『宇宙よりも遠い場所』11話の演出と、小淵沢報瀬の視線について

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日本と南極の中継、その橋渡しを描いたアバン。そこで起きた日向を取り巻く不穏な出来事に誰よりも敏感に視線を傾けたのは他でもない小淵沢報瀬その人でした。なにかを堪えるような日向の仕草。小さく漏れる溜息。そんな些細な変化さえ、きっと報瀬にとっては “何か” を感じ取るには不足のないものだったのでしょう。冒頭から報瀬の視線に寄せるようなレイアウトを取っていたのもそんな彼女の気づきにフォーカスを当てるためであったはずです。

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しかし、そんな視線の先にあったのは今まで見たこともないような日向の姿と表情でした。「ふざけんな」と繰り返される怒号から滲み出ていたのは彼女のもう一つの側面で、これまで大人な素振りを見せてきたその姿とそれは非常に対照的なものでした。だからこそ報瀬はそこで驚きもしたし、少し怖さを感じるような感情さえあの時垣間見せていたのだと思います。フレーム内フレームで二人を区分し、影から見やる蚊帳の外に居る様なレイアウトを取ったのもその証左でしょう。けれどそんな感情も束の間で、それはすぐに不安や心配をする情動へとシームレスに変化していきます。原因はなんとなく分かるけど、ことの詳細が分からなければなにも言ってあげられないし、なにもすることが出来ない。そんなもやもやとした感情を映すよう、ここからは再度報瀬の視線に寄るような画面が多く描かれていました。

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日向を視線で追う報瀬。なにごとも無かったかのように平然とする日向。その対比と温度差が少しおかしな空気を生み出していた直後のシーンですが、どちらかと言えばここでも報瀬の心の動きに着目するようなカメラワークで、終始日向のことを考える彼女の感情に寄り添っていくような感触がありました。視線での追い方、台詞回し、ナメ構図を入れたりと、シーンの主体に報瀬を置くのが非常に黙考的。これは、これまで描いてきたことと、その中で培ってきた (現在進行形の) 関係性があるからこそ出来る繊細な描写です。

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だからこそ、以降報瀬が常に考えていたのは日向のことばかりだったのでしょう。母が踏み締めた氷地も、美しく映える夕景も、彼女にとっては “今” 傍に居る日向を差し置いては目に映るものではなくなっていたのです。目の前に広がる雄大な景色も日向のことで埋め尽くされる現状。母の幻影を追いかけ疑似的な再会を果たすためにやってきた南極で全く別のことを考える報瀬の行動と思考。しかし、物語を遡ればそれは納得のシークエンスでもあって、彼女はいつだって “そうしてきた” はずなのです。今自分がしたいことをする。行きたい場所を目指す。過去の想いに囚われていたとしても、それよりも優先することがあると思えば頑なに彼女は今を優先する。

 

「気にするなって言われて、気にしないバカにはなりたくない。先に行けって言われて、先に行く薄情にはなりたくはない。4人で行くって言ったのに、あっさり諦める根性なしにはなりたくない。4人で行くの、この4人で。それが最優先だから。」

 

自分が「こうだ」と決めたことに対しては愚直になろうとも真っ直ぐ正面から向き合っていく報瀬のスタンス。なによりそれは他でもなく、歩みを止めず進んできたこの物語の象徴でもあったはずです。だから、彼女は今回もただそうしただけなのでしょう。目の前にいる大切な人が苦しんでいる様を見過ごせないし、見過ごしたくない。見過ごすだけのバカにはなりたくないんだと。それはこれまで描かれてきた小淵沢報瀬という少女とその物語の延長線上にある応えに過ぎず、たとえこの場所が約束の地だとしても変わることなく自らの意思に従い行動に起こすことの出来るその心こそが、彼女を小淵沢報瀬たらしめてくれるのです。

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だから何度だって見つめる。そして考える。日向のこと、彼女の抱える過去、そして後に語られた「日向と同じだったらどう思うだろう」ということ。虚空を見つめる末に何が見つかるわけでもないけれど、考えるということが次に進むための一歩に繋がることも彼女は知っているから。それはあらゆる手段を講じ、考え、南極に繋がる道を模索していたあの頃のように。「何度も、何度も」氷を割り進んでいく砕氷船のように。考えること・歩み続けることを止めてしまえば、きっとそこで “なにか” が終ってしまうのだということを彼女は感覚として分かっているのでしょう。口を開いた日向よりも、それを聞いた報瀬の表情を引き続き執拗に捉えていたのも、そんな彼女の思考と葛藤を映すためのものであったはずです。

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ここも同様です。気丈に振る舞う日向を見つめる報瀬を映す。そして俯き考えるところまでカメラを回す。執拗に、何度も。“繰り返す” という本作のテーマの一つに沿うよう彼女の心に入り込み、「このままでいいのか」という自問自答の感情を私たちにも伝播させていく。

 

そしてそれは日向が今回の一件に幕を下ろそうとするシーンにまで繋がっていきます。「手だけでいい」「ありがとう」という日向に煮え切らない表情で会話を終えることを選んだ報瀬。しかし、それは紛れもなく彼女が一貫し携えていた感情の溢流に他ならず、それをしっかりと捉える映像の運びも本話のフィルムが報瀬の情動にグッと寄せたものになっていたことと地続きなのです。

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そして終盤のシーン。報瀬の主観として俯瞰気味に撮られた彼女は「小っちゃいなあ、私」と語ったその言葉通りいつもより小さく映り、俯きがちだったその心模様もしっかりと切り取られていました。しかし、それが報瀬にとっては決め手となったのでしょう。カメラは再び報瀬の表情に寄り、その視線の行方を追っていきます。そして今度は俯くのではなくその顔を前へと上げる。虚空に描かれたものはもはや漠然とした感情ではなく真っ直ぐと一点に集約された決意そのものでした。

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その決意が集約されたバックショット。何を語らずとも映された少女の背中がこれから起こるであろう未来を予見してくれる本話におけるベストショットの一つ。そしてアバンとは入れ替わり日向の逆位置に立つ報瀬。「あなたが言わないなら私が言う」「違う、私が言いたいんだ」と、気張るように肩に力を入れた立ち姿。

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そして語られる言葉。

「日向はもうとっくに前を向いて、もうとっくに歩き出しているから、私たちと一緒に踏み出しているからーー」

その台詞を切っ掛けに越える想定線は報瀬と日向二人だけではなく四人の絆が確かなものとしてこの氷の大地に根付いたことを裏付けてくれるものでした。そしてその超えた直後の横顔が日向の主観に近いアングルで撮られたことがよりその意味を強固なものにしていました。なぜならそれは、友人に裏切られ傷を負った日向がもう一度親友と呼べる相手と共に歩み、走り出した瞬間に他ならないからです。そしてそれは報瀬の言葉を紡いだマリにとっても、友達らしい光景に喜びを隠せなかった結月にとっても同じことだったのだと思います。真っ直ぐ見据える報瀬の表情*1はそれこそ四人の代弁で、言うなれば一点の迷いもなく前を向く彼女たちの心そのもの。その視線を携える彼女たちはもうとっくに “遠い場所” へ足を踏み入れているのだと実感することが出来た瞬間でした。

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まただからこそ、もう日向だって「手だけでいい」なんてことは言わずに済むはずです。一人で乗り越えられないなら二人で乗り越えればいい。二人で乗り越えられないなら四人でぶっ飛ばせばいい。手を添え、力を込め、一歩一歩踏み締めるその足跡が四人の築く絆の礎となったように、今宵もまた一つの鐘が鳴り彼女たちへの祝福となってその音は礎の一部となっていくはずです。鐘が鳴るだけでは煩悩は落ちない、でも “あなたたち” とならーー。

 

今回の話は、そんな四人の関係性を日向の過去と報瀬の情動から再び描き切った物語でした。これまで書いてきたように物語の主線は報瀬の感情に多くありましたが、振り返れば日向だけでも、報瀬だけでもない、四人の物語であったことはきっとこの作品にとってとても大きな意味と意義があったはずです。報瀬を軸に構成された映像ではありましたが、でも彼女だけではきっとあそこまで言い切れなかった、その個々の不完全さがよりこの物語を愛おしいものにしているようにも感じます。ともあれ、本当に泣きじゃくった話。ここまでくればあとはもう見守るだけだと思いつつ、残りの物語も彼女たちと同じ歩幅で進み、楽しめればなと思います。

*1:該当のアップショット

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『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』7話のバレットタイムと添えた手の描写について

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ヴァイオレットが湖へ向け飛び立つと同時に始まるスローモーション。オスカーにとってその一瞬が永遠にも感じられる特別なものであることが描かれたワンシーンでしたが、彼女が浮かぶ木の葉へ降り立つことを契機に始まるバレットタイムは、その “瞬間” を美しく、掛けがえのないものとして切り取る役目を強く果たしていて、とても印象的でした。

 

そしてそれは、娘のオリビアが父に交わした「いつか、きっと」の約束と、その実現を果たしたからこそ意味を帯びる映像表現であるのと同時に、オスカーの目に映った時間の流れと、その光景に抱いた彼自身の言葉に出来ない感情の高鳴りを鮮明に描写した演出でもあったのだと思います。

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そこから娘との思い出がフラッシュバックしていくのもだからこそです。オスカーにとってはもう二度と見ることの叶わないと思っていた光景であったはずですが、それでも心の隅に留め、待ち望んだ光景でもあったからこそ、その一瞬から “これまで積み重ねてきたもの” 全てが表出したのでしょう。そしてその全てが彼にとっては短くも長大なものであるからこそ、「水面に浮かぶ木の葉の上に立つ」というシチュエーションがオスカーの中では永遠にも近いワンシーンになっていくのです。だからこそのこの演出。だからこその表現。なにより、それはこの作品が登場人物たちの感情に寄り添った物語・映像を描き続けてきたこととなんら変わりはなく、彼の目に映り、彼の感じたものを描くということも全てはその延長線上にあるはずなのです。

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加えて登場人物の心に寄り添う、という意味合いでは今回の話で幾つか使われた手を添えるショットもそれを象徴してたように思います。手のアップショットは一話でも多く観られましたが、今回はオスカーの手にヴァイオレットが手を添えるというシーンが幾つかあり、それを見つめるオスカーの視線など非常に印象的に使われていたのが記憶に残っています。そして、そのショットを印象的に使っていた意図も、物語が進むにつれ少しずつ明かされていきました。

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それはオスカーとオリビアの関係性の再演。ヴァイオレットが酒に溺れてしまわないようオスカーを守っていたように、これまではオリビアが彼の手を互いに取り合い助け合っていたことを示唆し続けたショットであったこと。娘を思う父の手。父を支える娘の手。その関係性が明るみになることで、ヴァイオレットとの手の描写にも意図が付加されていく過程は非常に感傷的で、もはや溜息をつく他ありませんでした。だからか、手を添えるという圧倒的に情感の込もる芝居に温かさを感じる反面、今回は苦しさをも感じました。そこには、鬱屈としたシーンやショットの数々がそういった感情を煽っていたからという理由ももちろんあったはずですが、“他に彼の手を支え続けていた人が居た” という事実がヴァイオレットの寄り添いに重ねられていたことは、その経緯も含めかなりショッキングなものでした。

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しかし、先程のバレットタイム、浮かぶ木の葉に立つヴァイオレットを見ることで、彼自身の中に留め込まれていた感情は解放され、濁流のように押し流されていきます。「死なないで欲しかった」「生きて、大きく育って欲しかった」。だからこそ、その発露が今度は彼に幻を見せたのでしょう。それは、もしかすれば彼自身が作り出した偶像だったのかも知れませんが、誰よりも一緒に時を過ごした彼だからこそ見ることのできた、オスカーの中に生き続けるもう一人のオリビアの姿でもあったはずです。それはいつも自分のことを支えていてくれた娘の残像であり、実像。だからこそ、今度も同じようにそっと手を添え、彼女は彼の手をしっかりと掴んでくれたのでしょう。そっとその背中を押すように。先へ導いてくれるように。そこから感じられるものにはもはや苦しさもなく、誰かの手に誰かの手が添えられる芝居に従来内包されている温かさ以外、そこには存在していないように感じられました。

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そしてそれがしっかりとヴァイオレットの元へと帰ってくる物語の巡も本当に素敵だったなとも思います。オスカーがオリビアとの日々を取り戻し、新たな道へ踏み出す契機となったヴァイオレットの寄り添う手と代筆。湖畔のテラスに佇むタイプライターはその象徴であり、ここを最後に映すことで今のヴァイオレットの成長と物語の歩みが色濃く寡黙に映されていたのもまた印象的でした。

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ですが、その添えた手に疑問符を投げかけたのが今回の話でもありました。以前言われた「その手で人を結ぶ手紙を書くのか」という本作の命題にすらなり得る言葉。もはやここまでの物語を追っていればその答えなど既に出ていると言いたくなるのが正直な心境ですが、それは彼女自身が出す応えなのだろうとも思います。願わくば彼女がこれまで辿った自動手記人形としての歩みが彼女自身を支えてくれることを祈って。ヴァイオレットが選ぶ道と決意をしっかりと見届けたいと今は思っています。少なくとも私自身はあなたたちのその手が作り出すものに、とても救われていますと、それだけは伝えておきたいです。

反芻と遠望の先へ『宇宙よりも遠い場所』8話

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自分たちのやりたいこと、向かいたい場所、胸に秘める想い。そんな幾重にも重なった感情を反芻しながら、これまでの物語の中で切実に訴えてきた本作にあって、今回の話はそれを再度描いたしたものとしてとても胸に迫るものがありました。モノローグでもなく、メモワールでもない。その “瞬間” に「選択したんだよ、選んだんだよ」と言える強さはもはや本作の代名詞そのもので、それを噛み締めるように繰り返し、しっかりと前を向き直す波際のシーンは、もはや感動的であったという他ありませんでした。

 

一つ一つ重い扉を抉じ開けるように進んできた彼女たち。だからこそ、目の前に広がる荒波だってその全てが彼女たちにとっては一つの到達点であり、通過点なのでしょう。彼女たちに浴びせられた海水の雨はそんな4人への洗礼であると共に、おそらくは「やっと船に乗れた」少女たちへの祝福としても描かれていたはずです。そしてそんな姿を船内越しに撮るアングルはまさに前へ進んでいく彼女たちの背中をそっと見守る私たち受け手の視線そのものでした。

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そして繰り返される横一列のカットバック。これまで感じていたものが少なからずバラバラだった4人の感情が、この瞬間だけは間違いなく収束していたことを確信として捉える彼女たちの横顔。遠望する視線。一面青の光景。広がる大海へ浮かぶ、それぞれにとっての “宇宙よりも遠い場所”。

 

それは「ここから、始めよう」と繰り返し続けてきた彼女たちの一歩が集積し、象られた瞬間でした。そしてなにより「その時確信した、この向こうに本当にあるんだ」と、そうマリが思えたことも言ってしまえばきっと同じだったのだと思います。それは南極に向けてだけではなく、自分たちの中に視ていた夢に対しての言葉であり、可能性が現実に変わりつつある “景色” に対しての言葉でもあったのだと。それはこの作品が、その場所を目指した軌跡とその姿に美しさを見出す物語を描き続けてきたことと何一つ変わらない解釈であるはずです。

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でも、そこに在る物語は決して一つではないんです。4人の姿があって、4人の想いが確かにここまで運ばれてきたことも本作はしっかりと描いてきた。これは一括りに描かれた物語ではなく、“一人一人の物語” でもあるはずだから。だからピントをずらす。一人一人の言葉に、表情に焦点を当てるため、ピン送りをする。大枠での方向性と、それでも決して綯い交ぜにはしない個々のミクロな物語の存在。それをとても大切に、丁寧に描く。彼女たちの感情を置き去りにしないように。

 

その配分と見せ方が本当に素晴らしい、感動的な一つの締め括りの話だったと思います。これからも足元を見直したり、想いや目標を繰り返し思い出すことはあるでしょうけど、彼女たちにはもっと先へと向かって行って欲しいです。そしてその先の景色を私も彼女たちの数歩後ろからでもいいので、是非一緒に見てみたいなと思います。