『であいもん』2話、アニメにおけるバックショットとその先に視るものについて
両場面とも2話終盤で描かれたバックショットでしたが、各々が今話の行方を見守る様な質感を持っており、とても感動させられました。まず左のカットについてですが、和 (なごむ) と一果の馴れ初め、関係性を踏まえればとても得心のいくカットだと感じられます。まだ距離感がある二人だからこそ寄り添っては歩かないし、歩けない。それでもここまで描かれてきた彼の姿勢や性格に少なからず温かさを見つけていたからこそ、一果もさほど距離を取らなかったのでしょう。付かず離れず、そんな二人の関係性をビジュアライズした距離感。特に和菓子の手売りを共にしたことや美弦の進路に関する一件で、一果が彼に対する印象を改めたことが分かるカットになっていたのはなんだか良いなと思わされた一因でした。逆に右のカット、一果と美弦が一緒に登校するシーンで描かれたカットでは、二人の仲睦まじさを感じさせる距離感でしっかりとその関係性が描かれています。距離が近ければ仲が良い、というのは必ずしもイコールで結ばれるものではないと思いますが、それでも自身の問題をひとまず片づけた美弦と、それを知り見守っていた一果の関係が改めてビジュアル的に示されたのはやはり素敵でした。それこそ時系列的には絵としての印象度が強い和と一果のカットを受けて、一果と美弦のカットがラストカットとして描かれていたのでより二つのカットを重ねて観ることが出来ましたし、それ故の感動というものも多分にあったのだろうと思います。
けれど、そんな二つのカットにも共通したテーマ性のようなものがあります。それは広角カットから強調し映し出される消失点 (とその構図) によって、各々が歩むであろう道/未来というものを強く意識させられることです。特に一果と和のカットではそれが顕著でした。たとえ今は二人の間に少し距離があったとしても、これから続く長い道のりの中でその心は少しずつ寄り添っていくのだろうと思えてしまうというか。消失点をまだ見ぬ未来と見立てればそこに向かって歩く二人は、きっとこの先も大丈夫なんだろうと自然と思えてくること*1が本当に素晴らしいのです。それは一果と美弦のカットでも同様です。消失点、遠くへと続く道をより見やすくするために真後ろのバックショットからではなく、カメラ位置を少しずらし "その道の先" をしっかりと映していたのも印象に残ります。それこそこういうカットって本当にバックショットの醍醐味というか、表情が見えない構図である分、それ以外の要素が物語的に雄弁であったり、言葉では言い合わらせられない感情を代弁してくれている感じがして、本当に好きだなと思わされます。
くわえて、二人が見渡す景色の向こうに空が広がるという景観の見せ方もとても素晴らしく、それはまるで二人が歩んでいく道とその先の物語を世界が祝福しているようにも思えました。
またこの話数を観て、自分の中に深く残っているバックショットってなんだろうと考えた時に、色々浮かんできたものがあったのでそれについても少し書いていこうと思います。まずは『宇宙よりも遠い場所』5話。キマリが南極へと向かう日の朝、めぐっちゃんが彼女に絶交を言い渡しに来るというシチュエーションでしたが、めぐっちゃんが抱いていた感情も全て受け止めたうえでキマリが「絶交無効」と言い渡す、そんな流れの直後の場面です。
前述してきたことを踏まえればまさしく消失点 (見えないほど遠く) へとキマリが駆けていくバックショットが描かれます。キマリにとっては ”ここではないどこか、遠い場所" へ向かうという意思と意味がしっかりとこのカットに込められていたのでしょう。しかし、以降のカットからこのバックショットって実はめぐっちゃんの主観に近いカットでもあったのかも知れないと分かると、そこには新たな質感が伴われていくことになります。それはキマリが遠くへと行ってしまうというめぐっちゃんの感覚だったり、その背を追いかけ、向こう側へと向かう必要があるのは私も同じなんだという彼女自身の強い想いでもあったのでしょう。言ってしまえば彼女たちは "向こう側" を観ているんですよね。まだ見ぬ虚空に浮かぶ目標とか、夢とか、踏み出すための切っ掛けとか。具体的なことを言葉で言い表すのが難しいのですが、でもしっかりと此処に在るそういうあやふやな感情をグッと私たち受け手にも知らせてくれる。そういう物語的な強度がやはりバックショット*2にはあるんだと思わされるんです。
『のんのんびより のんすとっぷ』10話、『ろんぐらいだぁす!』3話。遠い場所へと帰っていく友人を見送るれんげと、未来への展望に心躍る亜美、それぞれの後ろ姿。各々シチュエーションや抱える感情は違いますが、遠くへと想い馳せその虚空に彼女たちの感情が映し出されるという点ではやはり同じだと思います。『ろんぐらいだぁす!』に関して言えばはドリーズーム効果がつけられていたり、前術したような消失点を意識させられる構図・レンズ感にはなっていませんが、そこに携えられている意味性に関してはやはり同様のものを感じます。特にバックショットによって捉えられる空の感じ、そこにこれからの物語を夢想できる印象なんていうのは、もう私が敬愛するバックショットの素晴らしさそのものでしかありません。
新海誠監督作品でもバックショットは多く使われますが、印象的なのは『コスモナウト』と『ef-the latter tale.』のデモムービー。手の届かないもの、未来や過去に対して手を伸ばす意味性を説くのが氏が手掛ける作品に通底したテーマ性ではありますが、こういったバックショットやそこで描かれる彼女たちの視線というものはその意味性の代弁者足る強度を非常に強く携えているように思います。やはり向こう側を見ているんですよね。そして、そこに彼女たちの物語があって、感情がある。
『響け!ユーフォニアム』5話、『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』6話。ここでは物語の詳細を省きますが、いずれも登場人物たちが未来への予感や、そこへ向けた想いを虚空に滲ませていたカットです。明確に言葉にできるものはないけれど、それでも今この場所より向こう側へと馳せる想いは持ち合わせている。とてもあやふやなものではありますが、そのあやふやな輪郭こそがとても大切な物語の骨子となっていくのでしょう。そんな風に彼女/彼ら/また物語の代弁者となるのが時にバックショットの宿命なのかも知れないな、とか。今回の『であいもん』2話を観て改めて感じさせられたことでした。