『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』5話の演出・再演について

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同ポが促す再演への期待。回想で語られたシャルロッテの出会いが現在へと回帰していく映像がとても良く、素敵でした。泣いていた少女と祈る少女を遠巻きに見つめるように前景を立てるレイアウトも憎らしく、この絵を何度も使う理由には今話の主題の一つでもあったシャルロッテ姫の成長を見守る意図も多く含まれていたのだと思います。

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もちろん見守るだけではなく、正面から切り取ったり、至近距離までカメラを近づけ、感情を直接的に映し撮るのも今話の良さに拍車を掛けていました。それは本作が「本当の心を掬い上げる」物語でもあることと同じく、溢れ、零れ出す感情を映像としても見過ごすことなく捉えることに “掬い上げる” という意味を見出したからに他ならないのでしょう。それは時折差し込まれるヴァイオレットやシャルロッテたちの感情的なアップショットにも同じく当て嵌めることの出来るものであり、そうした被写体に寄せるべきカットこそが本話においては “本当の心” の代弁者にも成り得ていたのだと思います。逆に被写体から離れていくカットはそうした感情的なカットの余韻や予感を描くカットとも機能していて、そんな二つのカットの緩急がこの作品の感情曲線をコントロールしていると言っても過言ではないはずです。

 

それが端的に表れていたのが告白シーンの終盤。限界近くまで寄ったカットがシャルロッテの返事を捉えると、カメラはまた遠くの視点に移り、寄り過ぎたカメラを正すよう少しずつT.Bしながら見守るような立ち位置に戻ります。こういった緩急のつけ方・情感の持たせ方はこれまでも他の話数や特筆して第二話*1でよく見られました。そういったところにシリーズ演出でもある藤田春香さんの演出スタイルはあるのかも知れませんが、そもそも関わっている回を観ていると山田尚子さんの影響も多分に受けていると思われる藤田さんですし、小気味良い速いテンポでのカッティングなども含め今回の話に関してはコンテをやられている山田さんの土台を作る力も相当大きいのだとは思います。*2

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また今回の話においてはもう一つの再演がありました。それは繰り返し映されていた “アルベルタがシャルロッテを起こしに行く” というシークエンス。カーテンを開けては色々な表情のシャルロッテが度々映し出されていましたが、そこから共通して感じられたのはまだ幼さの残る彼女の素顔と陽のあたらない下向きな印象でした。

 

おそらく、あの天蓋ベッドは彼女にとってのパーソナルスペースそのものだったのでしょう。締め切ったカーテンやクッションで身体を隠すルーティーンは内向きで本当の心を言葉に出来ない彼女の現状を示唆していましたし、そういったネガティブな印象からくる隔たりやそれ故の成長と解放が今回の話の肝になっていたのは言うまでもありません。けれど、シャルロッテはヴァイオレットとの手紙作成に際し少しずつ変化を見せ始めます。一喜一憂、もはや相手に向けられた怒りすらそれは前向きな感情となって描かれていました。表情と機微の変化。力強い筆の軌道。飛び散るインク。そして告白を受け入れた庭園での一件が終わった後、彼女はその陰に覆われた場所から誰に言われずとも起き上がり、降り立つのです。

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そしてカーテンを開けようとするアルベルタの耳に届く笑い声。変化と予感。そして兆し。もうここまでくれば、画面から想起される不安は一つもありませんでした。カーテンを開け現れるシャルロッテはさながら扉を開け新たな道を踏み出そうとする前向きさの象徴そのもので、浴びる逆光から滲む光はこれまでの彼女への印象を全て掻き消すほど美しくその姿を照らし出してくれていました。

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ですが、それは彼女がこの場所から巣立ち、アルベルタの元を離れることをも意味します。再演で描かれた変化がもたらしたのは別れと門出。だからこそ滲む感情的な言葉、表情、声色はもう一つの物語の終幕の契機となり、これまでになく感情豊かなアルベルタの表情をスッと引き出してくれました。シャルロッテが泣き出してしまった際も遠くを見つめ物想いに耽るような表情を見せた彼女ですが、今回はそれ以上に温かみのある表情。

 

一言で言ってしまえばとても母性的であり、情愛に満ちたもので、その視線の温もりと姫に髪飾りをつける手つきの優しさにはついぞ、否応なく泣かされてしまいました。芝居のタイミングも柔らかく、どこかこれまでの苦労を感じさせる皺と少し太めな指のフォルムはアルベルタがシャルロッテのもう一人の母である所以を寡黙に、けれど雄弁に語ってくれていたと思います。それこそ本話の中ではアルベルタを指して一度も 「あなたが母である」 ことを名言しなかったことがここにきて効いたのでしょう。明言されないからこそ映像から語られるその言葉が強く胸に沁みるという一つの演出ロジック。正直、この一連のシーンは “本作” のベストシーンに上げてもいいくらいだと思っています。

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そして今度はシャルロッテがアルベルタの手を引く。これまでとは逆の関係性。下手から上手に立ち替わる少女の成長と記録。本当の母ではないけれど、間違いなく母であった “あなた” への精一杯の感謝と礼節が込もった一連のシーンが本当に素敵で、何度観返しても涙が溢れてしまいます。

 

そしてここでもカメラを引かせる動きが数度見られ、立て続けにアップで繋がず緩急を挟む見せ方と巧さが際立ちます。シャルロッテの動作を全体的に見せる意味合いも、状況説明をする意味合いもあるのだとは思いますが、なにより少し離れた場所にカメラを置くことでその空間を一度二人だけのものにしてあげる温かみを私はどうしてもそこから感じてしまうのです。群像的な物語に在って幾方向にも感情が飛び交う中、こうしてじっくりと二人きりの時間を作ってあげる映像美。もしかすれば私がこの作品に異様に惹かれている理由はそこにこそあるのかも知れません。それを気づかせてくれたことも含め、本当に素晴らしい挿話だったなと改めて思います。嘘偽りなく、これまでの話の中で一番泣いた話でした。

*1:コンテ演出藤田春香さん担当回

*2:加えて共同演出処理に澤さんも参加されています。藤田さん山田さんの名前をどうしても大きく感じてしまいますが、これまでも力のいる回を多くこなしてきた方なので澤さんの腕もフィルムに影響を与えているはずです

『ゆるキャン△』5話のラストシーンについて

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なでしこからリンへのオーバーラップ。当たり前と言えば当たり前ですが、これはアニメで加えられたオリジナルの描写です*2。景色を望む二人のバックショットを重ねるトランジションになっていて、その光景はまるで二つの視線 (見ているもの) をも重ねるように描かれた非常にエモーショナルなものでした。以前、原作を読んだ時は “それぞれの旅で見た、それぞれの景色” を共有し合う描写の多くに胸を打たれたわけですが、それをより色濃く描くための見せ方としてこれ以上はないのではと思うくらい、この演出には感動してしまいました。

 

決して珍しいトランジションではなく、むしろありふれたもの。けれど間と音楽を大切に扱い、この作品が持つ独特の余白と雰囲気を最大限に生かす本作に至っては、やはりこれは秀逸な演出に他なりませんでした。じっくりパンアップする画面と、浮かび上がる “あなたが見ていた” 景色。画面上部に出来る空間に感情が浸透していくようなレイアウトも含め、このカットからは言い知れぬものを強く感じさせられてしまいます。

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また、なでしこが目的地へ着いた頃から鳴り始めるアイリッシュトラッドな劇伴は先ほどのオーバーラップするカットまで一曲で構成されています。そしてなでしこがリンに、リンがなでしこに景色をプレゼントする際の計二回。この劇伴は曲調的な山場を同じように二度迎えています。3話でなでしこが朝陽の掛かる富士山を見るシーンも同様でしたが、こういった音楽とカッティングの構成は本当に素晴らしいです。音楽の制作段階からコンテに決め打ちし大よその構成を決めているのか、こういった劇伴をオーダーして上がってきたものにコンテを合わせているのか、もしくはコンテに対し音楽を編集しているのかは定かではありませんが、高いレベルで音楽と映像が噛み合ったフィルムからは「この作品がここでなにを見せようとしているのか」ということが伝わってくるようで、心から嬉しくなれますし、物語に没頭できます。

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そして劇伴が鳴り止んでからの台詞。「綺麗だね」と零す二人の言葉も原作にはなく、これは本作で足されたものでした。言葉は交わさずに、LINEのやり取りだけで情景を映していた原作には原作の良さがありますが、アニメの解釈としてここで一つ台詞を加えてくれたことは、とても良いニュアンスを与えてくれたと思っています。

 

シンクロする景色と感情。レイアウトと構図。シンメトリー。それこそ、この作品のサブタイトルが指示していたものを映像と音楽とほんの少しの言葉で表現したラストシーンには、本作が描こうとしていることの多くが映し出されていたはずです。音楽を含めた映像のコントロールは今話だけに限ったことでは決してありませんが、それがとても良い塩梅に表現されていて、素敵だなと思えます。まただからこそ、景色を前にただ立ち尽くす二人を同じフレームに収めたラストカットは何よりも寡黙であり、雄弁でした。もはやここまで描けばあとは言葉も音楽も必要ない。そこにあるものだけが全てを語ってくれるのだと、そう言わんばかりのロングショットに心酔できることまでが本話の醍醐味なのでしょう。本当に素晴らしいラストシーンだったと思います。*3

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*1:アイキャッチ

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*2:カットとカットを繋ぐトランジションの編集は映像媒体特有のものであるため。こういう構図でのバックショットも厳密にはオリジナル

*3:二つの旅をクロスカッティングで描いた中盤までも、まったり、笑いあり、風情ありで、良かったなと思います。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』4話の演出について

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ヴァイオレットや周囲に対し、どこか背伸びをしようとするアイリス。2話で特徴的だったのは履いたヒールが原因で足を捻ってしまうシーン*1でしたが、そんな背伸びの象徴も今話ではアップショットで映されることが多く、アバンではさながら彼女の立ち位置とそのバランスが取れていない様子を浮き彫りに描いていました。続くカットでは階段から転落してしまいますが、それを救おうとするヴァイオレットとの関係性も振り返れば今話の縮図のようだったのが面白いです。

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実家に着いてから中盤以降はアイリスが多くの場面で上手に立ちます。話の主体が彼女にあることも含め、アイリスにおける横顔のアップショットなどが度々下手方向を向いていたのは印象的です。昨年『小林さんちのメイドラゴン』で監督を務められた武本さんのコンテ回でしたが、あの作品でも同氏が担当された回では上手・下手の映えるフィルムであったことが記憶に新しく、二作品を通して観ると両者から武本さんの見せ方とその共通項が見えてくるようにも感じられます。*2 *3

 

主に感情的だったり、赤裸々だったり、重要なシーンと思える場面では上手が多い。物語の主体はアイリスなのだと語る映像の連なりが非常に規則的でありながら、方向性が纏まっていて情感があります。

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もちろんこれまでもそうだったように、群像性もありながら根幹にはヴァイオレットの物語がしっかりと根付いているのが本作です。それは今話においても例に漏れず、特に良かったのは駅舎を降りてからの一連のカッティング。アイリスに紹介されたヴァイオレットが自己紹介をすると同時にカメラは奥へと移動し、想定線を越えていきます。そして呆然とその姿に見入るアイリスのカットが入る*4。ヴァイオレット主体の話へ映像が揺らぐのと同時にあの時、アイリスの目にはきっとヴァイオレットがとても遠く、羨ましく、美しく見えたのだと思います。時間が止まったかのような間と舞い上がる葉も、端的に言ってしまえばアイリスのフィルターを通し見えたものに他なりません。

 

つまり、ここで想定線を越える意味は、アイリスがヴァイオレットと自分の違いを無自覚にでも感じ取ってしまうことにあるのだと思います。背伸びしている自分と、等身大のヴァイオレット。嘘をついてしまう自分と、ありのまま言葉を紡いでいく少女の存在。お辞儀をする様が美しくその瞳に移り込むのに対し、自分の今の状況はそれに比肩しない、と。あのシーンにはそれほどまでに感傷的かつ自身を顧みさせる残酷さが寡黙に描かれていました。

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まただからこそ、アイリスには一度自らを見つめ直す必要があったのだと思います。一度立ち止まって見ること。背伸びすることを止めること。地に足の着いた視線でもう一度振り返ってみること。今回は突拍子もないことが起こり、色々なものを抉り出す形で清算が始まってしまったけれど、それが彼女にとっての大きな契機になったことは疑いようもありません。そしてヴァイオレットの心に少しだけ触れ、少しだけ感化され、等身大の素直な気持ちを手紙に綴ってもらうことで、彼女は再び自動手記人形としての道を踏み出していける。

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もちろん、ヒールは脱ぎ捨てない。それがアイリス・カナリーとしての意地であり、「頑張ってみる」と誓った証だから。背伸びの分だけ汚れたり、失敗することもあるだろうけど、それも全ては私自身の軌跡なのだと今なら微笑むことが出来る。そんな彼女の心の変遷を後押ししていくようなモチーフの数々や映像が本当に素敵でした。エリカやルクリアと同じく、ヴァイオレットを通し自分自身を見つめ直していく群像劇としてもこれまでの挿話に引けを取らないくらい素晴らしい挿話になっていたように思います。

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また往路の電車が下手から上手へ移動していたのに対し、復路の電車が上手から下手の移動に変化していたのがとても印象に残っています。時間感覚的に言えば前者が過去へ。後者は未来へ。自らの名の由来を取り戻したヴァイオレットも含め、それぞれ過去にわだかまりを抱えた少女たちがここからどういった道を歩んでいくのか、これからが本当に楽しみです。願わくば彼女たち全員に幸多き未来があらんことを。

*1:上記左のGIF

*2:参考:『小林さんちのメイドラゴン』1話の演出と武本康弘さんについて - Paradism

*3:演出処理は澤真平さん。「小林さんちのメイドラゴン」で演出デビュー(補佐は以前にも参加あり)された方です。武本さんとのコンビも噛み合い、相変わらず素敵な画面を構築してくれていました。

*4:このカットでは最初の横構図同様に右手を向いているアイリスのアップが描かれますが、この時彼女はヴァイオレットの方を見ているので、カメラが最初のカット時点から逆側に移っていることが分かります。前のヴァイオレットのアップショットは分かりやすく反転して左手を向いている。