『こみっくがーるず』と徳本善信さんの演出について

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1話序盤から目立っていたロングショットでの芝居。静かに始まる導入と各々が寮へ集まる過程をじっくりと描いていたのが素敵で、とても引き込まれる演出だったと思います。fix、長回しで遠くから二人を見守るようなカメラ位置は、さながら下校する二人の時間をありのまま切り取る映像そのもので、そういった彼女たちの日常的な風景をしっかりと捉え描くことがフィルムに漂う情感の一因になっていました。本話の冒頭がこれほどまでにエモーショナルだったのは、劇伴などの効果を踏まえてもやはりそういった映像の影響が大きいように感じられます。

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バスト・アップショットなども使いますが、やはり引きの絵が強い冒頭。限界まで引いたような絵からフルショットほどの距離感まで魅力的な構図・レイアウトを使っていたのが非常に良かったです。寮の門を潜り引き戸を締める芝居も、この距離感で描くことに侘び寂びの趣きがあり、間や情感の介在する素敵なカットになっていました。手前に樹の葉が映り込んでいるのもこちらが彼女たちの生活を覗いているように感じられる前景の置き方で効果的。引きのショットが印象に強く残るような映像の組み立て方をしていました。

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続けて描かれる薫子が寮まで歩く場面も同様です。ここはポンポンとカットを繋いでいたので印象は異なりますが、とにかく引きの絵で彼女が歩いていく様子を映していました。

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カットテンポは (そもそも長回しではないのが) 違いますが、彼女の様子を見守るような視線であることにはやはり違わず、その足取りを一歩一歩追い掛けていくようなカメラワークがとても良かったです。なにより、この一連の映像こそが彼女たちの生活を見守るスタンスへ繋ぐ架け橋になっていたように思いますし、それは以降で描かれる薫子の危うい性格を “見守らざるを得なくなる” 物語の変遷とも少なからず一致していたはずです。

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さらには部屋の隅にカメラを置き広角気味に撮るようなカット。こういったカットは他の話数でも散見されましたし、各々の私物も含め彼女たちの日常風景をありのまま撮ることはやはり本作において大きな要素の一つなのだと思わされました。それが室外だとよりロング寄りのショットへ変化していき、カメラが引いた分だけ彼女たちを見守る印象の強い映像へとその様子を変えていくのでしょう。

 

もちろん引きの映像ばかりで構成されているわけではなく、寄りのカットやデフォルメ調の表現、漫画的なフレームを使ったカットなど色々な見せ方を組み込んでいる本作なので、そういった映像だけが本作の良さであるわけでは決してありません。ですが、今作の全体像を引き締めているのは、やはりこれまで挙げたようなロングショットの存在でもあるはずで、特にコンテ・演出などに徳本監督が入られた話数 / 入られたであろうパートはそれが顕著に表れていたと思います。

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特に素晴らしかったのは4話Bパート、縁側のシーンです*2蚊取り線香のアップショットから始まるシーンですが、次のカット*3は引きのロングショットを組み込み縁側で並ぶ二人を静かに映していました。この後に軽いコメディパートを挟みますが、笑いの空気を換えるようカメラが縁側を越え外に移ると、まるで一息を入れるように再度フルショットを映し*4、間と感傷的な空気をすっと吹き入れてくれます。前述した “引いた絵を挟むことでフィルムを引き締めている” というのはまさにこういった流れのことで、特に二つ目のカットに関して言えばカメラが逆位置に立つこと、それが引きの絵であることが映像の空気感を変えてしまう契機にすらなっていたはずです。

 

加えて、蚊取り線香を片付ける長めの芝居をここで描くのも1話冒頭と同様で、丁寧な芝居づけがこのシーンの雰囲気をより良い方向に運んでいました。こういった引きの絵と引きながらの芝居を描くというのは、おそらく徳本監督が作品を手掛ける上で大切にしている一つの拘りなのだろうと思います。そしてなにより、そういったカットの配分、それを繋げていくカッティングの巧さこそが、演出作品の素晴らしさ足る所以にもなっているのでしょう。

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氏がコンテ・演出を手掛けられたものの中で引きのショットを使い、情感を非常に巧くコントロールしていた作品としては『一週間フレンズ。*5が挙げられます。特に4話は主人公の長谷とヒロインの香織が喧嘩をしてしまう挿話として非常に印象深い話でしたが、なにより記憶に残っているのはその構図・レイアウトの良さでした。『こみっくがーるず』でも見られた前景を置いて覗き見るような画面も冴え渡り、これまでの話数では余り見られなかった非常に凝った画面が随所に散りばめらています。

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特に前景を意識したカットでは、樹・電柱・柱などで徳本さんは良く疑似フレームのようなものを画面の中に作り上げているイメージもあります。屋上にいる二人をフェンス越しに撮るのは全編を通じてよく使われていましたが、ここまで意識的に関係性を投影させたり、覗き見るようなショットとしてフェンスを使っていたのは、そこまで多くはなかったはずです。

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前景越しの超ロングショットとも言えるカット。『こみっくがーるず』でもよく描かれた類の画面です。喧嘩をして一人帰宅する香織を淡々と追い掛けるようにカメラがそっとファインダーを彼女へ傾けていたのが印象的でした。『こみっくがーるず』1話で薫子を追い掛けていたあのカメラワーク・カッティングに近く、とても情感のあるシーンになっていました。4話においては一番好きだと言えるシーンでしたし、こういう映像の運びは徳本さんの演出においてはとても重要なものだと言えるはずです。

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河原で仲直りをした後の帰り道。逆光の夕景とバックショットで締めながら、ここでもロングショットが使われています。これらのカットも地味にですが奥へと歩く芝居が描かれ、帰路につく二人を情感たっぷりに映していました。何度も言うようですが、こういったカットを要所要所で差し込めるのが徳本さんの演出の素晴らしさです。被写体とカメラの距離感を大切にしているというか、登場人物たちが各々過ごしている時間を大切に扱おうとしてくれるというか。カメラを近づけすぎては撮れない空気感、その場の雰囲気、歩み。それを多くは語らず離れた場所からそっと焼きつける見せ方にこそ、氏が手掛ける映像としての魅力が多く詰まっているのだと思います。

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また “焼きつける” という見せ方で言えば、こういった煌やかな表現を組み込めるのも徳本さんの演出の味だと思っています。*6

 

ここで挙げたものは『一週間フレンズ。』以外全て大沼心監督作品ですので、撮影を盛ったり、シルエットを活かす映像に関しては大沼さん自身の演出・味も少なからず出ていたのかも知れません。ですが、引きのショットでも決して客観的にはなり過ぎず、その余白の空間を時に美しく彩り、被写体の感情やその一瞬にある世界の美しさを切り取ってくれる見せ方は、既に徳本さんの演出・映像の一部になり得ていると言っても過言ではないはずです。

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単独で演出処理に入られた『こみっくがーるず』4話でもトランジションに淡い虹色の透過光を加え煌びやかにホワイトアウトさせたりと、美しく切り取るという点では同じ類の見せ方が垣間見れました。これはOPでも同様に使われているトランジションです。撮影でより淡く、美しく見せるのは1話でもやられていた処理の仕方ですし、徳本さんの演出手法として定着しています。5人が過ごす夏の風景、その一瞬を美しく見せるカットの繋ぎ方がすごく綺麗で儚く、この辺りもとても良いなと思えたシーンでした。

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また、そんなトランジションが使われたこのシーンでも構図・レイアウトの良いロングショットは健在。日々を過ごし、成長していく薫子たち4人の姿を見守るような視線で映してくれるのがこの作品の醍醐味だと思っていますし、もしかすればその視線は寮母である莉々香さんが彼女たちに向けるまなざしともリンクしている部分があるのかも知れません。

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また、徳本さんの演出回として最後にもう一つ触れたいのが『六畳間の侵略者!?』9話です。アバンや終盤の立ち代わり激しいアクション、Aパートの閑静な見せ方、レイアウト・構図と見どころの多い挿話ですが、中でも一番素晴らしかったのは主人公である孝太郎がゆりかを背負い歩くシーンでした。

 

煌びやかな撮影効果はこの瞬間がゆりかと孝太郎にとってとても大切な時間であることを示し、引きのショットはそんな彼女たちをそっと見守る視線としての機能を果たしていました。これまで挙げてきた作品同様、徳本さん特有のロングレンジでのカメラ撮りが明確な意図と情感をもって生かされた場面です。会話の内容も相まって、これ以上はないのでは、と言いたくなるほどに素晴らしいフィルムになっていましたし、全12話の本作においてはこの挿話が一番エモーショナルだったとも思います。

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さらに引いてもう一つロングショット。二人の関係に新しい絆が結ばれた瞬間に自然と虹が架かるのも素敵で唸らされます。水面鏡で見せるのもらしさがり、より物語を感傷的に彩ってくれるようで好きな表現でした。そこまでモチーフを多用する方だとは思っていませんが、画面の余白に世界の美しさや感情の滲みを描くのはやはり徳本さんらしい見せ方だなと思います。もちろん、こちらも大沼心監督作品ですのでその影響もあるのかも知れませんが、これまで挙げてきた徳本さんらしい演出の見せ方を踏まえれば、この挿話が氏の演出回として出色であり、今に至る演出手法に通じていることは大よそ間違いないはずです。

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その証拠に終盤も多くのロングショットで構成されています。止め絵を映すだけでなく、しっかりと芝居をさせ細かい表現に拘っているカットを差し込んでいたのもらしいですし、前景に樹の葉、大きな陰、柱、レイアウトを活かしたフレーム内フレームなど、巧い画面構成をしていたのも顕著でした。

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こういうレイアウトも徳本さんらしいです。覗き見ているような感覚のカット。前景が効果的で、フルショットに近いのも同様です。もちろん、こういったカットだけではなく、寄りのショットも多いのは前述してきたとおりです。ですが、不意に差し込まれるこういったカットがあるからこそフィルムに緩急や間が生まれ、物語に独特な空気感が漂い始めるのであり、それは担当されている他の演出回においても同様だと言えます。

 

特に『こみっくがーるず』ではそういった間や空気感が強く浮き彫りになっていて、徳本善信さんの初監督作品でありながら演出手法的な意味合いではこれまでの集大成だとも言える作品にすらなっています。距離感を感じさせる画作りと、それに伴う情感の厚さ。登場人物たちを突き放さない世界の切り取り方と、それを見守る視線。現行の作品も含め、徳本さんの仕事をこれからも追い掛けていきたいと思えるのは、そういった幾つもの良さと物語への寄り添いを映像から感じ取ることが出来るからに他なりません。

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例えば、『こみっくがーるず』3話Bパート以降での引きの芝居。簡潔に言ってしまえばこういうカットがあるからこそ、私はこんなにも徳本さんの演出に惹かれてしまうのです。

 

傘が飛ばされそうになり逆さ傘になるまでの芝居、起き上がってから小夢が薫子を心配し戸を開けるまでの芝居をそれぞれワンカットで描くことの意味。ほんの些細な芝居ですし、決して派手なものでもありませんが、こういった生活的な芝居とそこから生まれる間にこそ本作に漂う空気感を支える力があるのです。そしてそれを描くことでより彼女たちの生活感やそれを取り巻く空気、果ては心情的な部分にまでフォーカスを充てていけるのが徳本善信という演出家の素晴らしさに他ならないのでしょう。そういった面でも、やはり『こみっくがーるず』は徳本さんの色が前面に出ている作品だと言えるはずです。

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最後に、徳本さんがよく使われるモチーフなどについて少しだけ触れたいと思います。まず、先程も挙げた水面鏡やそれに準ずる水面を映すカット。これは担当されている多くの作品で登場します。*7意図があるもの (そう感じられるもの) から間を入れるために使っていると思えるものまでカットの用途はそれぞれだと思いますが、これもまた演出回の中では印象的なモチーフカットになっています。

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モチーフ的なもので言えば、あとはカーブミラーとかも同じですね。『こみっくがーるず』1話で何度も出てきていますが、以前の演出回などでもこれは度々登場します。それぞれ印象的に使われていて分岐路であったり、間接的に映す装置としてだったりと、色々な意図がありそうです。

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回想・妄想・コメディパートでは古い映写機で映し出したような質感とフィルムロール?などのトランジションを使うのも特徴的です。*8

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こういった表現も同じく『こみっくがーるず』1話で何度か使われていました。元々はこういう特異的な見せ方も大沼さんがやられていた印象があるんですが、そこまで今回は確認していないのでここでは印象程度の話で留めておきます。ですが大沼監督作品に演出家・キーマンとして多くの作品に参加されていた徳本さんなので、その影響を少なからず受けているのではと感じてはいます。*9

 

そんな感じで、徳本善信さんに関してここ5年くらいの仕事を目途に、コンテ・演出までやられた回に絞り振り返りました。ここで触れることが出来なかった挿話の中にも良いロングショットでの芝居や演出回は幾つかありますが、余り羅列ばかりしていてもとは思うので、この辺りで終えたいと思います。

 

こみっくがーるず』に関しては5話まで視聴しましたが、中西和也さん演出回は一人原画であったことも関係してか、徳本さんが手を入れていたであろうこれまでの話数とは大分色の違うフィルムに仕上がっていたのが驚きでした。ここで言うロングショット・fixでの芝居などはほぼ見られなかったと思いますし、コンテワークも大分違う印象でしたが、これまで挙げてきた徳本さんの演出とも比較しながらまた後日じっくり観直してみたいです。作品自体はまだ折り返し地点なので、彼女たちの物語も含め今後徳本監督作品としてどんなフィルムを見せてくれるのかとても楽しみにしています。

*1:サムネ画像

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*2:個人的に4話Bパートは徳本善信コンテパートだと思っている

*3:左キャプチャ

*4:右キャプチャ

*5:4話と8話のコンテ・演出として参加

*6:左から『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』4話、9話、『一週間フレンズ。』8話、『落第騎士の英雄譚』4話。コンテ・演出を徳本善信

*7:左から『六畳間の侵略者!?』9話、『一週間フレンズ。』4話、『落第騎士の英雄譚』4話、コンテ演出徳本善信。右『こみっくがーるず』3話はコンテのみ徳本善信。高島大輔との共同。

*8:左から『一週間フレンズ。』8話、『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』9話

*9:左から『落第騎士の英雄譚』4話、『こみっくがーるず』1話

『リズと青い鳥』鎧塚みぞれの仕草、掴むことについて

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みぞれが髪を掴む仕草が描かれたのは、劇中でおそらく12回程*1だったでしょうか。寡黙にして映像*2で語ることが主体とされた本作にあって、彼女のこの癖は強く印象に残り、決して多くを語ろうとはしないみぞれ自身の感情を映すものとして重要な役割を果たしていました。足や手の芝居、瞼、眼球の動きにまで心情の変遷・動きを仮託していた今作ですが、冒頭から終盤まで物語の転換点となる場面で描かれたこの癖はその中でも特に強調されていたように思います。

 

ただその仕草が具体的にどういった感情を代弁していたのか、ということまではハッキリとは分からず、むしろその描き分けはぼんやりと感情の輪郭を描くに過ぎませんでした。なにかを言い淀むように髪に触れ、掴み、心の中に留める仕草。それは明確な心情が芝居から滲み出る類のものではなく、“なにかしらの感情・言葉を心の内側に抱いている” と感じ取ることが出来るだけの芝居であり、そんな大枠の感情をぼんやりと映すためのものとしてその癖は描かれていたはずです。だからこそ、それはさながら “自身の内に籠る気持ちを掴もう (確かめよう) とするため” の仕草としても映り、みぞれ自身が内に秘めた想いや言葉にしがたい感情を一つずつ咀嚼していく*3ための行為としても描かれていたのでしょう。

 

その中でも、特に印象に残っているのはフルートに反射した光がみぞれに当たるシーンです。「希美は私の全てだから」*4と語るみぞれにとっては、自らを照らしてくれるあの光と手を振る希美の姿こそがそう語る理由そのものだったのでしょう。本作において随一と言いたくなるくらいにエモーショナルな光景でしたが、それも一転、窓際から希美が去ってしまうと同時に世界は色褪せ、みぞれの心を暗く染め上げるよう画面の明度が低下していきます。そして映されるのはどこか悲し気なみぞれの背中とそっと添えられた “あの仕草” でした。その行為が不安を表していたのか、寂しさを表していたのかは今となっても定かではありませんが、それでもあの時、みぞれは “希美が去った世界の中で芽生えた言葉にはしがたい感情” を強く感じていたのでしょう。

 

まただからこそ、彼女は自らの髪を掴むのです。心にそっと手を当てるように。大切にしたい “なにか” が零れないように。心の内にあるものの正体を探り、確かめるように。それはあの癖が描かれた多くのシーンに目を向けても大よそ同様に感じることのできた印象であり、むしろ本作は芝居や動きで繊細に感情を表現していく一方、その感情が “明確にどういったものであるか” ということに対しては時に遠い視線をも持っていたように感じるのです。そしてそれは希美とみぞれの感情を描くに際し、二人の心の全てを見せてしまわないための描写として物語の節々に使われていたはずです。言うなれば、それは「彼女たち自身にすらその感情に名前を付けられない時がある」のだということ。「誰にも知られたくない想いがある」のだということ。そんな不透明な感情と直情的なものの揺れ幅をしっかりと分かった上で、本作は彼女たち二人の自然体をただひたすらにファインダーの中へ収めていくのです。それは山田尚子監督が本作に寄せたインタビューを読んでも同じように読み取ることの出来る『リズと青い鳥』の主題の一つでもあったはずです。*5

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ただ終盤で描かれた希美に対するみぞれの芝居に関してはそれとはまた真逆の印象を受けたのも事実です。なぜなら、あの場で希美と対峙した際にはもう心を探りぼかすような “あの癖” や、アンニュイな表情が見られなくなっていたからです。自らを鼓舞するような力の込もり、皺の入り、感情的な表情。そして、みぞれにとっては勇気を振り絞って言ったであろう「希美はいつも勝手」という棘のある言葉。そんな彼女の言動の果てに見えてきたのは、これまでとは違い “みぞれの中に確かな想いと言葉が浮かび上がっていた” ということでした。

 

髪を掴み、アンニュイな表情を見せながら不透明なものを滲ませていたそれまでとは別の強い感情を滲ませる芝居と感情の吐露。それこそこの場面では、これまで描かれた癖の代わりとばかりにスカートを掴むみぞれの姿が映し出されます。おそらく同じ “掴む” 芝居でありながら真逆の感情表現を見せることで、彼女の心情の変遷をそこに描き出してくれていたのでしょう。言葉に出来なかったものから、言葉にしたいことへ。それはオーボエをみぞれが “向き合って” 吹けるようになるまでの様子を本作が繊細に切り取ってきたことと同じように、そんな微々たる変化こそがきっとこの物語では何よりも大切なことであったはずなのです。それを非常に繊細な芝居・仕草で表現しつつ、ことみぞれにおいては “掴む” という一つの行動に集約していくその流れは、言ってしまえば言外で多くの情動を語る本作の象徴そのものでした。

 

それも、髪からスカートへーー。そして遂には希美自身を掴んでいく*6行動の流れはその力の入れようも含め、とても雄弁でした。もちろん、その先でみぞれが希美から引き出した「みぞれのオーボエが好き」という言葉は彼女にとってどれだけ幸福に足るものだったのかは分かりません。互いが互いの好きなところを言い合った際の反応はそれこそ “不透明な感情を滲ませた、遠い視線を持つ感情描写” そのものだったからです。けれど、その言葉を受けたみぞれが 「オーボエを続ける」と返せたのは、ひとえに彼女がその理由をあの瞬間に “掴んだ” からに他ならないはずです。それは希美がみぞれに向け「みぞれのオーボエを支えられるように」と語り掛けたことと同じように。もどかしく言葉に出来ない感情が言葉になっていく過程 (芝居が次第に感情の明瞭さを帯びていく様子) もまた、彼女たちにとっては大切な “変化の兆し” なのでしょう。

 

曖昧な感情や表情、芝居、癖。心にそっと手を当てるよう、確かめるように “なにか” を掴んでいたその手が、一歩を踏み出すに足る明確な理由を “一つ” 掴むまでの物語。私は『リズと青い鳥』という二人の少女の青春記をそう解釈していますし、そう解釈できるだけの芝居と感情の変遷を繊細に描いてくれた本作を今はとても大切に感じています。願わくば二人の未来に少しでも幸せな瞬間 (Joint) が訪れることを祈って。本当にありがとうございました。

映画『リズと青い鳥』ED主題歌「Songbirds」

映画『リズと青い鳥』ED主題歌「Songbirds」

 

*1:・冒頭で希美が羽根を拾い上げた際

・拾い上げた羽を譲られた際

・優子が部長の挨拶を終えた時

・希美が放課後はパートの子たちと集まると告げた時

・進路希望を白紙で出したことを担任から追及された時

・反射光、向かいの教室に居る希美と一時を過ごした後

・新山先生から音大進学への薦めを受ける前

・渡り廊下まで希美が迎えにきた時

・優子、夏紀、希美と音楽室で進路について話し、お祭りに誘われたあと

・教室で一人リードを作っている時

・麗奈から「希美と合っていないのでは」と言われた時

・新山先生から青い鳥の気持ちを考えてみてはと促された時

鑑賞時の記憶のため一部誤り・抜けがあるかも知れないため、随時追記予定

 20/03/07 パッケージ版にて再度確認し、おおよそ確定

*2:主に芝居やレイアウトなど

*3:この表現が適切かは分かりませんが

*4:本編台詞からのニュアンス

*5:参考記事:以下参照

リズと青い鳥』で映し出しているのは、みぞれと希美という2人の秘密事なんです。2人からしたらあまり人には見せたくないものなんじゃないかと

『リズと青い鳥』山田尚子×武田綾乃 対談 少女たちの緊迫感はいかにして描かれたか - KAI-YOU.net

 説明できない思いが、動作に表れることがあると思うんですね。観てくださる方に、彼女たちの口から出てくることばが「正解だ」と思われたくなかった

「リズと青い鳥」山田尚子監督「彼女たちの言葉だけが正解だと思われたくなかった」|Zing!

 作り手側から視聴者に「こうです」と説明しないようにするっていうか、嘘がないように。彼女たちの尊厳を守るというのを大事に

「リズと青い鳥」山田尚子監督インタビュー - アキバ総研

*6:抱きついていく

『リズと青い鳥』と微熱について

冒頭、鎧塚みぞれを中心に据えた描写から始まった本作は徹底して内面を覗き込むような映像で構成されていました。浅い被写界深度、表情を伺うようなレイアウトの数々は言葉ではなく映像ですべてを物語るように繋がり、その瞬間瞬間にみぞれがなにを思い、考えているのかということを寡黙に語っているかのようでした。あらゆる芝居の機微に込められた情報量は言葉にするのも躊躇われるほどの多さと緻密さを誇り、彼女特有のアンニュイな表情も合わさることでより、みぞれの心情を深くそこに映し出していました。

 

しかし、転換期はみぞれが音大への進学を薦められ、パンフレットを受け取ったあとに訪れます。それまで一様にしてみぞれへ寄っていたカメラが希美を映し、彼女の心情にもそのフレームを寄せていくのです。ですが、それは本作が『響け!ユーフォニアム』として描かれていた頃からなにも変わらずに続けてきた物語の分岐に他なりません。すべての登場人物を一人の人間として描いてきた今シリーズの群像性。個人にしか分からないもの。見えないもの。それを描いてきた本作においては、むしろ当然すぎる映像の転換だったのでしょう。想いを寄せる人が居れば、それを向けられる人が居る。選ばれる人が居れば、そうでない人がいる。そういった青春と隣り合わせの出来事・関係性を今まで以上に、どこまでもミクロで感傷的に描いたのが『リズと青い鳥』という物語の作品性だと言えるはずです。ですがそれを描く上で組み込まれた上述の演出と、それ故に映像全体が纏っていた “途切れることのない熱っぽさ・緊張感” は以前に描かれたシリーズとはかけ離れたものでした。

 

なぜなら、みぞれが希美を見つめる映像から始りゆく本作はその終わりまで常に感傷的であり続けていたからです。ほっと一息を入れる間もなく続けざまに繋がっていくカットはその多くがエモーショナルで、否応なくなにかを感じさせる画*1が随所に置かれていました。一歩引いたロングショットを入れる場面も心情を汲み取るようなカットが多く、そのレイアウト・二人の距離感はまさに心的なものを表出させ、ほぼ緩い場面がなかったと思えてしまう程に鑑賞している間は常に彼女たちのことを考えさせられてしまう熱が本作には終始漂っていました。それこそ、希美とみぞれの話を描いた『響け!ユーフォニアム2』4話のような劇的さが本作にはほとんど見受けられなかった*2のも象徴的です。強いて言えば理科室でのシーンがそれに該当するのでしょうが、それもやはり感情的にはなり過ぎず、あくまで熱っぽく、彼女たちの一言一言やそれに呼応していく動きを追い掛けるような映像で纏められていました。淡々としていると言えないくらいには感情的で、劇的と言えない程には熱の高くない映像。一言で言えば “微熱” の物語。みぞれが中学生時代から抱え続けていたものや、希美が 「よく分からないところがある」 とみぞれへ感じていたもの。もしくは彼女に少しだけ感じていた劣等感やネガティブな感情。そんな各々の心情のぶつかり合いを行き過ぎず、けれど確かにそこにあるのだと目を背けず描き続けた本作はまさにそう呼ぶに差支えのないものであったように思います。

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別々の道を行く二人を示した終盤のシーンも強く印象的ではある反面、劇的として描かれていたわけでは決してありません。どこまでも静かに。けれど力強く翻るスカートはそれだけで二人の物語の行く末を案じさせてくれていましたし、その別れ際でさえ熱くなり過ぎることはなく、一定の熱を保っていたことにこそ本作で描かれた物語・映像の意図はあるのだと思います。涙も直接的に流れる画を撮るのではなく、流れ落ちたもの、こすれた目尻を撮ることで微かに残った熱を拾う描写で留めるのがきっと本作足る所以。多く言葉を紡ぐ必要もなければ、慟哭や激情もなくたっていい。それはみぞれと希美がこれまでも言葉数少ない関係であったように、“多くを語らない” 青春だってきっとあっていいのでしょう。当たり前に過ごす日常にある仕草、表情、痛み、彼女の背中を追うその足取りにだってきっと熱や変化、内に籠る言葉は宿るはずだから。ただ待ち続けていた冒頭から一転、希美を追い越し校門から飛び出していくみぞれの足が何万語を費やすより雄弁であったこととそれは同じ様にーー。

 

そういった機微にカメラを向け続けた本作はファインダーというものを意識し続けてきた山田尚子監督演出の一つの完成系でもあるように感じられました。心情を巧く吐露できない彼女たちに対し、漏れ出る心情すら逃さないようにカメラを向けてくれる山田監督への信頼。ああ、だから私はこの方の演出がこんなにも好きなんだと。『リズと青い鳥』は改めてそう思わせてくれた作品でしたし、それをみぞれと希美の物語でここまで濃厚に観せてもらえたことがとても嬉しかったです。*3

*1:劇伴と映像の噛み合いも相まって

*2:演奏シーンは非常に感情的

*3:参考:公式 京アニチャンネルより