『色づく世界の明日から』3話の演出について

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Aパート冒頭のシーン。ここまでの話の中でも何度か使われたモノクロの演出ですが、そこから繋がる対比、その実際的な色味を見せるための構図・レイアウトにとてもドキっとさせられました。瞳美の主観としてモノクロに映るステンドグラスを映したあとに現実での鮮やかな色味を見せる映像の運び。こういった形で色鮮やかなものが彼女には色味なく見えてしまう実情を浮き彫りにしていたのはとてもショッキングである反面、瞳美の見る世界と現実とのギャップを推し量るという意味ではとても良い対比だと思いました。二人と瞳美の間にステンドグラスが在るというレイアウトも距離感を感じさせてくれる見せ方で、見ている世界の違いが人間関係の違いにまで重ねて描かれるとても印象的なカットになっています。

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そういった彼女と周囲の人々との違いが断絶的に描かれていたのも印象深く、撮影体験の失敗を境に描かれたこの辺りのカットもまた瞳美との距離感を克明に表現していました。流れに押し切られモデルを請け負ってしまったこと、その延長で “色が見えない自分” を改めて実感させられたこと。それは「何も知らない方がお互いに楽」と考えていた彼女にとってとても辛い出来事だったことは想像に難くありません。光と陰による分断はそれをより強調した形で、葵という “新しい世界との出会い” から返される踵は瞳美の心持を代弁するかのように哀愁を帯びていました。

 

またステンドグラスのカット同様、瞳美のバックに色鮮やかな青空を映すというのもおそらくは意図的なのでしょう。これほどまでに色づく眩い世界がすぐ近くにある一方で、それを自らの目で捉えることが出来ない瞳美の憂鬱。それを印象付けるために鮮やかなものを彼女と同じフレームに映していくのは残酷でありながら、とても感傷的に映りました。

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世界へ背を向ける (向き合わない) という行為・配置に関しては、瞳美があさぎたちを避けるように目を逸らした終盤のシーンとも一致します。少しずつ慣れつつあった世界・友人たちとの関係性がまた振り出しに戻ってしまうのではと思えるシーンの連続にはやはり堪えてしまいますが、向き合うことの怖さや難しさ、それを誰より感じている瞳美の内面を捉える意味では大切なシーン・カットだったと思います。

 

ですが、彼女の心情も少しずつ変化していて、向き合うことそのものが嫌になってしまっているわけでは決してありませんでした。「ちゃんと顔を合わせて、ちゃんと話をしなきゃ駄目」。向き合うということ。対話を重ねるということ。それは友人や魔法、そして今見えている世界に対してもきっと同じことが言えるのだと思います。

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その最初の一歩として描かれたラストシーン。「プール掃除、私もやります」という彼女の自発的な言葉を契機に描かれた一幕。無理矢理モデルをやらされた少し前の自分とは違う、月白瞳美の新しい一面との出会い。そしてそれを祝福するように彩られる淡い虹はきっと彼女に贈られた祝福そのものだったのでしょう。「入部させて下さい」と紡がれた言葉に続き映される虹も同様です。

 

色の見えない世界を生きる彼女が、新しい世界に飛び込んだ瞬間。むしろ、それこそが本作の謳う “色づく” ということなのかも知れません。目に見える色合いや鮮やかさだけを指すのではなく、関係性や心持ちで彩られていく個々人の物語を指した主題。それを『色づく世界』と語るのであれば、それはとても素敵な表現であり物語だなと思わずにはいられません。

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それを象徴するような同ポのカット。「無理」だとモデルをやることを拒んだ際に映されたもの*1と、自ら「やりたい」と語った際に映されたもの*2。些細な光彩の変化ではありますが、たった少しの勇気、少しの変化が物語の印象をがらりと変えてしまう妙を描いていたのがとても良かったです。タイトルに相応しい色と光からアプローチした画面作り。登場人物たちの成長や関係性はもちろんですが、そうしたビジュアル的な面においても今後どういった映像を見せてくれるのかが本当に楽しみな作品です。

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*1:左キャプチャ

*2:右キャプチャ

『SSSS.GRIDMAN』2話の宝多六花に寄る演出について

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グリッドマン同盟なるものの発足の傍らで鬱々とした表情を見せる少女、宝多六花。一話における戦闘の影響でクラスメイトが居なかったものとされてしまったことへのショックは隠し切れるものではなく、その心情を汲み取るレイアウト、陰影、距離感が非常にうまく表現されていました。視線誘導的な意味でも、明暗としても、心情的なテンションの差がとても明確に描かれています。もちろん裕太たちにとってもショッキングな出来事であったことには替わりないのでしょうが、おそらくは六花の方がよりその現実を自身が直面している体験として受け止めることが出来ていたのだと思います。

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「もし同じ様にまた友達が死んでいたことにされてしまったら」「この世界から消えてしまったら」。ビール函越しのショットはテクニカルでありながらそんな彼女の仄暗い心情をより映していましたし、距離感をつけた切り返しのカメラワークもそういった想いを静かに映し出してくれていました。それはまるでグリッドマンという光の側面に立つものの裏に描かれる苦渋の現実を彼女一人が背負っているようにも感じられる程でした。

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目配せだけの芝居カットですが、ここでも他の三人には余り感じられなかった彼女特有の繊細さが表現されています。ダウナーな瞳。少し乱れるか細い髪。演出としてどこまで要求されているカットなのかは分かりませんが*1、線の細さ、瞬き一つとっても芝居の細やかさが彼女の心模様を映すようで印象に残ります。ビール函ナメのカットもそうですが被写界深度を意識したカットに続きここでも六花に強くフォーカスを当てるため周囲を若干ぼかしています。本作に群像性を感じたのはこういった節々の演出・見せ方があったからこそで、こういったカットから一つの出来事に対するそれぞれの立ち位置というものを感じられるのがとても良いです。

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ですが、こと “戦う” ということに関して彼女は当事者になり切れないままのようでした。裕太とグリッドマンだけが戦えるという現状に対し、彼女は一歩引かざるを得なかったのでしょう。その落差というか、立場の違いにまで踏み込んで表現されていたのがとても胸に刺さりました。友達はもう失いたくない。でも、裕太も友達の一人。そんな葛藤が彼女の中にはあったのかも知れません。距離感、高低差、俯瞰。実際的な立ち位置が心的な立ち位置にリンクしていくレイアウト・画面構成。モチーフとして、橋と川というのも “関係性” と “それでも進み続ける時間の流れ” を克明に印象付けるものとして機能していました。

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この辺りも同様です。実際に危険が迫れば、その舞台に六花は上がれない。一人だけ蚊帳の外に居るようなレイアウトは他にもありますが*2、このシーンにおいては無関心を装いたいのではなく、当事者になり切れない彼女の複雑な心境がより描かれていたはずです。

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逆光のカット。光と陰。怪獣を倒したことに対する喜びや、一件に対する興味よりも友人の安否を気遣う彼女の心情が際立つカットです。街中で戦えば犠牲者が出るという当然のことに目を向ける六花の視線。走り出す彼女の足元が、心が、このグリッドマン同盟には一番に向いていないことを描くとても感傷的なシーンでした。振り向きざまに紡がれた「ありがとう」の一言もやはり立ち位置の違いを明確にしていたと思いますし、そうして感情的にはならない彼女の心情を映像面から後押ししてくれていた挿話であったことが、一層この作品を好きだと思わせてくれました。

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友人と談笑する六花とそれを俯瞰する裕太。中盤の橋のシーンとは逆の立ち位置になっているのが面白いですが、友人の日常風景を一歩引いた場所から見るという状況では同様であるはずです。ですが裕太の場合はそれを守る力がある。それが “今は” 六花との違いとして描かれているのかも知れません。今後どういった展開になるのかは全く分かりませんが、今作がそういった群像性を持ち合わせていることは心に留めておきたいなと思いますし、そう思わせてくれた今回の挿話には一話以上にとても惹かれてしまいました。六花の物語含め、今後がとても楽しみで仕方がありません。

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*1:担当されたアニメーターの方のアドリブの可能性もあるため

*2:該当シーン:

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『22/7 「あの日の彼女たち」』の演出について

光、音、レイアウト、芝居、台詞、時間。その枝葉まで如何なくコントロールされた繊細なアニメーションに衝撃を受けた『あの日の彼女たち』。二分にも満たない短編で描かれた本作は少女たちの感情を寡黙に語らない一方で、映像の側面から各々の内面・関係性を描き、そっと彼女たちに寄り添っていた印象を受けました。

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中でも光による画面コントロールは印象的に使われていたことが多く、特に滝川みう編から斎藤二コル編*1へと繋ぎ描かれたアンサーフィルムとも取れる相互の映像は非常に雄弁でした。レイアウトと影づけによる境界、撮影によってより誇張されるビジュアルの変化は何を語らずとも少女たちの輝きをそこに映し出しているようで唸らされます。二コルから見たみうの輝きと、そんな輝きを追い掛けんとする二コルが持つ別の輝き。世界が少女たちを祝福するかのような光は、まるでこの作品における彼女たちの可能性を描き出していたようにも感じられますし、その反面で影へ落とし込まれるその姿はそれだけで “あの日の彼女たちが輝きの只中に居たわけではない” ことをも明瞭に指し示しているようでした。

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しかし、そうしたある意味大胆とも取れる映像の変化とは裏腹にそっと独自のパーソナリティや関係性を映し出している場面でも演出的な明暗によるコントロールは光っていました。河野都編ではあかねとの関係・空気感を色濃くそこに映し出していたのが面白可笑しく印象に残った上に、立川絢香佐藤麗華の両編ではその内面に差し掛かるようなイメージで明暗のコントロールが明確にされています。言葉を多くは紡がない彼女たちの感情や立場をどこか代弁してくれるかのような光と影の質感。それが本作の凄味を一つ高い場所へ押し上げていることは間違いないはずです。

 

加えて、立川絢香編に至っては扉を開けるモチーフカットで始まり、扉が閉まるカットで終わることで彼女から少し顔を覗かせた内面とミステリアスな雰囲気がより強く表現されていたのが面白いです。佐藤麗華編では時間を大きく跨ぐカッティングと鏡面の演出。鏡面は他のエピソードでもよく使われていますが、少女たちのパーソナリティにカメラを向けるこの作品らしい素敵なモチーフとして機能していたと思います。(台詞や音を含めた) カット割りのタイミング、心の隙間や関係性に踏み込む長尺のカット*2、限りなく劇伴を排し、彼女たちが過ごす時間を出来るだけ “ありのまま” 切り取る映像構成がより、アイドルとしてではない “彼女たち自身” への興味と空間への没入感を深めてくれていました。

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特に『day07 戸田ジュン』編は、前述したような一人の少女を撮ろうとし続けた本作の流れを真っ向から汲んだエピソードになっていたと思います。大きい変化や感情の上げ下げが起きない物語であり、平凡な日常の一幕を描いた生活アニメーション。けれど、何も起こらないからこそ少女たちから滲む関係性や生活感、フラットな表情が見えてくるというのはやはりあるのでしょう。光による質感も過剰に陽が差し込む訳でもなければ影で覆われることもありません。あくまでこのエピソードで描こうとしているのは日常の一幕。*3けれど絢香の主観的なカットでは少しだけその塩梅が変わっていくのが、本作においての “内面をも描く” ということなのだと思います。

 

蝉時雨降り注ぐ中、熱い鍋を前に淡々と仕立てられていく料理。「言われたもの買ってきたよ」の言葉。そして映る滴る汗とその首筋を照らす陽光。それが “誰のための料理” であったのかということが映像として語られていくのに加え、その延長上に首筋にアイスを当てるという芝居*4(ある種の内面的な会話) が入るのがとても良いのです。

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環境音とバックショットで長回しをする見せ方。前述したように登場人物たちのありのままの時間を捉え映すという演出的テーマでは一貫しています。バックショットに宿る見守る性質を存分に生かしながら二人の会話を映していくことに情感があり、生っぽさがあり、だからこそ二人だけの空間がそこに確立しているように感じられるのが本当に堪りません。カメラの切り返しとそれぞれの反応と思考を考慮した間の置き方も素晴らしく、こういったシーンやカットの一つ一つから本シリーズが主軸にしているであろう “彼女たちを一人一人の少女として描く” ということが強く伝わってきます。たった一分三十秒の映像であるにも関わらず、ここまで本作から彼女たちというものを感じられるのはそういった繊細な映像の連なりが芯となりフィルムに強度を与えているからに他なりません。

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そういった映像へのアプローチの仕方に関しては「あの日の彼女たち」シリーズの監督であり、多くのエピソードの演出を担当されている*5若林信さんが手掛けられた『エロマンガ先生』8話にも同様のことが言えると思います。特に山田エルフに纏わる物語に話が移ろぐ瞬間はその傾向が顕著でした。中でも印象的だったのは二つ。一つはエルフが主人公であるマサムネを遠くから呼び止めるシーンです。劇伴を排した見せ方もですが余韻の持たせ方、カッティング、間の置き方によってとても感傷的に映ります。芝居・台詞回しも含めた話ではありますが、最後の揺り戻しの間尺などに言葉では言い表すことの出来ないものが多く詰め込まれているように感じられるのは、「あの日の彼女たち」にも散見された人物象に付加された奥行きそのものです。

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二つ目はマサムネがムラマサとの関係について相談した後のシーンです。「エルフ先生に惚れちゃった?」とエルフがそれとなく、冗談めかしながら言葉を紡ぐとカメラはエルフの表情や心情を捉えるようにその位置を変化させていきます。自身の気持ちについてこの挿話では決して多くを語らないエルフですが、この時、カメラだけは彼女を相談できる作家仲間としてではなく、やはり “一人の少女” として映し出そうとしていたのです。劇伴が消え、ぐっと二人の関係性・少女の内面に寄り添ったフィルムになるのも同様。双方の表情を映す切り返しのカメラワークと、相手の言葉にどういった反応をするのかという一人の少女の揺らぎを捉える映像がとてもエモーショナルで、これもまた前述してきた「あの日の彼女たち」の特性ととても近いものがあるように感じます。

 

物語的には『エロマンガ先生』の方に積み重ねがある分、より心情に寄って描かれているように見えますが、おそらく “彼女たち” への寄り添い方としてはそこまで大きな違いはないのでしょう。関係性と時間をありのまま切り取り、一人一人の内側を言葉ではなく映像から掘り下げていく。生っぽい会話で、その中に含まれる空気感を画面に抽出していく。そんな “彼女たち” について静かに、けれど確実に語り掛けてくれるフィルム・演出に若林信という演出家の魅力は在るのかも知れません。

 

新しい仲間も増え、これからの展開が楽しみな『22/7』。続けて描かれるであろう「あの日の彼女たち」シリーズにも大きな期待を寄せつつ、楽しみに待ちたいと思います。

*1:小林麻衣子さんコンテ演出回

*2:関係性も描くという意味では丸山あかね編(山崎雄太さんコンテ演出回)でもカメラの距離感、二人の会話、空気感など作品の色が出たエピソードになっていました

*3:その一幕を過剰ではない光のコントロールで引き立てているのが本当に素晴らしい

*4:感謝とも労いとも取れる芝居

*5:若林信さんのTwitterより https://twitter.com/huusun/status/1048947325966540800