『超かぐや姫!』について

時々、アニメや映画を鑑賞した後に、登場人物たちが物語の果てに今もどこかで生きているんじゃないか?と物思いに耽ることがあります。もちろんそれはただの錯覚であり、結局この現世を生き続けていくのは我々だけということも当然理解しているつもりなんですが、そう思えてしまうことこそが "物語における妙" という奴で、趣そのものなのだとも思ったりするわけです。

それこそ俗にキャラクターと呼ばれる二次元の存在が時間や空間、物語を経ることでずっと傍に居てくれていると思い込めてしまう力はきっと我々人間だけが携えた特権なんだと思います。あるはずのないものに勇気や感動、喜怒哀楽を含んだあらゆる感情を想起させられてしまうのもその "特別さ" 足る所以で、それほどまでに私たちが "想像する" "夢想する" と呼ぶこの浮世離れした力は時に魔法とも呼べるほどの力を発揮するのでしょう。


それは技術の発展と共に培われてきた映像の豊かさとも直接的に繋げて語ることの出来る現象なのだとも思います。想像を顕現する力。3DCGの発展、ツールの進化がもたらす映像革新が時代を経る毎に私たちを驚かせてくれたことは、言うに及びません。機械音声であったVOCALOIDが歌声を錬成し、息を継ぐことを覚え、ビブラートまで習得した。BUMP OF CHICKENと共に並び歌う歌姫の姿に感動したことも、今思い出せば遠くの記憶です。けれど、それだってきっといつの日に誰かが想像し、夢想した未来の姿でもあったはずですよね。「そんなこと出来る訳がない」と誰かがいった現実は時に覆され、更新されてきた。だから面白いんです。表現や想像する力って。それは私がアニメーションやあらゆるエンタメに恋焦がれ続けている一つの理由でもあるし、大きな魅力だと心の底から感じています。


そして何より、そうして顕現された物語や登場人物が抱える感情を「本物だ」と思えることに私は計り知れない喜びを感じてしまうんです。「ああ、生きてるな」って。「確かに此処に居る」って。最初の話に戻ってしまいますが、そんな風に思えてしまうことーー、ようは想像や空想のなかで起きている筈の出来事が、現実に触れてくる瞬間が堪らなく好きなんです。愛おしいと言ったっていい。映像的に言うとそれは『リアル度合い』なんて言葉にも置き換えられることもあるわけですけど、何も設定や表現が現実的なラインに近づく… みたいな話に限ったものではなくて、単純な言葉とか、歌とか、あらゆる現実離れした表現がそれでも人間の心を打つように芯を喰う瞬間にこそ、それは訪れるんじゃないかって結構思ったりするんです。

心の片隅で「そんな展開ありえないでしょ」って思ってしまったとしても、別の角度で実は感動したりすることってあるじゃないですか。少なくとも私にはあるんです。そういう矛盾みたいなものを抱えながら、何でこんなにも惹かれるんだろうと想いながら、物語や感情がグッと胸に迫る瞬間というものが。

形のない気持ち忘れないように

決まりきったレイアウトを消した

ふと口ずさんだフレーズを掴まえて

胸に秘めた言葉乗せ空に解き放つの

その通りで、表現とか物語に枠組みなんて存在しない。原則や法則とか、そういったものがないわけじゃないけど、そればかりに囚われていても仕方ない。感情のまま素直に。想像の向こう側に。だからこそ映像は、芸術は、アニメーションは面白いんだって、こんなにも感動できるんだって、そう信じたいんですよね。

『超かぐや姫!』に荒唐無稽さがないかって聞かれたら「ある」って私は答えると思います。でも、それでいいし、それが良いんだとも言うはずです。望んだものは自らの行動で掴んでいくことが大切だと思える現代において、この作品はまさにその代名詞とも言える物語を描いていた。真っ直ぐに突き進むかぐやと、葛藤を抱えながら "自身がやりたいこと" を決して忘れずに手放さなかった彩葉。そんなどこまでも感情に素直だった二人の物語だったから結局すべての表現やアニメーションがそこに呼応していたと思えるんです。華やかなライブシーンも、繊細な芝居も、アクションのドライブ感も。表現が先行しがちな場面も、必ずその前面に感情や物語があった。あったと思えた。それがやっぱり私にとっては何よりも大切だったんだと思います。

 

いや、欲張りな映画だなとは思いましたよ。山下さんの画面にとって集大成な側面もあっただろうし、あらゆるオマージュもあったはずだし、エロマンガ先生8話だったなとか、歳納京子のハイライト回転とか、夜桜四重奏とか、壁の薄いアパートでずっとうるせえなあとか、色々思うこともありました。作画とか演出とか。そういうミクロな話をしようと思えば幾らでも掘り出せる作品だったはずです。でも結局、私がこの映画を観て泣いてしまったのはそこじゃない。

 

感情に真っ直ぐ向き合った結果の「ハッピーエンドが良い」という帰結があったから。リアル度合いに寄り添った、昔話に忠実な終わり方より、彼女たちなりの応えの出し方が其処にあったから。だから "想像を超える" 瞬間が訪れるんですよね。それが人の凄さであり強さだし、特権だって言うのは前述してきた通りです。時代を経ることで表現に可能性が溢れ、その礎の先でこの作品が生まれたように。もしかすればこの物語が夢想し望んだ未来のカタチーーかぐやが生きる未来に現実が追いつくことだってあるのかも知れないのだから。これはそのための "可能性の物語" であり "祈りの物語"。それをWEB系アニメーション黎明期から支え続け、今ではそんな枠組みが死語になりつつある現世まで最前線で戦い続けてきた山下清悟さんが監督をされているという事実まで含め、なんだか感慨深いなと思ったりしました。描かれた数多くの原動力が「ハッピーエンドが良い」という明快な答え。本当に愛と純粋無垢な我儘に溢れた映画だったなと思います。また機会があれば観返したい作品です。

そういえばいつの日か、同じようなことを言っていた作品があったなとか。そんなことも振り返りつつ。



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— sirooo (@shirooo105.bsky.social) 2024年12月17日 12:16

話数単位で選ぶ、2022年TVアニメ10選

あけおめ、ことよろ。いつだかのアニメを振り返る意味も兼ね、今回もこちらの企画に参加させて頂きます。

・2022年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。

・1作品につき上限1話。

・順位は付けない。

選出基準は例年と同じく特に面白かったもの、感動させて頂いた話を選定させて頂きました。それ以外は上記のルール通り、放映季順、他選出順に他意はありません。敬称略で表記している箇所もありますが、その辺りはご容赦を。

 

 

86-エイティシックス‐ 22話シン

脚本:大野敏哉 絵コンテ:石井俊匡 演出:石井俊匡

総作画監督川上哲也、杉生祐一

作画監督:成川多加志、真壁誠、伊藤美奈、波部崇、小川莉奈、稲田正輝、樋口香里、安田京弘

 

遅れてきた2021年の刺客。その強靭な演出はある種の極北を描き、人の感情が揺れる様を克明に記すフィルムとなりました。かつてシンが少佐へと伝えた言葉が己自身へと回帰して、新たな景色を目指すための道標へと変貌していく様はあまりにも美しく、本作の命題とも呼べる輝きを放っていたと思います。追い越したいと願う残された者の想い。その一歩が、その言葉が、その背中が。巡り巡って追い越される側の襟を正す。人と人との関係性を "アニメ的演出" で描くというその一点において、マスターピースとなるべき挿話です。

 

明日ちゃんのセーラー服 7話 「聴かせてください」

脚本:山崎莉乃 絵コンテ:Moaang 演出:Moaang 作画監督:川上大志

 

少女達の繊細な感情、その機微とそこから生まれる一挙手一投足を執拗に描いたエピソード。静的なアニメーションと時に描かれる動的なものの振り幅ある表現も、感情の起伏にしっかり載っていて、決して作画だけが物語を追い抜いていかないようコントロールする美的な矜持が本話には込められていたような気さえします。蛇森生静という一人の少女の物語。その断片を「君を忘れない」の歌い出しから指し示していく選曲チョイスには今持って尚、心酔の面持ちです。

 

その着せ替え人形は恋をする 8話 「逆光、オススメです」

脚本:冨田頼子 絵コンテ:川上雄介 演出:川上雄介 総作画監督:中村真由美 

作画監督:小林恵祐

 

少女たちの純粋な想いを一つも取り溢さない様に描く演出の手つき。室内・屋外問わず多角的なレイアウトを駆使して各々の感情を積み重ねていきながら、本当に大切な瞬間は正面切ってその切実な表情を描ける芯の強さは、そのまま本作が携える "好きなもの・人へと向けた情熱" にも語り直すことが出来るのだと思います。光があれば、陰が出来る。好きな人を前にすれば、気持ちが逸る。それをたった一言 「逆光」の言葉で前置きするサブタイトルの秀逸さには一周回って感激させられたり。あとはアニメ有史史上、一番江ノ島の海を過不足なく描いた挿話だったなとか。ワカメ浮いてるんだよなあとか。そんなことにも思い馳せられる、大好きな挿話。

 

サマータイムレンダ 15話 「ライツ カメラ アクション」

脚本:瀬古浩司 絵コンテ:矢嶋哲生 演出:矢嶋哲生 作画監督:西谷泰史

 

私が鑑賞したなかにおいては、きっとこの年一番と言っても差し支えない程の作画回。憎悪、惑い、怒り、悲哀、ありとあらゆる感情が作劇に乗り、表情として映し出され、ダイナミックなアクションへと昇華されていく様はまさしくアニメーションを観る醍醐味に溢れていました。物語的にも一つのクライマックスであり、分岐点。乗り越えられなかった壁をついぞ乗り越えたカタルシスに満ちていたこともまた、視聴後感をよりよいものにしてくれていたと思います。

 

であいもん 2話 「四葩に響く」

脚本:吉田玲子 絵コンテ:追崎史敏 演出:大西健太

作画監督:斎藤香織、北島勇樹、佐藤史暁、Synod

 

やりたいこと、やるべきことの狭間で揺れる美弦の姿と心情を丁寧に描いた挿話。どこまでも等身大で背伸びをしない映像だからこそ、本作らしい間を置いた優しい語り口にグッときます。揺れる恋心の芽生えを知らせてくれるのも趣深く。澄み渡る空の下、歩むその一歩に明るい未来の展望を描く終わり方もとても秀逸でした。舞台は京都、そのバックショットに重ねるものがあったことは、ここだけの話。

 

チェンソーマン 6話 「デンジを殺せ」

脚本:瀬古浩司 絵コンテ:榎戸駿 演出:榎戸駿 総作画監督:齊田博之

作画監督:矢島陽介、山門郁夫、青木里枝、長谷川ひとみ

 

不穏な空気が流れるなか、淀みなく流れる時間を感じられるのが本作の持ち味。まさしく『スカイ・クロラ』の系譜。暴力的なまでのアクションもその成りを潜め、描かれたのは各々のパーソナリティと会話劇でした。謎解きのような性質を持ちつつ、人間関係と恐怖に支配されていく人の様を示していたのも魅力的で、ほぼ室内でのやり取りながら飽きとは無縁のカッティングも演出の妙を感じさせてくれます。あとはやっぱり、アキと姫野の馴れ初め。情感溢れる二人の回想はこの物語に通底する「デビルハンターも生きている」という当然の事実に目を向けさせてくれます。生死と色気は紙一重。初めて覚える煙草の味は、いつだって彼の人間らしさを支えてくれているのでしょう。

 

陰の実力者になりたくて! 5話 「アイ・アム……」

脚本:井上美緒 絵コンテ:中西和也 演出:中西和也 総作画監督野田康行 

作画監督:明珍宇作 アクション作画監督:中西和也 銃器作画監督:北原大地

 

炸裂・中西和也アクションの本懐。遡れば『落第騎士の英雄譚』で描かれたアクションに恋焦がれてから幾星霜、ようやく再会を果たせたと言うべき本作の戦闘シーンはドライブ感と良い意味でしかない大味さに溢れていて、何度観返しても感動させられます。1話からのアトミックな伏線回収も素晴らしいうえに、アレクシアの過去と今を繋げるドラマにまでエピソードが展開されていくのが堪りません。A/B両パートともふんだんに盛り込まれたアクション。陰に潜み、陰を狩る、本シリーズの原点。

 

ヤマノススメ Next Summit 7話 「初日の出、どこで見る?/クラスメイトと山登り!」

脚本:山本裕介/ちな 絵コンテ:斎藤圭一郎/ちな 演出:斎藤圭一郎/ちな

総作画監督松尾祐輔(同一) 作画監督佐藤利幸/ちな

 

ひとり孤独だったあおいの過去と、誰かに手を引いてもらうことで新しい世界と出会えたこれまでと、今度は彼女自身が誰かの手を引き共に歩むことで、また新たな出会いと関係性を築いていけるのだろうという予感を余すことなく描いた二本立てのフィルム。初日の出を拝んだ際の万感の思い込もる各々の表情と、高尾山でのザ・五十嵐・コミカル・海的な、アニメ漫画ナイズドな芝居などヤマノススメらしい作画の豊かさが味わえるのもとても魅力的でした。一番お気に入りだったのはあおいとかすみが一緒に歩くシーンと、アイコンタクトを取り合うシーン。生活芝居の極地。

 

モブサイコ100 lll 8話 「通信中② 〜未知との遭遇〜」

脚本:立川譲 絵コンテ:伍柏諭 演出:伍柏諭 作画監督:伍柏諭

 

徹頭徹尾、映画の様な質感。日中の冒険シークエンスから山頂での夕暮れ、宇宙船内、別惑星でのシーンと、カラーグレーディングの巧みさ、そのグラデーションが余りにも美しく見惚れてしまいます。それこそ映画における色とは "もう一つの言語である" という決まり文句さえ再三言いたくなってしまう様な。そしてそれを物語に沿えるドラマチックさまで含め堪らないエピソードになっていたと思います。表情や芝居づけなど地力度の高い作画が延々と観られるのも最高なポイント。余談ですが、『スペース☆ダンディ』9話を思い出したり。好きなんです。こういうAnotherストーリー的なの。

 

参考記事:2014年テレビシリーズアニメ話数単位10選 - Paradism

 

ぼっち・ざ・ろっく! 12話 「君に朝が降る」

脚本:吉田恵里香 絵コンテ:斎藤圭一郎 演出:斎藤圭一郎 作画監督:けろりら

 

押し入れから舞台へ。結束バンドとしての集大成。彼女自身が「支えたい」と語った仲間達や家族・友人達から向けられる「支え返す」ための視線。最後にはステージから落下するところまで含め、そうしたあらゆるバックボーンに裏付けされた後藤ひとりという少女の半生が、全て本話に込められていたと感じられたことが何よりも嬉しかったです。後半パートは非日常から日常への回帰。けれどその手に残るのは熱の残滓で、明日も明後日も続く彼女たちの日常の中において、"それ" はきっと大きな価値あるものになっていくのだろうという希望的観測で締め括られる映像美がとても情緒的でした。1話のリフレインであった演出もきっとその延長上です。

「俳優や映画スターには成れない それどころか 君の前でさえも上手に笑えない」そんな自虐と哀愁が転がり巡って、誰かの元に届くことを願う、祈りのような挿話だったなとか。そんな風に思います。それと『けいおん!』で始まった私のアニメファンとしての道はここに繋がっていたのか、とさえ思えた感慨まで含めて。本当に一入の最終話でした。

 

 

以上が、2022年度選出した挿話になります。

 

そして、ようやく私の2022年が終わりました。本当は昨年ケリを付けようと思っていたんですが、だらだらと間延びしてしまい、結局2026年まで持ち越ししてしまったのは不甲斐なかったなと思います。ただこうしてしっかり終止符を打てたこと自体は良かったなと思うし、嬉しいので、書けて良かったです。上記の通り『ぼっち・ざ・ろっく!』を筆頭にこの年は私にとっても掛け替えのない作品との出会いが多かったんです。だからちゃんと清算して、整理して、「ありがとうございました」ってちゃんと胸を張って言いたかったので。万感の思いです、本当に。

 

それと2026年の目標はアニメと映画を観る、なので気長にやっていければなって思います。昨年発刊した同人誌のあとがきにも書いたように、アニメブログなんて廃りようのないほどに流行らない時代ですけどね。でも感謝とか、愛情とか、敬意とか。そういう流行り廃りに関係のないものを書き残したくて始めたブログなので、それでいいんだと思います。さながら「ひとりちゃんを支えていけるようになるね」って言ってた喜多ちゃんと同じ表情をしながらそんなことを思い、書いています。未来の自分のために。そして、どこの誰かも知らないあなたの一助になるために。もう自分のためだけに書いてるんだ、なんて、上辺だけの言葉はやめにしたいです。恥ずかしいとか、言葉にするのダサいとか、もうそんな歳じゃないので。まあ温かく見守って頂ければ嬉しいです。v( ̄Д ̄)v イエイ。

 

というわけで、2022年も本当に多くの素敵な作品に出会えました。関わったすべての制作スタッフ・関係者の皆様に大きな感謝を。あと今に至るまで私の活動に協力してくださったり、見守ってくださった皆様にも。本当にありがとうございました。今年もたくさんの素敵なアニメとの出会いがあることを願いつつ。また一年、健やかなアニメライフを送ることができればいいなと思います。ではまた。

C106・編集・頒布後記

C106、終わりましたね。この度は当サークルまでお越し頂き、本当にありがとうございました。イベント前に告知を拡散してくださった方、当日少しでも読んで頂けた方、またご購入頂いた皆様とお声掛けくださった皆様に厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 

「今、同人誌を作らなかったらもう二度と人生で作る機会はないだろう」と見切り発車で申し込んだ3月半ば。当初は余裕をもってやれば大丈夫だろうと思っていましたが、私に "余裕をもってやる" ことなど出来る訳もなく、本当にギリギリまで作業が続きました。表紙と本文、どちらの締め切りも過ぎてしまい、事前連絡をしていたとは言え、印刷をお願いした『みかんの樹』様には大変ご迷惑をお掛け致しました。また担当頂いたKさんには真摯にご対応頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。また私の我儘に付き合ってくださった寄稿者の皆さんにも大変ご尽力・ご協力頂きました。多くの方のお力の上に今誌があることは明白で、私一人の力では完成まで持ってこれなかったと思います。重ね重ね、本当にありがとうございました。

 

他にも「ずっと好きで応援してました」「これからも陰ながら応援しています」と本当に有難いお言葉を幾つか頂きました。私も一般参加時は可能な範囲で応援している意志を伝えられたらなと常々思っていましたが、その言葉を受ける身になって初めて「気持ちを伝えて頂けることはこんなにも嬉しいことなんだ」と、思い知りました。何故かサインを求められたりもして、人生で初めてサインを書くという経験もしたり。見本にサッと目を通して「2部ください」と言われた時の嬉しさとか。初めての経験ばかりがどんどん積み重なっていったあの場所での体験は、二度と忘れないと思います。

 

SNSで知り合って10年来になろうかという方に初めてお会いできてお話したり、数年久しく会っていなかった方が来てくださったり、本当にたくさんの思い出が出来ました。

 

本は全部で60部しか刷りませんでした。出来るだけ多くの方の手に届いて欲しいという想いと、リスクコントロールも考えてこの部数にさせて頂きました。最終的には20部と少し残る結果となりました。初めて参加したなかで色々課題も見えましたが、自分としてはとても有難い結果に終わったと思っています。何者でもない私と、私が信じた人たちのアニメに対する感情を綴った文章。それが書籍になって、40人近くの方の手元に今置いてあるって奇跡みたいな出来事だなって思います。

 

ちなみに残った20部余りは運搬・保管の都合上、会場からそのままメロンブックスに送らせて頂きました。なので近いうちに通販が始まると思います。価格が申し訳ありませんがアナウンスしていた通り、1,000円と会場価格から値上げしております。ご理解頂ければと思います。始まったらXの方でも案内はしますので、もし気になる方がいらっしゃいましたらチェックして頂ければ幸いです。

 

最後に本誌の『終わりに』から以下の文を引用して編集・頒布後記の結びとさせて頂きます。

 

『私とアニメとノスタルジック』――。中々難儀な題材ではあったかと思います。ただ昨今、ありとあらゆるエンタメが存在するなかで、アニメを自分の言葉と気持ちでちゃんと語るということに対し、興味が失われつつあるのかなと感じることがしばしありました。ブログを作ってまで語るとなるとそのハードルはさらに高くなり、私も含めアニメブログ興隆期に存在していたブロガーは減少の一途を辿っていると思います。それでもまだ私は言葉の力や、誰かの感想がまた別の誰かの感想へと繋がっていくことの力というものを信じていたりします。

 

 それと私は〝その人にしか語ることの出来ない話〟というのを聞いたり読んだりするのがとても好きでした。これはアニメ感想というものにも例外なく当て嵌めることが出来て、どれだけ突飛でも、どれだけ自分自身のバイアスとか経験がかかっていたとしても、その人にしか表現できない言葉の強さとか面白さって確かにあるとずっと思い続けてきました。だから、今回はそういったある種、人それぞれが持つ内面性に特化した文章の集積にしたくて、『ノスタルジック』というテーマを選んだ次第です。時には〝自分語り〟なんて揶揄されたりもしますが。その人自身にしか成し得ない〝自分を語る〟という行為ってとても素敵だと思うので、私は良いと思います。もっと自分語り的なアニメ感想が流行ればいいのにな、とも思います。

 

改めて、この度は本当にありがとうございました。そして、お疲れ様でした。

また機会があれば本を作りたいなと思います。今後ともよろしくお願い致します。