『SSSS.GRIDMAN』9話の演出について

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不穏な空気を感じさせる警報音。多くの意味合いを含んでいたであろう信号と踏切。それは音響の側面とセルによって描かれた数多くのプロップ・情報量から世界観を描き続けてきた本作の徹底したスタンスの延長でありながら、新しい予感を生み落とすモチーフとしても強く存在感を示していました。

 

怪獣、踏切、モブと奥から描かれたレイアウトもおそらくは同様で、遮断機と踏切が両者を “分け隔てる” という関係性は現実とは違う舞台を描いた本話において大きな役割を果たしていたはずです。以降、幾度となくカットバックされた信号機のカットもそんな冒頭で描かれた物語の大枠を意識させるためのものであり、夢に揺蕩 (たゆた) い続ける話に対し違和感を差し込む役目も果たしていたのでしょう。それがさらなる緊張感を演出していたのは言うまでもなく、フィルム全体に異様な質感を与えていました。

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また、分け隔てるという意味においてはこういったカットも同じ役割を持っていたはずです。なぜなら、画面内に境界を引くというのはファーストシーンで描かれた踏切からの地続きとしての描写でもあるからです。それは冒頭で怪獣と人という関係を踏切によって分断したように、アカネと裕太、また元の世界と夢という大枠の括りに対しても同じことが言えるはずです。裕太がアカネを追い掛けようと境界を跨いだあとにグリッドマンが右寄りに映し出されるというのも、非常にインパクトのある絵面でありながら、ここが曖昧な世界であることの象徴としてとても意味のあるレイアウトになっていたと思います。

 

それぞれ1話における六花と裕太との同ポではありますが、振り返れば1話時点においても怪獣を認識できるかどうかなど見ているもの、感じていることの違いが台詞含め描写されていました。そういう意味ではこの作品は当初から境界というものには敏感であったのだと言えると思います。

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他にも、随所でフレームによる画面コントロールやレイアウトが目立っていました。前景でのBOOK、手前にセルを置いたりと覗き見るような画面を構築するのは他の話数でも多く見られましたが、夢という舞台を扱ったこの話数だからこそその意図はさらに際立って見えます。それぞれ空間への視線誘導も巧く、前景、セル、色、光の質感など情報の多い画面の中に二人をそれと分かるように配置するのがとても巧いです。アカネが彼らを夢の中に閉じ込めていることを示したショットであり、この広い世界 (情報量の多い画面) の中でそれでもアカネが六花たちに固執する様をカメラに収めた瞬間でもあるのでしょう。

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それぞれその前後のカットではありますが、こういったカメラワーク・トランジションも面白く、ドキッとさせられてしまいます。保健室のカットでは手前中央の窓枠がカメラの動きを遮る役目を担っていますが、それをワンカットのカメラワークで映しているため、強烈な断絶は感じられません。むしろ会話によるやり取りの中で徐々に打ち解けていく二人を支えるよう互いの壁をカメラが替わりに乗り越えているような印象さえ受けました。だからこそ直後のカットで六花がアカネの寝ているベッドに腰を掛けるという芝居に強い意味性を感じられるのでしょう。内海に関しては徐々にのめり込んでいく、仲を深めていく様子が描かれていますが、モブとポン寄りによりフレームの幅が少しずつ狭まることで自然に二人を近づけていくのがシームレスで良いです。

 

ですが、これまでの物語を踏まえた上では逆にそのシームレスさが不気味に映るというのがおそらくは今回のフィルムコンセプトでもあったはずです。新条アカネという存在。世界の謎と、繋がりを断たれただクロスカットで話が交わることなく紡がれていく三人の物語。インサートされる警報機の存在を含め、“なにを信じればいいのか分からなくさせる踏み込めなさ” が今回の話・映像の肝だったのだと思います。

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これまでは見れなかったような絵が散見されたのもそう感じてしまうことへ拍車を掛けていました。色・光の質感、レイアウト・構図に視る関係性、仕草や表情。そのどれもがこれまでとは違うニュアンスを帯びているようでした。青春という言葉がとても似合うフィルムなのに、少しダウナーで、違和感を感じさせられてしまうーー それもまた1話から描かれてきたことではありますが、今回の話はそれが特に顕著でのめり込みました。

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そしてアカネにより語られる「それが本来の形だから、私を好きになるためにつくられたんだから」という言葉。現実と理想のギャップ。晴天から曇天の雨に繋ぐカットの意味性、そして画面のコントラスト。ある種、ここまで予感が散りばめられていたフィルム*1であったものが、彼女のこの言葉とこの場面に至るまでの繋ぎによってグッと収束していく構成には息を飲みました。

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まただからこそ、それまで以上にグリッドマンは克明にアカネの世界に映り込み、もう一つの世界の存在を強烈にフィルムへと刻み込むことが出来たのだと思います。僅かな予感の集積とアカネの言葉による収束。メタ的に見れば “ここが本来居るべき場所ではない” ということへの気づきが映像として明らかにされ始めたからこそ、こことは違う場所へと向かうベクトルをより顕著に描き始めることが出来たということなのでしょう。それはアカネの呼びかけにより一度裕太が彼女に意識を傾けた*2あとに、再度グリッドマンがスクリーンに浮かび上がったことと同様の流れであり、平たく言ってしまえば 「一度何かがおかしい」 という予感を与えてしまった場合、 “そのまま” で済ますことはとても難しくなる、ということなのです。それは裕太の視点に立った物語においても、物語の映像構成としても同列なのだと思います。

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けれど、だからこそアカネはそうした元の世界へと向かうベクトルに流されないようただ懸命に走り、幾度となく映る別世界のフレームも意に介さずその流れに逆らおうとしたのでしょう。勿論、その行動の内にはまだ明かされていない物語の謎や彼女の想いが多く仮託されているのだとは思いますが、詳細な心情を描写せずともこういったエモーショナルなカットを入れることにより、今回の話が “ただアカネの見せる夢から抜け出すための物語ではない” ことを知らせていたのは本話の凄味と感傷性をまた一段上へと押し上げていたはずです。

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明度のコントラスト。初めて見るようなアカネの表情。ここでも未だ明かされないアカネの心情に寄せたショットで、青空が映された中盤のシーンとも非常に対比的になっています。それでも彼女へ掛けられるのは「ずっと忘れてる気がする」という無常な言葉で、その一連のやり取りをぽっかりと墓地の空いたカットのfixで撮り続けていたのがとても印象に残りました。アカネにとっても、裕太にとっても “ぽっかりと” という言葉が当て嵌まるからこそ、どちらの意味でも感傷的になれてしまう上に、そうしたどちらの視点にも立てるフィルムであったことがまた今回の話を決してシンプルではない複雑なものに仕立て上げていたと思います。

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そして話は分岐点へ。再び画面は境界によってそのフレームを二分されます。二つの世界。二つの感情。ここまで描いてきたことを再度突き付けるレイアウトです。けれどこれまでと違うのは「(忘れていることが)アカネにとって大事なこと」だという裕太の台詞とそれに呼応するようアカネを飛び越え、もう一つの境界の向こう側に裕太が立つ意味なのです。自分とアカネの間にある境界を破り、アカネの創る世界を受け入れるわけでもなく、その向こう側に立つということ。それはこの話で初めて描かれた彼の選択であり、それを裏付ける映像の運びに他なりません。

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そしてそれは六花にとっても同じだったのだと思います。自分と彼女を分け隔てる境界と、それにより二分される二人の世界。けれど六花が見つめていたのはさらにその先にあるグリッドマンの姿であり、もう一つ向こう側の世界でした。これまで率先して戦うこと、誰かの居場所が “無かったことにされてしまう” 怖さから足を踏み出せなかった彼女がその一歩をもう一つ踏み出した瞬間。バスから飛び降りるというのも、行き先は自分で決める、ということと同じ輪郭をもって語ることの出来る彼女なりの決断であったはずです。

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そして想定線を越える裕太とアカネの関係性。「俺はそっちには行けない」と、彼女の創り出す世界への拒絶がそのまま映像・モチーフとして現出します。けれど、アカネ自身を拒絶した訳ではない、というのがきっとこの先の物語では要になってくるのでしょう。残されたアカネと背景密度、そしてぽっかりと空いた青空は、序盤でも触れたセル密度故の情報量の多い画面と同列に語ることの出来るもの。細かな情報量の裏に隠された本当にアカネが欲したもの、その消失が非常に辛く映る画面です。

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自らが愛したものに加え、アカネをも置き去りにせざるを得なかった内海にとってもそれは同様です。少年少女が決断し、自ら踏み出しその道を駆け出すということ。むしろそれはこの作品が主軸に置くテーマの一つなのかも知れません。

 

アカネに至っては先程の裕太とのシーン同様、密度感あるものに囲まれていてもまるで満たされていないと語り掛けるようなカットが感傷を誘います。どこか隙間が空いていて、そこに彼女の感情が溢れ出していくような。「欲しいものはこれじゃないんだ」と語り掛けるカットをここに残した意味はその額面から感じ取れるもの以上にとても大きいものであったはずで、裕太たちの進むべき道をフォローしていく一方で、必ずアカネに寄り添うフィルムとしても繋いでくれていたことに強く胸を打たれました。

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大きなうねりを上げて収束していく物語と映像。ここまでクロスカッティングで描かれてきた各々の話がここから一気に同じ方向へと向かい始める快感は筆舌に尽くせませんでした。本話にとっては大きな存在であった踏切を越えるファーストカット。ロングショットフォローによる三人の走り作画*3、カッティングの良さ、劇伴・台詞の高揚感、そして物語 (彼らのバックボーン) が音を立てて動き出す瞬間を背景動画で描く意味。そういった全ての要素が噛み合い描かれていたことに本当に感動してしまい、ついぞ泣かされてしまいました。

 

背景動画時のT.Bも物凄く決まっていて、これから立ち向かうものの強大さを裏付けるようなカメラワークであった反面、それでも必死に足掻き手を伸ばすことに意味を見出すアクションづけであったこと。ここから彼らの新しく険しい道が始まっていくことを感覚として頭の内側に焼きつける力強さで溢れていたことが堪りませんでした。

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アクションが終ると、遮断機が上がり、警報器は鳴りを潜め、ファーストシーンとは違い怪獣とキャリバーたちの立ち位置が入れ替わります。アバンとは翻り、夢の終わりを告げるモチーフとして機能しているのが面白いですが、今話における踏切と境界の関係性を鑑みれば、消失した境界の先に本作が想い描いているものはもしかすれば新条アカネへと続く道なのかも知れません。勿論、その先に何があるのかはまだ分かりませんが、今回の話・映像を観てしまえばそう思わざるを得ないというのは、やはり仕方がないのかなとも思います。

 

なにより、戦闘を終えた後にも関わらずアンニュイさが払拭されないラストシーン。陰影に寄る分断。残るしこりと「まだ一人、目覚めさせなければならない人間がいる」、「聞いて欲しい話がある」というそれぞれの言葉。はっきりとは明言せずに映像の側面からあらゆることを訴えてきた本話においては、もうそれだけで十分な気が今はしています。

 

ラストカットまで抜かりなく。謎は謎のまま突き通すミステリアスなフィルムの質感と劇的なシークエンスの緩急。本当にとてつもないものを観てしまったという気持ちばかりが今も沸き続けています。絵コンテは今回初めてのコンテ担当となる五十嵐海さん。演出を金子祥之さん。作画、音響、色指定、撮影などあらゆるセクションの賜物であるということは重々承知した上で、この話数を設計し、完成に導いたお二方の手腕にもとても驚かされました。五十嵐さんが手掛ける作画に関してはこれまでも長らく追い続けてきましたが、今後は演出面でも見逃せない方となりそうです。本当に素晴らしい挿話をありがとうございましたと、心から。

SSSS.GRIDMAN 第3巻 [Blu-ray]
 

*1:時折り差し込まれるグリッドマンの影や、カッティングによる間の置き方、印象的なカットなど

*2:もう一つの世界の存在を彼女によって上書きされてしまった

*3:ここをロングショットにしているのが本当に良い