22/7『曇り空の向こうは晴れている』MVについて


「死にたかった」という強烈なワードが印象に残りこびりつく、22/7の新曲『曇り空の向こうは晴れている 』 。しかし、その実情は "いつかはそこへ光が指す" ことを鮮明に記した生きるための道標 (みちしるべ) そのものでした。何処かで誰かが抱えているであろう生き辛さや、孤独。ふとした瞬間のアンニュイさ。そういった多くの感情を受け止めたうえで "それでも" と反語を紡ぎ、いつの日かそうした日々が過去の礎となりますようにと語る祈りのような歌詞と文脈。「死にたいこと 時々あるよね」と語られたことに対し "自分だけじゃないんだ" と思えた心強さまで含め、初めてこの楽曲を聴いた時に一人家でぼろぼろと泣いてしまった時の記憶は今も大切に心の奥へと閉まっています。


そんな楽曲の新作MVがつい先日発表されました。それも、どちらかと言えば歌詞に忠実な内容と言うより楽曲とMV内で描かれた物語が節々でシンクロするような瞬間がある程度のものであったように思います。けれど、大枠においてはどうでしょうか。ある日を境に突然友人が居なくなる悲しみ。それでも時間は刻一刻と進み、やるべきことだってある。そんな中で促される些細な変化と明日への一歩がいつか未来の "あなた" を象るのかも知れない。ようはそんな風にここに込められているテーマ性ってどこまでも前を向いていたように思うんです。人それぞれの尺度で存在する "辛さ" を受け止めたうえで、それでも "人は生きていく" ことを肯定してくれる曲であり、MV。それこそ、そういった "生" への執着や視線をとても力強く支えていたのが今回のアニメーションの存在だったんじゃないかっていうのは凄く感じたところでもありました。

 

そもそも私は今までもずっとそうだったんです。アニメーションだからこそ得られる躍動感や生命力に圧倒され、そこで動き息づいている登場人物たちの存在に背中を押されてきた。そうやって生きてきた半生だったからこそ、余計に今回の映像を観て胸に刺さるものがあったのかも知れません。

*1

それは冒頭の芝居でも同様でした。スッと手を伸ばし、写真立てを起こす芝居。動作を表すだけならその一文だけで事足りるのだと思いますが、それ以上のことを直感的に感じさせてもらえる含みがこの芝居にあったことが強く胸を打ちました。通り過ぎようとしたところで立ち止まったり、優しい手つきで写真立てを起こしたり。その際に彼女の表情をも想像させられてしまうのは、それこそ*2MVを観たあとだからこそそう思う部分もあるのかも知れませんが、この一連の流れと手つきの芝居だけで "生きている" という感覚を十二分に味合わせてもらえてしまう。それが翌々は感動に繋がっていくし、実在感を帯びるための切っ掛けにすらなっていたのだと思います。

サビ入り時のスローモーションのカット。楽曲の爽快さと解放感に合うような溌溂とした芝居ですが、よりそれを強調するためスローで描かれているのでしょう。足取りの一つ一つ、靡く髪の動き一つ一つに力強さがあって、より大きな生命力を感じられるシーンになっていました。楽曲面からみれば「死にたかった」という歌詞への反語であり、それに続く「死ななくてよかった 窓から射す陽の光にそう思った」という言葉を肯定するためのアニメーションであったようにも受け取れます。それこそ最初の芝居づけとは違う方向性の動き*3ではありますが、向かっているベクトルは同じだったはずです。アニメーションが実在感を与え、その実在感が楽曲のテーマ性をより強固なものにしているーー。そんな関係性が本当に素敵なんです。

屋上のわちゃわちゃ感。それぞれがそれぞれの役割を持って、自らの意思で動いているとより感じられる日常的な芝居設計にそれを過不足なく見せるレイアウト。ここでは私が特に気になったカットを上げていますが、こういうカットやシーンがこのMVには幾つもあり、その積み重ねが "生きている" という実感をより大きなものにしていたことはまず間違いないでしょう。

このカットに惹かれたのはアニメーション的な快楽が凄かったからというのもありますが、それ以上に動揺しているようでなにかとんでもないものを目撃している様な (それこそ人生の岐路に立っている様な) 質感が彼女の表情や、大きな靡きに強く現れているように感じられたからでした。迫真さ、とも言い換えられるのかも知れませんが、前述してきたような身体性のみではなく、こういった彼女たちの感情をも置き去りにしていかない映像の手つきがあるからこそ、言葉節の強い楽曲とも親和性が取れているように感じるのだと思います。

それはこういったカット一つとっても同じことなのでしょう。アンニュイさや感情のたまり場として描かれる横顔。もちろん、そこへ込められていたであろう彼女たちの想いのすべてを汲み取るまでは難しいように思いますが、それでも "何か" を感じ取ることは出来る。それは身体性をもって描かれる芝居から生命力や実在感といったとても曖昧なものを感じられることと、よく似ているのだと思います。些細な表現が登場人物そのものであったり、あらゆる感情の輪郭を形成していくし、その集大成が物語を象っていく。その節々に感動があるし心が動いてしまうからアニメはやめられないし、好きなんだなあと。そんなことも少し考えたりしました。それこそ "窓から射す陽の光を見て死ななくてよかった" と思うことがあるように。画面から溢れ出す彼女たちの輝きを見て背中を押してもらえたと思えることに、今は強い喜びを噛み締めています。

*1:サムネ参考画像:

*2:時系列的に考えても

*3:作画的に見ても