『ぼっち・ざ・ろっく!』1話の演出について

ファーストシーンにおけるままならさ、孤独感、色褪せた世界の質感。そこへひとりの語りも合わさることで、このシーンから彼女の出自や当時の感情を知るのはかなり容易なことであったように思います。"独り" であることへの鬱屈とした想い。それを多角的な方面から演出するカメラワークやレンズ感。直接的に人の内面を画面に起こすことへの躊躇いは感じつつも、どのように描けばその内面をしっかりと伝えられるかに注力したフィルム。このアバンを前にしてはそう思わずにはいられないくらい、後藤ひとりという一人の少女の背景を非常に繊細に切り取ったシーンとなっていました。

例えば、スッとカメラの距離を離し、ロングショットで客観的に見た彼女の立ち位置を図ったり。マッチカットを使ったトランジションのシームレスさもそうですが、こういうカットの連続があるからこそ短い時間の中でもグッと受け手の感情を前のめりにしてくれるのだろうと思います。フッと差し込まれる地に足の着いた芝居も同じことです。リアル調な、等身大の芝居が描かれることでグッと現実感が増していく。その際に画面から醸し出される寂寥感はフィルムの質感を高めることにあまりにも大きな役割を担いつつ、本話の軸の一つにもなったいたのでしょう。

広角カットの多さも同様です。この世界の中でポツンと佇むひとりの姿を映すためのレンズ感。それぞれのシーンに対し不自然にならない形でこういったカットが差し込まれる (地続き感を失わない) のがまた堪らないなと思うのですが、こういったカットは彼女の心的立ち位置を映す鏡にもなってくれている気がして凄く良いなと思わされます。画として面白いけど、苦しいような。コメディチックに描かれることが多い本作なのでそういった感情ばかりを想起させられるわけでは決してありませんが、どこか "生きるって辛辣だ" ということを寡黙に伝えてくれている様な気がして、時たま胸を刺される感じになってしまいます。

例えばこういったロングショットの広角カットとかも、全部そうです。時たまナメで撮られるのが最初のアバンと重なってよりつらく感じてしまったりするのは考え過ぎなのかも知れませんが、シーン毎や動きの中での転換点にこういったカットが描かれるのがまた余計に効いてきます。それにこういう定点的なカットって現実感がかなり強いと思うんです。もしくは作品のリアル度合いを押し上げてくれていると言い換えてもいいのかも知れません。それがさらに長めの尺で映されたりすると尚更で、モノローグの多い作中にあってふと "独り" であることに立ち返させられてしまう瞬間がこういったカットにはあるのです。それがコメディタッチのカットから話を引き戻す際の切っ掛けとしても使われていたりするのは面白く、本作のオリジナリティだなと思ったりもするのですがそれはどちらかと言えば演出の副産物であって、やはりこういったカットを描く意味の中核には "彼女の孤独感" を描くことがあるんだろうなとは感じます。

コメディタッチからの現実感、という話で言えば最初にふれたリアル度合いの強い芝居の使い方においても同じことが言えるのではと思います。例えばこういうカット繋ぎとか。

こういう繋ぎと芝居とか。PANの速度や表情なんかはかなりコメディよりで話している内容、モノローグでの掛け合いなんかも右に同じなんですが、繋ぎのカットに現実味の強い芝居を地続き的に描き据えることでシームレスさを失わない (物語が分断されない) というのは本当に本作の強みだと思います。BGMもだいぶ愉快な感じだったり、アゲサゲがハッキリとした曲が使われていた印象なんですが、そういった極端な表現をなだらかに収束させていくような雰囲気も、こういったカットの繋ぎには感じることが出来ました。平たく言えば観ていて違和感がないので、物語や彼女たちの心情をより切に感じられるんですね、それが堪らなく嬉しいというか。

ライブハウスに着いてからも相変わらずな広角カットの連続で、ひとりの孤独感やよそ者感をより一層際立たせていました。ただそんな中でも変化はあって、少しずつひとりの世界の中に誰かが入り込んでくる様に広角カットの中に "他人" が描かれていくようになったというのが本話後半の肝でもあったのでしょう。もちろんシチュエーション (環境) 的に考えれば人を画角に入れざるを得ないというところはあるんですが、それ以上に彼女の世界に誰かが入り込んできたという風景を描くことで生じる意味合いは余りにも大きいものであったように思います。

 

そして、それはインサートされた過去の記憶とも比較できる描写であったはずです。広角カットによってひとりとそれ以外の人との距離感がより強調された形にはなってはいたものの、誰かが傍に居る、周囲がひとりを認識しているという事実は彼女にとって余りにも大きな "世界の変化" であったはずだからです。だからこそ序盤から描いてきた広角カットがより一層生きるというか。それは地道に積み重ねてきたカットが、想いが、彼女の人と関わろうとする努力が、少しずつカタチを成していく過程に他ならないのです。

その集大成とも呼べるカット。もはや魚眼レンズ越しの様なカットではありますが、ライブを終えた中、ひとりからすればこれほどまでに心的距離が出来ている状況下であってもその距離を自ら詰めていく彼女の姿からは、少しの笑いとささやかな感動を感じずにはいられませんでした。心を打つのはいつだって少年少女たちの変わろうとする一歩なんだなというか。もちろんここまで述べてきたような解釈は意図的でないのかも知れませんし、ただの拡大解釈に過ぎないのかも知れませんが、でもそれでも良いんですよね。そんな風に物語や世界の在り方、なにより彼女たち自身のことを大切にしているように "感じられる" ことこそが、アニメを観ていて何よりも楽しさを実感出来る瞬間なんですから。

それこそ、ここで描かれたひとりの変化は他人から見れば本当に些細なものなのかも知れませんが、当人からすれば世界の景色がまるで変ったように映るほどの変化だったのかも知れないなとか。そんなことがはっきりと伝わってくるラストシーンを観返してはただただ余韻に浸るというルーティーンを、今は繰り返しています。変化するライティングと表情の綻び。ああ、明日はもっと明るい一日を過ごせるかも知れないなという予感。と同時に最後には "ひとりらしい" 出来事が起こるのも微笑ましく素敵な瞬間だったのではないかなと思います。それこそここまで語ってきたような描写の数々が今後彼女の変化とともにどう変わっていくのかなと、そういった点も今から本当に楽しみで仕方ありませんし、どうか彼女の物語に幸せが満ちますようにと、そんな風に願わずにはいられない1話だったなと強く感じています。