『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』10話の演出について

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振り返れば強烈なファーストカットだったと思わずにはいられない枯れ木のイメージショット。以降、度々インサートされる落ち葉のモチーフは小説『最後の一葉』を連想させ、余命幾ばくもない母親の現状を静かに捉えていました。なにより、落ち葉でおままごとをしていた娘のアンもきっとそのことには心のどこかで気づいていて、本編中でも描かれていたようにだからこそ母との残された時間をなんとか掬い上げようとしていたのかも知れません。この物語はそんな子供ながらに繊細な少女の心と、その足が明日への一歩を踏み出す瞬間を非常に丁寧に積み重ね、描いた挿話でした。

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それこそアバンからして、そういった物語の方向性は顕著でした。アンがヴァイオレットに対して抱いた「凄く大きなお人形が来た」という最初の印象を刻み込むためカットバックで彼女の容姿を数度に渡り切り取った意味は大きく、その不吉さも含め、アンの視点に立ったカットの運びとモノローグが、これはアン・マグノリアの物語であることを克明に訴えかけるようでした。まだ掴みどころのない感情を抱いたアンの心にも寄せていくようロングからバストへ、バストからアップへとカメラの距離を彼女へと詰めていくのも同じこと。深く深く、まだ見ぬ少女の心に潜り込んでいこうとするコンテワーク。ぐっと惹きつけられる映像の重なりだと感じます。

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続けざまに描かれるアン主観のカット。知らない人たちへ向けられる視線の置き方。揺れる視界、強張る芝居、彼女を狭い空間へと閉じ込めるレイアウトが彼女の置かれた状況を垣間見せてくれます。不気味に変化していく女性の笑顔も拍車を掛け、やはりここでもアンの心細さというものを丁寧に表現していました。

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孤独さの表現。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』はこれまでもレイアウトから訴えかける心情・映像を描き続けてきましたが、この話数でもそれは変わらないのだろうと思い至らされたカットです。自身が与り知らぬところで進む会話とやり取り、心的距離。足元を映したカットから感じられる寂しさは、私が思うよりも遥かに大きく幼気な少女の心へ覆いかぶさっていたのだと思います。

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そういった心的距離は初対面のヴァイオレットに対してより顕著に反映されていくことになります。以降幾度となく映される物陰にその小さな身体を隠そうとする仕草。子供はそういうもの、という見方も勿論出来るのだとは思いますが、この話に至ってはそれだけアンが母親以外に頼る人がいないこと、だからこそ母親への愛を強く抱いていることを示したいたはずです。

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ですが時が経つにつれ、二人の距離感は縮まっていきます。大きなソファーに一人でだらんと座るアンの姿もまた印象的だった映像の中にあって、やはり二人で座る、ということには大きな意味があるのでしょう。冒頭ではお人形が唯一の話し相手であり母親の替わりであった状況から、今度はしっかりと言葉を返し、受け止めてくれる大きなお人形ヴァイオレットが、母親の替わりになる。その光景はまるで本当の姉妹、家族のようで、繰り返し呼ばれる「ヴァイオレット!」の声色からは最初に彼女が感じていた不吉さはとうに消えていました。

 

特にリボンを結ぶ手がアップカットで描かれていたのはとてもグッとくるものがありました。何故なら、アンの頭を撫でる母親の手を今話は執拗に描いていたからです。それこそ、1話ではヴァイオレットの心情を、5話では隠し切れない愛情を、7話では添える手の温もりを描いてきた本作。なによりヴァイオレットの手といものに一つ主題を置いてきた本作だからこそ、やはり手を映すということにはそれ相応の意味があるのだと思います。故に今話において、ヴァイオレットがリボンを結ぶという行為が “母親” という替え難い存在を浮き彫りにしてしまうのはもはや自明で、ヴァイオレットが母親のようにも映る一方で、決してそうではないことが克明として映し出されてしまうのです。

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それは度々描かれた窓越しに母を見つめるアンの姿が何よりの証拠でもあり、その横顔に、その視線の先に描かれる彼女の想いは決して替えが効く誰かに向けられたものではないのです。京都アニメーションが数ある作品で描き続けてきた慟哭。涙。叫び。それを託されたアンもまた変わらず、自身の心情を母親にぶつけていく。一緒に居て欲しい、寂しいのだと。終盤のシーンでは窓越しではない面と向かっての言葉であるという状況と、カメラが切り返すごとにより感情の込もる声と表情芝居が、その切実さをより強く語り掛けるようでした。

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一方で、今度はヴァイオレットへと感情をぶつけていく。誰かの替わりではなく、相対する相手として。それはアンがヴァイオレットの寝室へと訪れた時に抱いた気持ちから地続きなものであり、相手と向き合うことで描かれる少女の成長に他なりません。その証左となる横構図、「私の腕があなたの腕の様に柔らかい肌にはならないのと同じくらいーー」という台詞に反応するアンの表情。二人の手を同じカットに収めることでその違いを鮮明に切り取っていたのもきっと意図的で、どうすることも出来ないこと、それでも向き合わざるを得ないことを、アンはきっとこの時に知ったのでしょう。

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それでも泣き叫ばずにはいられない。受け入れがたいからこそ、受け入れなければいけないからこそ。なにより、それはヴァイオレットにとっても同じことなのです。逆光により落とし込まれる陰と、彼女の横顔にも刻まれる感傷的な想い。だからこそ紡ぐことの出来る「届かなくていい手紙なんてない」という言葉。そんな彼女たちの姿を映したこのシーンのラストカットは、二人が抱く想いを雄弁に語ってくれていたと思います。虚空に消える泣き叫ぶ声と、声にならない心情。抜ける空の広さがその全てを抱き留めるようで、ただただ胸を打たれました。

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また、最後も向き合うための構図が描かれていたこと、そんな添えるような演出にとても感動させられてしまいました。今度はヴァイオレットだけではなく、母親ともしっかりと対面し、向き合うために。ヴァイオレットを追い掛け門をくぐり、その一歩を踏み出して、また母の元へと戻っていく姿は、些細ながらも克明に彼女の想いとその変遷を描き切っていたように思います。

 

また、奇しくもこの時にヴァイオレットが人であることにアンが気づいたのも素敵でした。大きなお人形としてではなく、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』として。今後50年以上に渡り、アンの心に彼女の存在が刻まれていくのでしょうし、それはヴァイオレットを介し、アンが向き合うことを選んだ結果に他なりません。前話で描かれた「君が自動手記人形としてやってきたことも消えない」という言葉が、そのまま映像として、物語として改めて紡がれていくこと。その喜びは余りにも大きいのです。

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もちろん悲しみを捨て切れず、涙を流すことだってある。それでもなにかの影に隠れ、誰かの間に挟まれ、想いに惑い、俯いていた頃とは違う。空の青さに飾られただ一点を見つめる少女の背中は、決して孤独を映すのではなく、前を向くことの出来る一人の少女の強さを映し出してくれるのです。幾重にも変化していく時の中で変わらず、ただ一つ彼女のみちしるべとなるものはきっと遠く過去に浮かぶ母親の姿。そしてそんな二人を繋ぐヴァイオレットの手紙。エモーショナルなバックショットとその奥行きに、そんな彼女たち3人の関係性が浮かび上がるまでが、おそらくは今回の大切なテーマなのだろうと思います。

 

最初から最後まで。どこまでもアンの心に寄り添った映像であり、物語でした。そしてそんな誰かの人生を受け涙を流したヴァイオレットもまた、アンと同じくもう一歩をこの先の未来で踏み出していくのでしょう。アンにとってはその傍らにヴァイオレットが居たように、ヴァイオレットの周りにも今はその肩を抱き寄せてくれる人たちが居てくれるのだから。

 

コンテ演出は小川太一さん。向き合うことを清々しい青さをもって締め括る映像美がとてもらしく、素敵でした。何度観ても泣いてしまう挿話です。出会えたことに心からの感謝を。本当にありがとうございました。