『ワンダーエッグ・プライオリティ』3話の演出について

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3話のAパート、個人的に特に印象に残っていたのがリカの入浴シーンで描かれた蛇口から流れ出る水*1の描写でした。2カットに渡り執拗に描かれていたうえ、いずれもナメ構図を使っていた点からも、少なからずここにスポットを当てていたことがわかります。ポーチとリカ、被写体の中心に据えられたのはその両者ではありますが、やはり強烈なインパクトを残していたのは蛇口と水。このシーンまでではまだ明かされていないリカの内に秘める想いや葛藤が少しずつ漏れ出している様を連想させるモチーフとしても描かれていたのでしょうが、アンニュイな表情と映像の空気感からもそれはそれとなく伝わるよう描かれていたのだと思います。 

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ですが、その直後に蛇口を閉め、顔を一度ゆすぎまっすぐ前を見て表情を作る、という一つの流れが描かれます。アイドルが前職の彼女らしい振る舞いではありますが、ある種これもまた彼女にとっては必要なルーティーンだったのかも知れません。自傷行為により血を流すことで "何かしらの感情" と向き合ってきたであろう彼女が、流れ出るものを自らの手で一度止める意味。それはきっと彼女にとっての覚悟のような、ある種前へ進むためのスイッチの入りとしても描かれていたのでしょう。「もう切らないよ、約束だから」という台詞も相まって、彼女の明るくどこかサバサバしたいつもの姿が、どういう想いを起源に振り絞られていたのかが少しだけ分かったような気がして、そこにとてもグッとさせられてしまいました。

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また、これは後からこの話を振り返った時に気づいたのですが、リカってかなり背もたれや壁に寄りかかる、しいては壁際に居ることが多いんです。先ほどの入浴シーンもそうですが*2、そういうシチュエーションで描かれることが本話では特に多かったはずです。もちろんそれは彼女自身の性格や素行による部分も大きいのだとは思いますが、リカが時折見せる表情、どこか遠くの記憶を見つめるような視線にも、そういった姿勢の理由ってあるのかなとかは考えました。

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前述したような自傷行為についてもそうですけど、なにかに寄りかかってようやく向き合えるものが彼女のなかにはあるのかも知れない、とか。見つめる視線の先に思い浮かべるもの。チエミのこと、家族のこと、自分自身のこと。それらはすべて過去の記憶であり、出来事なのかも知れないけれど、でもその過去がリカが今進むべき道を示してくれているようにも感じられてしまう。停滞ではなく、後退でもない。一歩でも前へと進むために。そういう描かれ方が本当に良いな、と思ったんです。そして、それが川井リカという一人の人間に惹かれてしまう切っ掛けにもなっていく。

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しかし本来は彼女自身、そういう大切な気持ちは内に秘めていたのだろうと思います。パーソナルエリアの確保というか。ずけずけ踏み込んでくるようで、踏み込ませない。なにかに寄りかかってしまうのも、寄りかかる相手がいないから。そういう表と裏の顔。もちろんそれはアイにとっても同じというか、パーソナルエリア感の強いベッドの見せ方とか彼女の仕草とか、それこそ回想シーンを観ていても、孤独であること、その内側になにか言い知れぬ感情や想いを抱えていることは感じ取れるんです。じゃあ二人の間にはどんな違いがあったのか、といえばそれはやはり、この時のリカには前述したような立ち向かうものが明確に目の前にあって、それを見つめて突き進む力が彼女にはあった、ということなのだと思います。だからこそリカは常にアイの先に居るというか。立ち位置もそうですし、会話の主導権とかも含めて。彼女の背中をアイが見つめるという構図がよく映えていたのも、だからなのでしょう。

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そういった二人の違いや各々の状況は作画的にも同様のことが描かれていたような気がします。背動とアクション、走る姿とその視線の先にアイが知りたい感情や道標があって、リカが居る。どこか置いていかれてしまうような速度感や、先が見えない感じ。動き続ける世界の中で立ち止まってしまいそうになる芝居やその感情までをも含め、今度はアイの心がなんとか前へ喰らいつこうと動き出す過程を描き出す。それが二人の出会いと、そこから新たに生まれていくアイ自身の物語を強く後押しするようで、強く惹き込まれました。

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飛び越えるリカと置いていかれるアイの対比。常に世界が動き続ける中で "あなたはどうしたいか" ということを問い掛けるカッティングと、焦燥感を与えるライティング。世界の速度と感情の速度。
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そして、駆け出すアイ。今度は世界の速度を彼女自身の感情の速度、或いは物語の速度が上回っていく。それこそ、階段を上り始めるシーンは比較的リアリティ度合いの高い芝居で描かれていたと思いますが、ここでの描かれ方は非常にファンタジック。でもそれでいい、というかそれが良いんですよね。なぜなら、このシーンではアイの感情が現実に圧しつぶされず跳ねのけ、それを飛び越える必要があったから。想い、感情の速度が世界(現実)の速度を追い越すって、そういうこと。リアリティの話ではない、理屈じゃない。それをこうも素晴らしいアニメーションで描かれたら心を打たれないはずがないのです。

 

最後は速度感の強い芝居から、じっくりとした背動へ。彼女自身の物語がグッと広がっていくイメージ。視界の拡大。くわえて、弾け飛んだ粒子が再度収束していくような軌道で描かれることで、よりアイの視線の先にまだ見ぬ景色が広がっていく感じを想像させてくれるのが堪らなく好きだし、素敵だなと思います。リカの話を聞いたことで広がった "アイ自身の世界" を可視可してくれる映像の強さ。明確な言葉や台詞がなくとも "そう感じさせてくれる" アニメーションの醍醐味というものを改めて噛み締めた瞬間でした。

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そして、だからこそ今度はリカと肩を並べて走れる、踏み出せるというストーリーラインがとても清々しく、本当に素晴らしかったなと思います。「バックダンサーから昇格」というリカの言葉も、そんなアイの変化を感じ取ったからこそのものですし、それこそもしかすればアイの足を揉んでいたあの時には既に、アイが踏み出せないでいることをリカは感じ取っていたのかも知れません。そんな妄想までしてしまうほどに、台詞や話の流れ、映像の構成が素晴らしく嚙み合った挿話だったなと思います。リカのパーソナルな話から、アイが一歩を踏み出す話まで。二つの流れが交差し、一つになる流れのドライヴ感が本当に堪らなく、とても美しかったです。

*1:お湯かも知れないが、そこは割愛

*2:まあ入浴シーンは誰でもああいう感じのポージングになるような気もしますが…

アニメにおけるFIX・長回しの芝居について

先日『のんのんびより のんすとっぷ』1話のアバンを観返していて、この間の持たせ方とか雰囲気の出し方って、この作品の特別な色にすらなってるよなとか、そんなことを考えていたんですが、改めて1期や2期を振り返っても記憶にあるのはやはり同様のFIX(カメラ固定)、長回し気味のシーンやカットが多く、思い返すとこの類いの見せ方が自分は本当に好きなんだなということを久しく認識させられたりしました。

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特に印象に残っているのは1期4話のこのカット。FIX長回しのカットで言えば2期12話で描かれた縁側のシーンなども素晴らしいのですが、個人的にはやはりこのカットが一番印象深いです。こういう形で背景がしっかりと舞台として機能している*2のも新鮮で、一度高い場所に登って降りてくるという導線や芝居が、空間の広がりと好奇心旺盛なれんげ自身の子供らしさや性格を彩ってくれるようにも感じます。

 

そして何より、カメラが固定され動かず、長回しをするからこそ撮れる映像の質感がこのシーンにはあるというか。むしろ、それがここで長回しを使う意味でもあるというか。自然体であり、恣意的に構成されていくようなカッティングで描かれるものとはまた違う、より日常に近い生活風景の一部が "描かれていると感じてしまう" んですよね。歩きながら草葉に触れたり、ちょっと高いところを歩いてみたり。私たちが普段の生活の中で意識せずやってしまうような動きを捉えられることもそうですし、それを一定の位置から撮り続けることで得られる時間感覚の共有や感傷性もそうでしょう。意図的にカメラをクローズアップさせないからこそ生まれる自然、風景としての質感と、意図的にカットを割らないからこそ生まれる時間の流れ。そうしたものが相まることでさらにはれんげ自身の感情がここで一つ育まれ、それを見守る私たちの心にも感傷性が宿る。そういった一つの流れをもつくってしまう強さが、こういったカットにはあると思うんです。

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魔法使いの嫁』9話。降りてくるまで(二人がフレームインしてくるまで)に聞こえてくるチセたち二人の会話、それを敢えてこのレイアウトで待ち続ける意味とかもそうだと思うんですよね。時間間隔と、風景としての生活の一幕。それをこういった距離感で捉え続けることって、やはり物語への没入感や、登場人物たちがこの世界で生きていることへの実感をより強くしてくれるものなんだなと感じます。

 

それこそ丁寧な芝居作画も同様で、会話をしながら降りてくる芝居の速度感、四足歩行のルツが無事階段を降りてこられているかを確認する間芝居、その感情とか。先ほどの『のんのんびより』のカットもそうですけど、こういった何気ない、とても自然体に見える芝居って本当に描くのが難しいと思うんですが、でもだからこそ、そういった些細な仕草や芝居がそれとなく描かれるからこそ、逆にこういった撮り方がより活きることってあるというか。むしろ繊細な芝居が描かれることが、生活風景をFIX長回しで撮ることの前提だったりもするんだろうなとかも感じたりしました。けれどそういった難易度の高いカットをシーンの中に組み込む意味は前述してきたようにやはり大きいもので、だからこそこういったカットを話の中で観てしまうと「ああ、良いな…...」という面持ちにさせられてしまうのでしょう。あとはカメラが動かない、カットを割らないからこそ、余計に "その世界を覗かせてもらっている" という感覚が強く芽生えたりしますね。これはバラエティ番組とかでよく見る仕掛けカメラとかの感じともしかしたら似ているのかも知れません。

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涼宮ハルヒの憂鬱』28話。「サムデイ イン ザ レイン」というサブタイトルでお馴染みのこの回ですが、このカットも個人的には凄く印象深く、好きなカットです。これまで上げてきた中で異色なほどに長回しの時間が長いカットではありますが*3、ただひたすら本を捲り、待ち続ける長門の心根に寄り添うことが出来るカットであることは、『涼宮ハルヒの消失』を鑑賞した後であればより実感できるのではないかと思います。

 

前述した二つのカットとはまた少しテイストが違うようにも感じますが、時間の流れやこの世界、或いはこの場所の空気感を味わうことが出来るという点では特に大きな違いがあるようには思いません。これが長門の日常であり、その風景の一部。それを見守りなにを感じるかを各々受け手に委ねてくれる豊かさがあるのも、こういったFIX長回しカットの素敵さなのでしょう。

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『22/7 あの日の彼女たち』7話。約13秒ほどの長回しですが、生活風景を切り取る、彼女たちが生きる世界を覗かせてもらうという点において、本当に素晴らしいカットだと思います。枝豆の皮をむき続けるという芝居が描かれる中で続く、他愛もない話。夏の質感と、関係性と、これが二人で過ごす時間の在り方の一部なんだと感じられる情感。これまで触れてきたことと重なるので多くは語りませんが、こういったカット、シーンの存在が物語を知り、体感していくうえでとても重要な基盤になるのだなと強く思わされます。

 

これまで上げてきたものと少し毛色は違いますが、『22/7 あの日の彼女たち』2話なども同じような質感というか、根底にあるものは近い感じがして凄く好きな挿話です。というかこの作品はどの話数も "日常の風景の一幕(それはアイドルとしてのものも含め)" を撮ることがテーマの根底にある気がしていて、毎話グッと気持ちを揺さぶられた作品でした。

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同じようなFIX長回しのカットは他にも色々な作品にあるでしょうし、私自身もう少し上げようかと思っていましたが、あまりやり過ぎてもと感じるのでこの辺りで。最後に『のんのんびより のんすとっぷ』OP序盤のカットを。OPというまた本編とは違う構成が求められることが多い映像の中であっても、本編となにも変わらず、こういうカットを盛り込める『のんのんびより』って本当に素敵だなと思います。

 

きっと、いつだって撮りたいもの、描きたいものの根底にあるのは彼女たちが過ごす時間とその生活風景の一幕。それを覗かせてもらうよう静かに、ひっそりとカメラを向け続ける美学に最大級の賛辞を贈りたいと思います。

*1:サムネ参考:

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*2:背景に描かれた特異的な場所やプロップが、映像を構成する一つの要素という側面だけでなく、アニメーション(動的なもの)の一部として落とし込まれていく

*3:このGIFは街頭カットの一部切り取り

『約束のネバーランド season2』のEDについて

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本編の映像的な暗さ、暗澹たるストーリーラインを打ち消すよう描かれた今回のエンディング。壁の外へ希望を見出したエマたちと同様、格子の向こうに光をみるファーストカットから紡がれていくカットの多くは、そんな希望的観測に満ち溢れた質感を携えていました。特に顕著だったのはそのライティング。くっきりと明暗を分かつ陽(ひ)と影の存在は、まるで "こんな世界でも生きていくこと" を強く後押ししているように感じました。

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この辺りのカットも同様です。低い明度の中ではありますが、それは良くないことへの暗示に満ちた本編の流れを汲めば必然で。そんな中であっても "私たちは此処に居る" と云わんばかりの存在感を示すコントラストのつけ方や色味には、やはりグッと胸を締めつけられます。鬼ごっこのような、かくれんぼのような見方も出来るこの物語を踏まえれば、草葉の陰で木漏れ日(月の光)を浴びるというのも非常に感傷的で素敵です。また鬼の象徴として描かれ続けた "人間" とは少し違う手足の質感をこうも柔らかく見えるよう演出していたことには強い感動を覚えました。

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それこそ、season2の1話終盤で描かれた鬼と称される二人の手足の見せ方と対比すれば、それも一目瞭然のような気がします。暗がりの中にぼやっと映し出される鬼の象徴。おどろおどろしい劇伴や見せ方も影響していますが、恐怖の対象としてすら映し描いてきたものを直後のエンディングで翻す意味はやはり大きく、だからこそ前述したように柔らかく描かれた鬼の足のカットを観てあれほどまでに感動できたのだとも思います。

 

もちろんエンディングでの見せ方が意図して1話終盤のカットと対比的になったのかは分かりませんが、それがたとえ偶発的なものであったとしても、そう見えたことはやはり感情を大きく揺さぶられる理由としてとても大きなものでした。

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ロードムービー的な見せ方。あくまで鬼である彼女たちも "人と同じである" ことを匂わせてくれる質感と温かみある色の調和。背景も含めた作画の良さもさることながら映像を構成するあらゆる要素が一つになり、圧倒的な絵としての素晴らしさと世界観を強く感じさせてくれます。その後に描かれるフラッシュバック的な描写も合わせ、まだ本編では決して語られていないものを既に我々受け手が知ったかのよう錯覚させてくれる映像の強さ。歌詞との合致。物語性。遠くを見つめるムジカの視線になにか言い知れぬ感情が去来するのも、すべてそういったものへと結びついていくのだと思います。

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そうした映像の中、特に素敵だなと感じたのがこのカットでした。これまでふれてきたような色味やライティングによって構築される世界観の素晴らしさを強く感じたカットであることは言わずもがな、一歩踏みしめる度にヒールへとそそがれる光のあたり方、その質感があまりに感傷的だったのです。なぜなら、その一歩を踏みしめ進んでいくことに意味を見出してきた本作にあって、そこへ少しばかりの陽が差すというのはこの世界で生きる者たちへ送られる祝福に他ならないと感じたからです。

 

それこそ、赤い葉か花弁か*1。その上をゆっくりと踏みしめ歩く姿には懸命に生きようとしてきたエマたちの姿を重ねずにはいられませんでした。それは、生を感じさせる揺れ靡くスカートの裾の速度、その道の先に少しばかり想いを馳せることのできるレイアウトなども同じこと。そのすべてが本当にこれまで描かれてきた物語と相まっていて、強く感動させられました。

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そして最初に描かれた窓と同じものなのかどうか、冒頭での閉塞感とは逆の解放感、青さ、そして時の経過を感じさせてくれるカットがとても情緒的であり、物語的で。振り返りまた歩き出すムジカの微笑みや空に抜けていく締め方も含め、フィルムの最後まで強く希望を抱かせてくれる流れ。些細な、けれど確かに刻まれていく明日への道導足る一つ一つの描写が本当に素敵でした。エンディング主題歌であるMyukさんの楽曲も素晴らしく、「物語を終わらせたくはない」「この夜を越えて行け」などのフレースが映像とマッチしていく過程など、もう大好きです。

 

そして、このエンディングのコンテ演出、作画、背景、仕上げ*2までを担当されたのが紺野大樹さん。以前担当されていた『炎炎ノ消防隊』のエンディングでも感動したのを覚えていますが、本作の映像も素晴らしく、その全てのカットにとても惹かれました。重ね重ねになりますが、撮影の良さも含め色味や世界観、なにより絵の力強さが素晴らしく、ムジカたちの物語にも必然と目と耳を傾けたくなる、そんな素敵なフィルムだったと思います。本編の話ももちろんですが、その中でこれからこのエンディングがどう影響し、また違った見え方をしていくのか。そういった部分も今からとても楽しみです。ですが、一先ずはこんなにも素敵なエンディングに出会えたことに今は感謝をしたいなと思います。

*1:本作ではこれまで命の象徴としても描かれてきた

*2:仕上げ協力に古橋聡さん