはり似たものを感じました。二人だけの逢瀬のような、秘密の共有。心情のやり取り。二人を隔てる壁もなく、ただ見守るようなテイストがまたこの場の空気の流れを強く感じさせてくれていました。逆に想いを打ち明け合うシーンだったからこそ境界・分断するような演出は不要で、ここでは寄り添う二人の様子、ひらけていく視界やその景色を描くことに注力していたのかも知れません。シーン終わりの空をバックに撮るカットの連続、その美しさに溜息が漏れたのもそう紐解き考えていけば強く納得できます。

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そして最後のシーン。ここでは再度、境界と分断の演出が明確に描かれます。榀子の過去を聞き、居てもたっても居られなくなってしまったであろう陸生。だからこそ榀子側に立ち、彼女と向き合うことにも意味は生じるのでしょうが、うまく言葉に出来ず「帰って頭を冷やす」と台詞を残すと、同時に白線の向こう側へと歩き去ろうとしてしまいます。

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ですが榀子が引き留め、過去の話に触れ少し胸中を打ち明けたことで、陸生も覚悟を取り戻したのでしょう。再び白線を跨ぎ、告白の返事を待ち続けることを榀子に伝える様は、前述した公園のシーンからの連続性を考えれば非常に大きな意味を持っていたはずです。踏み込めない、踏み込ませないよう境界を引いていたものを越えるということ。ここまで足元にフューチャーしたカットが複数あったことも、ある種伏線だったのかも知れません。それも誰かが誰かのパーソナルエリアへ一歩その足を踏み入れる、それを見守るための話がこの話数であったのだということでもあるのでしょう。それこそ一話で陸生のパーソナルエリア*1に晴が足を踏み入れたことからこの物語が始まったように、きっとこの一歩が二人の関係を一つ推し進めていくことは間違いないはずです。

 

それこそ今回は他にも晴が榀子の懐へとその足を踏み入れて見せたように、未だ自身の中で抱え込み「いつまでも同じところをぐるぐる」している榀子が次はいつその足を動し、わだかまる境界を越えていくのか、もしくは越えないのか。そんな三人の関係と各々の心情に想いを馳せながら次回以降も楽しみに観ていきたいと思いますし、そう強く思わせてくれた本話にとても感謝しています。

*1:コンビニ裏手の路地

新海誠作品の記憶と、アルバム

昨日公開された新海誠監督のインタビュー動画。Macの広告動画として投稿されたものではありますが、その中で語られた新海監督の作品に寄せる想いなどはとても貴重なものとなっていました。

特に冒頭で語られた「自分で今好きだった風景が変わってしまう前に、その場所のアルバムを作品の中で作る」という言葉は非常に胸に刺さるものがありました。作品内で描かれる美しい背景美術の原点として青春時代に過ごした地元の風景をよく例にあげる新海監督だからこそ、いつの日か見た風景の記憶を作品世界に落とし込むというのは手掛けてきた作品にしっかりと根付いている部分なのだと思います。

 

ですが、それは決して緻密に描かれた背景や場所、その時代独特の空気感に関してのものだけではないのでしょう。なぜなら、新海監督の作品で描かれてきた風景というものには、これまで培われてきた作品たちの息吹もがそこに残されていたからです。現実にあった風景をアニメーションとして落とし込むだけではなく、氏が手掛けてきた数々の作品の風景が次の作品の中へと繋がっていく。それは新海監督作品を追い掛けてきた方であるならば少なからず感じることのできる、紛れもない "物語たちの記憶" に他なりません。

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それは演出、美術、台詞の細部まで行き渡り、私たちファンを "あの頃" の気持ちに引きづり戻してくれる契機にも成り得ていました。代表的なのは『秒速5センチメートル』第三話のラストシーンと『君の名は。』の終盤。前作を踏まえ後作を観た人は擦れ違う男女に言い知れぬ想いを抱いたのではないかと思いますが、それに関しては舞台挨拶で新海監督自身「以前の作品を意識したシーンがある」と語っていたのだから、おそらく意図的ではあったのでしょう。粋な計らい、ファンサービス。もちろんそういう見方も出来るのだとは思いますが、前述した言葉を借りていいのならばこれもまた一つの「好きだった風景が変わってしまう前に、その場所のアルバムを作品の中で作る」ということだと思うのです。

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それは、最新作『天気の子』のクライマックスシーンでも同様でした。階段を駆け上がる帆高を撮るカメラワークと『言の葉の庭』のクライマックスシーンで描かれるカメラワーク、そして階段の踊り場という類似性。そこに込められた意図の違いは以前の記事*1で触れたところなので割愛しますが、該当のカットを観ることで他の物語を想起させられるというのは、やはり今では一つの作品そのものが監督自身にとっても私たち受け手にとっても "新海作品を綴じ込んだアルバム" に成り得ているということでもあるのです。

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そういったことを意図してか意図せずか、冒頭で紹介した動画にそれと地続きなカットが登場します。それが『ほしのこえ』の序盤シーン。非常階段を降りる美加子と、その姿を映したロングショット。前述した二作に先駆け描かれた作品、シーンではありますが、選択を強いる階段、休息の踊り場、抜ける空の美しさなど演出意図はやはり通ずるものを感じさせます。

 

もちろんこういった共通の見せ方や心情描写はここだけの話ではありません。あらゆるモチーフを使い、撮影を駆使し、「描きたいのは、ただの風景というより人間を含めた情景」と語るような新海監督*2だからこそ、重厚な心象描写を媒介にそれぞれの作品が結びついていくのはもはや様式美なのです。

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でも、だからこそ作品の数が増えれば重なる想いも増える。美加子は、佐由理は、明里は。昇は、浩紀は、貴樹はーーと。一つの作品を観ていても、そういった感情の奔流に飲み込まれてしまうのです。それほどまでに新海監督が描く情景描写というものは、一度刺されば二度と抜けないような感傷性をもたらし続けてくれました。

 

けれど、冒頭でも触れたように「好きだった風景が変わってしまう前に、その場所のアルバムを作品の中で作る」のが新海誠作品が持つ一つの側面であるならば、それも仕方のないことなのでしょう。自身の過去作をなぞるのではなく、次の物語へ生かし、投影させ、前へ進んでいく。それは "あの頃の気持ちを忘れないよう" アルバムを綴じていくのと同じ様に、年を重ね作られていく新海監督の作品にはだからこそ必ずと言っていいほど過去に在った物語たちの断片が顔を覗かせるのです。そう感じることが出来るのもまた、私が新海誠監督の作品たちに魅了され続けている理由なのでしょう。そんなことを今回の動画を観て、改めて思い馳せました。

新海誠美術作品集 空の記憶~The sky of the longing for memories~

新海誠美術作品集 空の記憶~The sky of the longing for memories~

  • 作者:新海 誠
  • 発売日: 2008/04/24
  • メディア: 単行本
 

*1:参考記事:走り続けた貴方達へ贈る、祝福のダイアローグ――『天気の子』を観て - Paradism

*2:新海誠美術作品集『空の記憶』インタビュー項に掲載