最近観たアニメの気になったこととか5

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『Vivy -Fluorite Eye’s Song-』1話。AIであるヴィヴィと人との違いを感じさせない芝居。序盤のシーンではありますが、ここでこの芝居が描かれる意味って自分の中では凄く大きかったなと思います。人の感情と呼べるものに対しまだ鈍い反応をみせる彼女ですが、友人とも呼べる距離感のモモカとそれほど芝居の質感が変わらないということが、ヴィヴィ自身の人間然とした在り方を強く感じさせてくれるようでした。モモカは子供らしい軽さと大雑把さを生かした座り込み。逆にヴィヴィは少しお姉さんらしさがあって、しおらしい動き。スカートを抑える所作だったり、ちょっとした脚の動きにも実在感と芝居的な良さがあって好きだなと。

 

くわえて、この距離感の定点カット。一つの画面の中に二人の芝居を順序よく描くことでさらに二人の関係性、近さを感じられるのも良いです。こういうアングルで生活芝居を撮るということ自体が個人的に好きというのももちろんありますが、二人の時間を一番フラットに切り取れていたのはやはりこのカットなんじゃないかなと思いました。それこそ序盤にこういったシーン/カットを描くことでヴィヴィの人間らしさに基準となる線を引いた感じもして、より印象に残ったなと。この作品については今のところは2話まで観ていますが、そういった描写の一つ一つがヴィヴィにとっては物語そのものになっていくようにも思えて、特にこの作品を観ていて好きだなと感じるポイントの一つでもありました。

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同上2話。未来の凄惨な映像を見せられた後に映るヴィヴィの瞳のアップショットと、目の前でそれとほぼ変わらない出来事が起こった際の彼女の瞳の描写。これがこの話数のファーストカットとラストカットとして描かれていたことも凄まじいですが、やはりそこにはそれ相応の意味があったのだろうと思います。未来に生きる人々の祈りの火と、目の前で起きた大爆発、そして大切な人との別れ。それぞれがその瞳に映り込む中で、二つの描写に差異があるとすれば、それはおそらく感情と呼べるものの強さに他ならないのでしょう。

 

それこそ、光源の種類、強さ、色味、環境など多くの要素で画面の質感とは変化していくものですが、それだけではない "何か" があると感じられる絵としての強度。ハイライトの濃さ、雨の艶、掠り傷が多く描き込まれていたことまで含め、このカットにおいてはそういった情報量の全てがヴィヴィにとっての感情なんだとまるで訴えているようでした。それは前述してきたような、彼女の人間然とした芝居ともきっと同じ輪郭をもって語ることの出来る繊細な "彼女を描くための" 描写そのものだったはずです。なによりそういった描写があるからこそ、信頼できるというか。ああ、この作品はこの娘の気持ちにこんなに寄ってくれるんだっていう。だから自分も前のめりに、襟を正して観ようと思えるというか。大袈裟なことを言ってしまえば、そういう瞬間のためにアニメを観ていると言っても過言ではないのかも知れません。

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『86―エイティシックス―』3話。2度にわたる長回しカットの果てに描かれたシーン、演出。最初の長回しと、後に描かれた長回しとの間で巻き起こるドラマによってそれぞれの描写の意味が180度変わってしまうというのを、落ちる*2はずの涙が駆け上がることで表現していたように感じました。逆流というか。そうじゃ "なかった" んだっていう、気づきと感情の反転。正位置だったカットが横たわっていくのとかも。それをマッチカット的に瓶のハイライトへ納めてしまうスマートさと強烈さまで含め、このシーン締めは本当に凄まじかったなと思います。あとは瓶にもなにか意味があるのかなとは少し考えましたが、今のところはあまり繋がりが見えないので、それはそれという感じです。

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憂国のモリアーティ』4話。グレープフルーツを切り、絞るという流れ作業の芝居。力の入れ加減、体重の乗り、丁寧に一つ一つの作業をこなしていることが直に伝わってくるような感触があって、芝居作画そのものがもう凄く良いなと思うんですが、そういった描写のすべてが直接的に殺人に対する実感へと繋がっていくという演出に、とても驚かされました。グレープフルーツジュースが劇薬になることを承知しているからこその、夫婦にとっての敵 (かたき) を殺めるためのものであるからこその、丁寧さ。二人の作業を一つのカットに収め、わざわざ2カット目のようなカットを入れるのも、これが夫婦による共同殺人であることをより強調するためなのでしょう。

 

命のやり取りに対する実感と"確実に"という執念、それが丁寧な芝居を描く理由にもなるのだから、面白いし、強烈だなと。作画的な丁寧さと、この二人にとっての丁寧さの同調。掛け値なしに、素晴らしいです。

*1:サムネ参考:

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*2:カメラ向き的には横に動く