『セントールの悩み』9話と想定線越え、演出について

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本編AパートとBパートが対になった今回の話。Bパートで描かれた老人の過去を知ることで、握手の意味と両棲類人である相手に手袋を取って握手するよう語り掛けたことの真意が明らかになる構成でしたが、その描き方・演出が余りにも自然にカッチリと嵌っていて息を飲みました。種族間の壁を取り払おうと努力する者と、過去に迫害に会い壮絶な人生を歩んできた者。そんな二人の理念や想いが種族の壁を越えるように、両者の間に引かれた想定線を越える(二人が逆位置になる)演出。*1

 

なにより、これは私たち視聴者が “気づく” ことに同調した演出にもなっているのが素晴らしいと思います。握手を介し二人の中で何かが変わる、という意味合いよりは、老人の過去と両棲類人であるジャンの現状をその目で見た視聴者の中で、握手の意味合いが大きく変化する瞬間。それこそがBパート終盤に描かれた想定線を越えての再演、あの握手であったはずです。むしろ、今回のフィルムからはあの画を描くために周囲の映像を固めていたような風合いすら感じられました。流れるようなシームレスな映像運び。隙のないフィルムコントロール。これは私の妄想ですが、もしかすると今回の映像化はあの二つの握手の画から逆算しての賜物であったのかも知れません。

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またA・B両パートにおいて同ポのカットが握手シーンの再演のため意図的に使われていたと思いますが、Aパートでは真意を悟らせないため影を掛けたりと工夫が見れたのも面白かったです。心が晴れることに天候が変化したり、陰から陽のあたる場所に出たりなど、アニメでは多く使われる表現ですが、これも握手シーンにおける想定線越えと同じように、彼の過去を知った視聴者の心情に同調するようつけられた効果なのだと思います。最初は少し高圧的でなにを考えているのかが分かり難かった老人に対し、回想が明けるとともに影を払う。受け手に対しても、彼らに対しても、寄り添ったフィルムだなと感じられます。

 

内容自体は非常にシビアで直接的な描写が溢れるものでしたし、私自身は本来、ああいったシーンが余り好きではありません。Bパートは特に劇伴も抑えめで、単調な色合いと生々しい吹き抜ける風の音がより世界の拠り所のなさを煽っていたのもあり、観ていて閉口する他ありませんでした。けれども今回の演出を含め、この挿話を素晴らしかったと思うことが出来たのは、本作がこれまでもそうであったように真っ向から “様々な形態の人種の世界” というものを描いてきた結果なのだと思います。それは直接的なものや、ほんの些細なもの、台詞の積み重ねもそうでしょう。今回の挿話はそんな本作だからこそ生まれたフィルムだったのだと私は思います。

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ですが今回のテーマ・サブタイトルは『世界で偉人と言われている人の苦悩と人生』。だからこそ違いもあれば、好みや苦手なものはお互いにある。そんな一面もしっかりと描いてくれた紅茶のエピソードが凄く良い塩梅だったなと思います。“同じだ" と思い込むだけではなく、“違う” ことを受け入れてから始まるというテーマは『亜人ちゃんは語りたい』でも描かれていましたが、その辺りのカバーはさすがだなと思いました。EDが英詞に変化していたことまで含め、一貫したエピソードだったなと感じます。凄く良かったです。

 

コンテは葛谷直行さん、演出を球野たかひろさん。コンテがいいのはもちろんだと思いますが、演出の球野さんはこの他に一話数の演出処理のみなようです。新人の方であれば監督含め他の方のご助力もあったのかも知れませんが、どうでしょうか。今後も見かけた際は注目していきたい方です。

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*1:実際は同一シーン内における地続きの映像ではないので想定線が、とは言えないのかも知れませんが、同一シーンにおける再演(違う見方による同じ時間軸の描写)であるため、そうのように扱っています。

フールズ・ゴールドと物語、そして人――『Re:CREATORS』を語る

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本物の黄金と酷似した鉱石、フールズ・ゴールド。これを気に入っている、と語ったのは本作の登場人物である築城院真鍳ですが彼女はその理由を次のように語っていました。

「私がこれを気に入っているのはね… 欲をかいて一喜一憂、こんな “くだらないもの” のために死んだり生きたり争ったりするのが見てて幸せ感じる瞬間なわけなの。それはね、本物の黄金で死んだり生きたりするよりも、もう一つ輪をかけて頭が悪いじゃん。超笑えるよね… それが人。それこそ人。私はだから人が好き。」

姿形が似ているからと言って黄金の価値に似通った価値がこの鉱石に生まれるのはつまらない、そんなことは求めていないし、どうでもいいんだと語った彼女らしい結論。変化や面白いことを優先する真鍳にとって、ありのままに美しいだけの価値なんてないも同然で、だからこそそ彼女は何かしらの可能性を秘めた “偽物” が放つそれ特有の輝きにこそ強く惹かれていたのだと思います。もちろん言葉通り、そうした偽物の輝きに吊られ魅了される人々の喜怒哀楽も含め、あるがままのものではなく “本来なら価値のないものに対しそれ以上の価値を見出す人々の業” を彼女は面白いと表現し、深く愛していたのでしょう。

 

そしてそれは、フールズ・ゴールドのことだけを指して語られたものでは決してないのだとも思います。偽物、虚構、現実との対比。それは物語です。数知れないこの世界に溢れる創作物とその中で紡がれた物語は、きっと真鍳の言う “偽物(空想)” に他ならず、それはどれだけ現実に根差した話であっても、誰かの視界/フィルターを通すことで脚色され、物語へと変化していく。それが例え誰かの人生であっても、そこに物語を綴るための想像の余地が生まれれば全ては “真実に近い偽物” の物語になってしまう。それは自分の人生を他の人が語った時、どこかに語り部のバイアスがかかり少なからず別の物語になってしまうことと同じなのだと思います。

 

でも、だからこそ “物語” は面白い。それは人の数だけ存在するものだから。読み手や書き手によって辿る軌跡は変遷し、たった一つのボタンの掛け違いで丸っ切り違う物語になったりもする。それはセレジアが自分の物語を自分自身で変えたように。アリスが自らの意思で戦うことを決めたように。マミカがそれでも「助けたい」と語ったように。物語は最初から真実が決まっているわけではなく、そこに関わる人々の感情、情熱、あらゆる想いで姿(結末)を変える。まただからこそぶつかりもする。物語が空想の産物であるからこそ、人の数だけ存在するからこそ、自分の物語を肯定しようと人は想いを賭して、争う。そしてそれはこの作品の中で奔走し続けたすべての登場人物・クリエイターたちにとっても同じことであったはずです。なぜなら、彼ら・彼女たちの作品に向けた情動は紛れもなく真鍳の語った「輪をかけて頭の悪い “愛すべき人”」 の生き様であったはずだからです。創作者も。キャラクターたちも。蓋を開けて見なければ分からない物語なんて曖昧なものに命や誇りを賭けて戦った。だからこそ、その姿は尊いのだと。だからこそ物語は面白いのだと。そんな物語賛歌、創作賛歌としても真鍳のあの言葉は捉えられたはずです。“そんなもの” に必死になれる愚かな人々に向けた賛歌。それこそが彼女の価値観であり、なによりこの作品が描き続けてきたことなのだと思います。

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特にアルタイルはそんな典型的な “愛すべき人” であり “クリエイター” の姿そのものであったとも言えるはずです。自らを産み落としてくれた創作者セツナの人生。その背景に向けた恨みや悔恨を力にここまで必死の抵抗を続けてきたアルタイルは、だからこそ自身の作り上げたシナリオ・物語で、酷く絶望的なこの世界を消し去ろうとした。「あなたを苦しめた物語を許せなかった」というあの言葉通りに。それは傍から見ればとても危険で傍若無人な話でしかないのかも知れないけれど、彼女にしてみれば大好きな人の存在価値を掛けた決死の創作でもあったはずです。むしろ創作は自分の好きなように物語や世界を描けるからこそ創作足り得るわけで、そう思えばアルタイルのやろうとしたことだって正しくはなくとも、間違ってはいなかったはずです。颯太が島崎由那の人生を元に二次創作を生み出し、あの世界に創作物としてのセツナを顕現させたのもまた同じことです。自らの過ちや、後悔、責念。そしてセツナと同じ場所に立ちたかったという夢、切望。それらのなにが正しくて、間違っているかなんてことは誰かが決めれることではないけれど、それでも人は不確かな妄想や想像、自己を実現せずにはいられない。だって “そんなくだらないことのために一喜一憂、死んだり生きたり争ったりするのが人” なのだから。創作のために。自分のために。この物語を知ってくれる “誰か” のために。

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これはそんな願いと情熱、想いを掛けた物語であり、その物語のぶつかり合いの果てを見据える話でもあるのだと、今回の21話を観て考えさせられました。またそうした物語(自己)同士の衝突の果てに新たな物語が生まれることも、この作品は描いてくれました。颯太とアルタイルの創作・物語のぶつかり合い。その果てにアルタイルの “あの選択” が生まれたのなら、それはとても素敵なことであったように思えます。「死んだ人は戻ってこない」その言葉通り進んでしまった物語を巻き戻すことはできないけれど、でもだからこそ、人は新たな可能性を求めて道を進み続ける。そうすれば、いつかきっと奇跡だって起きるのかも知れない。アルタイルが夢にも思わなかったであろうセツナとの逃避行は、そんな創作の可能性を見せてくれた一つの輝きであったように思います。それが例え、本物のセツナではなかったとしても。

 

不可逆な本物の黄金の世界(現実)では成し得なかった、虚構だからこその可能性。死が確定した世界の枠の外で行われた創作の浪漫。周到に用意された舞台においても、結局は颯太と真鍳の奇跡がことを収束に向かわせたように、物語はだからこそ面白いのだと。少なくとも私はそういった奇跡や浪漫が好きですし、そんな数多くの物語たちにこれまで何度も救われてきました。現実の替わりに虚構を愛しているわけじゃない。なにかを埋めるために物語を愛しているわけでもない。虚構だからこそ、物語だからこそ。

「情熱と切望と、悪い願いも良い願いも全部そんな衝動の中に含まれて、そして物語は誰かの心に根差して、その人の世界を変える」

私にとっては、そうアルタイルが語ってくれたことが全てです。もちろん、そうやって物語を信じ続ける私も、真鍳に言わせれば 「輪をかけて頭の悪い人」 なのかも知れませんが、それでいいのでしょう。そんな物語賛歌を描いてくれた『Re:CREATORS』はとても素敵な作品だったと思いますし、創作と物語への想いを恥ずかしげもなく描いてくれたことにはとても感謝しています。アルタイルやあらゆる創作・物語を否定せず、救ってくれたことも含め。この作品が描いた創作・物語への寛容さと厳しさはとても胸に沁みるものでした。

『NEW GAME!!』8話の芝居について

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「私、ももちゃんのこと全然知らないです…」そんな台詞と同時に不安そうな表情を見せた青葉。一度パチッと瞬きをしたあとに、スッと瞼が沈むこの表情芝居に胸をグっと掴まれました。前後の間やタイミングも凄く好きなんですが、一番の理由は青葉が紅葉との関係性を気にする素振りとして、とても良い表情づけだと感じたからです。もちろん観ての通り、大袈裟な動きではないですし、派手な作画でもありません。 けれど、感情というものは細かな機微にこそ宿り私たち視聴者の記憶に、より強いイメージを与えてくれるものだと思います。それこそ、細かな芝居が多ければ枚数は増えるし、負担も大きくなる。それでもちょっとした機微を損なわないよう描くのは、登場人物の想いや気持ちを蔑ろにしないためであることが少なくないはずです。なにより、細かな感情芝居であればあるほど、私はその作品や登場人物たちのことをもっと好きになれます。

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特に本作においてひふみは口数の少ない人物です。でもそれ以上に表情が豊かな人だとも思います。内気な性格から一つ殻を破りたいと願っていたのは一話の面談シーンで描かれていましたが、それ以降彼女はよく笑うようになりました。これは作中でしずくさんも言及していたことです。けれど、まだぎこちなさが残っていたりもしていて、特に紅葉に話しかけるシーンでは力んでいる様子が見える、溜め・詰めを少し意識した動きになっていたと思います。それも非常にひふみらしいなとは思うのですが、その会話の最後に見せる自然に笑う表情とその際の動きはまた違った彼女の側面を描いてくれていました。ふわっとした動き。優しい目と表情。青葉の時と同じく瞬きのあとに少し瞼を下げる芝居。でもその印象は真逆ですし、感情描写としてもそれは同じだったと思います。もちろん、眉毛や瞼の角度で表現される感情が変化する、というのは多くの作品がやっていることですが、特に今回の話ではそういった芝居づけを強く意識させられました。

 

ただ、もしかしたらこういった芝居は『NEW GAME!!』全体で意識されていることなのかも知れませんし、今話を視聴した際にそこに注視した結果、そう感じただけ(今回の話に限ったものではない)なのかも知れません。けれど、今話における上に挙げたような芝居づけはとても素敵でした。演出指示なのか、アニメーターのアドリブなのかハッキリとしたことは分かりませんが、感情との同調などを考えれば演出方針の要素もあるのかなとは思います。コウと紅葉の目パチが合ったカットなんかも演出意図がハッキリしていて面白かったですね。そして新しく登場した紅葉は常にきつめの表情。それが今後どう変化し、どの様な芝居がつけられていくのかも今後楽しみだなと思います。