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『小林さんちのメイドラゴン』8話の演出について

2010年代 アニメ演出 小林さんちのメイドラゴン

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前半のお弁当対決パートが『ワイルド・ファイア』だったとか、手の芝居から山田尚子さんらしさが溢れてたとかビジュアル的には色々あると思うんですが、足元にカメラを寄せていくのはなんか直近の『聲の形』を思い出したりして良かったなと感じました。もちろん、そうしたカットに含まれた意味合いが同じであったかどうかは定かではありませんが、小林さんの数歩後ろを歩くメイド的な距離感、従者としての立ち位置などは足元のカットからも十分に感じ取れたのではないかと思います。数歩の遅れがまさに二人の距離感といった感じで、慌てて小林さんのあとを追いかけるトールの焦りなどもその辺りの表現に拍車を掛けていた印象です。

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小林さんを追い掛けるトールとの距離感。右から順での動きですが、小林さんの足がフレームから外れそうになった頃合いにトールがフレームインしてくる。この辺りは特にさすがだなと思います。それこそ、二人が同居してからここまで種族としての距離感を感じる回はあったと思うのですが、今回はまた違ったニュアンスの距離感だったような感じがします。種族的なものではない、同じ屋根の下で暮らす者同士の、友達としての距離感というか。それは小林さんの口からも明かされていましたね。

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また、その延長線上の(距離感に関わる)演出としては、Bパート終盤のやり取りも凄く良かったです。「求められているのに慣れてない、どうしていいか分からない」と小林さんが言葉を紡ぐのと同時に二人の間に距離を開けるのがグッときます。また、だからこそこの辺りは被写体をどちらかに絞ったカットが多く、壁を感じるように二人の間をフレームで遮ることが多かったのでしょう。

 

それでも、相手を想うその心だけは近づけてあげたい。そういう(山田さんの)思いが、もしかしたら互いの位置を相手側へと近づけていくのかも知れません。例えば、トールを撮っているカットで言えば彼女の位置を右(小林さんが居る方)に寄せるし、小林さんを撮っているカットで言えばその逆。被写体的に見れば孤独な印象のあるカットですが、構図を寄せることでその意味合いが徐々に反転する。小林さんの目先に三本の傘が入った傘立てが映るのもそういう意味では同じなのかも知れません。小林さんだって三人で暮らす生活が好きだけれど、それを直接的に表現するのが苦手で、だからどうしても壁を破れない。それはドラゴンとか人間とかは全く関係ない、個々人における愛情表現の得手不得手の問題ですよね。なにより、そこ(個人的な問題・バックボーン)を誠実に描いてくれている作品だからこそ、この作品に私はここまで惹かれるのだと思います。

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背伸びをする小林さん。それはきっと少しだけ壁を破り、精一杯の愛情表現し見せた彼女の頑張りを象徴したものでもあったのでしょう。最後は壊れたドアから覗くようにカメラを置いて見守ることに徹底する。少し感情的になったカメラワークから、あとは二人に任せようと距離を取る。この辺りはこれまでの各話でもよくやっていた見せ方ですし、山田さんがと言うよりは京アニ的な見せ方なのだと思います。もちろん武本さんの拘りもあるのかも知れませんが、個人的には培われてきた京都アニメーションの美学みたいなものを感じてしまいます。

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他にもビジュアル的なもので言えば女性的な可愛らしい内股とか

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お化けを使った可愛らしい走り方もありました。『たまこラブストーリー』などでも観られた面白い走り作画。茶目っ気があって個人的には山田さんらしいなとも感じるんですが、木上さんが『さすがの猿飛』でやっていたりするので、その影響もあるのかも知れません。また、最初にも触れたように手の表情・芝居付けも凄かったです。さすがとしか言いようがありませんが、コンテ段階で芝居の指示が入っているのかどうか、どのセクションでああいう芝居に決められているのかは気になります。

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一番山田さんらしいなと感じたのはこのカットでした。小林さんがしゃがむ直前に手のひらをパッと広げて指を上に反り上げています。余りこういった芝居は見られなかったというか、これまで小林さんがこういう可愛らしい仕草をしていた印象がほとんどなかったのでなんだか新鮮さと驚きがありました。動きには数枚程度使っていると思いますが、入れなくても動作上支障のないしゃがみこみの作画。そこにこういう芝居を足してくるのは、やはり山田尚子さん独特の感性なんじゃないかなと感じます。全体的に小林さんの表情もかなり豊かに感じられましたし、なんだか彼女の新しい一面を垣間見たようで嬉しい気持ちになれる挿話でもありましたね。本当に面白かったですし、素敵な回でした。

『リトルウィッチアカデミア』7話のカメラワークについて

2010年代 アニメ演出 リトルウィッチアカデミア

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Bパート終盤。アッコの退学を巡る一悶着を描いたシーンですが、この辺りのカメラワークに強い物語性が内包してあったのが凄く良かったです。基本、最初は退学の可否を決める校長先生とアッコの間に想定線が置かれるていたと思うのですが、会話が進むにつれ会話の主体になる二人は順次入れ替わるので、(こういう言い方が正しいのかは分かりませんが)このシーンには絶対的な想定線がおそらく存在していません。特にアーシュラ先生とフィネラン先生のやり取りへの移行は顕著で、会話の主体者が他の二人に移ることを契機に、今度は彼女たち二人(またはその想定線)を基準にカメラは動き出していきます。

 

怒るアーシュラ先生の歩みをフォローしていくことでカメラはぐんぐん右へ。カツカツと音を立てる足元、肩を揺らし息巻く芝居、正面からのアップショットと実に感情的な映像でカットは繋がっていきますが、この時点ではもうアッコや校長先生は会話の蚊帳の外に置かれています。つまりあの時点で、話と映像の軸はアーシュラ先生の感情にほぼ完全に寄り添っていたということなのでしょう。前回の話でも彼女の学生時代が少し映し出されていましたが、ああしたバックボーンがあったのも失敗を断罪するような物言いをアーシュラ先生が許せなかった一つの理由なのだと思います。まただからこそ、失敗したっていい、間違ったっていい、「あの子がどれだけ成長しているかで見てあげるべきなんだ」と語る彼女の姿は得も言われぬ説得力を携えていたのでしょうし、その姿に説得力を与えたのはやはり今回のようなカメラワーク(コンテと演出)があったからこそなのだとも感じます。

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また、ここで面白かったのはアーシュラ先生が言い分を言い切った後にアッコのアップショットが映ることです。なぜならそれは、アーシュラ先生ら二人の会話を第三者(ここではアッコ)がしっかりと見つめていたことをも意味するものであったからです。彼女の言葉に耳を傾け、その姿を目に焼き付けていた人の存在。もっと言えば、それを私たちに向け静かに教えてくれたのは他でもなくあの一連のカットのお陰であったはずです。

 

そして、カメラはアーシュラ先生とフィネラン先生の想定線を跨ぎ、やがてアッコの主観へと繋がっていきます。おそらく、相手に迫るアーシュラ先生の動きを右へ右へと印象付けていたカメラワークもこのためにあったのだと感じます。アッコから観たアーシュラ先生の表情、そのたった一度の反転、イマジナリーラインの超越。もちろん、アッコ側から見ればアーシュラ先生の表情が左向きになるのは当然ですが、ここのワンカットでのみ向きが変わること(想定線を越えること)、またそれがアッコの視点で描かれたことなどを考えれば、やはりこの場面にはそれ相応の意味があったのだと解釈出来ます。背景が白飛ばしっぽくなっているのもアッコの視点から見た先生の表情の鮮烈さをより際立たせています。

 

そして、これはアーシュラ先生とフィネラン先生の関係がどうのと言うよりは、おそらくアッコの心の内にあるアーシュラ先生の印象・立ち位置が変化したことと同じ意味合いを持って描かれた演出だったのだと思います。それこそ、彼女たち二人はこのシーンにおいては一度も会話をしていませんでした。それでも、アーシュラ先生の言葉を間接的に受け取ったことでアッコの中にある “なにか” はやはり変化したはずで、だからこそフィルター(眼鏡)を通さない真っ直ぐな視線を前にアッコはその目を見開いてしまったのだと思います。なにより、今回の映像の運びはそれを伝えるためのものでもあったのでしょうし、こうして灯る感情の機微を映像として静かに捉えてくれたからこそこのシーンには胸に刺さるものがあったのだと思います。もし仮にこうした演出を経ずにアッコがアーシュラ先生に感謝を伝えるシーンに繋がっていたら、私自身ここまで感動は出来ていなかったと思います。そう言い切れる程にここでのカメラワーク・演出は秀逸でした。

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ただもちろん、アッコはまだアーシュラ先生があのシャリオであることを知っているわけではないですし、だからこそ彼女はアーシュラ先生を一人の優しい教師としてしか見ていなかったのだとも思います。先生の言葉を受けハッとするアッコを見ると特にそういう印象も受けます。

 

けれど先述したように、今回の出来事を通しアッコはきっと彼女への印象を大きく変えたはずです。それはシャリオであるかないかなど関係なく、彼女の夢を守った “もう一人の魔法使い” としてこれからもその心に刻まれていくのでしょう。また違う視点で捉えればアッコはまたも “彼女が愛した魔法使い” によってその夢へと続く道を守って貰ったのだとも解釈できるのだから、こんな素敵な話はないなとも思います。いずれアッコが “二人の魔法使い” を重ねる日は来るのでしょうか。そんな期待に胸を膨らませながらこれからも彼女たちの行く末を見守っていきたいなと思います。被写界深度を意識した処理なんかもあって非常に個々の物語性が強いシークエンス、演出・物語含め本当に素晴らしい挿話でした。

『小林さんちのメイドラゴン』6話の演出と『MUNTO』のこと

2010年代 アニメ演出 小林さんちのメイドラゴン

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アバンのカットで思い出したのは『無彩限のファントム・ワールド』6話でしたが、どちらのカットにも根源的には『MUNTO』という作品の影を大きく感じてしまいます。それも本話のコンテ演出を担当されたのは同作品の監督をされた木上益治さん。正直、繋げて語らずにはいられないと言ってしまえるほどに、あの作品は今も心の内に強く打ちつけられていて、京都アニメーションの水面鏡と言えばやはりあの作品を思い浮べてしまいます。

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現実と別次元の世界の交わりを描いた作品『MUNTO』。際立った画作りとしてはやはり水面鏡を上手く画面の中に織り交ぜるレイアウトがとても印象的でした。常人には見えないものを空に見てしまう少女の話にあって、その空(異世界)を常に意識させるカットの数々には舌を巻かざるを得ません。現実の世界の他にもう一つの世界を空想させる力強い画面の美しさはこの作品の大きな魅力。異世界への扉は常にそこに在るのだと思わされる説得力があります。

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話を戻して本話はどうだったでしょうか。印象的だったのは二人で川沿いを歩く夕暮れのシーン。木上さんらしいレイアウトだなと感じるのと同時に、綺麗なコントラストの空はどことなく二つの世界を柔らかく繋いでくれているようにも見えますし、逆に弱めのグラデーションにはまだ少し残る種族の距離も感じ取ることでがきます。奇しくも本話は群像的にドラゴンと人間との共存を描いた話でもありましたから、どちらの意味合いも含んでいたのかも知れません。『MUNTO』でも同じような色味のカットがありました。水面に写った二人の姿から画面が回転していくカットですが、こちらも二つの世界を意識したカットになっています。

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しかし、逆に二つの世界・種族といった距離を全く感じさせないカットも本話では多くありました。特に傘はパーソナルエリアのモチーフとして色々な作品で使われることが多いですが、本作もおそらくはその内の一つ。二人が一つの傘の中に入る、ということが今回の話ではやはり大切なのでしょうし、それはあのシークエンスのラストカットでも強く表現されていたと思います。被写体を端に寄せたレイアウトは親密度を照らし出し、上部を画面から切ることで本来なら一人一つの傘を持っていることを忘れさせてくれます。水面に映った影も粋な演出。なにより、その後のシーンでカンナが言った「雨が好き」という台詞は違う意味で考えても、やはりそういうことなのだろうと思います。

 

雨は二つの世界を繋いでくれる。雨はその契機をくれる。だから雨は特別なのだと。もちろん、本来は原作からとった台詞なのかも知れませんが、同じような台詞が『MUNTO』にも出てくることを加味すれば、きっとその言葉は木上さんの考える雨の日のロマンとファンタジーに強くフィットしているのだろうと言えるのではないかと思います。

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また、今回の話ではつがいの鳥がよく描かれていました。それが夫婦なのか、家族なのかはもちろん分かりませんが、結び付きを語る画としては十分なほどの説得力を携えていたと思いますし、身体を寄せ合うカットは特に相合傘をするトールと小林さんを連想させてくれます。

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そして、それと連続的に身を寄せあうてるてる坊主のカットがあって、一つ屋根の下で暮らす彼女たちと彼らの姿があり、その背中を見守るようにカメラが置かれる。まさに家族観を象徴するようなフィルムだと感じます。なにより、二つの世界・種族の橋渡しをする本作だからこそ、『MUNTO』という作品との親和性も自然と高くなったのだとも思いますし、そう考えれば木上さんが本作に来られたことはもはや必然と言えるのかも知れません。

 

本当に温かく、情緒感に溢れる演出です。必要なことは言葉で語り、語り過ぎてしまわないように映像でも多くのことを語る。ここまでの話を通してもそうでしたが、それは単衣に京都アニメーションの美学、もとい木上益治さんのアニメーション・ドラマの描き方でもあるのではないでしょうか。これは『響け!ユーフォニアム』5話でも感じたことなのですが、今回の話を経たことでより強くそう思えたような気がしています。ラストカットのてるてる坊主。あれを長回し気味に撮る意味。あれなんです。

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余談ですが、木上さんらしいなと感じた演出の一つに、カットの切り替わりでパンから被写体にカメラを向けるというのがありました。その中で特に面白かったのがパノラマの一枚背景からぐーんとトールたちにカメラがパンしていったこのカット。本来なら窓辺の辺りにもパースがつくと思うんですが、自然に正面に周っています。ルコアと翔太君の家で談笑する場面でも変則的なパンがありましたが、この辺りのカメラワークは見ていて面白いなと感じますね。