アニメにおけるFIX・長回しの芝居について

先日『のんのんびより のんすとっぷ』1話のアバンを観返していて、この間の持たせ方とか雰囲気の出し方って、この作品の特別な色にすらなってるよなとか、そんなことを考えていたんですが、改めて1期や2期を振り返っても記憶にあるのはやはり同様のFIX(カメラ固定)、長回し気味のシーンやカットが多く、思い返すとこの類いの見せ方が自分は本当に好きなんだなということを久しく認識させられたりしました。

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特に印象に残っているのは1期4話のこのカット。FIX長回しのカットで言えば2期12話で描かれた縁側のシーンなども素晴らしいのですが、個人的にはやはりこのカットが一番印象深いです。こういう形で背景がしっかりと舞台として機能している*2のも新鮮で、一度高い場所に登って降りてくるという導線や芝居が、空間の広がりと好奇心旺盛なれんげ自身の子供らしさや性格を彩ってくれるようにも感じます。

 

そして何より、カメラが固定され動かず、長回しをするからこそ撮れる映像の質感がこのシーンにはあるというか。むしろ、それがここで長回しを使う意味でもあるというか。自然体であり、恣意的に構成されていくようなカッティングで描かれるものとはまた違う、より日常に近い生活風景の一部が "描かれていると感じてしまう" んですよね。歩きながら草葉に触れたり、ちょっと高いところを歩いてみたり。私たちが普段の生活の中で意識せずやってしまうような動きを捉えられることもそうですし、それを一定の位置から撮り続けることで得られる時間感覚の共有や感傷性もそうでしょう。意図的にカメラをクローズアップさせないからこそ生まれる自然、風景としての質感と、意図的にカットを割らないからこそ生まれる時間の流れ。そうしたものが相まることでさらにはれんげ自身の感情がここで一つ育まれ、それを見守る私たちの心にも感傷性が宿る。そういった一つの流れをもつくってしまう強さが、こういったカットにはあると思うんです。

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魔法使いの嫁』9話。降りてくるまで(二人がフレームインしてくるまで)に聞こえてくるチセたち二人の会話、それを敢えてこのレイアウトで待ち続ける意味とかもそうだと思うんですよね。時間間隔と、風景としての生活の一幕。それをこういった距離感で捉え続けることって、やはり物語への没入感や、登場人物たちがこの世界で生きていることへの実感をより強くしてくれるものなんだなと感じます。

 

それこそ丁寧な芝居作画も同様で、会話をしながら降りてくる芝居の速度感、四足歩行のルツが無事階段を降りてこられているかを確認する間芝居、その感情とか。先ほどの『のんのんびより』のカットもそうですけど、こういった何気ない、とても自然体に見える芝居って本当に描くのが難しいと思うんですが、でもだからこそ、そういった些細な仕草や芝居がそれとなく描かれるからこそ、逆にこういった撮り方がより活きることってあるというか。むしろ繊細な芝居が描かれることが、生活風景をFIX長回しで撮ることの前提だったりもするんだろうなとかも感じたりしました。けれどそういった難易度の高いカットをシーンの中に組み込む意味は前述してきたようにやはり大きいもので、だからこそこういったカットを話の中で観てしまうと「ああ、良いな…...」という面持ちにさせられてしまうのでしょう。あとはカメラが動かない、カットを割らないからこそ、余計に "その世界を覗かせてもらっている" という感覚が強く芽生えたりしますね。これはバラエティ番組とかでよく見る仕掛けカメラとかの感じともしかしたら似ているのかも知れません。

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涼宮ハルヒの憂鬱』28話。「サムデイ イン ザ レイン」というサブタイトルでお馴染みのこの回ですが、このカットも個人的には凄く印象深く、好きなカットです。これまで上げてきた中で異色なほどに長回しの時間が長いカットではありますが*3、ただひたすら本を捲り、待ち続ける長門の心根に寄り添うことが出来るカットであることは、『涼宮ハルヒの消失』を鑑賞した後であればより実感できるのではないかと思います。

 

前述した二つのカットとはまた少しテイストが違うようにも感じますが、時間の流れやこの世界、或いはこの場所の空気感を味わうことが出来るという点では特に大きな違いがあるようには思いません。これが長門の日常であり、その風景の一部。それを見守りなにを感じるかを各々受け手に委ねてくれる豊かさがあるのも、こういったFIX長回しカットの素敵さなのでしょう。

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『22/7 あの日の彼女たち』7話。約13秒ほどの長回しですが、生活風景を切り取る、彼女たちが生きる世界を覗かせてもらうという点において、本当に素晴らしいカットだと思います。枝豆の皮をむき続けるという芝居が描かれる中で続く、他愛もない話。夏の質感と、関係性と、これが二人で過ごす時間の在り方の一部なんだと感じられる情感。これまで触れてきたことと重なるので多くは語りませんが、こういったカット、シーンの存在が物語を知り、体感していくうえでとても重要な基盤になるのだなと強く思わされます。

 

これまで上げてきたものと少し毛色は違いますが、『22/7 あの日の彼女たち』2話なども同じような質感というか、根底にあるものは近い感じがして凄く好きな挿話です。というかこの作品はどの話数も "日常の風景の一幕(それはアイドルとしてのものも含め)" を撮ることがテーマの根底にある気がしていて、毎話グッと気持ちを揺さぶられた作品でした。

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同じようなFIX長回しのカットは他にも色々な作品にあるでしょうし、私自身もう少し上げようかと思っていましたが、あまりやり過ぎてもと感じるのでこの辺りで。最後に『のんのんびより のんすとっぷ』OP序盤のカットを。OPというまた本編とは違う構成が求められることが多い映像の中であっても、本編となにも変わらず、こういうカットを盛り込める『のんのんびより』って本当に素敵だなと思います。

 

きっと、いつだって撮りたいもの、描きたいものの根底にあるのは彼女たちが過ごす時間とその生活風景の一幕。それを覗かせてもらうよう静かに、ひっそりとカメラを向け続ける美学に最大級の賛辞を贈りたいと思います。

*1:サムネ参考:

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*2:背景に描かれた特異的な場所やプロップが、映像を構成する一つの要素という側面だけでなく、アニメーション(動的なもの)の一部として落とし込まれていく

*3:このGIFは街頭カットの一部切り取り