最近観たアニメの気になったこととか13

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『葬送のフリーレン』1話。これはフリーレンが新たな旅立ちに足を向けるシーンのラストカットですが、BOOK処理され画面奥からせり上がってくる丘の風景がとてもエモーショナルで良かったです。新しい冒険の始まりを "新しい風景の提示" と同期させ、演出する。これから始まる物語に向けての期待、高揚感という意味でもうまく作用していたと思いますし、それこそこのシーンは盟友ヒンメルを失った後でもありました。そういう意味では現世を長く生きるフリーレンにとって、その死は決して平凡 (恒常的) なものではなかったということが分かるシーンとしてもこの演出は機能していたと思います。

 

上がり下がりを示唆する風景を据え置くことで、死別を繰り返してきたであろう彼女にとってもその死は決して慣れるものでも当たり前のことでもなかった (平坦なものではなかった)、ということを表現するための風景を提示する。言葉数少ない彼女であり、言葉にすることを躊躇う感情が漂うからこそ視覚的に訴える演出の必要性がある。そう言った意味合いが旅立ちに訪れた束の間の静寂に描かれていたのもまた、とてもグッときたポイントです。

あとここで思い出されたのが『恋は雨上がりのように』1話冒頭のラストカット。これも似たような意図でBOOK処理された美術が演出的に描かれていました。これまでと、これからの道のりを示唆する背景と青空の相性の妙。タイトルバックしてくるのも切れ味があって良いですね。凄く好きなシーン・カットの一つです。

またそれで言うと、フリーレン1話のファーストカットと最終話のラストカットで青が基調となる描写を選択していたこともまた、意図があってのことだろうなとはぼんやりと考えたりしました。作中においてはキーカットに必ずと言っていいほど "青み” を足していた本作です。フリーレンにとっての原風景と、今の風景。その両者に青さを足す意味については想いを馳せるだけで涙腺が緩みそうになります。この "青さ" についてはいつか単体記事でしっかり書きたいなと思っていたりいなかったりします。

『Lv2からチートだった元勇者候補のまったり異世界ライフ』8話。フリオとフェンリースが穏やかに暮らす傍ら、人間と亜人族の根深い歴史について知ることとなった直後のシーン。亜人差別という史実の強さに呼応するようにオーバーラップして描かれるマジックタイムの夕景はどこかそんなネガティブな作品感情を包み込む様相を呈していました。グラデーションが綺麗に架かる空が二人の種族を固く橋渡すように。特にフリオがフェンリースを抱きしめるカットはカメラの距離感や光の質感、全てのレイアウトが本当に美しく、この物語を通し描きたいもの全てがここに詰まっているような感じさえ受けました。

 

あとこの手の風景ってやっぱり自分の中ではどうしても三好一郎演出的で、『小林さんちのメイドラゴン』だし、『AIR』だし、『MUNTO』なんだよなという想いもありつつ。言葉に出来ない・し難いものを直感的に伝えてくれるのはいつだって空の色なんだという基軸を、改めて強固なものにさせてもらえたカットとシークエンスでもありました。

異世界のんびり農家』12話。妊娠、出産を経るルールーシーの表情に優しさや慈愛が溢れていくのが絵的に伝わってきて、凄く素敵だなと思わされた話数です。母親になっていくという経験を得ることで、それがもっと表層的に出てくる様になったというか。それをアニメ然として絵的に伝えてくれていたのがとても良かったです*2。人間の暮らしをどこまでも普遍的に描き続けた本作にあっては、環境の変化によって人も少しずつ変わっていくことを特に表現していた場面だったと思います。

『組長娘と世話係』12話。本編を通し描かれてきた霧島の変化と人間らしさの獲得が一番色濃く出たカット。この前後の表情芝居や絵の感じも全部好きなんですが、花弁を優しく触れる指や手の芝居、その手つきからは、彼が手に入れた大切な想いや感情を決して壊さないようにする意志が感じられてしまい、このカットを観ながらついぞ泣いてしまいました。死者に手向けた花に触れる、というシチュエーションも素敵で、感情とは細部にこそ宿るものであるという、とてもありふれた文言を改めて胸に刻むことになったカットでもありました。

*1:サムネ参考画像:

*2:声色(演技幅)での変化も同時に描かれていたのも良かった