『可愛ければ変態でも好きになってくれますか?』1話の演出について

f:id:shirooo105:20190710185151p:plainf:id:shirooo105:20190710185209p:plainf:id:shirooo105:20190710185258p:plain

ダッチアングルや広角レイアウトなど凝った画面が多く印象に残った1話。平凡な日常の一コマでも角度をつけ、位置関係、奥行きに拘ればそれだけで “何か” が受け手に伝わっていくことを知らしめるようなフィルムになっていたと思います。もちろん、どれだけの意図が含まれていたのかは図りかねるところですが、平坦なレイアウトではなくその世界に在るものを広く見せることで没入感を与える効果、現在がどういう状況にあるシーンなのかということを明瞭として伝える意味などはやはり大きかったはずです。

f:id:shirooo105:20190710190214p:plainf:id:shirooo105:20190710190303p:plain

くわえて、ロングショットを頻繁に挟むことで、一人一人の物語へ焦点を絞っていくような質感がより今話の良さを引き立てていたと思います。ナメを使った画面の効果もあり、どこか覗き見るような、遠巻きに登場人物たちの行動や心の内を見透かしていくようなレイアウト・構図が情感を生み出していました。このシーンにおいては劇伴含め前者をドラマチックに、後者をコメディ寄りに描いていたこともあり、前述したダッチアングルやパースのきつい画面がより主人公の慧輝へスポットを充てるよう作用していたのが面白かったです。まさしくアングル・レイアウトの機微が心の機微に繋がっていくカットだったと思います。

f:id:shirooo105:20190710195847p:plainf:id:shirooo105:20190710195915p:plain

ロングショットにおいてもやはり効果的に使われていきます。遠巻きに映し、画面内に被写体を佇ませることで世界を二人だけのものにしているような趣きがありました。やり取り (会話) 自体の多くは寄りで描かれていますが、その節々でカメラを引く意味は、彼らから醸し出される情感を汲み取る上でとても大切であったはずです。ロングショットへの切り返しも今回多く使われていた演出。最初のカットでは二人の関係性 (会話の間) を映し、次のカットでは一人残された主人公の心情、思考に耳を傾ける 。そういった映像の運び方がフィルム全体の良さをさらに引き締めていました。

f:id:shirooo105:20190710201140p:plainf:id:shirooo105:20190710201159p:plainf:id:shirooo105:20190710201230p:plain

こういったカットの使い方も同様です。寄りのカットを挟みつつ、ロングショットへ切り返していく。ロングショットの中でも芝居や会話を描き、広い画面にぽつんと映る二人の関係性、親密感を浮き彫りにしていく。締めのカットも巧く、ここでも広く場所・風景の全体像、奥行きを映すことで、シーン毎における “二人だけの世界を覗いているような感覚” をより顕著に描いていました。

 

なにより、それは1話のテーマでもあった各々のヒロインの心情を探る物語の流れそのままの映像演出であった、ということなのです。ラブレターを書いたのは誰なのかという疑問。それを探るための心情への接近。だからこそ多岐に渡るショット・画面構成を駆使し、ぐっと登場人物たちにスポットを当てていく。今話における独特な空気感、情感の描かれ方の多くはそういった見せ方に寄るところが大きかったはずです。

f:id:shirooo105:20190710203525p:plainf:id:shirooo105:20190710203345p:plainf:id:shirooo105:20190710203615p:plain

広角、奥行き、ロングショット、前景。それぞれのカットで絵的な良さの違いはありますが、ここで描いていたものはやはり人物や関係性にフォーカスを寄せることなのだと思います。空間を描くからこそ、距離をとりカメラを置ける。距離をとるからこそ描ける人物像や関係性がある。そういった見せ方が本当に巧く素敵で、だからこそ物語へ没入出来るというのはこのフィルムの強度そのものに他なりません。

f:id:shirooo105:20190710204235p:plainf:id:shirooo105:20190710204351p:plain

終盤のシーンでも不意に挟まれるロングショットが緊張感、空気感をより良くしていました。ミドルショットでも背景に奥行きを作ることでロングショットで感じられていたものと同じくらいの “二人だけの空間性” を描き出していました。遡れば劇伴の使い方、台詞回しなども多く今話の質感に影響を与えていたとは思いますが、前述してきたように
こういったカットが映像全体に与えた影響はやはり非常に強かったはずです。最後はラブコメ的に、タイトル通りの面白さを描いて終わった本編でしたが、やはり異質な空気感を生み出したフィルムの組み立て方は非常に観ていて惹き込まれるものでした。作品の第1話としてもとても素晴らしい挿話だったと思います。

 

コンテ演出はいまざきいつきさん。いまざきさんと言えば『あいまいみー』の監督としてのイメージが強い一方、今回の話を通して以前いまざきさんの演出回に心酔したことをグッと想い起されたのは自分としても大きなサプライズでした。

f:id:shirooo105:20190710210754p:plainf:id:shirooo105:20190710210842p:plainf:id:shirooo105:20190710210916p:plain

それが『旦那が何を言っているかわからない件』11話。正直、冒頭でいまざきさんが監督をやっているのを知った時、真っ先に重ねていたのがこの挿話でした。ファーストカット含め非常に多くのカットで描かれる奥行きのある画面とそれらが次第に主人公の心情にリンクしていくコンテワークは圧巻。この年に放送され視聴したアニメの中でも非常に印象に残っていた回でした。*1

f:id:shirooo105:20190710211601p:plainf:id:shirooo105:20190710211609p:plain

きつめのパース、広角のカットの中に佇む自分と関係性の描写という点でも『可愛ければ変態でも好きになってくれますか?』1話と重なる部分が多くあります。撮影の使い方も巧く、そういったことも大なり小なり今回の作品に生きていたと思います。サブタイトル含め抜群の構成と映像から名話と言って過言ではないこの挿話。いまざきさんの演出を振り返る上でこの作品を思い出させてくれたことにも今作には感謝したいと思います。

 

また、ここでは触れませんが他にも『旦那が何を言っているかわからない件 2スレ目』8話や、『おくさまが生徒会長!』4話・5話などいまざきさん演出回は素敵な挿話が多く演出参加歴に並んでいます。切れのあるロングショット、奥行きがあり関係性を伝えてくれる映像、絵的に凝った観ているだけで “何か*2” を感じてしまうカットがいまざきさん演出の素晴らしさだと思っていますが、監督として携わる今回の新作がどういった作品になっていくのか。今からとても楽しみです。

*1:参考:2014年テレビシリーズアニメ話数単位10選 - Paradism

*2:緊張や情感、不安、時に楽しさ

『盾の勇者の成り上がり』22話・25話の終盤シーンについて

f:id:shirooo105:20190627030903p:plainf:id:shirooo105:20190627030909p:plain

以前から触れたいと思っていた挿話がありました。それが22話終盤のシーン。「尚文様は居なくならないですよね?」とラフタリアが尚文に問いかける場面でした。

 

ラフタリアが抱いていたこういった感情はこれまでも何度か描かれ、話が進むごとにその深刻さは増していたと思います。それが画面において顕在化されたのがこのカットであり、フレーム内フレームにおいて分断された二人の距離、空間が底知れぬ彼女の不安を描いていました。まだ幼く話が深くは読み取れないフィーロは、尚文が返した言葉に納得をしすぐに境界を越えますが、以前ラフタリアは取り残されたまま。そのまま彼女が右フレーム内に取り残されたままこのカットが終るのも印象深く、動かないラフタリアとその間に情景を感じられたのがとてもエモーショナルでした。しかし、このカットは尚文の葛藤をも描いていたのだと思います。分厚い瓦礫、境界に分断された世界で自分はどうするべきなのか、どうしたいのか。二人の関係性とその深度を主軸に描いてきた本作だからこそ、心情を描くという点において、どちらか一方ではなく互いの心に寄せたカットが描かれていたのは、むしろとても自然なことだったのでしょう。

f:id:shirooo105:20190627032449g:plain

そういった尚文の心情はこの直後のカットでも描かれていたはずです。フィーロとラフタリアに両脇を引かれる尚文。その光景には微笑ましさすら感じてしまいますが、彼の揺れる心情を思えばこそ若干の複雑さを感じてしまうのはやはり否めません。空抜けしていくPANと、上空を舞う3羽の鳥。この余白とモチーフに残される余韻がより感傷的に今 “この瞬間” の居心地の良さと元の世界に帰るという彼の目的を天秤に乗せ計るのだから、なんとも言えないセンシティブな感情を抱かずにはいられませんでした。

f:id:shirooo105:20190627034313p:plainf:id:shirooo105:20190627034335p:plainf:id:shirooo105:20190627034359p:plainf:id:shirooo105:20190627034510p:plain

そして、ラフタリアもまた彼のそんな心情には薄々気づいていたのかも知れません。だからこその最終回、25話におけるどこか遠くを見据えるような表情の数々。目の前に居る尚文ではない、その心の奥に隠しているであろう彼の思惑を見透かそうとするようなアンニュイな表情芝居。それはこれまで積み重ねてきたラフタリアの想いと、「帰って欲しくない」と語る彼女の願いが溢れ出してしまったが故のものなのだと思いますが、そういった “これまでの物語” を下地にするという点においてはやはり前述した22話ラストシーンの存在はどうしても大きく感じてしまいます。

 

それは、ラフタリアの心情においても。演出の側面から見ても。あの分断*1があったからこそ、その奥を見つめるという視線に強度が生まれ、彼女の想いをより強固なものにしたのだと。

f:id:shirooo105:20190627035600g:plain

それに関しては遂にラフタリアが尚文に縋った、帰って欲しくないと強く訴えた終盤のシーンでも同様でした。住む世界の違い、勇者としての使命。そういった色々なものの象徴として描かれたフレーム内フレーム分断のカットが強烈な印象を残していたからこそ、その先に居る尚文にラフタリアが触れる、言葉・想いを投げつけるという行為の強さが何倍にも増すのです。そしてそれは芝居レベルにまで浸透し、マントの皺、引く腕の強さ、正面から捉えられるラフタリアの表情の迫真さに多く託されていったのでしょう。

f:id:shirooo105:20190627041029g:plain

縋る手、寄る皺の数々、目元から伝う涙の軌跡をしっかりと捉えるレイアウトの巧さ。密着するラフタリアの懇願、想いを描いた素晴らしいカットです。芝居・作画が演出となり、人物の心情を表層に浮かび上がらせてくれる。一定の距離感を保っていたからこその、反動、感情の爆発。積み重ねていったものがこういった芝居や演出により尚強烈に描かれていくのは何度観ても堪らず、本当に素適です。

f:id:shirooo105:20190627044143p:plainf:id:shirooo105:20190627044219p:plain

また積み重ねと言えばもう一つ。これまでの本編とは質感の違うタッチで描かれたカットの存在、そこから思い出されるのは何を隠そうこれまで物語に添えられた二つのEDでした。一つ目のEDは尚文の心情に、二つ目のEDはラフタリアの心情に寄せたものとして描かれていましたが、その二つの感情がついに入り混じった今話において、あの質感を再現する、ということにはやはり大きな意味があったように感じます。通常の画面に戻ったあとにカメラが逆位置にいき、想定線を越える挙動を見せていたことももしかすればそんな二人の想いに応えてのものだったのかも知れませんし、上述した22話のカット的にもそれはとても大きな意味を持つ演出です。

 

カメラが回り込むことで壁・境界を意に介さないとするコンテワーク。あの日とは入れ替わり立ち位置が変化することの意味。どこまでが意図的な見せ方なのかは分かりませんが、そんな風に直感として思えてしまう程、このシーンのカッティング設計は緻密さに溢れていたと思います。

f:id:shirooo105:20190627045649p:plainf:id:shirooo105:20190627045618p:plain

ラストカットは一つ目のEDのラストカットと同じレイアウトにするという粋な演出も光りました。どこまでもEDを、二人の物語を意識した画面作りです。22話と同じくここでも鳥が飛んでいたのはもはや様式美。しかし、あの時とは違い後ろ髪を引かれるような印象もなく、ここから新しく旅立つ彼らの門出に相応しい祝福そのものとして描かれていたのがとても胸に刺さりました。もしかすると振り返れば他の話数でもモチーフとして登場しているのかも知れませんが、個人的には印象に残っていた22話と重なったことがなによりも嬉しく、印象深く感じられました。

 

幼少期とは違い、今度は同じ目線で。孤高ではなく、仲間に手を振るラフタリアと世界を望む尚文の姿。焼きつく夕景に浮かぶシルエットが本当に素適でした。それこそ、振り返れば夕景を含めたライティングが美しい作品でもあったなと思います。二人の物語の中に感傷性を与えた見せ方、映像。ビジュアルや演出含め、そういったものの構成がとても素晴らしかった作品です。出来れば彼らの物語の続きがまだ観ていたいのですが、一先ずはここで幕引き。素敵な最終回を本当にありがとうございました。彼らとまた会えること、とても楽しみにしています。

*1:前述したフレーム内フレームのカット

『ひとりぼっちの〇〇生活』の演出、横構図について

f:id:shirooo105:20190619211828p:plainf:id:shirooo105:20190619211834p:plain

ついにソトカとぼっちが友達としての関係を明白に築いた第10話。遡れば第4話の再演となった今回の話ですが、その際の会話を描いたシーンがとても素晴らしく胸を打たれました。かつてぼっちがソトカに向け手裏剣を投げた時とは位置が入れ替わる (ソトカが上手に回り物語の主体となる) 、というのもとても粋な見せ方ではありますが、私が一番感動したのはそれをこういった横構図で捉えてくれいたことでした。

 

特段、珍しい見せ方ではないものの、関係性を描くこと、その分岐点など物語との親和性次第では “向き合う” ということの大きさ、その意味を携えてくれるこの構図は、むしろ本作においてとても大きな役割を果たしていたと思います。

f:id:shirooo105:20190619213741p:plainf:id:shirooo105:20190619213755p:plain

対人の横構図というわけではありませんが、そのまま寄せて映したと思えるこういったカットの連なりも同じことです。向き合うことで生じる視線。言い逃れの出来ない対峙。それまでの葛藤や想いがあるからこそ生じるこの構図は、だからこそ彼女たちの決意や伝えたいと願うことの強さを浮き彫りにしてくれるのです。

f:id:shirooo105:20190619214632p:plainf:id:shirooo105:20190619214642p:plain

それこそ、そういった見せ方は既に一話でも描かれていたことでした。ぼっちがなこに「友達になってくれませんか?」と語った下校シーン。ぼっちの初めてのその言葉を予感してか、カメラがすっと横に回り込みこの構図を描いた時、とても感動したのを今でも鮮明に覚えています。どうしても言いたかった彼女の言葉。明白に友達になったという証拠が欲しい彼女の想いを正面から精一杯汲み取った構図・レイアウトだと感じます。それに向き直るなことの対面を改めて寄りで映すのもとても良いです。お互いの心がしっかりと向き合っていると感じられるカット、それが余りに美しくこの物語の始まりの1ページを彩ってくれていました。

f:id:shirooo105:20190619220043p:plainf:id:shirooo105:20190619220050p:plain

だからこそ、前述したようにこういったカットの運びにもグッときてしまうのです。オーソドックスなカットの運びなのだとは思いますが、シチュエーション、心情、前提として置かれた横構図の存在が、絶妙なレイアウト・アップショット*1の意味をより強く描き出してくれる。そして、それを取り巻くコンテワークの良さが彼女たちの関係性・想いをより鮮明に映していくからこそ、彼女たちの会話、やり取りに没入することができ、その結果こんなにもこの作品のことを 「好きだ」 と思えるのです。

f:id:shirooo105:20190619221441g:plain

また他にこういった構図が使われていたのが、第2話。ぼっちとアルが友達になるシーンでした。横構図に至る前に登っていた鉄棒からアルが降り、それを潜ってくるというのが、素直な自分になる彼女自身の過程としてまた一際素敵なニュアンスを描いていました。自身が残念なキャラであることを隠そうとしていたアルと、そんなアルと友達になりたいと話してくれたぼっちがようやく向き合うシーンでしたが、そこにこの構図を使ったのはやはり意図的なのでしょう。じっくり見せるためのものではありませんでしたが、このカットがあるのとないのとでは感慨が全く違ったと思います。どこまでも “向き合うこと” に拘った映像・物語です。

f:id:shirooo105:20190619222741g:plain

第9話。ここは寄りのカットにPANを使った見せ方ですが、やはり “向き合あう” ことを捉え、描いています。これまでのようなロングショットではありませんが、佳子がしっかりと彼女に向き合った結果「ライバルとして居たい」と語ったことを裏付けるカメラワークと構図です。ナメの構図などが多い本作にあって、こういったカットはやはり目立ちますし、だからこそ印象に残ります。そこに少女たちの真剣な想い、眼差しを乗せることで真っ直ぐな物語を描いていくこの作品のスタンスには、やはり何度だって心打たれてしまいます。

f:id:shirooo105:20190619225251p:plainf:id:shirooo105:20190619225315p:plain

中でも美しいと感じたのが7話のラストシーンでした。直接的な向き合いではありませんが、師弟関係ではなくぼっちと “友達になる” ということをソトカが真剣に考え、それをなこたちに伝えるシーンとしてはやはり “向き合う” ということ描いていたのだと思います。この時、ソトカの向ける視線の先に居たのはきっと少し前に泣きじゃくっていたぼっちの姿であり、いつも一緒に過ごし横で見ていたぼっちの笑顔。その複雑な心境を捉えた一場面として、本当に素適なものになっていました。

 

それこそ、本作は序盤から常に誰かが誰かを見つめる視線を描き、そこに焦点を当ててきました。友達になるという一つの目的の中で築かれていった関係性。だからこそ、見つめること、向き合うことに意味は宿り、やがてそれは誰かを想うことに翻っていったのでしょう。そんな物語と感情の変遷を映像としてしっかりと描き、残し、静かに彼女たちの背中を支えてきたことはこの作品への没入感に多大な影響を与えていたはずです。

 

可愛くコミカルなカットも多く描かれる中、こういったカットたちの存在が彼女たちの過ごす青春をしっかりと切り取ってくれる。そういった信頼*2を毎話経るごとに一段と感じられることが、この作品を大好きになれた最大の理由です。これからどういった最終話を迎えるのかはまだ分かりませんが、だからこそこれまで描かれたこと、そこで感じた多くのことを頼りに、来る彼女たちの未来を今は静かに待ちたいと思います。そして最後に。ここまで好きになれる作品をありがとうございますと、心から。彼女たちと、彼女たちの物語に触れることができて本当に良かったです。

TVアニメ 「 ひとりぼっちの○○生活 」 エンディングテーマ 「 ね、いっしょにかえろ。 」

TVアニメ 「 ひとりぼっちの○○生活 」 エンディングテーマ 「 ね、いっしょにかえろ。 」

 

*1:相手のいる方向に空間を空けることで、そこに相手がいるのだと強く示してくれるカット

*2:どんな時もこの作品は彼女たちに寄り添ってくれると思える信頼