『ぼくたちは勉強ができない』OPについて

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静かな朝から始まるオープニングフィルム。静寂な曲調の中に織り交ぜられるフェティッシュなカットが非常に素敵で堪りませんでした。女性特有のシルエットに含まれる艶美さと可愛らしさ。それだけでもグッと引き付けられてしまう魅力に溢れていますが、撮影の良さ・見せたいところを強調した動かし方の他にオーバーラップを使った少しミステリアスなカッティングであったことは強くフィルムの良さに影響を与えていたと思います。

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曲調が替わりそれぞれが登校、弾けるように駆け出していくカットも全身を映すのではなく足元など映える局部を映していたのが印象的で、その後の映像を観ても女性の可愛らしさを活かしたショットが基軸にあったことはおそらくこのオープニングにおける統一のテーマになっていたのでしょう。

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もちろん、局部だけではなく繰り返し映されたそれぞれのヒロインの表情変化もまた可愛らしさを描くことに注力した結果であったはずです。楽曲のリズムを最大限汲み取ることで起こるカット割りとだからこそ描ける表情の多さ。三人のヒロインの可愛らしさをどこまでも追及するようなAメロパートは他のフェティッシュなパートにはない良さが詰まっていて、オープニングという短い映像媒体の中で “人物像を描く” というのはこういうことでもあるのだと改めて思い知らされました。

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Bメロはエモーショナルなカットの連続。一話を観終えた後だと、それぞれ志望理由に縁のあるカットだったのかなとも思え、その情感にも納得させられてしまいます。レイアウトも良く、「青春」というフレーズがそのまま絵として起こされたようなカットでグッときますし、なにより一人一人の物語を一秒にも満たない一瞬のカットに織り交ぜる群像劇的な映像であったことも非常に素敵だと感じたポイントでした。

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個々にスポットライトを当てるという意味ではこういったカット*1も同様です。被写界深度を浅く設定し、ピン送りでその焦点を変える。どういった物語になっていくのかはまだ分からないことばかりなので明言は避けたいですが、少なくともこの映像内においては、彼女たちを同じ枠では括らないという演出的な意図を感じずにはいられませんでした。先程の情感溢れるカットもそうですが、こういった見せ方をすることで個々を個々として描き、そこに物語を少なからず与えてくれていたのはやはり観ていて心を掴まれるものがあります。

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そういった物語的な映像の組み立てが非常に良かったからこそ、その中にフェティッシュな芝居を織り交ぜ溶け込ませる巧さには感動すら覚えました*3。勉強という作品テーマに関わる芝居づけの中に、冒頭同様の女性らしさをほんの少し含ませながら描く意味。どこまでも可愛らしさ、フェティッシュさを追求することがこの映像の前提にあるのだという芯を感じさせられます。

 

手・指先のフォルム、影づけ、微かに動く瞼(まぶた)と瞳、手慣れた道具の扱いに得も言われぬ感情と快感を抱いてしまうのは圧倒的な作画の凄味であり、これが少女たちの勉強会の延長にあるというシチュエーションの賜物であるはずです。矢継ぎ早に繋がっていく数々の芝居に彼女たちの勉強へ向かう真剣さを感じ取れるのも非常に良いです。

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こういったカットも凄く良いですね。勉強の中にある小休憩。どこか物思いを感じさせる表情が、この作品が勉強だけを描く物語ではないことを雄弁と語ってくれるようでした。スニッカーズをパキっと折るタイミングと粉の落ち方がまたフェティッシュであり、ツボ。カット内に手や指先まできちんと描かれているのもさすがという感じですね。

 

物語と個々の可愛らしさ、そしてフェチ度の高い芝居、手の表情。そういった主張の強いものをポップな楽曲に乗せ、見事に一つの映像に纏め上げた素晴らしいオープニングフィルムでした。絵コンテは松竹徳幸さん、演出を佐久間貴史さん。主題歌と作品性を存分に活かしたコンテワークと、それを高いレベルで可能にする作画の凄さ。そしてそれらを美しい映像へと導いた演出処理、関わった方々の手腕にはただただ感謝しかありません。本編も勿論楽しみ*4ですが、これからはOPを観るのもまた一つ毎週の楽しみになりそうです。

*1:間のカットは中略あり、同様のテーマカットを抜き出し纏めたGIFです

*2:サムネ画像:

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*3:上記GIF同様、間のカットは中略あり、同様のテーマカットを抜き出し纏めたGIFです

*4:一話良かった…

『モブサイコ100Ⅱ』7話のラストシーンについて

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自分自身が “何者” でもなかったこと、特別な何かになったつもりで、その実なに一つ成長してはいなかったことを突き付けられた霊幻。そんな彼の帰路を映した終盤シーンが本当に素晴らしく、モブとのやり取りとそれを切り取ったカメラワークには強く胸を震わされました。

 

特にこのシーンはシチュエーションが素敵で、淡い空、ハレーションとエモーショナルな夕景がもたらす情感を霊幻の心境に重ね、一枚の絵として非常に雄弁なシーンにしていました。加えて “川沿い” と、その延長で描かれる “橋” という舞台設定がより物語を色濃く演出しています。それは時間の流れ・積み重ねを描く川という存在と、関係性を描く橋というモチーフの強度と言い換えても決して過言ではありません。川の流れに逆らいフレームインする霊幻の歩みはこれまでの出来事を否定するように描かれ、逆光により落とされる陰の濃さがより “彼自身” の虚しさを描き出すようでした。それはまるでこれまでのことを否定するような、そんな寂しさがラストシーン冒頭には漂っていたのです。

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それは画面の質感に限り、このカットにおいても同様でした。感傷的な透過光、逆光、陰影、それら全体を包括する撮影の良さ。無論、霊幻の心に差す光を映すためのカットではなかったはずです。しかし、カメラが逆側に跨ぎ前景を背動で描くことで “何かを予感させる可能性” が画面に生まれます。それはモブが待つ橋への差し掛かりであり、霊幻の逆行を押し留める最後の堤防の役目も担っていたのでしょう。

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そして、映るモブの影。光と陰のバランス。“何者かであったモブ”と “何者でもなかった霊幻” を背中合わせに見せていくレイアウト。画面の一つ一つが物語的であり、とても決まっています。PANやロングショットを使っての間の持たせ方も感傷的で、川の水面に反射し揺れる光がより画面の情感を高めていたりと、画面を構築する多くの要素が噛み合い二人のパーソナルな空間を生み出しています。

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こういうカットも本当に良いです。モブたちの視線を微かに感じさせるレイアウト。霊幻の表情を捉えるのは最小限に抑える。それでも彼の心情が痛いように伝わってくると感じられるのは、櫻井さんの演技・声音はもちろんのこと、画面内で描かれるレイアウトを含めた作画、色彩、撮影などフィルムそのものが非常に強く彼の心に寄り添っているからに他なりません。

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モブに寄せるカット一つとっても余念がなく、感傷さに寄せることにそれぞれのカットで描ける全てのベクトルを傾けています。なぜならこれは霊幻が抱えるエモーショナルなポイントを針の穴を通すよう緻密に、そして正確に貫くための話でもあるからです。落ち着き、おどける普段の彼とは正反対の感受性を抉り出すための物語であり、フィルム。それが凝縮されたラストシーンであったからこそ、これほどまでにコントロールされながら感情を揺さぶる映像が生まれたのだろうと思います。

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だからこそ、そんな彼の一番センシティブな部分を貫いた瞬間を回り込みで描く意味は大きく、大切なのです。物語と作画の山場が重なる必要性と重要性。その快感は筆舌に尽くせず、「良い奴になれ」とあの日放った言葉が今となって自分自身に返ってくるストーリーテリングの巧さ、その映像表現は、寡黙ながら非常に劇的なカットとして映っていました。

そしてそれが、“特別な何か” になりたかった霊幻にとって一途の光となる大きな出来事であったことは、もはや言うまでもないのでしょう。「超能力を持っているからと言って一人の人間に変わりはない」。だからこそ「良い奴になれ」。それは、あの日の少年にとってのあなたが今でも “良い奴” であるように、そうすることで誰かの “何か” になることもあるかも知れないのだから。

 

もちろん、それは霊幻が当初望んでいた “特別なもの” ではないのでしょうが、今はモブのその言葉のお陰で少し前を向くことが出来るし、救われてしまう。そう語るかのように描かれた彼の繊細な表情芝居にはひどく心を揺さぶられましたし、ここで表情をしっかりと捉えてくるカメラワークにも非常に感動させられました。加え、この話が橋の上で完結している、というのもまたシーン・コンテの流れとして良いなと思わされたポイントです。新しい二人の関係性が生まれ、始まっていく舞台としてとても素敵だと思いました。

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街から離れていく霊幻を映した冒頭と違い、最後は街へ向けまた歩んでいく二人。モブキャラクターのさり気ない芝居も街中へと溶け込んでいく二人を演出してくれているようで、本当にグッとくるカットです。バックショットというのも粋。シーンを通して終始夕暮れのマジックタイムで描かれたことが二人の特別な時間を彩っていたことも含め、どこまでも霊幻とモブの心情・関係に寄せたフィルムだったと思います。

 

ラストカットは影二つ。ここまで色々と書いてきましたが、正直このカットに全て込められているのではと思えてしまう程に、二人の関係性を説く上で雄弁なカットだと感じます。本当にどこまでも感傷的で情緒的なシーンです。もちろん、ここに至るまでの物語と映像あってこそのものではありますが、このラストシーンのお陰でもっとこの作品のことが好きになれましたし、制作に携われた方々には感謝しかありません。絵コンテは立川譲さん。演出を飛田剛さん。光の使い方やエモーショナルな画面作りなど立川さんらしさが存分に観れたのも嬉しかったです。素晴らしい挿話を本当にありがとうございました。

『エロマンガ先生』OVA1話の芝居と演出について

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おそらくはTV版9話以来となった山田エルフ主役の回。普段の高飛車な振舞とは違い、本心に触れられてしまうとどうしようもなく戸惑ってしまう彼女の心情が丁寧に描かれていて非常に胸に迫るものがありました。特にAパートは本心をぶつけられないエルフの寡黙な心の声を、うまく芝居や彼女独特の間合いで描いていたのが印象的で、マサムネから花束を受け取るまでの間や、その際の表情で “彼女らしさ” というものを克明に描いてくれていたのがとても素適でした。

 

母親との喧嘩の際に差込まれた “花束を飾るグラス反射” のカットなども同様で、エルフ自身の口からはなかなか真っ直ぐに伝えられない (言葉では語り切れない) 想いを、グッと圧縮し、そこに映し出していました。なにより、そういったモチーフや芝居にこそ心情を込めていく演出の方向性が今回のフィルムに漂う質感を支えていたことはまず間違いないはずです。

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その中でも特に印象に残ったのがこのカットでした。喧嘩した母親とのことや、それを想い人に打ち明けている状況、口に出来ないもどかしさが、きっとふとした拍子に自然と行動に出てしまったのでしょう。本当に些細でどちらかと言えばフェティッシュ寄りな芝居ではありますが、エルフの性格を鑑みればむしろこういった芝居こそが彼女にとっては雄弁な “言葉” そのものだったのだと思います。なにより、そう思える芝居・カットの積み重ねが山田エルフという少女の輪郭を少しずつ描き出していたことに、私はどうしようもなく喜びを感じてしまったのです。

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それは、こういった芝居一つとっても同じことです。これは冒頭でも触れた9話におけるプロポーズシーンの一部ですが、声を震わせながら虚勢を張る彼女のその理由をどの言葉より先に描き出していたのがこの芝居でした。掴まれたスカートに出来た皺。甲の影面積変化から伝わる力の度合い。真っ直ぐに、とはいかないものの、エルフが抱く想いの片鱗を意を決して伝えようとしたその心情が痛いほどに伝わってくるカットです。

 

正直、こういった芝居を描くことは簡単なことではありません。細部の微細な動きで心情を描くということは作画的にとても労力を必要とするものだからです。前述した足先の芝居、冒頭の柔らかな表情変化も含め、そういった面も踏まえれば高度で繊細な芝居というのは必ず描かれなくてはいけないものではないでしょう。ですが、こういった芝居・表情が在るからこそ伝わる登場人物たちの想いというものも間違いなくあるはずなのです。言葉だけでは伝わらない想いの大きさ。言葉に出来ない心の不器用さ。それを鮮烈に描くものの一つが “作画” であり、“芝居” であり、“絵の強さ” なのだろうと思います。

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もちろん、それは動きに関したことだけではありません。視線とそれを感じさせてくれるレイアウト。また誰かが誰かを観ていると感じさせてくれるカットの運び、たった一つのカットの繋ぎをとっても同じことなのです。特段、ここもエルフがマサムネに対しなにかを告げるというシーンではありませんが、彼女の表情とその視線、そして疑似主観的に映されるマサムネの横顔を見てしまえば、そこにはどうしようもなくエルフが彼に惹かれてしまう理由が横たわっているのだと気づかされてしまうわけです。言葉で語らなければいけないことがある反面、言葉では語り切れないものがあるからこそ、映像で伝える。それを終始描き切っていたことがこの挿話の素晴らしさに強く結びつき、フィルムに多大な情感を与えていたように感じます。

 

ですが、そんなエルフの寡黙さとは裏腹に今回の話ではミュージカルというある種、これまで触れてきた見せ方とは真逆の表現方法が使われます。想いを出来るだけ言葉に変え、オーバーな動きで高らかに感情を演出する舞台劇。それはTVシリーズでも存分に描かれてきた山田エルフの身体性あってのものであり、彼女だからこそ出来た想いの伝え方でもあったのでしょう。一貫して ”真っ直ぐ伝える” ことに踏み込めなかった少女がミュージカルという舞台を借り、その身体性を活かした物語。なにより、それまでは彼女の言葉の代弁者足り得た “芝居” が、今度は言葉の後ろ盾となるべくその力強さを画面一杯に表現するのだから、本当にアニメーションって面白いですよね。

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中でも一番感動したのがこのカット。エルフの「諦めない」という言葉に呼応し影からグッと抜け出る表情の晴れやかさと、動きのメリハリ、タイミングの巧さ、そして髪のなびき。想いをうまく口に出来ず些細なジェスチャーでしかそれを表に出せなかった少女の気持ちと動きが同期し、重なった瞬間です。他のミュージカルパートも凄く良かったのですが、特にここは物語と言葉、そして芝居が強烈に噛み合い描かれていたのもあり、より胸にグッとくるものがありましたし、そのせいか少しだけ泣いてしまいました。

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ですが、もちろんミュージカルはあくまで一過性の舞台。ステージを降りれば、いつもの寡黙なエルフに戻ってしまうというのを階段の上り下りで見せていたのが非常に巧い反面、辛くもありました。「会場の全員がこの私に夢中になったに違いないわ」といつもの調子を取り戻したかと思えば、マサムネを意識した言葉には詰まってしまうのがまた彼女らしくもあり、その際の表情も前段で触れたような言葉に出来ない想いを含ませたニュアンスのもの。このミュージカルパートとの落差が非常にエルフらしく、良い意味で深い溜息をつかざるを得ませんでした。

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ですが、ミュージカルはファンタジーの世界で起きたものでもなく、彼女自身が行動に移し、演じ切ってみせたもの。そしてあのステージの上で語った言葉の数々もまた正真正銘、エルフの正直な気持ちであったはずです。だからこそ、あの舞台に立ったことは彼女にとって一つ変化への切っ掛けにもなっていたのでしょう。それを証明するように繰り返し映される踏み出す足のローアングルは、この挿話が山田エルフの成長物語であったことを裏づけるカットとしての意味をしっかりと携えていたはずです。

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そして、“あの日から” 少しだけ縮まった二人の距離。振り向くエルフの笑顔と共に咲き乱れる光のイルミネーションは、もはやあの日の再演を演出した舞台装置であり、この日、この瞬間に「ちょっとだけ素直になれたと思う」と語ってみせた少女への祝福でもあったのでしょう。あなたにプロポーズさせるなんてもう言わない。私があなたをーー。暗にそう伝えるエルフの告白がマサムネを笑顔にさせたのだから、“今” 出来る最高の幕引きをエルフは引き出せたように思います。

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そして、マサムネが笑ってくれたからエルフも満面の笑みを浮かべられる。恋が実ったわけではないけれど、それでも笑顔で終えられたことにこの物語の意味は多く託されていたはずです。物語としてもコンテワークとしても本当に素晴らしいラストシーンでした。最後の一歩は竹下監督曰く「縮まった心の距離」。これから二人がどういった物語を辿っていくのか、本当に楽しみで仕方がありません。先々の展開も気になりますが、一先ずはこの素晴らしいOVAに携われた方々に感謝を。年始からとても素敵なもの見せて頂きました。本当にありがとうございました。