テレビアニメOP10選 2016

今さらですが昨年放送の作品の内、観るつもりだったものは大まかに観たので今回も更新します。放映季順、他順不同、他意はありません。敬称略含む。視聴した作品からのみの選出で、選出基準はいつもと同様 「とにかく好きなOP」 です。

 

大家さんは思春期! / Shining Sky

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コンテ演出原画吉原達矢さん。躍動感あるアクションはさすがとしか言いようがありませんが、テロップを生かした遊びと、それだけに囚われない自由な発想、カメラワーク、テンポなどは本当に素晴らしいと思います。実線を排した優しく溶け込むような絵柄が凄く作品にマッチしていて良いですし、それも含めチエの可愛らしさが存分に表現されているのが堪らないです。

 

魔法少女なんてもういいですから。 / 夢色トリドリパレード♫

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色トレスによるまた別の表現と鮮やかな色遣いのフィルムが凄く素敵でした。キャラクターの動きをフォローしたり上下のカメラスクロールなど定まったベクトルの運動で世界観の奥行きを垣間見せてくれるのもとても出合さんらしいと思います。普段はミトンに当たりのキツイゆずかですが、彼との出会いで世界が変わったことがよく分かるような構成にはつい微笑ましくなってしまいます。嶋田さんの可愛いキャラクター、ちょっとした可愛らしい動きもいいですね。

 

NEW GAME! / SAKURAスキップ

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三者三葉でもそうでしたが木村泰大さんディレクションのオープニングフィルムは主題歌を面白おかしく解釈しながらとても誠実に作品の良さを詰め込もうとしている印象があって凄く好きです。わちゃわちゃした動きも丁寧なそれも全てキャラクターの個性から還元されているものだと思います。細かい芝居はアニメーターのアドリブの可能性もありますが、そういった良さを全て一本のフィルムに収められるのは木村さんの強さなんだと思います。レイアウトも格好良い。何度も観返したくなるOPです。

 

アイカツスターズ! / スタージェット!

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コミカルな芝居や元気いっぱいに笑う彼女たちの表情からは見ているだけで元気を貰えます。常に上手から前へ向け走り続けられる彼女たちの強さ、そのストーリーコンセプトもこの時期以降のアイカツスターズ!を象徴しているようでとても良いです。星を見上げる4人の先にあるのはなんだったのか、その答えが今なら少し分かるような気がします。個人的にはローラと出会ってからの足元のアップショット、芝居が凄く好きなんですが、そのあとゆめがローラを引っ張りながら駆け出したのを、今度はローラが追い抜いて、引っ張り返す、みたいなやりとりが凄く今を象徴している感じでいいなあと思います。

 

ポケットモンスター サン&ムーン / アローラ!!

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観ているだけでただただ楽しい、もうそれに尽きます。ここまで砕けた表現で面白おかしさを出しながらアクションではちゃんと格好良く、レイアウト・カメラワークの切れが凄いのは本当に感動します。作画の楽しさを突きつけてくる、そんなフィルムだと思います。ヒロインをとても可愛く描いてくれている、特に可愛いリーリエの表情が色々見れるのもいいですね。有難いです。

 

フリップフラッパーズ / Serendipity

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背動を軽々こなしているように見えてしまう奥から手前、その逆もまた然りな立体感のあるアクション作画には否応なく魅了させられてしまいます。髪の靡きだけ取っても一つ二つの動き方じゃ収まりも利かず、こんなにも作画の表現には幅があって、奥行きがあるんだということを当たり前ではあるのですが、改めて思い知らされました。ダークな雰囲気から空へ抜けるような、彼女たちの物語をぐっと感じられる構成もいいなと思います。蓋を空けてみれば本編が最小限まで圧縮されたようなフィルムでしたね。一つ傘の下に肩を寄せ合う二人に胸を打たれます。

 

Occultic;Nine-オカルティック・ナイン- / 聖数3の二乗

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これが石浜真史。ポップな映像とは裏腹なもう一つの側面。ドライヴ感と一枚の絵として余りにも決まっているワンカットを惜し気もなくコンマ数秒で使い切っていく潔さ。凝ったテロップのフォント、配置もさることながら、動くテロップを高速でフォローしていくなど凄まじい発想をやってのけます。主題歌の音源を大切に扱うようなカッティングも魅力。音の拾い方が本当に好きです。Mr.OP/EDマイスター。まあ私自身が色眼鏡を掛けてしまっている可能性は否定しません。

 

舟を編む / 潮風

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シルエットを基盤とした作画に色味の強い背景のイメージが強烈ですが、この作品らしい丁寧な芝居もしっかりと描かれていて、お気に入りのOPです。常に走ることを止めなかった物語に沿うような疾走感のある主題歌、それに合わせるよう矢継ぎ早に紡がれるカット。光陰矢の如し、なんていうイメージさえ想起させられるこの映像は、月日の儚さと、けれどその一つ一つが今の礎になっていることをしっかりと描写してくれていたように思います。観覧車のモチーフも健在。馬締と西岡の周りをぐっと回り込むようなカメラワークが想定線を割る辺りは本編通した後だとまた一入です。

 

響け!ユーフォニアム2 / サウンドスケープ

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手ブレなど、どこかドキュメント感のあるフィルムなのが凄くグッときます。北宇治高校の一年間を見守ってきたからこそ染み入るものもあるのだとは思いますが、ナメだったり、バックショットだったりと見守るような視線が多いことがおそらくは映像としての一因なのでしょう。話数中盤から彩色されるカットが多々ありますが、そういうこともあって個人的にはモノクロの方が過去の彼女たち(もしくは過去の青春)を覗いているようで好きでした。終盤、楽曲の高鳴りに合わせるようにハレーションを起こすユーフォニアムは、まさに『響け!』のタイトルコールにも似た様相を呈していたと思います。素晴らしいです。

 

ろんぐらいだぁす! / ハートKm/h

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物語を一分三十秒のOPで描き切る巧さ。これは演出家としての吉原達矢さんの凄さでもあると思っています。この作品の魅力を存分に取り込み、ストーリーテリングをしてこうも感情的で熱の篭るフィルムを作ることが出来る。素晴らしいレイアウト。魅力的で美的な撮処理。ぎゅっと手袋を嵌め、ジッパーを引き上げるカットに、手前から奥へピン送りされる五台分の車輪。その全てが彼女たちの想い、心そのものです。本当に素晴らしいフィルムです。心からそう思います。

 

 

というわけで、以上が2016年度テレビアニメOP作品の10選となります。

昨年も丸々一年。本当に素敵な映像体験をありがとうございました。制作に携わる方々には大きな感謝を。今年も魅力溢れる映像が幾つも出てきていますが、まだまだこれからですからじっくり観ていきたいと思います。OPって本当にいいものですね。たくさん観返して、改めてそう思えました。

『小林さんちのメイドラゴン』13話 最終回 いつかの未来と今について

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動揺や不安。そういった負の感情への煽り方が本当に巧かったと思います。トールが部屋を出ていく時に始まり、ベランダで空を煽ぐ姿への閑静な繋げ方、カンナが部屋へ戻るとグッと画面の明度が下がり影面積の多い作画になり、音も消える。これは一話や二話、その後の回でもやっていた見せ方ではありますが、この作品は常にそうして個々の中に芽生える感情をその表層へと浮かび上がらせようとしていたのだと思います。

 

それこそ、今回のようにシリアスな展開になればそれは尚のことだったのでしょう。カンナから 「トールは二度と戻らない」 と告げられた時の表情、間、芝居全てが彼女が抱えた感情の代弁者となっていました。パキっとした影づけも、家事に奔走し、失敗を繰り返す小林さんの横顔や背中もその全てが彼女の心の惑いを捉えていた。当たり前です。だって “二度と戻らない” と語られたことの本質的な意味は “トールの死にさえ” 匹敵する彼女にとって最悪の苦難だったとも言い換えることが出来るからです。

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それこそ本作は幾度となくドラゴンと人間における寿命の違いと、共に寄り添い続けられないことへの理解を諭していました。そしてトールはそれも理解していたのだと、ファフニールとの会話からは読み取ることができます。けれど、感情と理性は別物です。分かっていても悲しむことを止めることは出来ない。だからこそ、未だにトールは自身の中でちゃんとした折り合いはつけることが出来ていなかったのでしょう。故に目を背ける。未来を見ることを止める。むしろ、今この瞬間、小林さんといる時間を大切にしたいと語ることで彼女は必ず訪れるであろう不安から逃げ続けていたのかも知れません。

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そしてそれは小林さんにとっても同じことだったのでしょう。二度と戻らない、言い換えればトールの死に直面したとも言える小林さんは日々の暮らしと仕事の両立で自らの感情を忙殺していたのだと思います。なにより、誰かが誰かを見つめる視線(今話で言えばアバンでの、トールの背中を見つめる小林さんのPOVショット)を時折よく挟んでいたこの作品がそれをほとんどしなくなっていたことも、そういった小林さんの心理的状況が影響していたのかも知れません。けれど、ふと目を配ると、部屋は散らかり、花は枯れ、ゴミは溜る一方で、がらんと空いた部屋が彼女の心の弱い部分を刺激していきます。だからこそ彼女の口から出た「こんなことならオムライス、美味しいって言っとけばよかったな」という言葉。あれは彼女の本音であり、精一杯の強がりでもあったのだと私には思えて仕方がありませんでした。

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けれどトールの声が聞こえると彼女は駆け出します。クールさを基盤としてこれまで描かれてきたキャラクターが走ることの意味は相当に大きいと思いますが、それ以上に少女・女性が全力で駆けていく様は時として感情を起源に描かれるのですから、この時の小林さんの内情もきっとその例に漏れず、推して図るべきものだったのでしょう。ダッチアングルになっているのも不安を煽るというよりは、不安に満たされていた心の闇を駆け抜けていく意味合いが強かったように思います。実際は傾いていない廊下ですが、その傾きに足を取られたようによろける芝居は素晴らしいものがありました。

 

そして扉を開け、影を振り払った小林さんの表情、その目に映ったのはあの日に見たトールの姿そのものでした。一話のリフレイン。そして再会。

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 けれどそれで彼女たちにとっての苦難が解決したわけでは決してありません。小林さん(人間)の寿命との折り合い。またいつ居なくなるかも分からないことへの覚悟。それらは生半可な気持ちで乗り越えられる壁では決してなかったはずです。またそこには、トールの父親に対する説得も同列として含まれていたのだと思います。つまりは他者への理解。受け入れられないことへの寄り添い方。そして “向き合う” ということがどういうことなのか、その全てを幾つかのレイアウトに収めるのはもはやさすがとしか言えません。

 

そしてその応えを小林さんはこう紡いでいきます。「違いを知ることはスタートだ。共に暮らすことも出来る。大切なのはそれがずっと続いていくと信じていけるどうかだ」と。それは彼女が導き出した願いそのものでもあったのだと思います。これまでの暮らしの中で培われたものと、今回の件でそれぞれが思い知った自分自身の弱さ。相手への不干渉を壁として生きてきた彼女たちが、他者と深く関わり合うことで得た感情の数々。誰かを想うというのはこんなにも情熱的で、光に満ちるのだと知ったその経験。その全てを嘘だとは言いたくない。信じていたい。そして、それを願う “今” の積み重ねが自分たちの “未来” に繋がっていくのだと。

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なによりそうした小林さんの想いはトールの元にもしっかりと届いたのだと思います。だからこそ彼女は来るべき未来を享受しながら、「それでも小林さんと出会わなければよかったなんて思わない」と断言することができたのでしょうし、そうして見上げる彼女の視線の先にはしっかりと彼女たち三人で歩むこれからの未来が映し出されていたように思います。パンアップしながら空抜けしていくカットに込められた想いも、きっとそんな彼女たちの願いと同じものだったのではないでしょうか。

 

上る坂道と手を振るカンナの姿。非常にエモーショナルなカットですが、このラストカットにこそこの作品が示したかった未来像はあるのだと思います。最終話のコンテは監督の武本さん、演出処理は木上さんと澤さん。独特なカッティングのテンポとレイアウトの強さが出たこの作品の締めに相応しいフィルムだったと思います。全話を通しての感情的な表現、緩やかで温かな画面とのバランスコントロールは武本さんの尽力の賜物だと思います。関わられた全てのスタッフの皆さまにも心から感謝を。本当に素敵な作品をありがとうございました。

『小林さんちのメイドラゴン』9話の演出について

“この登場人物たちは今なにを見て、なにを想っているのだろう”。それは、私自身がアニメを視聴する際に強く考え、知りたいと願う部分の一つでもあるわけですが、そうした疑問に対する一つの応えをこの作品は鮮明なイメージを持って、いつも誠実に応えてくれているように感じます。それはレイアウトであり、カメラワークであり、間でありと、映像表現によるものが多く、特に本話においてはそれが顕著に表れていたのではないかと思えました。

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中でも一番良いなと感じたのはカンナが小林さんの職場を覗きに行くシーン。仕事の関係上、運動会に来れないと言った小林さんの言葉を確かめるよう彼女の様子を見入るカンナでしたが、その後姿に隠された心情はカットが進むにつれ徐々にその輪郭を露わにしていくような印象がありました。時間の経過、ジャンプカットの様に紡がれていく小林さんの仕事振りをただただじっと眺め続けるカンナの背中。それも彼女の内面に近づくよう、カンナへ映像がカットバックする毎にカメラ(フレーム)と彼女の距離は徐々に近づいていきます。言葉は要らず。じっくりと。ただひたすらに二人を交互に映す映像にはまるで彼女たちを見守るような温もりがありました。

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またそうした温もりあるカメラワークは必然と彼女の心を映す鏡にも変化していきます。なぜなら、カメラはそうした動きを契機にカンナが見つめているもの、感じていることをもしっかりと捉え始めていたからです。彼女をただの被写体として捉えるだけではなく、彼女と同じ視点に立ち、同じものを見ようとすることで映像はその心に触れたような情感を帯びていく。それは、そっとレンズを心に近づけていくような。彼女の言葉をただ待つのではなく、こちらから彼女の言葉を探しに行くようなーー。そんな優しさのあるカメラワークで描かれるからこそ、私たちはカンナの言葉を待たずして、その心に触れたような、そんな気持ちに強くさせられてしまうのだと思います。

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そしてそれは小林さんの立ち位置においても同様でした。「運動会に来なくても大丈夫」という台詞の裏に隠された「本当は来て欲しい」というカンナのメッセージ。それは言葉ではなく、小林さんの視界の先にある彼女の芝居によって克明に描かれていたわけです。もちろん、この場合は芝居が言葉の替わりの役目を果たしているので、一見カメラワークは二の次であるようにも感じられます。ですが、小林さんの視線が降りた先にあの芝居が描かれた意味はきっと想像以上に重いものでもあったはずです。なぜなら、視聴者がカンナの想いを理解するのみで終わるのではなく、ここは “小林さんがそれを理解すること” に意味を見出すカメラワークであったはずだからです。なにより、そうして紡がれたフィルムを経るからこそ、カンナのメッセージを受けた “小林さんの心” に対しても私たちはようやく耳を傾けることが出来るのだと思います。

 

大切なのはカンナの心だけではない。この一つ屋根の下に暮らす誰しもの心が大切であるからこそこの作品は決して誰の感情をも蔑ろにはしない。そしてそれは、この作品がカンナ一辺倒の物語(ドラゴン側の物語)ではなく、小林さんと彼女たち(人間とドラゴン)双方の想いを描くための物語であることをしっかりと伝えてくれていたはずです。一側面だけではない、幾つもの感情。想い。願い。その両翼を広げた作品であるからこそ、この物語からはこんなにも温かく愛おしいものを感じられるのだと思います。

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また、ここのシーンにおいてもそれは同様です。深夜を過ぎた時計の針を映した後に描かれる小林さんの背中。それを見つめるカンナの視線。ともすればカンナの心情だけを捉えたようなシーンになっていますが、小林さんの疲労やカンナのためにと励む彼女の寡黙な姿をもこのカットはしっかりと捉えていたと思います。そしてそれこそがこの作品においてはとても大切なことであるはずなのです。

 

それこそ以前、彼女は 「求められるのに慣れていない」と語っていたはずです。けれど今はどうでしょう。あの時トールの頭を照れくさそうに撫でていたように、何も言わずカンナの求めに応えようと彼女は、彼女なりのやり方で一生懸命に頑張っていました。だからこそ、そんな彼女の姿勢が伝わる画面でこのフィルムが構築されていたことには、やはり大きな意味があったはずです。それはカンナが彼女の背中を見つめていたことも大きな一つの理由として含め、この物語が人間とドラゴンの心の通い(誰かが誰かを想っていること)を描くからに他ならないのでしょう。そしてそれは、今回の件だけを踏まえてのものではなく、やはり彼女たちが心を繋げていく段階を描き映すために、とても重要なことなのだと思います。

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また、そうした段階を積み重ねてきたからこそ、気づけば彼女たちはいつの間にか 「ありがとう」 と当たり前のように言い合える関係にまで繋がっていた。「行くべきかどうかじゃなくて、行ってあげたいかどうか」という話から始まった今回の物語。自分の意思で動いた先にあったものが、精一杯の感謝であることに驚きを隠せなかった小林さんの視線はやがて空へ抜け、「変わったな私の生活、いつの間にか変わったのかな、私」なんていう、おぼろげな結論にまで辿り着いた。見上げる空の境界は曖昧で、それは異種間の隔たりを失くすように、彼女の語る生活と “彼女自身” の変化をただ静かに祝福してくれていたのでしょう。

 

そしてその空の先に小林さんが見据えたもの。ひょっとしたらそれは、これから先も続いていくであろう “彼女たち” が過ごす日々の風景であったのかも知れません。ゴミ箱に見事に吸い込まれた缶の軌道もきっとそれを予見してくれていたはずです。彼女の想いと願いにリンクした放物線。心の真ん中を射抜いた「カラン」と鳴る気持ちのいい音に本話の帰結は託されていたように思います。演出は澤真平さん。初めての処理外の演出でしたが、それでこの仕事。本当にこれからが楽しみな方です。素晴らしい挿話でした。