高雄統子演出の視線 『ダーリン・イン・ザ・フランキス』5話

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ゴローがヒロに視線を向けるカットの多さが目立っていたのは序盤。ヒロの変化やゼロツーとの関係を見つめる彼の目は特に印象的に描かれていました。レイアウト的にも巧く、どれもヒロとは目を合わせない位置に置かれ、さりげなく彼を見つめるスタンスが際立ちます。これまでもヒロの傍に寄る立ち振る舞いをしてきた彼ですが、おそらくは立ち直り始めたヒロを見守る役目を彼が担っていることも今回そういった立ち位置で描かれた理由の一つなのだと思います。ですが、きっとそれだけではなかったのでしょう。感じる違和感や、異変。そういったものを含めての視線。だからこそ印象的に映る “傍に居ながらのこの距離感” はかなり独特です。

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食事のシーンではイチゴに対しても同じような視線を見せます。バストショットから視線を横に映すと次のカットでカメラは引き、イチゴが前部に映る。ここでも丁度影にかかるイチゴのレイアウトが巧く、ゴローとの対比と距離感が強く浮き彫りになります。

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そしてゼロツーがヒロと部屋を出ていく場面。手を繋ぐアップショットからカメラは廊下側へ。手前に向け二人が走り抜けていくのと同時に、ゴローとゾロメはポツンと廊下に取り残され、バックショットに切り替わります。ゾロメが前へ屈むとゴローの背中が見えるのが非常に巧く、同時にではなくワンテンポ置いてからアップショットの際に振り向くのが “彼だけが感じている” 不穏さを滲ませていて、続く水滴・波紋のカットへの繋ぎとしても強い効果を生んでいたはずです。

 

こういったヒロやイチゴへ向けられた視線の数々は彼が感じている “何か” を映すものとしてとても巧く、機能的でした。彼らしい一歩引いた立ち位置であった筈が、それが裏返り、異変や予兆、不安さの兆しになっていく。そして次は一歩引いたレイアウトに視線を交え、その見つめる先の対象も同じ画面の中に映すことで距離感を感じさせる。狂い始める歯車。影。分断。視線。その全てが “不穏” という一つの言葉に収束していくのを実感させられるからこそ、観ていてこんなにも息が詰まる感覚を覚えるのだと思います。

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あの部屋での出来事はその集積です。感じていた不安が現実になり、一歩引いたままでは居られなくなったゴローは影中へと取り込まれてしまう。視線は外され、また距離感が生まれる。直接話しているのに向き合わないレイアウト。視線の先には相手の顔が浮かんでいるはずなのにその相手に顔を向けることのできない苦悶の表情。もしかすれば、これはヒロやイチゴの変化や異変を描くための話だったわけではなく、その周囲に居る人の不穏と変化をも繊細に描くことへ注力した話だったのかも知れません。おそらく、ゴローはその中でも一番顕著な描かれ方をした人物だったのでしょう。

 

そしてなにより、そういった一人一人が当事者になっていくまでの過程を色濃く鮮明に描くため、互いの視線や立ち位置 (レイアウト) を強く意識させるのが高雄統子という演出家の味なのだと思います。それは過去の作品を遡っても、今回の話を観ても強く感じられる特色であるはずです。

参考:『けいおん!』11話にみる高雄統子演出について - Paradism

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一番それを強く感じさせられたのはこのカットです。画面内に映る登場人物の視線がほぼ違う方向へ向いていますが、一人影に覆われるイチゴをナメにして、それを見つめるゴローがとても印象的に映ります。感情的で、感傷的で、凄まじいレイアウトのカット。多人数を一画面に纏める巧さも相まり、唸らされます。

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続くカット。引き目のバストショットでゼロツーの視線を見せつつ、アップショットでそれを捉える。非常に意志の強い、感情的な表情を真正面から撮ることが出来るのが高雄さんの持ち味でもありますが、今回はそれが脅迫感染みたものにとって代わっているのが面白いです。ですが、意志の強さが芽生えるカットということでは共通項。ハッとさせられるような表情が今回は (良い意味で) 心臓に悪いです。

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この辺りも良いです。視線と距離感。レイアウト。俯くイチゴと彼女を見続けるゴローの対比、ゴローの中に浮かぶ言い知れぬ感情。これまでの立ち位置ではいられなくなったことを示唆するかのような横並びの逆光と構図もパンチがあります。そして、雨とアンニュイ。高雄さんらしいモチーフの配置も冴え渡りつつ、これからへの不穏さを滲ませ続けた画面には心酔しそうになるほどでした。そしてなによりもレイアウトが巧く、視線の置き方が丁寧で登場人物の感情や思考をそこに乗せるのが巧いなと感じます。誰かが誰かを見ている、見つめている。そしてその先に物語を展開していくーー。その軸の太さと演出を久々に味わえたのが本当に嬉しかったです。