『ゆるキャン△』5話のラストシーンについて

f:id:shirooo105:20180206222645g:plain*1

なでしこからリンへのオーバーラップ。当たり前と言えば当たり前ですが、これはアニメで加えられたオリジナルの描写です*2。景色を望む二人のバックショットを重ねるトランジションになっていて、その光景はまるで二つの視線 (見ているもの) をも重ねるように描かれた非常にエモーショナルなものでした。以前、原作を読んだ時は “それぞれの旅で見た、それぞれの景色” を共有し合う描写の多くに胸を打たれたわけですが、それをより色濃く描くための見せ方としてこれ以上はないのではと思うくらい、この演出には感動してしまいました。

 

決して珍しいトランジションではなく、むしろありふれたもの。けれど間と音楽を大切に扱い、この作品が持つ独特の余白と雰囲気を最大限に生かす本作に至っては、やはりこれは秀逸な演出に他なりませんでした。じっくりパンアップする画面と、浮かび上がる “あなたが見ていた” 景色。画面上部に出来る空間に感情が浸透していくようなレイアウトも含め、このカットからは言い知れぬものを強く感じさせられてしまいます。

f:id:shirooo105:20180207011930p:plainf:id:shirooo105:20180207011947p:plain

また、なでしこが目的地へ着いた頃から鳴り始めるアイリッシュトラッドな劇伴は先ほどのオーバーラップするカットまで一曲で構成されています。そしてなでしこがリンに、リンがなでしこに景色をプレゼントする際の計二回。この劇伴は曲調的な山場を同じように二度迎えています。3話でなでしこが朝陽の掛かる富士山を見るシーンも同様でしたが、こういった音楽とカッティングの構成は本当に素晴らしいです。音楽の制作段階からコンテに決め打ちし大よその構成を決めているのか、こういった劇伴をオーダーして上がってきたものにコンテを合わせているのか、もしくはコンテに対し音楽を編集しているのかは定かではありませんが、高いレベルで音楽と映像が噛み合ったフィルムからは「この作品がここでなにを見せようとしているのか」ということが伝わってくるようで、心から嬉しくなれますし、物語に没頭できます。

f:id:shirooo105:20180207014058p:plainf:id:shirooo105:20180207014117p:plain

そして劇伴が鳴り止んでからの台詞。「綺麗だね」と零す二人の言葉も原作にはなく、これは本作で足されたものでした。言葉は交わさずに、LINEのやり取りだけで情景を映していた原作には原作の良さがありますが、アニメの解釈としてここで一つ台詞を加えてくれたことは、とても良いニュアンスを与えてくれたと思っています。

 

シンクロする景色と感情。レイアウトと構図。シンメトリー。それこそ、この作品のサブタイトルが指示していたものを映像と音楽とほんの少しの言葉で表現したラストシーンには、本作が描こうとしていることの多くが映し出されていたはずです。音楽を含めた映像のコントロールは今話だけに限ったことでは決してありませんが、それがとても良い塩梅に表現されていて、素敵だなと思えます。まただからこそ、景色を前にただ立ち尽くす二人を同じフレームに収めたラストカットは何よりも寡黙であり、雄弁でした。もはやここまで描けばあとは言葉も音楽も必要ない。そこにあるものだけが全てを語ってくれるのだと、そう言わんばかりのロングショットに心酔できることまでが本話の醍醐味なのでしょう。本当に素晴らしいラストシーンだったと思います。*3

ゆるキャン△ 2 [Blu-ray]

ゆるキャン△ 2 [Blu-ray]

 

*1:アイキャッチ

f:id:shirooo105:20180207020044p:plain

*2:カットとカットを繋ぐトランジションの編集は映像媒体特有のものであるため。こういう構図でのバックショットも厳密にはオリジナル

*3:二つの旅をクロスカッティングで描いた中盤までも、まったり、笑いあり、風情ありで、良かったなと思います。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』4話の演出について

f:id:shirooo105:20180202202612g:plainf:id:shirooo105:20180202202121g:plain

ヴァイオレットや周囲に対し、どこか背伸びをしようとするアイリス。2話で特徴的だったのは履いたヒールが原因で足を捻ってしまうシーン*1でしたが、そんな背伸びの象徴も今話ではアップショットで映されることが多く、アバンではさながら彼女の立ち位置とそのバランスが取れていない様子を浮き彫りに描いていました。続くカットでは階段から転落してしまいますが、それを救おうとするヴァイオレットとの関係性も振り返れば今話の縮図のようだったのが面白いです。

f:id:shirooo105:20180202205207p:plainf:id:shirooo105:20180202211120p:plainf:id:shirooo105:20180202233723p:plain

実家に着いてから中盤以降はアイリスが多くの場面で上手に立ちます。話の主体が彼女にあることも含め、アイリスにおける横顔のアップショットなどが度々下手方向を向いていたのは印象的です。昨年『小林さんちのメイドラゴン』で監督を務められた武本さんのコンテ回でしたが、あの作品でも同氏が担当された回では上手・下手の映えるフィルムであったことが記憶に新しく、二作品を通して観ると両者から武本さんの見せ方とその共通項が見えてくるようにも感じられます。*2 *3

 

主に感情的だったり、赤裸々だったり、重要なシーンと思える場面では上手が多い。物語の主体はアイリスなのだと語る映像の連なりが非常に規則的でありながら、方向性が纏まっていて情感があります。

f:id:shirooo105:20180202214154p:plainf:id:shirooo105:20180202214555p:plainf:id:shirooo105:20180202214226p:plainf:id:shirooo105:20180202214249p:plain

もちろんこれまでもそうだったように、群像性もありながら根幹にはヴァイオレットの物語がしっかりと根付いているのが本作です。それは今話においても例に漏れず、特に良かったのは駅舎を降りてからの一連のカッティング。アイリスに紹介されたヴァイオレットが自己紹介をすると同時にカメラは奥へと移動し、想定線を越えていきます。そして呆然とその姿に見入るアイリスのカットが入る*4。ヴァイオレット主体の話へ映像が揺らぐのと同時にあの時、アイリスの目にはきっとヴァイオレットがとても遠く、羨ましく、美しく見えたのだと思います。時間が止まったかのような間と舞い上がる葉も、端的に言ってしまえばアイリスのフィルターを通し見えたものに他なりません。

 

つまり、ここで想定線を越える意味は、アイリスがヴァイオレットと自分の違いを無自覚にでも感じ取ってしまうことにあるのだと思います。背伸びしている自分と、等身大のヴァイオレット。嘘をついてしまう自分と、ありのまま言葉を紡いでいく少女の存在。お辞儀をする様が美しくその瞳に移り込むのに対し、自分の今の状況はそれに比肩しない、と。あのシーンにはそれほどまでに感傷的かつ自身を顧みさせる残酷さが寡黙に描かれていました。

f:id:shirooo105:20180202222704p:plainf:id:shirooo105:20180202222743p:plain

まただからこそ、アイリスには一度自らを見つめ直す必要があったのだと思います。一度立ち止まって見ること。背伸びすることを止めること。地に足の着いた視線でもう一度振り返ってみること。今回は突拍子もないことが起こり、色々なものを抉り出す形で清算が始まってしまったけれど、それが彼女にとっての大きな契機になったことは疑いようもありません。そしてヴァイオレットの心に少しだけ触れ、少しだけ感化され、等身大の素直な気持ちを手紙に綴ってもらうことで、彼女は再び自動手記人形としての道を踏み出していける。

f:id:shirooo105:20180202223629p:plainf:id:shirooo105:20180202223646p:plain

もちろん、ヒールは脱ぎ捨てない。それがアイリス・カナリーとしての意地であり、「頑張ってみる」と誓った証だから。背伸びの分だけ汚れたり、失敗することもあるだろうけど、それも全ては私自身の軌跡なのだと今なら微笑むことが出来る。そんな彼女の心の変遷を後押ししていくようなモチーフの数々や映像が本当に素敵でした。エリカやルクリアと同じく、ヴァイオレットを通し自分自身を見つめ直していく群像劇としてもこれまでの挿話に引けを取らないくらい素晴らしい挿話になっていたように思います。

f:id:shirooo105:20180202204729g:plainf:id:shirooo105:20180202204350g:plain

また往路の電車が下手から上手へ移動していたのに対し、復路の電車が上手から下手の移動に変化していたのがとても印象に残っています。時間感覚的に言えば前者が過去へ。後者は未来へ。自らの名の由来を取り戻したヴァイオレットも含め、それぞれ過去にわだかまりを抱えた少女たちがここからどういった道を歩んでいくのか、これからが本当に楽しみです。願わくば彼女たち全員に幸多き未来があらんことを。

*1:上記左のGIF

*2:参考:『小林さんちのメイドラゴン』1話の演出と武本康弘さんについて - Paradism

*3:演出処理は澤真平さん。「小林さんちのメイドラゴン」で演出デビュー(補佐は以前にも参加あり)された方です。武本さんとのコンビも噛み合い、相変わらず素敵な画面を構築してくれていました。

*4:このカットでは最初の横構図同様に右手を向いているアイリスのアップが描かれますが、この時彼女はヴァイオレットの方を見ているので、カメラが最初のカット時点から逆側に移っていることが分かります。前のヴァイオレットのアップショットは分かりやすく反転して左手を向いている。

『宇宙よりも遠い場所』5話の演出について

f:id:shirooo105:20180131115953p:plainf:id:shirooo105:20180131120017p:plain

南極へ旅立つマリの話から一転、めぐみの心情を多分に含んだ話へとシームレスに変遷する物語とフィルムの構成。すっと上手が入れ替わり、話の主体がマリからめぐみへと変化していたことをカット単位で寡黙に伝えてくれる巧さに心がざわつきました。二人の関係と向き合うことを強要するような横の構図がもたらす印象はとても強烈で、対立的。なによりゲーム機のコードをわざと引っかけたことや前話のCパート、遡れば意味深だったこれまでの彼女への映し方なども含め、今回の話はそうして彼女が溜め込んでいたものを直接的に映すことへ余り躊躇 (ためら) いがありませんでした。

f:id:shirooo105:20180131115701p:plainf:id:shirooo105:20180131115723p:plain

淀みを含んだ感情。それを覆う壁。押し流すことが出来ない心の弱さ。フレーム内フレームで閉ざされた空間にめぐみを映したのも意図的で、マリとの距離感を感じさせる上、そこから想起されるものはやはり本作の代名詞とも呼べるあの水たまりのカットに他なりません。それは普段のポーカーフェイス染みた彼女の性格ともきっと合致していて、一歩を踏み出せない・感情的にもなれないめぐみもまた同じ場所でたゆたい続けどこにも行けないままの少女であることを静かに語り掛けてくれているようでした。*1

f:id:shirooo105:20180131141011p:plainf:id:shirooo105:20180131141033p:plainf:id:shirooo105:20180131141217p:plain

けれどそんな彼女に反して、一歩ずつ先へと進んでいくマリの言葉はめぐみの心へ届くよう幾つかのモチーフを通し伝えられます。手押しポンプは引き上げるイメージを。カーブミラーは二人を包み込み、これまでの関係に温もりを。それは「めぐっちゃんなんだよ」の声音に宿っていたものと同じ、マリからめぐみへ向けられた愛情に他ならないのだと思います。今度は後ろからではなく、あなたと立ち並んで歩みたいという感情の奔流。それはあの時のめぐみにとってとても辛い宣告でもあったはずですが、その言葉が気づきを与え、新たな道しるべとなって彼女をその場所から引き上げたことに決して違いはないはずです。

f:id:shirooo105:20180131145148p:plainf:id:shirooo105:20180131152332p:plain

だからこそもう一度ちゃんと向き合って話さなければいけないとめぐみは考えたのでしょうし、自らがしてしまったこととこれまで溜め込んでいた想いを彼女は感情に任せ吐露できたのでしょう。架かる橋と横構図の再演はそのためのもの。けど、今度は間違わないように。ちゃんと伝えられるように。間違ったやり方ではなく、相手の心にも自分自身の気持ちにもちゃんと向き合えるように。

 

絶交だなんてやり方が最善だったとは言えないけれど、でもきっとそれがこれまでの嫌な自分と決別するため苦渋しながら考えた彼女なりのやり方だったのでしょう。皺のつくほど歪む表情芝居はそういった状況に至るまでの経過と情景を克明に刻み込んでいました。

f:id:shirooo105:20180131145323p:plainf:id:shirooo105:20180131150019p:plainf:id:shirooo105:20180131150502p:plain

その結果、めぐみから語られたのは「ここじゃない場所に向かわなきゃいけないのは私なんだ」という熱の込もる言葉でした。そしてその言葉に呼応するよう映された流れゆく小川のfixは、さながらめぐみの中にあった淀んだ水を押し流すイメージショットとしての意図を含め、ここからすべてが始まっていく高橋めぐみの物語を緩やかに包み込んでくれていたと思います。約6秒間のfixカット。ここでそれを挟み込む意味は想像以上に大きく、決壊し、解放され、めぐみの中に積もり続けた感情が溶け出していくことを裏付けるように、それは見た目よりとても雄弁なカットとして存在していたはずです。

f:id:shirooo105:20180131160728p:plainf:id:shirooo105:20180131160754p:plain

ただ、それはめぐみがようやくスタートラインに立てたことの証左に過ぎません。なにか目標を持ったわけでも、特別ななにかを手に入れたわけでもなく、まだ彼女にとっての目的地は定まらないままです。でも、それでいいのでしょう。世界に祝福を受け選ばれた4人の片隅に生きた少女の足跡。決して主役にはなれない、あなたが居なければ私には何もないと語った少女の物語はきっとここから描かれ、始まっていくはずです。今出来ることは、遠い場所*2に向かい走り出した親友を見つめるだけ。けれどその姿を真っ直ぐ前を向き見つめることが出来るあなただって、きっといつか遠い場所に行ける。走り出し、動き出した物語とは、何かを成し遂げずともそれだけで意味があるのだと。

 

そうして一人の平凡な少女にスポットライトを当て、彼女に寄り添ったフィルムを描いてくれたことが本当に嬉しく、感動しました。おそらく彼女について今後描かれるものは少ないと思いますが、その些細な描写に彼女の歩み出した未来 (遠い場所) のカタチが少しでも描かれれば良いなと思います。また本話の演出を担当されたのは澤井幸次さん。近年の作品では横構図とセンチメンタルな描写を差し込み、ドラマチックな挿話を手掛ける印象の強い方ですが、今回でもそういった見せ方は健在でした。それについては次回何か書ければなと思いますが、一先ずは本話の余韻に浸っていたいなと思います。毎話泣かされるか、泣きそうになっていますが、今回も素晴らしい挿話をありがとうございました。

*1:フレーム内フレームでは同ポ気味に以下のカットが続きます。ここでも噂に敏感になる3人と余裕な対応をする日向の存在が対比的に映されるため、このレイアウトはかなり意図的に使用していたと考えられます。

f:id:shirooo105:20180131174225p:plain

*2:消えゆく消失点の如き