『ひとりぼっちの〇〇生活』の演出、横構図について

f:id:shirooo105:20190619211828p:plainf:id:shirooo105:20190619211834p:plain

ついにソトカとぼっちが友達としての関係を明白に築いた第10話。遡れば第4話の再演となった今回の話ですが、その際の会話を描いたシーンがとても素晴らしく胸を打たれました。かつてぼっちがソトカに向け手裏剣を投げた時とは位置が入れ替わる (ソトカが上手に回り物語の主体となる) 、というのもとても粋な見せ方ではありますが、私が一番感動したのはそれをこういった横構図で捉えてくれいたことでした。

 

特段、珍しい見せ方ではないものの、関係性を描くこと、その分岐点など物語との親和性次第では “向き合う” ということの大きさ、その意味を携えてくれるこの構図は、むしろ本作においてとても大きな役割を果たしていたと思います。

f:id:shirooo105:20190619213741p:plainf:id:shirooo105:20190619213755p:plain

対人の横構図というわけではありませんが、そのまま寄せて映したと思えるこういったカットの連なりも同じことです。向き合うことで生じる視線。言い逃れの出来ない対峙。それまでの葛藤や想いがあるからこそ生じるこの構図は、だからこそ彼女たちの決意や伝えたいと願うことの強さを浮き彫りにしてくれるのです。

f:id:shirooo105:20190619214632p:plainf:id:shirooo105:20190619214642p:plain

それこそ、そういった見せ方は既に一話でも描かれていたことでした。ぼっちがなこに「友達になってくれませんか?」と語った下校シーン。ぼっちの初めてのその言葉を予感してか、カメラがすっと横に回り込みこの構図を描いた時、とても感動したのを今でも鮮明に覚えています。どうしても言いたかった彼女の言葉。明白に友達になったという証拠が欲しい彼女の想いを正面から精一杯汲み取った構図・レイアウトだと感じます。それに向き直るなことの対面を改めて寄りで映すのもとても良いです。お互いの心がしっかりと向き合っていると感じられるカット、それが余りに美しくこの物語の始まりの1ページを彩ってくれていました。

f:id:shirooo105:20190619220043p:plainf:id:shirooo105:20190619220050p:plain

だからこそ、前述したようにこういったカットの運びにもグッときてしまうのです。オーソドックスなカットの運びなのだとは思いますが、シチュエーション、心情、前提として置かれた横構図の存在が、絶妙なレイアウト・アップショット*1の意味をより強く描き出してくれる。そして、それを取り巻くコンテワークの良さが彼女たちの関係性・想いをより鮮明に映していくからこそ、彼女たちの会話、やり取りに没入することができ、その結果こんなにもこの作品のことを 「好きだ」 と思えるのです。

f:id:shirooo105:20190619221441g:plain

また他にこういった構図が使われていたのが、第2話。ぼっちとアルが友達になるシーンでした。横構図に至る前に登っていた鉄棒からアルが降り、それを潜ってくるというのが、素直な自分になる彼女自身の過程としてまた一際素敵なニュアンスを描いていました。自身が残念なキャラであることを隠そうとしていたアルと、そんなアルと友達になりたいと話してくれたぼっちがようやく向き合うシーンでしたが、そこにこの構図を使ったのはやはり意図的なのでしょう。じっくり見せるためのものではありませんでしたが、このカットがあるのとないのとでは感慨が全く違ったと思います。どこまでも “向き合うこと” に拘った映像・物語です。

f:id:shirooo105:20190619222741g:plain

第9話。ここは寄りのカットにPANを使った見せ方ですが、やはり “向き合あう” ことを捉え、描いています。これまでのようなロングショットではありませんが、佳子がしっかりと彼女に向き合った結果「ライバルとして居たい」と語ったことを裏付けるカメラワークと構図です。ナメの構図などが多い本作にあって、こういったカットはやはり目立ちますし、だからこそ印象に残ります。そこに少女たちの真剣な想い、眼差しを乗せることで真っ直ぐな物語を描いていくこの作品のスタンスには、やはり何度だって心打たれてしまいます。

f:id:shirooo105:20190619225251p:plainf:id:shirooo105:20190619225315p:plain

中でも美しいと感じたのが7話のラストシーンでした。直接的な向き合いではありませんが、師弟関係ではなくぼっちと “友達になる” ということをソトカが真剣に考え、それをなこたちに伝えるシーンとしてはやはり “向き合う” ということ描いていたのだと思います。この時、ソトカの向ける視線の先に居たのはきっと少し前に泣きじゃくっていたぼっちの姿であり、いつも一緒に過ごし横で見ていたぼっちの笑顔。その複雑な心境を捉えた一場面として、本当に素適なものになっていました。

 

それこそ、本作は序盤から常に誰かが誰かを見つめる視線を描き、そこに焦点を当ててきました。友達になるという一つの目的の中で築かれていった関係性。だからこそ、見つめること、向き合うことに意味は宿り、やがてそれは誰かを想うことに翻っていったのでしょう。そんな物語と感情の変遷を映像としてしっかりと描き、残し、静かに彼女たちの背中を支えてきたことはこの作品への没入感に多大な影響を与えていたはずです。

 

可愛くコミカルなカットも多く描かれる中、こういったカットたちの存在が彼女たちの過ごす青春をしっかりと切り取ってくれる。そういった信頼*2を毎話経るごとに一段と感じられることが、この作品を大好きになれた最大の理由です。これからどういった最終話を迎えるのかはまだ分かりませんが、だからこそこれまで描かれたこと、そこで感じた多くのことを頼りに、来る彼女たちの未来を今は静かに待ちたいと思います。そして最後に。ここまで好きになれる作品をありがとうございますと、心から。彼女たちと、彼女たちの物語に触れることができて本当に良かったです。

TVアニメ 「 ひとりぼっちの○○生活 」 エンディングテーマ 「 ね、いっしょにかえろ。 」

TVアニメ 「 ひとりぼっちの○○生活 」 エンディングテーマ 「 ね、いっしょにかえろ。 」

 

*1:相手のいる方向に空間を空けることで、そこに相手がいるのだと強く示してくれるカット

*2:どんな時もこの作品は彼女たちに寄り添ってくれると思える信頼

『天気の子』予報を観て

先日公開された新海誠監督最新作『天気の子』の予報第二弾。キャッチーな見せ方を取り入れつつ、楽曲に同期していくカッティング、添えられるモチーフの数々など節々に新海監督らしさを感じられたのがとても良く、胸を打たれました。『言の葉の庭』で深く掘り下げられた “雨” という題材。モチーフとしてはこれまでも数多く監督作で描かれてきたものですが、それを晴らすことに重さを置いていたような映像美がとても印象に残りました。暗過ぎず、前向きな輝きを捉え描いていたのも特徴的で、登場人物たちの背中を押すような光の趣きが新しい新海監督の一面を覗かせているようにも感じられます。

f:id:shirooo105:20190601010648g:plain*1

ですが、そんな中一際これまでの作品たちがフラッシュバックしていくカットがあったことは私にとって非常に感慨深いものでした。それがこのバックショット。走る主人公の背を追い掛けていくカットですが、本作の大きな要素の一つであろう巨大な雲を目掛け走っていく様は、まさしく新海監督が描き続けてきた “届かないものに手を伸ばす姿” の美しさそのものだったと言えるはずです。3Dによる背景動画、走るという動きにより前へ進んでいると感じられる前景と、その奥で微動だにせずそびえ立つ大きな雲。こういったレイアウト・対比が決まっているからこそ、このカット一つにさえ物語が宿り、感傷性が帯びていくのはまさしく監督の “らしさ” だと感じます。

f:id:shirooo105:20190602091828g:plain

特に、一番重なったのは『ef -the latter tale』OPムービーのこのカットでした。届かないものを追い掛けようとする少年少女たちの青春性をワンカットで示す新海監督の巧さにはやはり何度でも唸らされてしまうものがあります。『天気の子』という作品名を聞いた時に一番最初に思い浮かんだ映像が『ef -the latter tale』でもあったのですが、雨が晴れ、差し込む光を望み駆けていく姿を前にしてはやはり思い浮かべずにはいられませんでした。

f:id:shirooo105:20190602094840p:plainf:id:shirooo105:20190602095608p:plainf:id:shirooo105:20190602093428p:plain

f:id:shirooo105:20190602093200p:plainf:id:shirooo105:20190602093452p:plainf:id:shirooo105:20190602095650p:plain

ロングかつバックショットに宿る感傷性も同じことです。どこまでもモノローグの物語であった氏の作品にとって登場人物の背を離れた位置からそっと見つめるよう映していくスタンスは非常に掛けがえのないものになっていました。奥行きがあり広がる遠景、またはその空間とその広大さに対比される個の小ささ (抗いようのなさ) は、それでも尚 “夢” に立ち向かう人間の美しさを雄弁に語るようで、だからこそ私は新海監督の映像というものにここまで恋焦がれてしまったのかも知れません。

 

そういった物語の方向性が出会いに主軸を置き、ダイアローグの物語へと移ろいでいったことは新海監督の変化でもあったのだと思いますが、突き詰めればどこまでも個のミクロな視点に帰っていくことが出来るのはやはり新海誠という作家性の強みなのだと思います。そういったことを今回予報で描かれたワンカットから改めて “感じられた” ことは、自分にとって途方もなく大きく、大切で、喜びそのものでした。

f:id:shirooo105:20190602100303p:plainf:id:shirooo105:20190602100357p:plain

なにより “雲” というモチーフ、それを遠望するファーストカットからこの作品の前風景として『雲のむこう、約束の場所』を視てしまうのは、もうどうしようもないことのだと思います。『君の名は。』でも描かれた逆光と再会、そして別れ。『天気の子』に至っては陽菜がなにを想いあの焼ける夕景を望んでいたのかを今は知る術がありませんが、このビジュアルに胸を焦がすことが出来るのは “予告を観た今だからこその特権” なのだと思います。

 

レンズフレアに込められた新海監督の祈り、世界の祝福が、彼・彼女らにどう降り注ぎどういった結末を迎えるのか。今はそれをただただ楽しみに残された約二ヶ月を待ちたいと思います。本当に楽しみで仕方ありません。

小説 天気の子 (角川文庫)

小説 天気の子 (角川文庫)

 

*1:サムネ画像参考

f:id:shirooo105:20190602101852p:plain

『八月のシンデレラナイン』7話の演出について

f:id:shirooo105:20190523025406p:plainf:id:shirooo105:20190523025445p:plainf:id:shirooo105:20190523025525p:plain

感情を表に出すこと、自分らしく居ることが難しい二人だからこそ寡黙な演出が眩しく映えた今回の話。倉敷舞子の表情変化や、被写界深度、レイアウトを活かした九十九伽奈の視線の描き方など他の話数とはまた一味違った見せ方が光っていました。そんな中、描かれたAパート終盤。下校から終わりまでにかけての見せ方は本当に良く、物語として、映像としても非常に感動させられました。

 

世界を彩る夕景の美しさと、儚さ。どれだけ同好会に惹かれていたとしても “自分” と “彼女たち” の間に感じてしまう隔たりが否応なく突き刺さる演出。近いようで遠い。そんな舞子の目線に立ち描かれた距離感が彼女をより孤独に映し、その心に寄り添うための没入感を与えてくれます。

f:id:shirooo105:20190525120609p:plainf:id:shirooo105:20190525120624p:plain

外界の眩しさと内側にあるものの暗さ。今回の話においては舞子が置かれていた状況と当時の心の内を寡黙でありながら、何より雄弁に語っていたカットです。陽が沈むこと、部屋の暗さも影響してか心なしかさらに赤みがかる撮影効果。ぶれる視界、歪む声。OPで描かれるような “青さ” とは真逆の少女の葛藤 (映像) が次々に描かれていくことで、彼女に対する印象が刻一刻と変化していくのを強く感じさせられます。

f:id:shirooo105:20190525121548p:plainf:id:shirooo105:20190525121610p:plain

また扉を使った見せ方もかなり印象的でした。感情を表に出すことが苦手な伽奈だからこその苦悩。「気に障ったのなら謝るよ」という口癖に象徴されているように、きっと彼女自身も “踏み込むこと” への躊躇いを常に抱いていたのでしょう。自らの心を閉ざしてしまう、相手の心を開けることの出来ない二人の物語。

f:id:shirooo105:20190525122335p:plainf:id:shirooo105:20190525122454p:plainf:id:shirooo105:20190525122521p:plain

ローショットを節々で描いていたのもそうした彼女たちの踏み込めなさと、あと一歩への助走を描くためだったのでしょう。追い掛ける伽奈とその呼びかけに足を止める舞子。遡れば屋上の扉を開けっぱなしにしていたことさえ、もしかすれば本当は心の奥底で誰かに声を掛けて欲しい、背中を押して欲しいという気持ち抱いていたことの表れだったのかも知れません。走っていく伽奈をフォローで追っていくカメラワークも非常に力籠る見せ方*1で、この辺りからのコンテワークには非情に引き込まれました。

f:id:shirooo105:20190525122929p:plainf:id:shirooo105:20190525123518p:plain

逃げようのないレイアウト。向き合うこと。関係を築くこと。だからこそのと言わんばかりの横構図に胸を打たれます。前話もそうでしたが横構図への持っていき方がとても丁寧で、この構図に意味をもたす演出の強さがそのまま物語の強度、彼女たちの青春に対する向き合い方へ繋がっているのが凄く良いです。照り付ける夕陽を受ける表情に強い意志を感じられるのも素敵で、そういった趣きを煽る撮影効果がより画面を感傷的に彩ります。レンズフレア、入射光など逆光だからこそ生きる見せ方は、まるで二人のやり取りを淡く包み込み見守るようにも映りました。

f:id:shirooo105:20190525125237p:plainf:id:shirooo105:20190525125258p:plain

相手を意識させるレイアウトはアップショットでも強く生きていきます。ありのままの気持ちを話す伽奈と、それを聞き入れていく舞子。相手が居る側の空間を空け、そこに向け語り掛ける二人を交互に撮っていくのが非常に情緒的です。どこまでも相手を意識し、二人の心の内を照らし出すことへ意味を見出したカット運び。「私は君に笑顔で居て欲しい」。ただそれだけを伝えること、その言葉を聞き入れることへ力を込めた映像の美しさがこのシーンには在りました。

f:id:shirooo105:20190525130409p:plainf:id:shirooo105:20190525130434p:plain

そして心を少し許し合った二人を祝福するよう、さらに色濃くレンズフレアが起こる。真正面から二人をきっちり捉えていくのも細たるレイアウトの妙で、彼女たちの行く末を良い方向へと案じさせてくれる素敵さで溢れていました。陽が落ちることで暗くなっていた少し前までの物語とは打って変わり、その寸前の輝きに少女たちの明日を描いていく物語の変遷と少女の成長。それは、きっと今回の話にとって一つ大きなテーマになっていたのだと思います。

 

今までにない声色で語られた舞子の「わかった」の一言も非常に身に沁みるもの。そういったフィルムを取り巻くすべての要素が噛み合うことで、『ハ月のシンデレラナイン』という作品の骨格を音を立てさらに強固なものへと築き上げた瞬間ーー。大袈裟ですがそんな言葉すら溢れてきてしまうほどに、このシーンには感動しました。

f:id:shirooo105:20190525132237p:plainf:id:shirooo105:20190525132256p:plain

最後は青空の下に立たせる、というのも粋な見せ方で凄くこの作品らしいなと思います。また仮の字を消すのではなく、上からバツ印をつけていたことにまで想いを馳せたくなるのもこの作品の魅力。不器用でありながら真っ直ぐな直向きさと力強さを感じさせてくれたことが本当に嬉しかったです。

 

加えて、「今の倉敷さんに必要なのは、ありのままの自分で居られる場所」。そう語った伽奈自身もまた “ありのままの自分で居られる場所を見つけたのかも知れない” と思えるストーリーテリングの良さにもついぞ胸を打たれました。彼女が笑顔になれたこと、ただそれだけのことがその証拠として映ったのは、今回の話の積み重ねがあったからこそ成せる結末に他なりません。

 

まさしく “僕が僕らしくあるために” と謳い続けた本作を象徴するような二人の物語だったと思いますし、彼女たちと一緒にこれからどう11人の物語として紡がれていくのか、今はそれがただただ楽しみで仕方ありません。ここまでこの作品を好きになれたことに感謝を。そして一先ず、本当に素適な挿話をありがとうございました。

エチュード(ハチナイ(初回限定)盤)
 

*1:ありふれた見せ方ではありますが、『時をかける少女』の影響もあり重要なシーンでのこの行動・カメラワークには強く心を揺さぶられてしまいます