『アイカツスターズ!』62話の演出について

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まず印象的だったのはこのシーン。快心のライブを終えたローラとこれまで支えてくれたアンナ先生とのやり取りには込み上げるものがありました。「随分と進歩した」という先生の台詞を噛み締めたローラの表情は非常に感情的で、それはこれまでもこの作品がそうだったように成長し続ける彼女たちの心をとても繊細に汲み取ったものになっていたと思います。優しく頭に手を置く芝居も本当に丁寧に描かれていて、先生からローラへの愛情を強く感じられるカットで素敵でした。またこの横構図。上手側に立つアンナ先生、手のアップショットを映したカッティング・配置の仕方はローラが悔しさを溢れさせたあの日を思い出させてくれるものにもなっていたと思います。

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それは忘れもしない、29話『本当のライバル』での一幕。この挿話もローラにとっては大きな分岐点となった話でしたが、あの日、落ち込む彼女の傍に居てくれたのはやはり他でもないアンナ先生でした。ゆめより頑張ったのに勝てなかったと嘆くローラの憂鬱を受けとめた上で、「お前はお前のやり方で輝けばいい」と優しく彼女を諭した先生の言葉。その言葉はローラにとって本当に大きな支えてなっていたはずです。そしてそれは、演出的に観ても想定線を越え映される一面の花畑によって鮮やかに描かれていたように見受けられました。*1

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下手からカットインするアンナ先生。ローラとの話を経て少しカメラが回り込み、花のアップ、花畑をバックに引きながら二人を撮る一連の流れとその際の想定線越え。このカット運びの演出的な意図は、おそらくローラに変化が訪れたことへの示唆であったはずです。ローラが下手に移るのもその証左。それも「個性はひとそれぞれ、全く同じものはこの世にない」という台詞がそのカットの運びと同時に流れたことで強烈なシンクロ効果を生み出していました。まさに全てのカメラワークと語られた言葉が噛み合ったシーンです。まただからこそ、あの場所はローラにとっても新たなスタート地点になったのでしょうし、アンナ先生との約束の地としても今までの間ずっと彼女を支え続けていたのだと思います。それこそ二人で並んだあのカットは彼女たち二人の原風景にさえ成り得ていたのでしょう。

 

それゆえに、今回の62話でローラの成長と一つの節目が描かれた際、あの29話と同じ構図でそれが描かれたことには、やはりとても大きな意味があるのだと思わざるを得ませんでした。ローラの横をゆっくりと通り過ぎていくアンナ先生と、それを背に前を見るローラの表情は “今” が “あの日の続き” であり、ようやく “ここまで来れた” ことを強く示していたのだと。それこそ、置かれた先生の手が肩から頭に変わった、ということも芝居としては十分に強い意味を持っていたのだと思います。「頑張れ」から「おめでとう」というか、そんなローラに対する情愛が添えられていたのではないか、と。

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また、ローラになにかを伝える人が物語の主体となり、上手側に置かれる、といった今回の話のスタンスはローラとツバサ先輩とのやり取りにおいても同様だったように思います。ツバサ先輩からローラへ向けて、という立ち位置や関係性がハッキリと描かれていましたし、そのバトンの受け渡しを前に想いをぶつけるローラの姿・表情は非常に芯の強いアイドルとして映し出されていたと思います。それに、何かが変わる、ということを描くのではなく、一つのものを真っ直ぐ追い掛けてきた人に、同じように真っ直ぐしっかりと手渡していくことが大切であったからこそこの構図は固く守られていたのだとも思います。つまり、このシーンも “あの日(29話)の続き” なんだと。渡すのは先生であり、先輩であり、受け取るのはローラ。そういう関係性をとても大切にしている節が今回の話にはありました。

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そしてツバサ先輩が旅立つ当日。ここでライブ後、初めて立ち位置が入れ替わり、上手側から下手側を向いたローラは晴々とした表情と迷いのない視線を空に向けることになります。云わば、ここが彼女にとっての第二のスタートラインになったということなのでしょう。ゆめに負けたあの日から懸命に努力を続けてきた少女・桜庭ローラの新しい門出。そして次は一つ大きくなった彼女が、その芯の強さと偉大な先輩たちから引き継いだブランドを胸に “伝えていく” のだと。そう考えればここで上手を向かせることにも大きな説得力が生まれますし、そんな風にまで思わせてくれた今回の話はとても美しく一人のアイドルの物語を描いてくれていたと思います。

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しかし、今回物語の主役として描かれたのは決してローラだけではなかったはずです。なぜなら、彼女にブランドを預けた如月ツバサにとってもまた今回の話は分岐点であり、新たな門出の場所であったと思うからです。

 

それこそ、海外への留学は彼女にとっての挑戦に他なりません。S4として得た自らの居場所から、外界へ向け大空に飛び出すように、彼女の物語は今まさにここから始まっていくのです。そしてそれは今回の話におけるローラとも重ねて語ることの出来るものであったはずです。目標や立場は違いますが、未来を真っ直ぐ見据えるその目はきっと同じように目の前へ広がる夢を視てる。そんな風に思える程に彼女たちの横顔は雄弁で、とても煌びやかに輝いていたように思いますし、特にライブが終わってからの撮影効果、透き通るような画面の質感・夕景はそれをより顕著に表現してくれていました。それにもしかしたら、ローラとの対話シーンでずっとツバサ先輩が上手側に居たのはそういう意味合いも含んでのことだったのかも知れません。もう一つの物語とその主役、それはこれから一歩を踏み出すツバサ先輩のための出航式としても描かれていたのだということ。そしてローラたちから遠ざかるように踵を返し、この舞台 (=現行の物語) から降りる彼女の表情はけれど誰よりも輝きに満ちていて。誰かに目標とされながら歩んできたアイドルの、立ち位置の変化。上手向きになることでツバサ先輩はあの瞬間、また挑戦者になったのだと。

 

そのあとに羽ばたく鳥が一転して下手に向け飛び立っていったのも顕著でした。まるで強いアイドルとしての如月ツバサを象徴するようでしたし、それを飛行機に重ねるようオーバーラップしていくのも本当に素敵でした。それこそ今回の空はいつもより、少し青紫がかった色調のものが多かった印象ですが、もしかするとそれは彼女たち二人への祝福だったのかも知れません。全体的に横の構図が多く、引いたようなレイアウトが活きていたのはきっとそんな彼女たちを見守る目線の象徴。感情的になればグッと寄り、けれどある程度は我慢してナメだったり、ロングで耐える。間も大切にする。そういった全てのフィルムの特性が、交わる幾つかの物語を美しく捉えてくれていたと思います。本当に素敵な映像とエピソードでした。

*1:29話の絵コンテは北村真咲さん、演出は米田光宏さん

『エロマンガ先生』8話のフレーム内フレームと演出について

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部屋から出ることが長い間出来なかった紗霧。親族との別れと心の傷が大きな要因であることは間違いないのだと思いますが、おそらく彼女は兄であるマサムネと向き合い、相手の気持ちを知るのが怖かったのだとも思います。自分に芽生えた恋心を受けとめて貰えるのか、同じ想いで居てくれるのか。そんな不安も彼女が足を踏み出せない原因に成り得ていて、だからこそ紗霧は常に扉一枚分ほどの壁を心に作っていたのでしょう。それは今回の話でも同様で、例え部屋に入れる仲にまでなっても彼女はまだ薄いベールで相手の本心との間に一線を引いていたのだと思います。それは打ち上がる花火をしっかりと見つめるマサムネとの対比にもなっていて、だから紗霧はカーテンを引くことができない。それは直接的な描写として、彼女の “外(=相手の心)と向き合うことへの恐怖心” を現した表現でもあったはずです。

 

けれど彼女は力を込めカーテンを掴み、意を決して自らの意思で幕を明けようとします。そうしないと “語り合った夢” の続きを見られない気がしたからなのか、“自分自身の夢” として語った未来に辿り着けないと思ったからなのかは分かりませんが、きっとその辺りの想いが彼女の背を押したのでしょう。目前に広がっていたのは満開の花火と、響く轟音。けれどその時、彼女は同時に兄の心情・願いといったものの片鱗をも知ってしまった。見ている “花火(=夢)” は一緒でも、見方が違ったのだということを。モチーフ的な視点で見れば画面内に描かれた二枠の窓によっても、それははっきりと描かれていたように思います。

 

二人の間に境界を引くようなシンメトリーのレイアウトと構図。バックショットで二人を並ばせながら、フレーム内フレーム(窓枠)によってそれぞれの視界を分割する印象的なカット。そしてそこへ重なる「やっと分かった、兄さんは家族が欲しいんだ」という紗霧の台詞。一方通行の視点ではなく、同じ場所に立って、同じものを見て、同じ景色を共有してしまったからこそ分かった兄の妹に対する想い。美しくも残酷なこのシーンは、そんな意に反したマサムネの回答と紗霧の心情を非常にエモーショナルに描き出していたと思います。

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けれど、そんな儚さも消し飛ぶくらい強く微笑む紗霧の表情は決してネガティブなストーリーを予見させるものではありませんでした。映り込む花火の光に照らされ浮かぶ彼女はなにかを決意したように “こちら” を振り向き、「ちょっとだけ妹の振りをしてあげる」と語り掛けてくれました。自らのフレーム(=想い)の範疇で相手を見ることをやめ、その枠組みから視線を外すことで紗霧の視点が変化したことを描く。だから正面のショットになる。それは向き合うことに繋がっていくはずだから。

 

自分の感情に固執し、私の気持ちに気づいてもらえないと嘆くだけでは決して前へ進めない。だからこそ「妹になんかなりたくない」なんて言葉の後に「でもしょうがないから」と伝えてみせた彼女の姿はとても美しく芯の強い印象を与えてくれたように思います。紗霧の言葉を後押しするようなカメラワークと、モチーフの連鎖。花火が彼女の表情を淡く照らし出すのも同じことでしょう。彼女の強さと少しの変化を映し出してくれた素晴らしいシーンでした。

 

演出は若林信さん。本当に素敵な挿話でした。レイアウトや人物の距離感、情感の強さが素晴らしくて感動しました。もちろん竹下監督のこだわりも多くあるのだとは思いますし、芝居の感情への寄せ方などはこれまでの話を観てきても作品全体として通底している気はします。

石浜真史さんの映像と演出について

石浜さんのオープニングやエンディングの見せ方・演出に関してなにかしら書いている方は多いと思いますが、自分の中でも定期的に印象をアップデートしておきたい気持ちが強かったので今回備忘録も兼ねて書くことにしました。特に今期では『GRANBLUE FANTASY The Animation』『冴えない彼女の育てかた♭』のオープニングアニメーションを担当されていて、その二つの作品を観ているだけでも色々と気づく点が多かったです。

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ロゴの多彩さ、作品とのイメージの合致、モチーフ、デザイン性の強い映像など特色を挙げれば切がないことが石浜さんの映像の魅力ですが、その中の一つにシルエットを使った画面構成の巧さはやはり含まれると思います。謎を覆い隠すような印象、エモーショナルな印象、そのどちらをも含む場合もあればビジュアル的に格好良いというのももちろんあります。ワンカットに力強さと格好良さが同居するのは石浜さんの映像における醍醐味でもありますが、こういったジャケット的とも言える構成のカットはやはりそう思える大きな要因になっています。

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同じくタイポグラフィ的な巧さ、クレジットの置き方の格好良さは今回の映像を観ても一入です。『N・H・Kにようこそ!』や『R.O.D - READ OR DIE -』から端を発するような格段にデザイン性の強いものもありますが、どうすれば映像の一部としてクレジットを取り込むことが出来るか、という点に関して言えばこれらの作品もその流れを汲んでいるのだろうと思います。シルエット同様、以前から使われている表現ではありますが、その秀逸さに改めて気づかされる洗練さが今回の二作には盛り込まれていました。*1

 

冴えない彼女の育てかた♭』に関して言えば写真を切り張りしたような見せ方も二期らしい雰囲気があってよかったです。なにより石浜さんの映像は個々の登場人物が持つ物語への寄せ方が上手い、という印象が常にあります。カット的な重さを軽減するためという意味合いもあるのかも知れませんが、一人一人をワンカットで捉えていくのは非常に作風に合っていて上手いです。グラブルの方もそうでしたが、個々の物語を大切にするというのはそれぞれが抱くパーソナルな部分に必ず寄与していきます。もちろんオープニングなので詳細には描かれませんが、ある程度余白があった方が想像も膨らむ。むしろ想像の余地を残してくれる、というのは観ていて色々考えられるので非常に楽しいですし、内面を切り拓いていけるからこそ感情的なポイントにもなり得るはずです。

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またカッティング時にオーバーラップをするのもそれと同じなのだと思います。石浜さんはこの繋ぎ方をよく使っていると思いますが、そこに物語へリンクするような意図があるにせよないにせよ、カットが重なるというのは非常に意味深で、謎めいて見えます。フラッシュバックのようにも見えますし、前後の関連性があるのではとつい感じてしまう面白さがあるということです。つまりは想像の余地がある。動的な快楽ももちろんですが、それとはまた別の映像を考える楽しみができるからこそ何度も観返したくなるのだと思います。それは多分意図的で、そういったトリックの仕掛け方も石浜さんは凄く巧いのだと思います。

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N・H・Kにようこそ!』のようなトランジションもよく使われることが多いです。『Aチャンネル』『ヤマノススメ セカンドシーズン』などはその系譜の素晴らしいフィルムですし、ポップな曲調と映像を噛み合わせる時の特色的な手法なんだろうと思います。ですがドライヴ感のある曲やダークな曲調ではやはり後者の方が合うように感じられますし、むしろそういった形でどんな主題歌・作風にも “らしさ” を合わせることが出来るのが、石浜さんの強みなのでしょう。もちろん、どちらがということはありません。そのどちらも使いこなせることが石浜真史の作家性そのものであり、魅力なのだと思います。*2

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さらにドライヴ感のある映像に着目すると、そういった快感を助長している見せ方としては前後に置いたブックをスライドさせてカメラを平行に動かすように見せるものが挙げられます。上下・左右の運動どのパターンもありますが、回り込み風に見えるよう巧みな仕掛けをしているものもあって多彩です。都会・ビル群・フェンス等を活用することが多い印象ですが、どれもそれぞれの作品を意識している感じがあります。『Occultic;Nine』の非常階段を使ったものは、陽の遮りを見え隠れする世界と同期させている感じがして好きです。それぞれ作風に合ったモチーフを選んでいるのだろうと思います。

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これらも回り込み風のカット。実際回り込みを作画でするとかなり重いカットになってしまいますが、それを演出面でカバーする。そしてそれが非常にエモーショナル且つ、躍動的に見える。特に『冴えない彼女の育てかた♭』のカットは前後の草木をスライドさせ回り込むことで走る人物の前に青空を広げる、という非常に鮮烈で青春的なイメージを想起しやすいカットになっています。青春群像劇である作品だからこそ、より個々の登場人物にスポットをあてることが大切になるのだと思いますし、そういったところを絶対に外さないセンスと物語への寄り添い方は本当に素晴らしいです。

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また近年では珍しかった石浜さんコンテ演出回*3、『四月は君の嘘』5話。ここでもオープニングやエンディングでよく使われていたスライドの回り込み風カットが使われています。物凄く面白いカットですが、シリアスなシーンと相まって不思議な感覚になります。人物もスライドさせることで距離を出し、強い回り込みのイメージを与えてくれます。そしてその距離感が心の不安に繋がる、という場面でもあるのだと思います。「目が曇ってる」と伝える友人のカットではズームとスライドが重なりより核心に迫るイメージ。他にもこの回は演出・作画的にすごい回で印象深いです。

参考記事 : 『四月は君の嘘』5話の演出を語る - OTACTURE

 

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瞳のアップ、または瞳だけを画面に浮かび上がらせるようながカット多いのもよく見掛けますが、こういうぎろっと視線を変えるような瞳の動きは演出でコントロールしているのでしょうか。

 

また、瞳が多く描かれるというのはそれだけ視線的なものを表現しようととしているからだと言い換えることは出来るように思えます。なぜなら、前述してきたように石浜さんは物語や作風へ映像を寄せる感性が非常に優れている方だからです。そしてそれは誰が誰を見つめているのか、何を見ているのか、その目に世界はどう映っているのかということをきちんと捉えてあげることにまで繋がっていくはずです。もちろん絵的に格好良いという理由で使っている場面もあるのだとは思いますが、ああいった物語や感情を映す鏡のような瞳をフィルムに乗せられる演出家の方がそれだけの理由で一つのモチーフをあそこまで多用するとはなかなか思えません。

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例えばこういうカット。ここまで来ると瞳がどうこう言うより、瞳を中心に据えた表情やレイアウトといった感じですが、これらのカットは非常に物語的だと感じます。なにを考え、なにを想っているのか。その辺りに探りを入れたくなるカットですし、感情的です。先程挙げたものとは少し遠い所にあるかも知れませんが、個人的にはこういったものも含めて石浜さんの瞳のアップショット、という感覚があります。特に恵のカットはフレーム内フレームでトリミングされてる感じがあるので、余り二つのカットに意味合い的な差は感じません。*4

 

ただまあ、その辺りはまだ自分の中でも整理し切れてない部分があるので、もう少し整理しておきたいです。あとは相変わらず主題歌の音や歌詞の捉え方・解釈の仕方は抜群に面白いですし巧いですね。音と映像がセットで頭の中に入ってくるので本当に観ていて楽しいです。そしてその映像はこういった細かな見せ方・演出の集積であることが今回書いていて改めて気づけたことの一つでした。一つ一つの表現を観ていっても楽しいですが、やはりそれらが合わさった時の快感は凄いです。その他にも色々思うところはありましたが、それも纏まったらいつか。今回も余り上手く纏められませんでしたが…。とりあえずそんなところで。これからも石浜さんが手掛けるオープニングやエンディング、楽しみにしています。

 

 

以下、石浜真史さん関連の参考記事

石浜真史のオープニング・エンディングのメモ - あしもとに水色宇宙

映像のマジシャン石浜真史 ― 『ヤマノススメ』 への系譜 - Paradism

アニメOPEDの“スピード感” - OTACTURE

アニメOP演出試論 ―映像が刻むビート― 中編 - OTACTURE

*1:冴えない彼女の育てかた』には参加されていないようですが、テロップデザインやその周辺の巧さに関しては長年タッグを組んでいる森崎貞さんの影響も大きいのだと思います。

*2:オーバーラップが使われる演出は石浜さんが担当していない他OP・ED・本編通してもよく見られますが、ここでは文章の流れを考え敢えて石浜さんの特色としています。もちろん、そう感じたことに偽りはありませんが、石浜さんに限った演出手法では決してないことを注釈します。

*3:演出は小島崇史さんとの共同

*4:画面前景の蔓のようなものとテロップで左上部を囲うことで恵の表情に視線誘導している印象があります。それをここではフレーム内フレーム、画面構成でのトリミングと呼称しています。