『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』6話の演出について

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リオンとヴァイオレットを交互に映すカッティング・カットバックが多く見られた今話。「こういう顔なんだ」と言ったリオンの言葉宜しく、無表情であること、怒っているように見えてしまうことを逆手に取った表情の機微を取らえるコンテワークがとても印象的でした。ポン寄りなどの心に踏み込むようなショットや、交互に何度も切り返す映し方は前話でも見られましたが今回ではさらにそれが顕著だったと思います。

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交互に映し、少しずつ近づけていく。過程を切り取る。二人の距離感と反応を伺うように繋がっていくカット運びは緊張感もありつつ、しっかりと両者の対話を描いていました。コミュニケーションが得意とは言えない二人ですが、その距離を詰めるように段々とヴァイオレットを理解し、心惹かれていくリオンの姿を克明に刻むカッティングがとても丁寧でしっかりとその心の変遷を捉えていたと思います。

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そして、自身の解読に遅れることなくタイプを続けるヴァイオレットに何かを感じ取るリオン。最初の邂逅から何度目かの表情の機微がここでもしっかりと描かれていて、その徹底ぶりには少し驚かされました。室内でのやり取りなのでどこにカメラを置くのかが難しく、バリエーションも多くは作れない場面ですが、ここまでバストショットやアップに拘りそれを交互に繋いでいたのは、それだけ彼ら (特にリオン) の反応をしっかりと映したかったからなのだと思います。そしておそらくは、その原因がヴァイオレットであることを指し示すカッティングでもあったのでしょう。彼女を映し、彼を映す。その繰り返しにはリオンの変化を捉える上での強い意味もやはり多く含まれていたはずです。

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ここも同様です。少しコメディっぽくもありましたが、リオンの感情が強く示唆されていた場面でした。フランスパンは二人で分けるのに丁度良い大きさなのか、『聲の形』でも何度か描かれていたプロップ。そしてここでもカットバック。込もる力が少しずつ強くなり感情的になっていくのが面白いですし、アバンでのぶっきらぼうな態度から辿れば、こういったリアクションを取ること自体が彼にとっては大きな変化であることがしっかりと感じ取れます。そしてヴァイオレットにもカメラが少しだけ寄る。リオンの感情的な物言いに充てられたような、そんな少し強張った彼女の表情がとても良い味を出していました。

 

こういった描き方・カッティングが本話ではやはり多く、以降の彗星観測の場面でもやはり同様のカット運びが見られました。劇的だったり、トリッキーな見せ方ではなく、非常に堅実でオーソドックスな見せ方。でも、だからこそリオンの反応と変化、その理由をカメラはしっかりと拾うことができるのでしょう。彼が目を見開く理由。眉根を動かす理由。手に力が込もる理由。そのすべてを明らかにしてくれるコンテワーク。だからか本話を観終えて一番最初に感じたのは “感情を切り取る丁寧さ” であり、それ故の感動でした。

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ラストシーンも同じです。徹底した対話。分かり易い構図・配置。けれど、だからこそ響く言葉の力とリオンの変化。手紙を通してなにかが変ってきたこれまでの話とは違い、言葉と会話の果てに誰かの生き方が変化していく物語だからこその映像。

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ゴンドラとリオンを交互に映すカット。拓く視界。陰から陽のあたる場所へ。そして澄んだ空をバックに映るリオンの涙と笑顔。これまで同様、この作品らしいエモーショナルな締め方でしたが最後のモノローグに切り替わる瞬間まで基盤となるカットの運びは変化していなかったように思います。遠く彼方、ゴンドラが見えなくなるまでその行方を追ったカットバック。まるで彗星のように彼の心に強く根付き、束の間に去っていった “もう出会えないかもしれない” 彼女の存在を象徴するようなシーンです。

 

なにより本話において彗星は別れの象徴そのものでした。母との別れ。少佐との別れ。そして、ヴァイオレットとの別れ。けれど、裏を返せばそれは出会いの象徴としても描かれていて、そうした200年に一度の出会いによって目の当たりにした美しい光景を胸に、私たち人は今日も前を向いて歩くことが出来るのかも知れない。少佐を「世界そのもの」と言い切れるヴァイオレットの様に。ヴァイオレットに出会い新たな道を歩み始めることが出来たリオンの様に。

 

「その別離は悲劇にあらず。永遠の時、流れる妖精の国にて、新たな器を授かりて、その魂は未来永劫守られるが故にーー」

 だからこそ心配しないで。前を向いて、あなたには “あなたの道” を歩んで欲しい、と。もしかすればそんな想いが、この一節のあとには続いていくのかも知れません。そうした予感を含め、リオンとヴァイオレットの今とこれからを映してくれたのが本当にグッときましたし、彼らを見守れたことがとても嬉しかったです。

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また、本話にはこれまで書いてきたような対話的な見せ方とは違う、非常に印象的で余白のあるカットが要所で挟まれていました。それはバックショットです。上記に挙げてきたような画面より、こちらはもっとエモーショナルな画面。レイアウトが良く、被写体の背中越しに景色や空を見るようなカットの数々が描かれ、その緩急が今回のフィルムに視界の広がりと感傷的な雰囲気、言葉に出来ない感動多く生んでいました。

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本話の演出を担当されたのは木上益治さん*1。最近では『響け!ユーフォニアム』5話*2などで素晴らしい挿話を手掛けていましたが、あの話数のラストカット同様、こういった独特な絵をスッと入れるのは木上さんの演出の強さだと思っています。それだけが木上さんらしさというわけでは決してないですが、余白があったり、背中で語る情感の良さは最近の木上さん演出回ではよく見ることが出来るシチュエーションです。フレームと被写体の間に多くのものを詰め込むというか。登場人物たちの情動がそこに存在しているよう感じられるのが堪らなく良いです。

参考:『響け!ユーフォニアム』5話の演出について - Paradism*3

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こちらも同様。どちらもバックショットから情感を得られるシーンです*4*5

前方に広がる光景と手前に置く登場人物たちの心情をどこかでシンクロさせる。『中二病でも恋がしたい!』の場合は前方に線路・遮断機・電車を置くことでその意図を示唆し、何重にもモチーフを重ねることで情動をより煽っていました。今回の話もそうですが、こういった絵を組み込み静かに訴えるような映像に纏められるのは木上さんの演出の良さだと思っています。『響け!ユーフォニアム』12話なども印象的でレイアウト的にも何かを想起させるような余白のあるカットが多く、その積み重ねが力強さを生んでいました。直近の『小林さんちのメイドラゴン』6話などは特にバックショットが冴え渡っていて素晴らしい挿話でしたが、そういった情感のあるカットと映像の運びが今話でも垣間見れたことに嬉しさを感じます。

 

もちろん、 シリーズ演出の方向性も加味してのフィルムなのでしょうが、要所要所で木上さんらしさを感じられた氏特有のフィルムだったことは間違いないです。対話と情感。そのバランス。話としても、演出としても。とてもグッとくる、素敵なエピソードでした。

参考:『小林さんちのメイドラゴン』6話の演出と『MUNTO』のこと - Paradism

*1:三好一郎名義

*2:『響け!ユーフォアニム』5話コンテ演出木上益治(三好一郎名義

*3:5話でも素晴らしいカットバックが印象的なシーンで使われている

*4:中二病でも恋がしたい!』6話コンテ演出木上益治 (三好一郎名義

*5:小林さんちのメイドラゴン』6話コンテ演出木上益治 (三好一郎名義

高雄統子演出の視線 『ダーリン・イン・ザ・フランキス』5話

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ゴローがヒロに視線を向けるカットの多さが目立っていたのは序盤。ヒロの変化やゼロツーとの関係を見つめる彼の目は特に印象的に描かれていました。レイアウト的にも巧く、どれもヒロとは目を合わせない位置に置かれ、さりげなく彼を見つめるスタンスが際立ちます。これまでもヒロの傍に寄る立ち振る舞いをしてきた彼ですが、おそらくは立ち直り始めたヒロを見守る役目を彼が担っていることも今回そういった立ち位置で描かれた理由の一つなのだと思います。ですが、きっとそれだけではなかったのでしょう。感じる違和感や、異変。そういったものを含めての視線。だからこそ印象的に映る “傍に居ながらのこの距離感” はかなり独特です。

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食事のシーンではイチゴに対しても同じような視線を見せます。バストショットから視線を横に映すと次のカットでカメラは引き、イチゴが前部に映る。ここでも丁度影にかかるイチゴのレイアウトが巧く、ゴローとの対比と距離感が強く浮き彫りになります。

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そしてゼロツーがヒロと部屋を出ていく場面。手を繋ぐアップショットからカメラは廊下側へ。手前に向け二人が走り抜けていくのと同時に、ゴローとゾロメはポツンと廊下に取り残され、バックショットに切り替わります。ゾロメが前へ屈むとゴローの背中が見えるのが非常に巧く、同時にではなくワンテンポ置いてからアップショットの際に振り向くのが “彼だけが感じている” 不穏さを滲ませていて、続く水滴・波紋のカットへの繋ぎとしても強い効果を生んでいたはずです。

 

こういったヒロやイチゴへ向けられた視線の数々は彼が感じている “何か” を映すものとしてとても巧く、機能的でした。彼らしい一歩引いた立ち位置であった筈が、それが裏返り、異変や予兆、不安さの兆しになっていく。そして次は一歩引いたレイアウトに視線を交え、その見つめる先の対象も同じ画面の中に映すことで距離感を感じさせる。狂い始める歯車。影。分断。視線。その全てが “不穏” という一つの言葉に収束していくのを実感させられるからこそ、観ていてこんなにも息が詰まる感覚を覚えるのだと思います。

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あの部屋での出来事はその集積です。感じていた不安が現実になり、一歩引いたままでは居られなくなったゴローは影中へと取り込まれてしまう。視線は外され、また距離感が生まれる。直接話しているのに向き合わないレイアウト。視線の先には相手の顔が浮かんでいるはずなのにその相手に顔を向けることのできない苦悶の表情。もしかすれば、これはヒロやイチゴの変化や異変を描くための話だったわけではなく、その周囲に居る人の不穏と変化をも繊細に描くことへ注力した話だったのかも知れません。おそらく、ゴローはその中でも一番顕著な描かれ方をした人物だったのでしょう。

 

そしてなにより、そういった一人一人が当事者になっていくまでの過程を色濃く鮮明に描くため、互いの視線や立ち位置 (レイアウト) を強く意識させるのが高雄統子という演出家の味なのだと思います。それは過去の作品を遡っても、今回の話を観ても強く感じられる特色であるはずです。

参考:『けいおん!』11話にみる高雄統子演出について - Paradism

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一番それを強く感じさせられたのはこのカットです。画面内に映る登場人物の視線がほぼ違う方向へ向いていますが、一人影に覆われるイチゴをナメにして、それを見つめるゴローがとても印象的に映ります。感情的で、感傷的で、凄まじいレイアウトのカット。多人数を一画面に纏める巧さも相まり、唸らされます。

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続くカット。引き目のバストショットでゼロツーの視線を見せつつ、アップショットでそれを捉える。非常に意志の強い、感情的な表情を真正面から撮ることが出来るのが高雄さんの持ち味でもありますが、今回はそれが脅迫感染みたものにとって代わっているのが面白いです。ですが、意志の強さが芽生えるカットということでは共通項。ハッとさせられるような表情が今回は (良い意味で) 心臓に悪いです。

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この辺りも良いです。視線と距離感。レイアウト。俯くイチゴと彼女を見続けるゴローの対比、ゴローの中に浮かぶ言い知れぬ感情。これまでの立ち位置ではいられなくなったことを示唆するかのような横並びの逆光と構図もパンチがあります。そして、雨とアンニュイ。高雄さんらしいモチーフの配置も冴え渡りつつ、これからへの不穏さを滲ませ続けた画面には心酔しそうになるほどでした。そしてなによりもレイアウトが巧く、視線の置き方が丁寧で登場人物の感情や思考をそこに乗せるのが巧いなと感じます。誰かが誰かを見ている、見つめている。そしてその先に物語を展開していくーー。その軸の太さと演出を久々に味わえたのが本当に嬉しかったです。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』5話の演出・再演について

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同ポが促す再演への期待。回想で語られたシャルロッテの出会いが現在へと回帰していく映像がとても良く、素敵でした。泣いていた少女と祈る少女を遠巻きに見つめるように前景を立てるレイアウトも憎らしく、この絵を何度も使う理由には今話の主題の一つでもあったシャルロッテ姫の成長を見守る意図も多く含まれていたのだと思います。

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もちろん見守るだけではなく、正面から切り取ったり、至近距離までカメラを近づけ、感情を直接的に映し撮るのも今話の良さに拍車を掛けていました。それは本作が「本当の心を掬い上げる」物語でもあることと同じく、溢れ、零れ出す感情を映像としても見過ごすことなく捉えることに “掬い上げる” という意味を見出したからに他ならないのでしょう。それは時折差し込まれるヴァイオレットやシャルロッテたちの感情的なアップショットにも同じく当て嵌めることの出来るものであり、そうした被写体に寄せるべきカットこそが本話においては “本当の心” の代弁者にも成り得ていたのだと思います。逆に被写体から離れていくカットはそうした感情的なカットの余韻や予感を描くカットとも機能していて、そんな二つのカットの緩急がこの作品の感情曲線をコントロールしていると言っても過言ではないはずです。

 

それが端的に表れていたのが告白シーンの終盤。限界近くまで寄ったカットがシャルロッテの返事を捉えると、カメラはまた遠くの視点に移り、寄り過ぎたカメラを正すよう少しずつT.Bしながら見守るような立ち位置に戻ります。こういった緩急のつけ方・情感の持たせ方はこれまでも他の話数や特筆して第二話*1でよく見られました。そういったところにシリーズ演出でもある藤田春香さんの演出スタイルはあるのかも知れませんが、そもそも関わっている回を観ていると山田尚子さんの影響も多分に受けていると思われる藤田さんですし、小気味良い速いテンポでのカッティングなども含め今回の話に関してはコンテをやられている山田さんの土台を作る力も相当大きいのだとは思います。*2

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また今回の話においてはもう一つの再演がありました。それは繰り返し映されていた “アルベルタがシャルロッテを起こしに行く” というシークエンス。カーテンを開けては色々な表情のシャルロッテが度々映し出されていましたが、そこから共通して感じられたのはまだ幼さの残る彼女の素顔と陽のあたらない下向きな印象でした。

 

おそらく、あの天蓋ベッドは彼女にとってのパーソナルスペースそのものだったのでしょう。締め切ったカーテンやクッションで身体を隠すルーティーンは内向きで本当の心を言葉に出来ない彼女の現状を示唆していましたし、そういったネガティブな印象からくる隔たりやそれ故の成長と解放が今回の話の肝になっていたのは言うまでもありません。けれど、シャルロッテはヴァイオレットとの手紙作成に際し少しずつ変化を見せ始めます。一喜一憂、もはや相手に向けられた怒りすらそれは前向きな感情となって描かれていました。表情と機微の変化。力強い筆の軌道。飛び散るインク。そして告白を受け入れた庭園での一件が終わった後、彼女はその陰に覆われた場所から誰に言われずとも起き上がり、降り立つのです。

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そしてカーテンを開けようとするアルベルタの耳に届く笑い声。変化と予感。そして兆し。もうここまでくれば、画面から想起される不安は一つもありませんでした。カーテンを開け現れるシャルロッテはさながら扉を開け新たな道を踏み出そうとする前向きさの象徴そのもので、浴びる逆光から滲む光はこれまでの彼女への印象を全て掻き消すほど美しくその姿を照らし出してくれていました。

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ですが、それは彼女がこの場所から巣立ち、アルベルタの元を離れることをも意味します。再演で描かれた変化がもたらしたのは別れと門出。だからこそ滲む感情的な言葉、表情、声色はもう一つの物語の終幕の契機となり、これまでになく感情豊かなアルベルタの表情をスッと引き出してくれました。シャルロッテが泣き出してしまった際も遠くを見つめ物想いに耽るような表情を見せた彼女ですが、今回はそれ以上に温かみのある表情。

 

一言で言ってしまえばとても母性的であり、情愛に満ちたもので、その視線の温もりと姫に髪飾りをつける手つきの優しさにはついぞ、否応なく泣かされてしまいました。芝居のタイミングも柔らかく、どこかこれまでの苦労を感じさせる皺と少し太めな指のフォルムはアルベルタがシャルロッテのもう一人の母である所以を寡黙に、けれど雄弁に語ってくれていたと思います。それこそ本話の中ではアルベルタを指して一度も 「あなたが母である」 ことを名言しなかったことがここにきて効いたのでしょう。明言されないからこそ映像から語られるその言葉が強く胸に沁みるという一つの演出ロジック。正直、この一連のシーンは “本作” のベストシーンに上げてもいいくらいだと思っています。

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そして今度はシャルロッテがアルベルタの手を引く。これまでとは逆の関係性。下手から上手に立ち替わる少女の成長と記録。本当の母ではないけれど、間違いなく母であった “あなた” への精一杯の感謝と礼節が込もった一連のシーンが本当に素敵で、何度観返しても涙が溢れてしまいます。

 

そしてここでもカメラを引かせる動きが数度見られ、立て続けにアップで繋がず緩急を挟む見せ方と巧さが際立ちます。シャルロッテの動作を全体的に見せる意味合いも、状況説明をする意味合いもあるのだとは思いますが、なにより少し離れた場所にカメラを置くことでその空間を一度二人だけのものにしてあげる温かみを私はどうしてもそこから感じてしまうのです。群像的な物語に在って幾方向にも感情が飛び交う中、こうしてじっくりと二人きりの時間を作ってあげる映像美。もしかすれば私がこの作品に異様に惹かれている理由はそこにこそあるのかも知れません。それを気づかせてくれたことも含め、本当に素晴らしい挿話だったなと改めて思います。嘘偽りなく、これまでの話の中で一番泣いた話でした。

*1:コンテ演出藤田春香さん担当回

*2:加えて共同演出処理に澤さんも参加されています。藤田さん山田さんの名前をどうしても大きく感じてしまいますが、これまでも力のいる回を多くこなしてきた方なので澤さんの腕もフィルムに影響を与えているはずです