『PEOPLE 1 “魔法の歌”』PVについて

アニメーションから感じる躍動感と感情、それらが総合し伝わってくる生命力。そういった言葉にしてしまえばとても陳腐で漠然とした、けれど確実に心を揺さぶられてしまう瞬間が私はとても好きです。画面の向こう側に居る登場人物たちがその世界の中で身体性を帯び、いかようにも過ごす様はもうそれだけで喜びで、そういったシーンやカットを観る度になにか得体の知れない感慨に包まれてしまうのです。

そして、その極致を味わえたとまで思ってしまったのがこの『PEOPLE 1 “魔法の歌”』というPVでした。度々インサートされる歌詞を除けばほぼワンカットで構成され、ただひたすらに上手から下手へ一人の少女が歩き続けるというミュージックビデオ。ですが、その中で描かれていたものは "ただ歩き続ける" という機械的な動作だけでは決してありませんでした。

 

それはまるで、この映像より前の段階で彼女の身/心に何か起きたのだろうかと考えさせられてしまうほどの感情的な挙動であり、"歩き続ける" という極めて "人間的な表情" の連続だったのです。意識的なもの、無意識的なもの。そのすべての芝居を包括しながら描かれる感情の機微。例えば、曲の流れやテンポに合わせ歩く速度が描かれているというのは感覚的にも分かることだと思いますが、それは裏を返せばこの速度の歩き芝居だからこそ感じられるものがあるということにまで繋がっていくのです。そしてそれは、あらゆる芝居・仕草に対しても地続きになっていきます。ほんの少しの表情変化、視線の方向、弾むポニーテールの強弱、まばたきの溜め、腕の振り。それ一つでは本当に些細な動きだとしても、それらをひたすら積み重ねていくことで徐々に彼女の感情に輪郭が帯びていくのです。

 

そして、そんな数々のアニメーションがパンチラインとでも呼ぶべき心を鼓舞してくれる歌詞の強さと、アップテンポでどこか前向きになれそうなオケと合わさることで、より彼女が抱く感情の質感を高めてくれていたことはまず間違いないでしょう。それこそ、楽曲そのものがこのPVの主役であることに疑いの余地はありませんが、それと肩を並べるほどにここで描かれるアニメーションと彼女の物語を主役の様に感じられてしまうのは、ひとえに楽曲とアニメーションの "感情" がとても高い親和性をもって歌われ、描かれているからに他なりません。だからこそ、逆に言えばこのPVは彼女の物語こそが主役だとも言えるし、この曲は彼女のために歌われている曲だとさえ感じられてしまう情動を纏っているのでしょう。

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パート単位で言えば、特に好きだったのはこの辺り。先述したように無意識なのか意識的なのかは分かりませんが肩から垂れるパーカーを直して裾を整えるというこの芝居が本当に大好きです。揺れ動く心を正すという意味も込め描かれているように見えるのがとても素晴らしいです。正したあとに視線を落とし確認するというのもどこか動揺を感じさせるようで、ただただリアリティを追求した芝居というよりはやはり感情的な部分が中心にあり、それを外堀からリアル寄りの芝居で固めているという風合いを感じさせてくれます。

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この辺りも同様です。規則的ではなくランダムな動きの中に息を呑むような些細な芝居があり、涙を堪えるようにも見える上向きの芝居が入る。だからこそ、ここで「もしかして泣きそうなのかな?」という思いがこちらにも過ぎるのです。おそらくはロトスコープを活用したアニメーションスタイルなのだと思いますが、それもただリアル寄りにするためではなく、こうしてより細かく繊細に心の機微を描くことがその主足る理由なのでしょう。

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もちろん、ロトスコープから逸れたアニメならではの表現も描かれます。デフォルメされた表情、零れ落ちる涙の大きさなどはその最たる例だと思いますが、個人的に強く魅了されたのはこういった実線を使った表現の数々でした。ペイント済みのカットであえて実線をずらしてみたり、ところどころで実線そのものを太くしたり。こういったコマが要所で差し込まれることで映像的な楽しさや快楽を生み出しているのはもちろんですが、これらの表現もまた "彼女の感情的な部分" に目を向けるための補助線のように思えたことが強く印象に残りました。

心の揺れや機微、後半に進むにつれ開放されていく彼女の心の強さ。そういったものがコンマ数秒のコマの存在によってより際立たされていくというのはアニメーションの面白さであり、素晴らしさだと思います。特に実線が太くなる表現は最初に記述した躍動感や生命力をより強く実感させてくれる表現に成り得ていたので、本当にグッときてしまいました。もちろん、どちらの表現もTVアニメなどでそれなりに使われる表現であり、これそのものが特別な表現ということが言いたいわけでは決してありません。ですが、こういった描き方が今回の映像に与えた影響というのはやはり途方もなく大きかったのだと思わずにはいられないのです。

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終盤走り出した辺りからはもう圧巻のアニメーションで、自然と涙が零れ落ち、思わず「頑張れ!」と強く願ってしまうほどの迫力と力に満ちていました。脱ぎ捨てられていくパーカー、ほどかれる髪紐、そして乱れる服と髪。高揚し朱色に染まる手先や顔も、その全てがこんなにも愛しく映ってしまうのは、(PVという性質上) 短いながらもここまで積み重ね描かれてきた彼女自身の感情の賜物に他なりません。くわえて、どのコマで止めても生き生きとしていて、その全てが美麗に見える絵としての丁寧さ。まさしくどの "瞬間" にも彼女の感情が溢れていると感じられるには十分すぎるほどです。

 

最後はまるで未来に希望を託すよう、左側にぽっかりと空けられた空間。スカイブルーのバックスクリーンが活きるレイアウトというか、最初はそう感じられなかったのに、最後はまるでどこまでも広がっていく青空を連想させる背景にすらなっていくのだから本当に素敵だなと思います。汗をかきながらなにかをやり遂げようとしている女の子って凄く良いよね、という個人的な趣味趣向も合わさりつつ。以前投稿された『常夜燈』に続き、こんなにも心から好きだと思えるアニメーション/ミュージックビデオに出会えたことが今はただただ嬉しいです。

 

余談ですが、最近通勤時はこの曲をたくさん聴いていたりしています。MVもよく観返したりして、その度に強く背中を押されているような気持ちになります。そう考えると私にとっては間違いなくこの歌って "魔法" なんだなとか。そんなことを想ったりしますね。

PEOPLE※通常盤(CD)

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  • アーティスト:PEOPLE 1
  • Pollyanna Records
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『SELECTION PROJECT』の演出、向き合うことについて②

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本来は先日の記事でまとめて書くつもりだったんですが、2話について書きたいことが多くそれなりの分量になってしまったので記事を分けました。基本は前回書いたことの延長です。ようは真剣な会話をするうえで向き合うことって大切だけど、それを映像からも丁寧に描写して支えてくれるとより見入るよねっていう話です。

 

まず3話。冒頭から数えて二つ目のカットと次点のカットからして、もういきなり玲那と周囲の断絶感が描かれているのが良いです。今回の話ではそういうことを描くんだというテーマ性の提示。ライティングや位置関係を活かした関係性の描写から予感や感情を映し出してくれるからこそ、グッと惹き込まれるものがありました。レイアウトも凝っていてより良く映りますし、彼女の心情を少しだけ探らせてくれそうな隙がそれとなくあるのも良いなと思います。

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話が飛びますが、Aパートのラスト、そしてBパートの頭から再びこういった位置関係で示すようなシーンが描かれます。前述した冒頭のカットや、ユニットを組んだ後にレッスン室で二人が話し合うシーンなどから、ここは明らかに地続き的な描写として描かれているシーンでしょう。玲那が天沢灯の妹だと知った鈴音、だからこそ位置関係が変わってしまうというか。向き合おうとしても言葉がこじれ向き合えなかった互いの関係が、どう向き合うべきなのかが分からない関係性に変化していく。そういった現状の形をこういったカットからも示してくれるのがとても丁寧だなと思います。

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核心的な言葉や感情を映すシーンではグッとカメラを寄せ細部を映す。互いに対して同様の映し方をすることで感情の親和性を図っていくのがとてもうまいですし、こういうカットの連続が契機となって感傷性を呼び起こしてくれていたのがどこか心地よく感じられました。描き方としては1話のベンチのシーンと同様ですが、2話・3話ではコンテ演出を担当された方が違うので、必ずしも意図していることが同じだとは限りません。しかし、回を跨いでもこういった映し方、描き方に変化が少ないというのはむしろ嬉しいというか。ああ、この作品ってこういうことをとても大切に、自分のことのように丁寧に扱ってくれる作品なんだと信じられるのが凄く良いなと思います。

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個人的にかなり素敵に映ったのが左のカット。レンズ感を望遠にすれば玲那を隅に置きつつ一人で映すことも出来たカットだったはずですが、敢えて広角にしてその背中を見つめる鈴音をしっかりと映しています。もちろんこの時点ではまだ二人の関係は深いものではありませんでしたが、独りで抱え込んでしまう玲那に対して寄り添う人が "ここ" に居ることを裏づけるカットにさえなっていました。

 

そして髪留めをほどき、真っ直ぐと前を見つめ手を広げる鈴音。多くのことを打ち明けてくれた玲那に対し、自分もまたそうすることを誓うような芝居が続けて描かれていったのが素敵です。そしてここでも活きていくライティング。向き合うことに躓いていた二人が少しずつ距離を縮めていく様子が言葉と映像によって徐々に紡がれていきます。

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特に素晴らしかったのは鈴音が玲那の横へ寄り添いにいくのではなく、追い越していったところです。天沢灯に対する見方に違いはあるけれど、"同じアイドルに想いを馳せる者" として負けたくないという思い、その発露がその足を前へ前へと運ばせたのでしょう。だからこそ、これは慰めや哀れみでもなく、とても一途な夢に対する誓いに成り得るのです。そしてそれは姉のお陰でエールを得られたと感じていた玲那に対し、とても力強い後押しにすらなっていたはずです。故に二人は並び立てる。違う視点から "同じもの" を見つめ、肩を並ばせることが出来るのです。

 

振り返ればこのシーンにおいて二人が実際的に目と目を向き合わせたことは一度たりともありませんでした。それでもようやく二人が "向き合えた" と感じられたのは、そういった二人の心情に寄り添う演出や芝居の賜物に他ならないのだと強く思います。

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それこそ、ライブシーン中に差し込まれたこういうカットとか。顔と顔を向かい合わせるだけが "向き合う" ということでは決してなくて、こういう形だってあるんだよと手を添えるよう提示してくれる見せ方が本当に素敵だなと感じます。

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他にも4話の横構図とか。多用されていたわけではありませんが、要所で使われることでユニット感での関係値を高める切っ掛けとして効いていたと思います。特に横構図って向き合うことを強いる印象の強い構図だと思うので余計にそう感じるのかも知れませんが、互いの関係を深めることに終始した話の流れを考えればあながち意図的にも間違ってはいないのかなと思います。

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あとはこういうカットとか。自然な流れでベッドの場所を空ける芝居。凪咲が座ったあとに逢生がもう一歩端に動くのとかは、めちゃくちゃ関係値を現してるなと感じられてすごく素敵でした。レイアウトやライティング、構図などで関係性を描写していくスタイルが多い一方で、こういった芝居が入るととてもドキっとさせられてしまうし、良いなあと感じられます。本当に素晴らしい芝居作画です。

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5話。やはり2話が頭をよぎるのと、そもそも他のアニメとか観ていてもベンチで座って話し込むシーンが好きだなっていう*1。それを除いてもこのシーンが強く活きていたのは、やはりここまでこの作品が "向き合う" ことを描き続けてきたからこそなのだと思います。撮影の質感や、劇伴の力など諸々の効果はもちろんありますが、シリーズ通して通底しているものがあるという強みはやはり大きいです。しっかりバックショットからも捉え、ロケーションを活かしているのも良いですね。母なる海と呼ばれるくらい存在、その見渡すくらいの広大さがそのまま野土香の優しさや厳しさ、母性に繋がる感じとかは意図的なのかなと思ったりもしました。

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祠(ほこら) のシーンでも向き合う描写が度々描かれます。横構図で一度しっかりと対峙を認識させたり、野土香の力強い表情を真正面から捉えたうえで頭ナメに二人を映したり。この表情を二人がしっかりと見ている/瞳に焼きつけていることを裏づける意味でもこういったカットの運びは大切だなと思いますし、好きだなと思います。ライティングに関してもこれまでと同様です。こういった光の質感はもはや本作が一つ軸に据えている大切な演出手法の一つに成り得ているのでしょう。よりドラマチックにするために。より "彼女たち" の情動を深めるために。光と色の加減がどれほど心情描写に影響しているのかということを今一度考えさせられました。

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6話。更衣室のパーテーション越しの断絶と、それが開けた後の横構図、向き合う二人の関係性。これまでの中で一番メタファー感が強い見せ方ではありますが、描いていること (その主軸に在るもの) はやはり同様です。同じことの繰り返しになってしまうのでこれ以上多くは語りませんが、こういったシーンやカットが要所で差し込まれることで本作が描きたいことが一つ明確になっているのは間違いないはずです。

そしてそれは "作品そのもの" を好きになる理由にすら昇華されていくのだということを、私はこの『SELECTION PROJECT』を通して改めて突き付けられたなとも感じています。状況やシチュエーションは違えど繰り返し同様の描写・演出が描かれていくことで、度々彼女たちの想いや作品そのものが描きたい主題を反芻出来るというのは、それほどまでに大きいことなんだなと。

 

だからこそ、6話終盤で一人走り去ってしまった鈴音が今後どういった向き合い方を改めて彼女たちとしていくのか。そういった物語の岐路にとてもワクワクさせられていると同時に、今は鈴音に良き未来が訪れることを強く願っています。"向き合ってきた" 数がもたらす変化と行方。それをしっかりと見届けたいなと思いますし、続きを観るのが今からとても楽しみです。

*1:これに関してはいつかちゃんと纏めたい

『SELECTION PROJECT』2話の演出、向き合うことについて

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前回描かれたオーディションから一転、祭りの後の静けさを伴い始まった2話。それぞれがそれぞれの葛藤を抱える状況にあって、それを寡黙に、けれど雄弁に語ってくれるような冒頭の映像の美しさがとても素敵に映りました。青空と逆光。その相反するようで表裏一体の表現がまさしく彼女たち二人の心模様を映し出すようで、グッと惹き込まれてしまいます。ぽかんと空いた空間、レイアウトも冴えわたり "本当なら鈴音が選ばれるはずだった"と思うセイラの感情と、夢を捨て切れない鈴音の感情をしっかりと一つの風景としても捉えていました。

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そしてそんな二人が交差するAパート。特に素晴らしいなと感じたのが公園のベンチで会話をするシーンでした。鈴音の学校へセイラが押し掛けたことで始まった二人のデートですが、よもやそこに現在進行形の感情を打ち明けられる関係性があるのかと言えばそれはまた別の話。それこそアバンで描かれた逆光が示していたように、心を開くことに対して二人はまだ積極的ではないようにも見受けられました。ベンチの端と端に座る関係性からもそれは同様のことを感じ取れます。それでも、木漏れ日が差しているという状況がここではひとつ救いだったというか、ほんの少しでも互いがその心根を打ち明けようとしているのだという一種の兆しを光の表現の機微をもちいて描いていたことが、このシーンではとても大切だったのだと思います。感傷性を演出するうえでは立役者ともなる木漏れ日ですが、それだけではなく個々の感情にまで寄り添っていると感じられたことが今回の話においては強く心に残りました。

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やがて会話をしていくうちに徐々に開き始める胸の内。彼女たちの一言一言を決して溢さないように、その内に潜む本心を少しでも掬い上げられるよう丁寧に構成されていくカットとカメラワーク。使われるカットの構図パターンからして突飛な見せ方の演出があるわけでは決してありませんが、二人が心からの言葉を紡ごうとしているからこそ、じっと腰を据えたようにFIX主体で撮り続けるこのシーンはさながら二人の感情のやり取りそのものだったとも言えるはずです。互いがどういった気持ちを通し、どのような言葉を発して、それを相手がどう受け取ったのかという流れと変遷。そんな本話においては一番大切だったであろう感情の動きとその行方を映像からも強く後押しし、描いてくれていたことがとても素敵だったなと思います。

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会話が熱を帯びる程に寄っていくカメラワーク。迷いの最中に居る鈴音の些細な芝居や、意志を持ってここに来たであろうセイラの動じなさ。どこまでも対比的に、カットバック的に繋いでいくからこそ真(心)に迫るものがあるのだと思えるカット運びの迷いのなさ。

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ここも同様。俯きがちな鈴音とじっと鈴音を見つめるセイラ。ただひたすらに彼女たちの心根を探るよう繋がっていくカットの数々が本当に息を呑むほどに美しく、感傷的です。作画の秀麗さや撮影の質感、演者の芝居などすべてのフィクションの力が合わさり生まれた名シーンではありますが、それらを総括的に活かし、ここまで素晴らしいものに仕立て上げているのはやはり演出の力だと思わされたシーンでもありました。引くところは引き、寄るところは寄る。そして彼女たちの会話のテンポと時間の流れに逆らわず邪魔しないよう撮っていると感じられてしまう凄み。何度観てもこのシーンには惹き込まれてしまいます。

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別れ際のシーンでも描き方/映し方は同じなのだと思います。向き合うところから会話が始まり、鈴音の中にいまだ残る迷いを少しずつ捉えるよう、カメラを寄せていく。逆光なのは冒頭と同じ。こういったシーンでもカットを多めに使いじっくり見せてくれるからこそズシッと胸に残るものが在るというか。どちらかと言えば順光になっているセイラの方が "言いたいことは言った" 感じがよく出ているのかなとさえ思えます。

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そしてそんな鈴音の迷いが氷解していく電話のシーンでも、やはり描き方は同様です。これまでのシーン同様、劇伴を多くは使わず静けさの中彼女たちの言葉を待つという映像のスタンスが美しく機能しているというのももちろんありますが、腰を据えカメラを構え、あくまで彼女たちのやり取りの中で生まれる空気感を壊さないようにする見せ方が続けて描かれていきます。でも同じだからこそ良いというか、二人の心に耳を傾けるような映像が一話数の中で通底しているからこそより良い緊張感と感傷性が生まれていたのは間違いありません。それこそ鈴音が歌い出すまでの "間" に強く引き付けられてしまうのは、これまでも同様に描かれてきた "間*1" の存在があったからこその賜物でもあるはずです。繰り返し葛藤の最中に居る鈴音の姿を描いてきたからこそ生まれる解放感。"もう迷わなくて良いんだ" とつい言ってあげてしまいたくなるほど描かれてきた十分すぎるほどの葛藤のシークエンス。

 

それこそ歌う鈴音の姿が窓ガラスに反射していたことも、きっとその延長にある演出に違いないのでしょう。セイラと真っ直ぐ向き合えて来なかった今日という一日の中で、電話越しではあるけれど遂に向き合えた瞬間。それはセイラに対しても、自らの中に居続けていた 「歌が大好きだから」と言える自分自身に対しても。マイクアイコンに涙が落ちることまで含め、その全てが彼女がようやく向き合えたことを示す証左になり得ていたはずです。

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だからこそ再会の瞬間は晴れ渡る空の下、晴れ晴れとした表情で。逆光もなく陰もかからない、まるで冒頭とは真逆の舞台がそこには用意されていました。陽の下にしっかりとその足で立つこと、自分自身やセイラの想いともちゃんと向き合うということ。まさしくここまで描かれてきたことに対し、万感の想いを込めた "応え" となる対比的なシーンだったと思います。意図してかどうかは分かりませんが、別れ際のシーンとは立ち位置が入れ替わっているのとかも良いなあと感じます。1話ではオーディションを勝ち抜いたセイラからそのバトンが、物語の主体が遂に鈴音へと渡された瞬間。本当にドラマチックです。

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それと地続きとなるような横構図が、映像的にも最後の決め手になっているのはなんだかすごく感動しました。上手に立つ鈴音。分割フレーム的に玲那が去っていくのはこの後の話を考えればご愛嬌という感じがありますが、次の話数へ向け予感を与えてくれる意味でもとても綺麗な締めだったなあと思います。そして、そんな予感に満ちた一つの物語を讃えるように、サブタイトルの文字が浮かび上がるのがとても素敵でした。まさに文字通りとはこのこと。最初から最後まで、彼女たちの心に寄り添った本当に素晴らしい回だったなと観返すたびに強く感じました。

*1:鈴音が俯いてしまったり、迷いを明らかに醸し出していたその時間