『22/7 「あの日の彼女たち」』day08 藤間桜の演出について

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独特な間合い、印象的なカッティング、そこに託された心情と関係性。少女たちの内面を寡黙に映すことを美徳とするかのような今シリーズの演出スタンスは健在でありながら、day04佐藤麗華編で描かれた関係性と対となるような見せ方で構成されていたのがとても良かったです。

 

特にこれまでも情緒的に使われてきた切り返しのカメラワークですが、冒頭の切り返しはまさにそれで、桜が振り返ると影中の麗華が桜の主観的に描かれるこのシーンは非常に意図的であったと思います。一瞬驚いたような表情をしてからおそらくは彼女らしい態度で反応を促せてみせた桜でしたが、day04で描かれたようにこの時の麗華は未だ “あの日の” 只中に居て、悩みを抱えたままだったのでしょう。

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振り返ってみれば、証明写真機の中で座る麗華、目元で切るレイアウト、光と陰の対比、影中の心象など徹底したモチーフ、暗示で画面は構成されていました。それこそ穿った見方をすれば非常口の誘導灯が彼女の一つの選択肢でもあるのだと言わんばかりの映像で、「リーダーっぽく」という言葉が*1麗華を悩ませているのだということをday04では克明に描いていたことが分かります。

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そして前述したように今回の話はその延長線上にある物語でもあったのでしょう。鞄を預け上段に上る麗華とそれを見つめる桜。上下の関係性が出来上がる中で位置を変えた麗華でしたが、やはり依然として彼女は影の中に留まってしまいます。麗華を見つめる桜の表情が時折り感傷的なものを含んでいたのも印象的で、ちょっとした遊びをしている中にあって二人の関係性や心情を描いていくという映像の方向性が本当に絶妙なバランスで描かれ続けていきます。

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ですが、忘れてはいけないのはこの映像が “藤間桜” の話であるということです。根幹にあるものは二人の物語である反面、その関係性を桜の視点で描いているというのが今話においては大切であったはずなのです。それは麗華を見つめる彼女の表情を多く捉えていたこともそうですし、信号を使った “閃き” のモチーフカッティングなども同様でした。どうすれば様子のおかしい麗華を元気づけられるのか、どうすれば彼女を影の中から連れ出すことが出来るのかーーと、まあそれはメタ的な視点になってしまいますが、ようは “自分が彼女に何をしてあげられるのか” ということを桜は考えていたのだと思います。それに対しての思いつき、アクション、赤から青へ替わることの心的合致。

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そういった桜視点の感情・思考の変遷を寡黙に、丁寧に描いていたからこそ、強引に話を進め、ずるをしてでも先手を勝ち取った彼女にとてつもなく感傷的な気持ちにさせられてしまうのだと思います。駆け出す彼女をスロー気味に捉えた瞬間などは決意の一瞬と代名したくなるほどのエモーショナルさを携えていましたし、だからこそ、あの踏み出す一歩をグッと沈み込むような作画で描く意味は途方もなく大きいのです。

 

引きの絵も良く、横構図で引き離していく様子を描いていくのは緩急やビジュアル的な意味合い以上にきっと麗華の前を走る桜を映すことに意味がある、そんな心情寄りの見方をせざるを得ない程に、桜が抱く情景がこのシーンには大きく仮託されていたはずです。

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本当は追い越した方が追い越された方に荷物を渡す、というルールであったはずがとにかく駆け抜ける桜。ですが脇目も振らずというわけではなく、やはりこれは麗華のためなんだと思える視線が本当に良く、素敵です。序盤で見せた視線を逸らす麗華の描写とも対比的で、悩みを赤裸々には打ち明けようとしない麗華をずっと見つめている彼女の在り方を指し示すようで、なんだか色々考えているとこのカット一つだけで目頭が熱くなってきてしまいます。

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そして髪を後ろで縛り、桜をめがけ駆け出す麗華。秋という舞台設定に対してのこの真っ直ぐな青さ、コントラストが本当に素晴らしいです。ですがその飾らなさ、都会の秋の風景にこの関係・物語を馴染ませながら描くことが、彼女たちもまた一介の少女であることをそこに描き出してくれていたのかも知れません。

 

奇しくも今回の話は「リーダーっぽさ」というある種の特別さに悩む少女の続話。画面のテンションを一定に保つというのもこのシリーズらしく、特別感を出し過ぎない映像が今回の話にとてもマッチしていました。芝居では麗華が過ぎ去ったあとに少しだけ桜が微笑んでいたのがとても好きです。

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また、今回の話を踏まえday04を観返すと少しだけ感慨深くなるものがありました。リーダーとしての立場を背負う佐藤麗華の苦悩、けれど彼女にはそんな自分の背中を支えてくれる人が居るのだということ。それが藤間桜であり、時には彼女に寄り掛かっても良いんだよというストーリーラインを重ねて描いていたことに気づき、また少し感傷的になってしまいました。だからこそ麗華の背中を追い掛けていく桜という立ち位置がラストカットであることにも二人の関係性や意味は芽生えるのでしょうし、舞台が歩道橋、橋であるということさえきっと全てそこに掛かってくるのでしょう。そんな彼女たちのこれからも見守り続けたいなと、そう思わせてくれる本当に素敵な  “あの日の彼女たち” というタイトルに相応しいフィルムだったと思います。

 

演出は山崎雄太さん。day06同様、画面を余り飾り過ぎないことが生かされた映像だったように感じられましたが、間の取り方や環境音の活かし方など監督である若林さん演出回により近づいているような印象も受けました。一概にどの話数がと言えるものではありませんが、今回の話は自分の中で特に素敵だと強く思えた話でもあったので、これからも定期的に観返していくことになりそうです。あとこれは前回の記事で言い忘れていたので、これまでの話も含め、改めて。本当に素晴らしいフィルムをありがとうございました。主要8人の話は終わりましたが、もし新しく加わった少女たちの話もあるのであれば、是非観てみたいなと思います。

*1:それだけが原因ではないにせよ

『色づく世界の明日から』3話の演出について

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Aパート冒頭のシーン。ここまでの話の中でも何度か使われたモノクロの演出ですが、そこから繋がる対比、その実際的な色味を見せるための構図・レイアウトにとてもドキっとさせられました。瞳美の主観としてモノクロに映るステンドグラスを映したあとに現実での鮮やかな色味を見せる映像の運び。こういった形で色鮮やかなものが彼女には色味なく見えてしまう実情を浮き彫りにしていたのはとてもショッキングである反面、瞳美の見る世界と現実とのギャップを推し量るという意味ではとても良い対比だと思いました。二人と瞳美の間にステンドグラスが在るというレイアウトも距離感を感じさせてくれる見せ方で、見ている世界の違いが人間関係の違いにまで重ねて描かれるとても印象的なカットになっています。

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そういった彼女と周囲の人々との違いが断絶的に描かれていたのも印象深く、撮影体験の失敗を境に描かれたこの辺りのカットもまた瞳美との距離感を克明に表現していました。流れに押し切られモデルを請け負ってしまったこと、その延長で “色が見えない自分” を改めて実感させられたこと。それは「何も知らない方がお互いに楽」と考えていた彼女にとってとても辛い出来事だったことは想像に難くありません。光と陰による分断はそれをより強調した形で、葵という “新しい世界との出会い” から返される踵は瞳美の心持を代弁するかのように哀愁を帯びていました。

 

またステンドグラスのカット同様、瞳美のバックに色鮮やかな青空を映すというのもおそらくは意図的なのでしょう。これほどまでに色づく眩い世界がすぐ近くにある一方で、それを自らの目で捉えることが出来ない瞳美の憂鬱。それを印象付けるために鮮やかなものを彼女と同じフレームに映していくのは残酷でありながら、とても感傷的に映りました。

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世界へ背を向ける (向き合わない) という行為・配置に関しては、瞳美があさぎたちを避けるように目を逸らした終盤のシーンとも一致します。少しずつ慣れつつあった世界・友人たちとの関係性がまた振り出しに戻ってしまうのではと思えるシーンの連続にはやはり堪えてしまいますが、向き合うことの怖さや難しさ、それを誰より感じている瞳美の内面を捉える意味では大切なシーン・カットだったと思います。

 

ですが、彼女の心情も少しずつ変化していて、向き合うことそのものが嫌になってしまっているわけでは決してありませんでした。「ちゃんと顔を合わせて、ちゃんと話をしなきゃ駄目」。向き合うということ。対話を重ねるということ。それは友人や魔法、そして今見えている世界に対してもきっと同じことが言えるのだと思います。

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その最初の一歩として描かれたラストシーン。「プール掃除、私もやります」という彼女の自発的な言葉を契機に描かれた一幕。無理矢理モデルをやらされた少し前の自分とは違う、月白瞳美の新しい一面との出会い。そしてそれを祝福するように彩られる淡い虹はきっと彼女に贈られた祝福そのものだったのでしょう。「入部させて下さい」と紡がれた言葉に続き映される虹も同様です。

 

色の見えない世界を生きる彼女が、新しい世界に飛び込んだ瞬間。むしろ、それこそが本作の謳う “色づく” ということなのかも知れません。目に見える色合いや鮮やかさだけを指すのではなく、関係性や心持ちで彩られていく個々人の物語を指した主題。それを『色づく世界』と語るのであれば、それはとても素敵な表現であり物語だなと思わずにはいられません。

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それを象徴するような同ポのカット。「無理」だとモデルをやることを拒んだ際に映されたもの*1と、自ら「やりたい」と語った際に映されたもの*2。些細な光彩の変化ではありますが、たった少しの勇気、少しの変化が物語の印象をがらりと変えてしまう妙を描いていたのがとても良かったです。タイトルに相応しい色と光からアプローチした画面作り。登場人物たちの成長や関係性はもちろんですが、そうしたビジュアル的な面においても今後どういった映像を見せてくれるのかが本当に楽しみな作品です。

色づく世界の明日から Blu-ray BOX 1

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*1:左キャプチャ

*2:右キャプチャ

『SSSS.GRIDMAN』2話の宝多六花に寄る演出について

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グリッドマン同盟なるものの発足の傍らで鬱々とした表情を見せる少女、宝多六花。一話における戦闘の影響でクラスメイトが居なかったものとされてしまったことへのショックは隠し切れるものではなく、その心情を汲み取るレイアウト、陰影、距離感が非常にうまく表現されていました。視線誘導的な意味でも、明暗としても、心情的なテンションの差がとても明確に描かれています。もちろん裕太たちにとってもショッキングな出来事であったことには替わりないのでしょうが、おそらくは六花の方がよりその現実を自身が直面している体験として受け止めることが出来ていたのだと思います。

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「もし同じ様にまた友達が死んでいたことにされてしまったら」「この世界から消えてしまったら」。ビール函越しのショットはテクニカルでありながらそんな彼女の仄暗い心情をより映していましたし、距離感をつけた切り返しのカメラワークもそういった想いを静かに映し出してくれていました。それはまるでグリッドマンという光の側面に立つものの裏に描かれる苦渋の現実を彼女一人が背負っているようにも感じられる程でした。

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目配せだけの芝居カットですが、ここでも他の三人には余り感じられなかった彼女特有の繊細さが表現されています。ダウナーな瞳。少し乱れるか細い髪。演出としてどこまで要求されているカットなのかは分かりませんが*1、線の細さ、瞬き一つとっても芝居の細やかさが彼女の心模様を映すようで印象に残ります。ビール函ナメのカットもそうですが被写界深度を意識したカットに続きここでも六花に強くフォーカスを当てるため周囲を若干ぼかしています。本作に群像性を感じたのはこういった節々の演出・見せ方があったからこそで、こういったカットから一つの出来事に対するそれぞれの立ち位置というものを感じられるのがとても良いです。

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ですが、こと “戦う” ということに関して彼女は当事者になり切れないままのようでした。裕太とグリッドマンだけが戦えるという現状に対し、彼女は一歩引かざるを得なかったのでしょう。その落差というか、立場の違いにまで踏み込んで表現されていたのがとても胸に刺さりました。友達はもう失いたくない。でも、裕太も友達の一人。そんな葛藤が彼女の中にはあったのかも知れません。距離感、高低差、俯瞰。実際的な立ち位置が心的な立ち位置にリンクしていくレイアウト・画面構成。モチーフとして、橋と川というのも “関係性” と “それでも進み続ける時間の流れ” を克明に印象付けるものとして機能していました。

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この辺りも同様です。実際に危険が迫れば、その舞台に六花は上がれない。一人だけ蚊帳の外に居るようなレイアウトは他にもありますが*2、このシーンにおいては無関心を装いたいのではなく、当事者になり切れない彼女の複雑な心境がより描かれていたはずです。

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逆光のカット。光と陰。怪獣を倒したことに対する喜びや、一件に対する興味よりも友人の安否を気遣う彼女の心情が際立つカットです。街中で戦えば犠牲者が出るという当然のことに目を向ける六花の視線。走り出す彼女の足元が、心が、このグリッドマン同盟には一番に向いていないことを描くとても感傷的なシーンでした。振り向きざまに紡がれた「ありがとう」の一言もやはり立ち位置の違いを明確にしていたと思いますし、そうして感情的にはならない彼女の心情を映像面から後押ししてくれていた挿話であったことが、一層この作品を好きだと思わせてくれました。

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友人と談笑する六花とそれを俯瞰する裕太。中盤の橋のシーンとは逆の立ち位置になっているのが面白いですが、友人の日常風景を一歩引いた場所から見るという状況では同様であるはずです。ですが裕太の場合はそれを守る力がある。それが “今は” 六花との違いとして描かれているのかも知れません。今後どういった展開になるのかは全く分かりませんが、今作がそういった群像性を持ち合わせていることは心に留めておきたいなと思いますし、そう思わせてくれた今回の挿話には一話以上にとても惹かれてしまいました。六花の物語含め、今後がとても楽しみで仕方がありません。

SSSS.GRIDMAN 第1巻 [Blu-ray]
 

*1:担当されたアニメーターの方のアドリブの可能性もあるため

*2:該当シーン:

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