『かげきしょうじょ!!』11話の表情と芝居について

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終始芝居が良かった11話。中でも特に気になったカット、シーンについて。まずはAパート頭のお風呂のシーンですが、瞬間瞬間でドキッとするような端正な顔立ちが描かれていたのがとても良いなと思いました。元々のデザインが可愛らしく良い意味で情報量が多くない*1感じなので、話の方向に従って絵の印象を大きく変えられるのかなとは感じます。主人公のさらさの性格も相まってか、コミカルなシーン/芝居もあったり、真面目な話をしだすとこういうキリッとした表情になったり。それも含めて彼女たちが紅華歌劇音楽学校の生徒である所以と思えるのも面白いというか。日常生活が舞台であり、演劇。そんな風に思えたりするのも尚、拍車を掛けて良いです。

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当のさらさがこういった感情の乗った表情をするとグッとくるというのも、ようは同じことなのだと思います。表情がコロコロ変わるのも彼女の良さであり、それが主人公 (舞台の主役) 足る所以。彼女の一挙手一投足が織りなす芝居、その表情がその場をステージにしてしまう。そういう予感があるからこそ、彼女をみているだけでこんなにもワクワクしてしまうのかも知れません。

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物語の感情曲線、その岐路にシリアスだったり感情的なカットが入るとグッとくる、という点においてはこのカットなどもかなり印象に残りました。なんでしょう、あまりうまく言葉にできないのですが、瞳や睫毛あたりの力強さと、あとは前髪の落ち影がめちゃくちゃ良いです。ちょっとした情報が付加 (より強調) されたことで印象も、その時に抱く感情へのアプローチも変わってくるというか。惹き込まれますよね。

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一番好きだったのはさらさと愛が部屋で会話するシーン。ここの芝居やコンテワークにはとても感動しました。皺の入り方やポージングがめちゃくちゃ良い、というのももちろんそうなんですが、芝居の流れがよりその良さを引き出してくれている感じがしました。例えばこのカットだと、愛がさらさの方に向いてポーズを決める、そうするとさらさが反応して愛をみる、そこから会話が発展して愛が最後に頭をかく、という流れが出来上がっています。それぞれの流れがシームレスで自然な芝居で順番に構成され、それがワンカットで描かれることでその場の空気感やふたりの会話のリズムというものがより強く感じ取れる。そういうシーンやカット観ているとなんだかとても嬉しくなれるんですよね。

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このカットなども同様です。少し長めに尺をとってさらさが胡坐をかくまでの芝居をワンカットで描き切る。この辺りのプライベート感も堪らないんですが、そのままカット跨ぎを感じさせるタイミングで次のカットに入り頭から芝居を入れる。カットを分断させないというか。あくまで一つの空間、同じ時間軸の上で呼吸が続いていると感じさせてくれる芝居だからこそ、こちらも観ているだけでよりグッとのめり込むことが出来るのだと思います。

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愛がベッドに向かって歩く、座る、その行動を目で追っていたさらさは愛が座るタイミングを見計らってさらに一段下に腰を落とすことが出来る。呼吸を感じ取れるというのはそれだけ日常風景に近い一幕であるということだと思うのですが、もうこういった芝居はその代名詞だとも言えると思うんです。関係性や空気感をそのまま伝えてくれる芝居、その説得力がこの風景を彼女たちの日常足らしめてくれる。ようは生っぽいというか。ある意味でそれは、舞台にも近いというか。演劇を生業にしようとしている彼女たちの動的な動き/作画が、こういったシーンやカットでより強調されるというのはとても良いなと感じます。

 

そういう意味で言うともう一つここで面白いのは、立ち位置が変わることです。それまで入り口側にあったカメラが大きく逆側へ移動し、愛がベッド側へ渡ることで、ある種の想定線を超えてふたりの関係性を入れ替えてくれる。もちろんここで言う関係性というのは大きなものでは決してなく、愛がさらさへ教える立場に立つ程度のものだと思うのですが、なんだかそういう部分で舞台性をより感じさせてもらえたのは作品性に合致していて面白く、素敵だなと思いました。

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母と愛の回想を経て元のカメラアングルへ。以前、愛の教えは続いていますが、さらさが彼女の言葉を吸収し考えを深めようとする展開へとフェイズが移っているので、舞台的にもさらさが上手に戻る、というのはとても得心のいく流れではありました。くわえてなんだか二人のポージングも演劇感あるな、と感じてしまうのは少しこの作品が演劇をテーマにしてることへのバイアスをかけ過ぎなのかな、と自分自身思わなくもないのですが。でもやっぱりそういう感じはしますね。あとやっぱりカット割らずに立つ芝居をこの距離感で描き切るの。日常風景って感じ。好きですね。

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話が終わるとそれぞれ元の定位置へ。この演技終了みたいな空気感も堪りませんでした。この芝居があるからこそ、逆説的にそれまでの流れがより演技感強く感じられるのもありますし、彼女たちにとってはそこここに舞台の肥やしになるものがあるのだなと強く思わされたりしました。くわえて、もっとメタ的なことを言えば、こういった些細な芝居の豊かさこそがより彼女たちを役者として見立てるための要素に成り得ているというか。芝居作画の説得力がそのまま世界感の支えになり、個々人の身体性を高めてくれることで、より良き役者になり得ることへの足掛けとして機能している。

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紗和が練習をしていた場面なんてその象徴だったと思います。作中では劇本番にもっとも近いシチュエーションではありますが、こういった芝居が描かれるからこそ彼女の演技へ掛ける想いやその執念、実力のほどがより目に見える形で担保されるのだなと。もしかしたらアニメにおいてそれって当たり前のことなのかも知れません*2が、でもやっぱりそういった芝居と物語、或いは感情の関連性を感じさせてもらえる瞬間が個人的には一番感動するところでもあるので、そういうことに改めて気づかせてくれた今回の話を経てより本作のことが好きになれたような気がしています。

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いまだ恋などは分からず、その感情を模索する中で気づくことになった、それとよく似た "まだ名もなき" 感情。その衝動に満ち溢れた姿を彼女の演技・芝居作画を通して描くことの意味は、この物語にとっても、世界にとっても、また奈良田愛という一人の少女にとっても、とても大切なものであったはずです。そして彼女の演技に見入っていた他の生徒たちの感情と、この芝居作画を踏まえた物語に見入っていた一視聴者である私の感情が同期した瞬間でもあったというのは、切に伝えたいところです。

*1:簡略のうまさが際立っている

*2:もちろんそれは例に挙げてきたような些細な芝居だけでなく、大胆なアクションなどでも同じ

*3:1カット目と2カット目の間は中略。本来繋がっているカットではありません。

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『女神寮の寮母くん。』5話。傘を広げたら内側に夜空と月が描かれているっていうのがすごく良いなと思いました。月のパワーが満ちていないと遠出できないせれねに対する粋な計らい。なんだか『sola』を思い出すエピソードでもあったなと。あと貰った傘を広げながら見上げる彼女の表情がやけに良いというか。修正が載っているのかも知れませんが、ここの煽りの絵が良いっていうのはかなり大切だと思うんですよね。彼女にとってこれが掛け替えのないものになっていく証左でもあるし、その細めた瞳の中に寡黙な彼女の感情が映る。それがよりこの話を彩っていたように思います。

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『白い砂のアクアトープ』3話。水の中における光の屈折を生かした演出。腹部が拡大され映ることによって、まだ見ぬ赤ん坊の存在に強くスポットをあてる感じがとても印象的でした。本作が海、水の中の生体や生命からうまくモチーフを拾い上げている作風であったことを踏まえても、この見せ方にはグッと惹き込まれる良さがありました。花瓶に光が反射してハレーションを起こしているのもいいですね。命の輝き、強さ。また花瓶内に母親の手が映り込むことによって画面の情報量がふえるのも素敵です。手が描かれるからこそ映り込むものが腹部であることが強調されているっていうのももちろんそうなんですが、母の手ってそれだけでも温かくて強さを感じる象徴のような気もするので、ここで腹部と一緒に映り込むのはマストなんだなって今回のお話を観ていて思ったりしました。

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小林さんちのメイドラゴンS』7話。同じく水中の光の屈折。アニメシンクロニシティ。あまりこういう尖った?演出を同時期に観ることって少ない気もして、驚いたりしました。被写体のトールが逆向きに映るのが科学的にどうこう、みたいな話に関しては自分は分からないですし、これがリアリティのある表現かどうかっていう話はとりあえず置いておきます。ただ人間の社会に馴染むということ、言い換えればある種、同調圧力のうねりの中に身を置くトール自身が今はその波の中に飲まれているというテーマ性が、この演出意図にかなり嵌っていて驚きました。カップを置き切ると頭部近辺だけが少し水面から顔をのぞかせていたのも彼女の心情に寄り添っていて良いなあと思いました。テクニカル過ぎる。

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小林さんちのメイドラゴンS』9話。水面に反射した光がエルマに映り込むのがめちゃくちゃ綺麗でしたね。それと同時にそのキラキラとした輝きがエルマの純真無垢さをそのまま映し出していた気がして、この話の肝を改めて振り返るとより素敵な演出に映ったりもしました。あとフットライト的な見せ方は最近の京アニのトレンドなのかなっていう気もしないでもないです。意識して観始めたのはユーフォ辺りからですが、なんだかハッとさせられる絵的な美しさもあったりして良いんですよね。この処理は撮影でやっているのだと思いますが、どこまでがコンテ段階、或いは後工程による指示なのかは気になったりします。撮影班のアドリブ的な感じもしますが、果たして*1

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『かげきしょうじょ!!』8話。「あなたと私、ちょっと似てるなって」。その言葉に合わせるようつり革と柱ナメでPANしていくカメラワーク演出にものすごく興奮しました。全く違う世界に生き、違うものに打ち込んできた二人が共通点を見つけた瞬間。その瞬間そのものに特別なことは起きないけれど、二人にとってはその瞬間こそが特別であるということをモチーフとフレームを生かして演出し、後押しする。もう堪りませんよね。カット尻には硬球野球の打球音が先にインサートしてくるのもほんと、最高の流れなんだよなというか。でも薫が手すりの内側に入り切れていないのがここでは肝要というか。入ってはいるんだけど柱で隠れてしまっている。その寄り切れない感じが最終的には彼女の心にそのまま踏襲されている感じもなんだか素敵だなと思いました。

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『ぼくたちのリメイク』4話。扉を隔てのシンメトリー的な構図。徐々に横PANしていくことでその加減が変化していき、二人の関係もまた対等になる。加えて、恭也の言葉が少しずつ奈々子の心を満たしていく感じも素敵でした。スペース的には彼の居る空間が次第に大きくなっていくんですが、画面全体を考えればこれは奈々子の心そのものだからっていう。だから彼の言葉が奈々子の心にスッと入っていけば、それは彼女の心の内を占める恭也の存在の大きさにそのまま直結していくんだよって。

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それに今回のエピソードってある種、扉がキーモチーフみたいになっていたので、余計に前述した見せ方が刺さったというのはありました。関連のものは他にもありましたが、一番意識させられたのはAパートのラストカット。カラオケボックスから出ていく二人を見つめる恭也が閉まり際まで映り続けていたのが、そのまま彼女たちのパーソナルスペースにはまだ彼が踏み込めていないんだなっていう関係性の在り様にそのまま繋がっていく感じがして、グッときました。先ほどの壁際のシンメトリーカットの後にはドアノブにスポットを当てたカットもあったりして、しっかりと "ドアが開く" ことに注釈を入れていくようなコンテワークがとても丁寧で良いなと感じました。

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余談ですが、上記で挙げたようなカットをそういえば他の作品でも観たなというので、思い出したのが『八月のシンデレラナイン』7話でした。多少ニュアンスは違うかも知れませんが、やはり相手のパーソナルスペース/心の一番奥深い部分へ踏み込んでいけない九十九先輩の立ち位置が明確に描かれていて、とても印象に残っています。でも扉が閉まる (動く) のなら開けることだって出来るっていう、相互的な意図が内包されているからこそ、こういった扉に纏わる見せ方って良いんだろうなっていうのはやっぱり思います。

*1:京都アニメーションの撮影は結構こういう盛りだったり過剰な撮影処理をアドリブ的にやったりするという話はあるので

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小林さんちのメイドラゴン』6話。才川のコミカルな性格と現実に根づいた芝居がとても好きでした。後ろに倒れてからそのまま足を上げた状態でカットが終わってもいいような場面ですが、ベンチへ足先が下りるところまでしっかりと描いていたのがツボで、その際に「カツン」というSEがしっかり鳴ることでより現実感が生まれる感じがしました。

 

そのまま同じカットの中でカンナが視線を変えたり、後ろをモブが歩いていたりと時間の流れを感じられるのも素敵でした。やっていることはコメディですが、そういうことも含め、すべて二人で過ごす大切な時間の内側にあるものなのだということを強く意識させてくれていたと思います。奇しくも今回の話は緩やかに流れる時間の中で違う種族が分かり合えていく様を寡黙に描き出していた回でもあったので、お話し的にもこういったシーンをしっかりと描いてくれるというのはなんだか嬉しくも感じられました。静かな川の畔 (ほとり) で過ごす一幕。その日常感、普遍性と芝居の面白さやアイディアが強く噛み合ったカットだと思います。

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死神坊ちゃんと黒メイド』7話。触れ合うことの出来ない二人でも夢の中でならそうすることが出来る。それを強く実感させてくれるようなしっとりとした指先の芝居が非常に感傷的で、感動しました。以前ふれたダンスシーンでの手の芝居 (触れたいのに触れることを自制するような芝居) と対を成しているような感じもして、余計にくるものがありました。また坊ちゃんの分かりやすい指先の芝居に反して、アリスは微々たる動かし方なのも良いです。噛み締めるような、分ちあうような。そんな感情の質感を伴っていたのが素敵でした。

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ラブライブ!スーパースター!!』4話。すみれが意を決してかのんたちの仲間に加わった直後のカット。雨のあとに晴れ渡る空が描かれるというのは物語的にもラブライブ的にも京極さん的にもらしいなと思わざるを得ないのですが、より感動したのはその映し方でした。

 

まるでこの世界はこんなにも広く自由なんだというすみれの実感をそのまま絵に写しとった様なカメラワーク。彼女の足元が映るカットではレンズ感が広角どころか魚眼的にまでなり、よりすみれの視界の広がりを描いてくれていたように感じます。些細ではありますが、足元の体重移動を意識した芝居づけにも痺れるというか。より一歩前に踏み出す感触があって、前のめりに、やってやる!という今にも溢れ出しそうな彼女の感情の奔流を感じられたことが堪らなく愛しく映りした。

*1:サムネ参考画像:

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