最近観たアニメの気になったこととか10
最近と言うよりは、昨年末に観て印象に残ったものについて少し。まず『王様ランキング』9話。ドルーシとヒリングの過去が描かれる回想シーン。ドルーシの台詞にあったようにそれまでは不器用で、どこか子供に対しても高圧的な印象が抜けないヒリングの姿が描かれていましたが、この辺りからはそれが一変します。カメラの位置、レイアウトの感じなどもよりフラットになり、仲を深めていく二人をまるで見守る様な位置感覚のカットが多くなりました。特に良いなと思ったのはヒリングの芝居です。担当されたアニメーターの方の "らしさ" というのも多分に含まれているのだろうとは思いますが、どこか母親然とした感じを受ける柔らかい芝居。強張っていないというか、関節がとても柔らかく動いているイメージがあって、そこに彼女の変化とか、関係性の成熟さを感じることが出来るんですね。それが本当に良くて。
この辺りとかもですね。ドルーシに対しては力強い、上下関係を意識させられるようなハキハキとしたメリハリの効いた芝居で描かれているんですが、直後のボッジとのやり取りではそれが柔らかくなる。ワンピースの靡きなんかもメリハリは効いている動きだと思いますが、フォルムの関係かどこか柔らかい印象を受けます。走る素振りを見せる際の腕の振りなどはやはり芝居自体がすごく柔らかく描かれていて、母親としての姿、その優しさを垣間見える芝居になっていたり。物語の流れも踏まえてではりますが、だからこそ、ああ、良いなあと思える。ヒリングってやっぱり "そういう人" で、ボッジのことを大切に想っているんだと強く思える。自分はアニメを観ていて、そんな風に芝居と物語と感情が直結していく瞬間がやはり大好きなので、なんかこうこのシーンを観て凄く感動させられてしまいました。
『takt op.Destiny』12話。別れ際のシーン、そのワンカット。片腕が消えたままのタクトと、その片腕足る運命はもはや共同体であり、二人の想いが重なり合っていたことを指し示す芝居 (シチュエーション) としては、もうこれ以上はないんじゃないかと思わされました。柔らかく、次第に力が込められていく運命の手先。その先にタクトの手をも幻視させられることにこの芝居の意味はあるのだと思います。それは例えば、舞い散る木の葉を描くことで風そのものを表現する手法と同じように。目に見えるものをより繊細に、立体的 (現実的) に描くことで、やがて目に見えないものが輪郭を帯び、現出するように感じられてしまう。そう見えてしまう。その意味性というか、お互い独りじゃないんだなっていう。そんな儚さと同居する温かさを強く感じられたことがとても嬉しく思えて、グッときたカットでした。
『SELECTION PROJECT』10話。「今、何がしたい?」と聞かれた玲那の反応を描いたカット。この一連のシーンは担当されたアニメーターの方の特徴がよく出ていて*2、各々の表情が可愛らしく儚げで本当に素晴らしいんですが、こと玲那にとってはそこに大きな意味が宿る瞬間があって、凄く感動しました。それこそ彼女ってこういう表情をここまでの物語の中であまり他の人には見せてこなかったというか。どこまでも自分を律して、内に秘めるような人として描かれていたと思うんですよね。もちろん鈴音に当たってしまったシーンなどはありましたが、それはまたニュアンスが違うというか。だからこそ、そんな彼女が唯一我がままになった瞬間というか。言い換えれば心を開いた瞬間が、これまでになかったような (見せてこなかったような) 芝居/表情で描かれるということが本当に感動的だったんです。少し幼さの残る印象もすべてひっくるめて。ああ、良いなって。よかったなって思える表情芝居。
最後は少し距離を空けて、でも同じような印象で。ふっと緊張感が解けるんですよね、同ポでもこうして位置感を少し遠ざけると。そして喜怒哀楽の怒や哀的な想いを経て、それ以外の感情がすべてここで押し寄せてくるっていう。そんな印象を残してくれる表情づけが本当に堪りませんでした。最後の優しい目も本当に好きですし、そこに至るまでをカットを割らずにFIXで撮り続けてくれたことが、彼女の気持ちを慮 (おもんばか) っていたようにも感じられて、少しだけ泣きそうになりました。