『舟を編む』6話の芝居と共振

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序盤からのエモーショナルなカット。この辺りのシーンで既に身体は前のめり気味になっていたんですが、以降描かれる各登人物たちの芝居、そこに込められていたであろう様々な感情からは、動きの繊細さや動かすことへの熱意といった幾つもの感動を強く感じることができたように思います。

 

それこそ神は細部に宿るなんて物言いもしますけど、アニメの場合、感情は細部にこそ強烈に宿るというか。もちろん、それはレイアウトや画面の質感なども同様で、あらゆる細部への気配りと情熱がこの素晴らしいフィルムを生み出しているのだと思うと、それだけでなんだか込み上げてくるものがあります。

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Aパートは特に西岡への芝居づけに心を打たれました。内に秘めるものを曝け出すタイプでもない彼は常にお道化ていたような印象で、一人になった時にようやくそれを表に出せる部分もあったのだとは思いますが、そうした性格とは正反対の表情をこの回ではやっと人前で曝け出してくれたように思います。悔しさに歪む表情筋の微弱な動き。我慢できずに力が籠る握り拳。その全てが今の彼の感情を代弁しているようで非常に切ないシーンです。馬締や周囲の熱意に自身の感情がシンクロしつつあったのはこの挿話以前においても徐々に描かれてはいましたが、こうも彼が表立って悔しがるのは初めてのことだったのではないかと思います。

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現状を突きつけられ落ち込む、というくだりにも俯かせるだけでは決して終わらず、その仕草の合間に色々な表情を入れていて感情に幅があります。核心を突かれたような表情に、悔しがる表情。奥歯を噛みグッと顎に力が入る。一連の全てが感情的な仕草なのだと伝わってきます。落ち込んでいることを伝えたいだけならここまでの芝居づけをする必要はありませんが、この時の彼が抱いていた感情は決してそれだけではありませんでした。だからこそ、ここでは彼のこうした表情を描くことがやはり必要だったはずで、そのためならばと作画的なカロリー消費を惜しまずここまでやるのは本当に凄いことだと思います。テレビシリーズという色々な制約がある条件下の中でそれでもキャラクターの感情を優先するためにここまでやるその心は、もはや熱意としか呼ぶことが出来ないでしょう。

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またBパート以降。渦中の馬締もこの辺りになると自身の恋愛と仕事の先行きの不安からかなり気怠さの強いカット、黄昏るようなレイアウトが増えていきます。言葉の海に飲まれていくシーンは一話でも同じようなことをやっていて比較的幻想的なイメージ。それもグッとくる見せ方ではあるんですが、以降彼が部屋に戻ってからの芝居づけなんかは私情に対する気の重さなんかが強めに表現されていて凄く良かったと思います。

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辞書を読み耽る様、手先の動きとその表情を観ていても彼と言う一人の人間の繊細さが読み取れるようで素晴らしいです。そしてそれは、後に香具矢さんが語る彼の“丁寧さ”にも必然と繋がるものであったのだと思います。

 

彼女が読んで「心が込もっていた」と感じた恋文。辞書を優しく扱う手先。文字に対する真摯さと、撫でるよう、傷つけないように動かされる指先の軌跡。その全ては馬締の持つ“丁寧さ”を筆頭とした側面を繊細に捉えていたのでしょう。まただからこそこの時、私たちは彼の書いた恋文の一遍しか知ることが出来ていない状況にも関わらず、それがどれだけ心込もる手紙であったのかということを肌で感じ取ることができるのだと思います。彼の文字に対する姿勢と言動。またそれを縁の下として支えた芝居の“丁寧さ”。全ては彼の人物像にしっかりと繋がっていたはずです。

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カメラが上部に向けじっくりパンしていく大判の絵でも彼の感情を乗せるため、また彼を彼らしく描くためにその手は丁寧に動かす。ラストカットでも数ミリ単位で指先を動かすことで、文字に寄せられた彼の感情に芝居をリンクさせる。なにもかもが物語に、感情に同期していく。そうした芝居の数々が本当に素晴らしいんです。アニメの中で描かれる動きや、日常的な芝居を「好きだ」と感じたあの頃の気持ちを強く今に思い出させてくれるというか。ああ、いいなって。好きだなって。なにより、こうした芝居から見える感情の片鱗に触れる度に「彼らのことをもっと知りたい」とそんな風に強く思える瞬間が確かにあるんです。

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それこそ、今回のサブタイトルは『共振』でした。意味は「心や行動が相手と反応し合って同じようになること」だそうですが、それは本話に限らず本作の徹底した芝居作画にも端的に当て嵌めることの出来る、本作における一つの大きな主題でもあるのではないかと感じました。

 

“登場人物たちの感情や性格と芝居(作画)が反応し合い、一体となって一人の人物像を描き出すこと”。それは紛れもなく、本作が描く“共振”であったからです。終盤における香具矢さんの芝居も同様でしょう。馬締から渡された手紙を大切そうに撫でる指先。彼との想い出を語る時の表情の変化。手の芝居。恋愛的な感情は抜きにしても、そこにあったのは偽りのない彼への好意であり、彼女の人柄そのものでした。また逆説的に言えば、そうした内面的な部分をもしっかりと表現するために繊細な芝居を丁寧に描くのだと思いますし、むしろそうした彼らに対する寄り添い方こそがこの作品をより素晴らしいものに導いてくれているのだと思います。

 

感情と芝居の共振。物語と映像の共振。それこそレイアウトやコンテワークの良さ、時間経過に対する風景ごとの質感(例えば朝・夕・夜などの質感の違い)とその美しさはそれぞれのセクションにおける尽力故の賜物でもあるはずです。そういう意味では、そもそもとして本作の映像そのものが、携わるスタッフによる高いレベルでの共振による集積そのものだとも言えるのかも知れません。また素晴らしかった二話に引き続きコンテ演出を担当されたのは長屋誠志郎さんでした。まるで芝居(作画陣)を信用し切ったようなレイアウトや全体的なテンポも大変良く、月や月光を意識的にモチーフとした香具矢さん周りの演出も含め引きのショットの威力などは氏の巧さもあるのかなと感じられます。

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余談ですが、この辺りの芝居の使い分けには凄く感動しました。ほぼ同じレイアウトで芝居のみを使い感情の落差を表現する。戸を閉める速度。力の入れ加減。正座をするまでのタイミング。こういうのを観ると、ああやっぱり芝居って感情でもあるんだと思い知らされてしまいますね。

『響け!ユーフォニアム2』 4話 吉川優子という希望、その陽のあたる向こう側へ

鎧塚みぞれ、傘木希美の行き違いを描いた二人の物語。紆余曲折を経て辿り着いた場所は、美しいとしか形容出来ない安堵の幕切れをもって私に強い感動と喜びを与えてくれました。

 

しかし、この物語は二人によって解決したわけでは決してありませんでした。なぜなら、それは久美子を含めた多くの部員が関り、励み、駆け抜けた結果が実りを迎えた瞬間そのものであり、だからこそこの物語を “二人だけのもの” とすることには強い違和感があったからです。むしろ、ここまで一貫し群像劇として描かれてきた『響け!ユーフォニアム』という作品は、その最たる象徴としてこの物語を描いたようにすら思えますし、それは一期の時点で石原立也監督が「この部員たちは“名も無いエキストラ”ではなく全員名前のある“登場人物”だ*1と語ったこととも大よそ同様の輪郭をもって語ることの出来る本作の大きな主題でもあったのだと思います。

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特にこの話において、常にみぞれの傍に居続けた吉川優子の奔走劇は、そうした物語の主体に成り得る様相を強く露呈していたと思います。自分の信じた道を進み、自分の夢を追い駆け、大好きな人のために懸命になれる彼女の姿は、それこそ吉川優子という人間の本質を細部まで描いたゆえの賜物でもあったのでしょう。

 

それも遡れば一期の頃からそうであったように、だからこそ彼女は自分の物語、誰かの物語のために精一杯の愛と真っ直ぐな視線を注いであげることが出来るのだと思います。自分自身が納得しなければ決して折れることはないし、相手の本当の気持ちというものが見えなければ決して妥協を許そうとはしない。それは吉川優子という一人の少女の強さであり、優しさに他ならず、故に彼女はそこに立ちはだかるものがたとえ運命であろうとも懸命に抗おうとするのです。

 

もちろん、そのせいで誰かと衝突したり、間違いを犯したりすることも多くあったことは事実です。けれど、それは彼女が自分自身の“青春”に対し誠実であったがための行いでもあったはずなのです。誰かの物語に自分(或いは、自分が信じた人)の物語が塗り替えられることに耐え切れないがための抵抗。悔しさの発露。涙の代替行為。なによりそれは、久美子が「上手くなりたい」と涙を流したことと本質的には変わることのない、青春を駆けるための慟哭でもあったはずです。だからこそ、私はそんな彼女の想いや行為の全てを否定することが出来なかったし、彼女の全てを否定しようとしていたそれまでの自分を許すことが出来ませんでした。あのコンサートホールで彼女が流した涙ほど尊いものはないと、そう心から思わずにはいられなかったのです。*2

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そしてそうした彼女の姿や信念は今回の物語においても、やはり大きな役割を担いながら強く表現されていたように思います。大好きな人を守るため。あの喜びをまた一緒に勝ち取るために。まただからこそ、彼女は決してみぞれを見捨てはしなかったのでしょう。そして、みぞれの物語を摘み取る因子に成り得るものから彼女を守ろうとした。それこそ、優子はおそらく希美のことが嫌いなわけではないし、もし彼女に嫌いな部分があるとすればそれは「なにもしようとしない」鈍感さぐらいのものだったはずです。

 

だからきっと本質的に彼女は希美のことを嫌ってはいない。でももし、みぞれの物語を奪うなら彼女は決死の形相で希美と対峙するくらいの覚悟は持っている。そして、それは紛れもなくあのオーディションの時に見せたものとほぼ同じ形をもって語ることの出来る吉川優子という人の本質に他ならないものだと断言できるはずです。

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またそうした彼女の想いの強さと、その矛先はみぞれに対しても同様に向けられることとなります。それは「優子は同情で私に優しくしてくれた」とみぞれが語った場面。本当なら余りに辛いその一言に後ずさり、その手を離すことも出来たはずです。しかし、優子は決して引き下がることなく相手の元にもう一歩踏み込み、こう叫ぶのです。「そうじゃない」って。「それでいいの?」って。それは紛れもない彼女の本心であり、鎧塚みぞれという一人の人間を愛していたからこその否定でもあったのでしょう。

 

だからこそ彼女は、これまで積み上げてきたもの、二人で培ってきたもの、この北宇治高校吹奏楽部で見渡してきた景色の全てを守るために、強い口調でその想いをぶつけていこうとする。そしてそれは、この作品が『響け!』の言葉尻に託してきたものと同様の感情をもって語ることの出来る、彼女にしか響かすことの出来ない大切な人に伝えるための“音”でもあったのだと思います。

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そしてそれは優子の目から涙となって零れ落ち、彼女の頬へ伝い、その心にきっと力強く反響したことでしょう。まただからこそ、みぞれは優子の元へともう一つ歩み寄ることが出来たのでしょうし、彼女の待つ陽のあたる場所へと向かうことがやっと出来たのだと思います。大袈裟に幾度も回転するハイライト、みぞれの流した大粒の涙はそれこそ優子が彼女にとって救いであったことの証左でしょう。

 

それこそ、優子自身が言っていたように不器用にしか立ち回れない彼女ではありましたけど、それでも大切なもののために真っ直ぐぶつかれるその強さと優しさは、この物語においてもやはり一つの希望に成り得るものであったのではないかと私は思います。言葉でぶつかり、気持ちを伝え、相手と向き合うことを選択する吉川優子という存在はやはり本作において「どっちにも挙げなかった誰か」には決してなることのない “特別” な存在だったのです。だからこそ伝えることの怖さから逃げない彼女の姿は力強い眩さをもってこの目に映り込んだのでしょうし、そこにこそ彼女が持つ素敵な心の在り方は多く映し出されるのだと思います。

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ただ、だからと言って彼女が “誰か” の一番になれるという保証はどこにもないし、それと同じだけの想いを返して貰える保障なんてどこにもないのです。それは “頑張れば叶うとは限らない” 青春の儚さや、その側面をも本作が描いてきたように、報われない想いというものは必ず存在するのだということを克明に描いてくれていたのでしょう。でも多分、優子は “報われる” ことを望んでいるわけではなく、自分の大切な想いや大切な人が “大切だと感じた理由そのままに在ること” をただ望んでいるだけなのだと思うんです。決して同情なんかじゃない。誰かを陥れたいわけでもなければ、誰かに愛されたいからでもない。自分の信じた青春を。風景を。そうした夢とさえ置き換えられるなにもかもを、ただ彼女は愛し、守ろうとしていたいだけなのでしょう。

 

ただその一方で、そうした彼女の姿勢を見てくれている人はきっと何処かにいて、その横にそっと寄り添ってくれている人も必ずいる。明日香先輩の「打算」という言葉に対し、久美子がぎゅっと手を握ったのも同じことのような気がします。あなたの想いはしっかりと誰かが見届け、感じている。だからこそ労いの言葉を一言でも掛けてあげたいと思う気持ちは私も同じですし、そんな私たちの想いを代弁するかのよう優子へ正直な想いを伝えてくれた中川先輩にはとても感謝しています。あの言葉は紛れもなく彼女にとっての救いでした。

 

見返りじゃなく、打算でもない。そんな彼女という人間を真っ向から描いたこの挿話は、再び私の胸に生涯刻み込まれるであろう挿話になったと思います。それこそ、あの十一話のことを思えば思う程、やはり彼女が “吉川優子でいてくれた” ことは凄く嬉しかったですし、それだけのことを反芻するだけでなんだか少し目尻に涙が溜まり、視界が歪みそうになります。もちろん、変わらない中にも変化はあって、そんなニュアンスを感じ取れる言葉が彼女の口から漏れる度につい幸せを噛み締めたくなるのは仕方のないことなのでしょう。そんな “彼女” の次の物語にもまた期待しつつ、これからもその想いと感情の音色に耳を傾けていければいいなと、今は強くそう思っています。『響け!ユーフォニアム』という物語において、吉川優子は私の希望そのものでもあるのだから。

*1:第二回 よろしくユーフォニアム:STORY | TVアニメ『響け!ユーフォニアム』公式サイト

http://tv.anime-eupho.com/story/02/

*2:『響け!ユーフォニアム』11話の感情、或いは吉川優子の物語

http://d.hatena.ne.jp/shirooo105/20150619/1434640822

『海がきこえる』の寡黙さと微熱

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夏の陽射し。流れゆく景色。淡々と進むフィルム。熱い恋愛ものとは程遠いまでに感情的になることを抑えつけるこの映像は、まるでそよ風のように心地良い読後感を与えてくれました。

 

それこそ主人公である杜崎が本作において激情にかられていたのはどれも怒りという感情が基盤となっている時だけでした。恋愛感情をこれといって滲ませない彼はそうした色恋事で騒ぎを起こすこともなければ、誰かを必死に追い掛けるようなシーンもほぼ本編には存在しません。それどころか、彼が走るという行為をとることさえ本編では描かないのです。故に本作にはドライブ感というものは余り感じられず、淡々と、同じ歩幅で、まるで平然を装うかのようにこの作品は閑静に纏められています。

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しかし、かくして青春とはそういうものでもあると思うのです。誰もが劇的な出会いを果たすわけではない。想い人を遠巻きに眺めたまま終わる青春もある。じゃあ、そうした“普通”の青春というものは物語に成り得ないのかと問われればそんなことは決してなく、人それぞれに物語というものはちゃんと備わっている。

 

つまり、本作はただ杜崎という一人の青年が送った青春に歩調を合わせただけなのだと思います。彼の見た景色や、感情をそのまま映像にすること。レイアウト的に映える画面はもちいても、決して感情は煽らない。流れるままに。さざ波のように。なにより、そうして心の赴くままに撮られた作品であるからこそフィルムは寡黙になっていく。余計なことは映像で語らず、語るべきことだけを映像で語る美しさ。そしてそれはこの作品を「平熱で作ろう」と決めた制作側の意図*1をそのまま映写したが故の賜物でもあるのだと思います。

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また、だからこそ彼の心が揺らげば本作の映像もまた少しずつ感情的になっていくのでしょう。「昔はなんとも思っていなかった」と語られた高知城を背にズームアウトしながらカットバック的に差し込まれるあの日の情景。それはまるで寄せては返す波のようにゆっくりと彼の心中に響き、まるで微熱の如くその想いを少しずつ膨らませていくのです。

 

そして、ようやく彼は走り出すのです。想い人の元へ。遠い昔に忘れていたあの日々を取り戻すように。そしてここでもカメラは決してその感情を煽ることなく彼をフォローしながらその行方を見守ります。劇伴も壮大にはせず。過剰な演技も必要ないと云わんばかりの見守るような演出。ただそれでも、ラストシーンで回り込み気味のカメラワークを使ったのは茶目っ気であり、祝福であり、また少しはロマンスがあってもいいだろうという、一種のファンサービスであったのかも知れません。その辺り、どこかで語られていたりするのなら、是非聞いてみたいなぁとも思います。

*1:海がきこえる』DVD特典映像:スタッフ座談会より