『メイドインアビス』の縦の動き・レイアウトについて

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メイドインアビス』はアビスと呼ばれる縦向きの穴の底に向かい冒険をする話ですが、こういった崖・絶壁を下っていく芝居へ贅沢にカットを使う、またそれを縦方向の俯瞰で撮ることに拘る、みたいなポイントは本作の世界観やその奥行きの深さを伝えることに強い影響を与えていたと思います。舞台設定上、今回のファーストアクションがこういったシーンだったのも納得で、そこからロングでモヤの掛かる背景を映し、アップで原生生物も映す、という繋げ方も世界観の提示として凄く良かったと思います。

 

特に最後4カット目の俯瞰のカットが素晴らしいです。縦穴を降りていく物語だからこそよりそのイメージを強く想起させるカットになるのがこういった上から下への動き。またそれを俯瞰で撮ることによって手前から奥の動きにする、というのが巧みです。より底へ移動していく感じの強いカットになると思いますし、例えば歩きの作画でも手前から奥、またその逆の動作などは難しい動作の作画として挙がることが多々あります。歩きの作画ではないので一概には言えませんが、同じような上下運動と奥行きを使ったカットとしてとても良い芝居な上に、そういった奥へ向かう動きが “穴の底・奥へ” というベクトルをより強固なものにしてくれていたと思います。

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同じような俯瞰での芝居は他にもありました。隠れていたレグが部屋に降りるカット。場面としては穴の底に向かう、といったものではありませんが、天井の高さ、室内の空間を生かした動きとレイアウトだと思いますし、底に向かうという動きの意味合いでは同じです。またリコと二人で逃げるシーンでも縦パン風に最後は俯瞰。これは二階?から飛び降りているので自然にこういうアングルになっていますが、印象としてはやはり同じだと思います。降りる運動がこの作品の下へ向かうイメージをより強いものにしてくれている。なにより、こういうカットをさらッと入れてくるのは凄く面白いですし、縦方向に伸びる舞台設定ならではの動きだと感じます。

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またこの作品における建築の構造は非常に独特なものでした。敷地面積が狭いためなのか、穴に向かう斜面に沿い建造物が建っているからなのか、上へ向かっての壁面積が大きくなっています。つまりは敷地面積が取れない分、出来るだけ屋根を高くして縦の面積を稼ぎ、屋内を立体的に使っているのではないか、ということです。さきほどのリコたちが暮らしていたお仕置き部屋も同様だったと思います。だからこそこういった俯瞰だったり煽りだったり、奥行きのある構図が使われていたのでしょうし、それがまた空間や物語に立体感を出していたのだと思います。先程挙げた縦の動きが上下のベクトルに強い影響を与えていたのと同様、こういった画面設計そのものが今作においては世界観を彩る重要な基盤になっていたはずです。これは舞台がアビス/縦穴に映った時も同じでした。

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画面上部の空間、または反り立つ周囲の岸壁や大木を意識した様なカットの数々。巨大なものに圧倒されるようなスケール感もこういうレイアウトだと映えますが、それ以上に舞台の深度を出す画面の見せ方としては、もうこれ以上はないような気さえします。光源は常に上から降り注ぐイメージが多用され、入射光が入る。これも深さを感じさせる要因になっていて、上から下へ、より下へ、というイメージがあるように感じられます。もちろん、文字通り地面に平行な奥行きも表現されているのはそうなんですが、それ以上に上下の奥行き感をここまで強く出せるのは凄いと思います。パンも横パンよりは縦の方が多かったり、世界観的にもやはりこの作品は縦の風景とそれに付随する動きを見せたいのではないか、みたいな風には強く感じられました。

 

またこういった俯瞰、煽り、ロングショットとそれを支える美術・撮影の素晴らしさが一枚一枚のカットを神秘的に映しているのだとも思います。正直、OPの辺りやラストシークエンスにはただただ圧倒されました。息を飲む、とはああいうことなのでしょう。あの美しいカットを見せられるだけで、この世界での物語をはやく観てみたい、早く冒険したいと思わされますし、それと同時に胸が高鳴っていくのを実感します。まただからこそ彼女たちの気持ちも分かるというか、もしかしたらリコたちも周囲を取り巻く景色たちによって同じような気持ちにさせられたのかも知れませんよね。なにより、そうした「知りたい」「見たい」と思わせる絵としての強さが世界観をまた一際美しく強固にしてくれる。立体的な動き、構図、レイアウト。それを支える映像美と、そこから芽生える好奇心。『メイドインアビス』の魅力は本当に底知れないのだと改めてつきつけてきた映像だったと思います。*1

*1:一部、文章を変更しました。

『アイカツスターズ!』62話の演出について

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まず印象的だったのはこのシーン。快心のライブを終えたローラとこれまで支えてくれたアンナ先生とのやり取りには込み上げるものがありました。「随分と進歩した」という先生の台詞を噛み締めたローラの表情は非常に感情的で、それはこれまでもこの作品がそうだったように成長し続ける彼女たちの心をとても繊細に汲み取ったものになっていたと思います。優しく頭に手を置く芝居も本当に丁寧に描かれていて、先生からローラへの愛情を強く感じられるカットで素敵でした。またこの横構図。上手側に立つアンナ先生、手のアップショットを映したカッティング・配置の仕方はローラが悔しさを溢れさせたあの日を思い出させてくれるものにもなっていたと思います。

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それは忘れもしない、29話『本当のライバル』での一幕。この挿話もローラにとっては大きな分岐点となった話でしたが、あの日、落ち込む彼女の傍に居てくれたのはやはり他でもないアンナ先生でした。ゆめより頑張ったのに勝てなかったと嘆くローラの憂鬱を受けとめた上で、「お前はお前のやり方で輝けばいい」と優しく彼女を諭した先生の言葉。その言葉はローラにとって本当に大きな支えてなっていたはずです。そしてそれは、演出的に観ても想定線を越え映される一面の花畑によって鮮やかに描かれていたように見受けられました。*1

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下手からカットインするアンナ先生。ローラとの話を経て少しカメラが回り込み、花のアップ、花畑をバックに引きながら二人を撮る一連の流れとその際の想定線越え。このカット運びの演出的な意図は、おそらくローラに変化が訪れたことへの示唆であったはずです。ローラが下手に移るのもその証左。それも「個性はひとそれぞれ、全く同じものはこの世にない」という台詞がそのカットの運びと同時に流れたことで強烈なシンクロ効果を生み出していました。まさに全てのカメラワークと語られた言葉が噛み合ったシーンです。まただからこそ、あの場所はローラにとっても新たなスタート地点になったのでしょうし、アンナ先生との約束の地としても今までの間ずっと彼女を支え続けていたのだと思います。それこそ二人で並んだあのカットは彼女たち二人の原風景にさえ成り得ていたのでしょう。

 

それゆえに、今回の62話でローラの成長と一つの節目が描かれた際、あの29話と同じ構図でそれが描かれたことには、やはりとても大きな意味があるのだと思わざるを得ませんでした。ローラの横をゆっくりと通り過ぎていくアンナ先生と、それを背に前を見るローラの表情は “今” が “あの日の続き” であり、ようやく “ここまで来れた” ことを強く示していたのだと。それこそ、置かれた先生の手が肩から頭に変わった、ということも芝居としては十分に強い意味を持っていたのだと思います。「頑張れ」から「おめでとう」というか、そんなローラに対する情愛が添えられていたのではないか、と。

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また、ローラになにかを伝える人が物語の主体となり、上手側に置かれる、といった今回の話のスタンスはローラとツバサ先輩とのやり取りにおいても同様だったように思います。ツバサ先輩からローラへ向けて、という立ち位置や関係性がハッキリと描かれていましたし、そのバトンの受け渡しを前に想いをぶつけるローラの姿・表情は非常に芯の強いアイドルとして映し出されていたと思います。それに、何かが変わる、ということを描くのではなく、一つのものを真っ直ぐ追い掛けてきた人に、同じように真っ直ぐしっかりと手渡していくことが大切であったからこそこの構図は固く守られていたのだとも思います。つまり、このシーンも “あの日(29話)の続き” なんだと。渡すのは先生であり、先輩であり、受け取るのはローラ。そういう関係性をとても大切にしている節が今回の話にはありました。

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そしてツバサ先輩が旅立つ当日。ここでライブ後、初めて立ち位置が入れ替わり、上手側から下手側を向いたローラは晴々とした表情と迷いのない視線を空に向けることになります。云わば、ここが彼女にとっての第二のスタートラインになったということなのでしょう。ゆめに負けたあの日から懸命に努力を続けてきた少女・桜庭ローラの新しい門出。そして次は一つ大きくなった彼女が、その芯の強さと偉大な先輩たちから引き継いだブランドを胸に “伝えていく” のだと。そう考えればここで上手を向かせることにも大きな説得力が生まれますし、そんな風にまで思わせてくれた今回の話はとても美しく一人のアイドルの物語を描いてくれていたと思います。

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しかし、今回物語の主役として描かれたのは決してローラだけではなかったはずです。なぜなら、彼女にブランドを預けた如月ツバサにとってもまた今回の話は分岐点であり、新たな門出の場所であったと思うからです。

 

それこそ、海外への留学は彼女にとっての挑戦に他なりません。S4として得た自らの居場所から、外界へ向け大空に飛び出すように、彼女の物語は今まさにここから始まっていくのです。そしてそれは今回の話におけるローラとも重ねて語ることの出来るものであったはずです。目標や立場は違いますが、未来を真っ直ぐ見据えるその目はきっと同じように目の前へ広がる夢を視てる。そんな風に思える程に彼女たちの横顔は雄弁で、とても煌びやかに輝いていたように思いますし、特にライブが終わってからの撮影効果、透き通るような画面の質感・夕景はそれをより顕著に表現してくれていました。それにもしかしたら、ローラとの対話シーンでずっとツバサ先輩が上手側に居たのはそういう意味合いも含んでのことだったのかも知れません。もう一つの物語とその主役、それはこれから一歩を踏み出すツバサ先輩のための出航式としても描かれていたのだということ。そしてローラたちから遠ざかるように踵を返し、この舞台 (=現行の物語) から降りる彼女の表情はけれど誰よりも輝きに満ちていて。誰かに目標とされながら歩んできたアイドルの、立ち位置の変化。上手向きになることでツバサ先輩はあの瞬間、また挑戦者になったのだと。

 

そのあとに羽ばたく鳥が一転して下手に向け飛び立っていったのも顕著でした。まるで強いアイドルとしての如月ツバサを象徴するようでしたし、それを飛行機に重ねるようオーバーラップしていくのも本当に素敵でした。それこそ今回の空はいつもより、少し青紫がかった色調のものが多かった印象ですが、もしかするとそれは彼女たち二人への祝福だったのかも知れません。全体的に横の構図が多く、引いたようなレイアウトが活きていたのはきっとそんな彼女たちを見守る目線の象徴。感情的になればグッと寄り、けれどある程度は我慢してナメだったり、ロングで耐える。間も大切にする。そういった全てのフィルムの特性が、交わる幾つかの物語を美しく捉えてくれていたと思います。本当に素敵な映像とエピソードでした。

*1:29話の絵コンテは北村真咲さん、演出は米田光宏さん

『エロマンガ先生』8話のフレーム内フレームと演出について

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部屋から出ることが長い間出来なかった紗霧。親族との別れと心の傷が大きな要因であることは間違いないのだと思いますが、おそらく彼女は兄であるマサムネと向き合い、相手の気持ちを知るのが怖かったのだとも思います。自分に芽生えた恋心を受けとめて貰えるのか、同じ想いで居てくれるのか。そんな不安も彼女が足を踏み出せない原因に成り得ていて、だからこそ紗霧は常に扉一枚分ほどの壁を心に作っていたのでしょう。それは今回の話でも同様で、例え部屋に入れる仲にまでなっても彼女はまだ薄いベールで相手の本心との間に一線を引いていたのだと思います。それは打ち上がる花火をしっかりと見つめるマサムネとの対比にもなっていて、だから紗霧はカーテンを引くことができない。それは直接的な描写として、彼女の “外(=相手の心)と向き合うことへの恐怖心” を現した表現でもあったはずです。

 

けれど彼女は力を込めカーテンを掴み、意を決して自らの意思で幕を明けようとします。そうしないと “語り合った夢” の続きを見られない気がしたからなのか、“自分自身の夢” として語った未来に辿り着けないと思ったからなのかは分かりませんが、きっとその辺りの想いが彼女の背を押したのでしょう。目前に広がっていたのは満開の花火と、響く轟音。けれどその時、彼女は同時に兄の心情・願いといったものの片鱗をも知ってしまった。見ている “花火(=夢)” は一緒でも、見方が違ったのだということを。モチーフ的な視点で見れば画面内に描かれた二枠の窓によっても、それははっきりと描かれていたように思います。

 

二人の間に境界を引くようなシンメトリーのレイアウトと構図。バックショットで二人を並ばせながら、フレーム内フレーム(窓枠)によってそれぞれの視界を分割する印象的なカット。そしてそこへ重なる「やっと分かった、兄さんは家族が欲しいんだ」という紗霧の台詞。一方通行の視点ではなく、同じ場所に立って、同じものを見て、同じ景色を共有してしまったからこそ分かった兄の妹に対する想い。美しくも残酷なこのシーンは、そんな意に反したマサムネの回答と紗霧の心情を非常にエモーショナルに描き出していたと思います。

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けれど、そんな儚さも消し飛ぶくらい強く微笑む紗霧の表情は決してネガティブなストーリーを予見させるものではありませんでした。映り込む花火の光に照らされ浮かぶ彼女はなにかを決意したように “こちら” を振り向き、「ちょっとだけ妹の振りをしてあげる」と語り掛けてくれました。自らのフレーム(=想い)の範疇で相手を見ることをやめ、その枠組みから視線を外すことで紗霧の視点が変化したことを描く。だから正面のショットになる。それは向き合うことに繋がっていくはずだから。

 

自分の感情に固執し、私の気持ちに気づいてもらえないと嘆くだけでは決して前へ進めない。だからこそ「妹になんかなりたくない」なんて言葉の後に「でもしょうがないから」と伝えてみせた彼女の姿はとても美しく芯の強い印象を与えてくれたように思います。紗霧の言葉を後押しするようなカメラワークと、モチーフの連鎖。花火が彼女の表情を淡く照らし出すのも同じことでしょう。彼女の強さと少しの変化を映し出してくれた素晴らしいシーンでした。

 

演出は若林信さん。本当に素敵な挿話でした。レイアウトや人物の距離感、情感の強さが素晴らしくて感動しました。もちろん竹下監督のこだわりも多くあるのだとは思いますし、芝居の感情への寄せ方などはこれまでの話を観てきても作品全体として通底している気はします。