『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』11話 終盤シークエンスの芝居と演出について

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麻衣さんとかえでの楽しげな会話も束の間、続くシーンの冒頭でガラリと変化した空気と質感には思わず息を飲みました。例えるなら、ここまで平熱を保ち続けていた*1フィルムがついに熱を帯びだしたような。ガラス越しに見つめる自身との対峙、その視線を捉えるレイアウト、カットの運び。さらには夕暮れの感傷性とコントラストの強さが梓川かえでという一人の少女の物語を強く浮かび上がらせているようでとても引き込まれました。

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また、そういった質感の変化は芝居の領分においても同様であり、この時・この場所における彼女の芝居を繊細に描くということにはやはり大きな意味があったように思います。それは、これまでも節々で描かれてきた “外に出る” 行為のハードルの高さを鑑みた上で、その壁に直面している少女の心と動きをシンクロさせるということにも繋がっていくからです。可愛らしい服を着ることで少し上げた熱と、それとは表裏一体でもある緊張や不安。それを垣間見せていくことがこのシーンではテーマとして据えられていたように感じます。

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それはこういったカット一つとっても同じことです。画面内の多くがセルで描かれることによる “動くかも知れない” という高揚・緊張感が “動き出すかも知れないかえでの物語” としての役割をも果たしています。咲太が外に出るための靴を引き出すという行為から描かれる “後押しをする” イメージも合わさったとても印象的なカットです。ですがその反面、履き慣れていない靴をうまく履けない、つっかえてしまうという芝居づけが今度は後ろ向きなイメージを示してくる。この期待と不安の見せ方がかえでや咲太の心情に寄り添っているように映り、とても良いのです。

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線、影によって強く抱きしめていると分かる皺の風合い。外に出たいという想いと、出たくないという想いが混在したかえでの心情が強く浮き彫りになっていて、作画面からの強い心情へのアプローチが続けて描かれていきます。

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眉間への皺寄り。勢いよくストッパーを入れることで揺れ、翻る裾。かえでの苦渋の想いと、その想いに応えるよう足先に力を込める咲太からは互いの関係性を感じられます。ストッパーのカットは足元だけの描写で留めることで、かえでから離れないよう足先だけを玄関から出しているようにも見受けられる上に、画面外に映る二人の姿を想像させてくれる素晴らしい芝居づけです。

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そして、扉を開けた直後に映る俯瞰ショット。夕暮れによるコントラスト強めの質感はここでも意味を帯び、二人の行く手を陰で覆います。長回し気味のT.Bでこのカットを映すことで扉の先にあるネガティブなイメージをたっぷりと演出していたのも良いです。ですがほんの少しだけ陽の当たる場所があるという画面設計が物語を少し彩ってもいたのでしょう。高揚や期待、緊張や不安という二つの心情を描いてきた物語に相応しい二つの可能性。踏み出すことへのイメージショットとして映されたであろう横構図も含め、ここが物語の分岐点であることを非常に印象深いものにしてくれています。

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そして、そのほんの少しの明かりの中に佇むかえでとそれを映す足元のショット。兄の背中越しからではなく自分自身で浴びる光と、それ故に映える順光表現。前段で触れたほんの少しの陽の当たる場所を活かしたレイアウトが非常に効いていて、絵としてとても情感を感じます。一つ一つのカットが物語的であり、心情を多分に含んだ描写だったと言えるはずです。

 

またこの作品がこれまでも続けてきたように、泣きの芝居とそれを取り巻く見せ方がとても素敵でした。抱き合う二人を寄りで撮り続けるのではなく最後はT.Bでカメラを引き、今だけはこの場所を二人だけの空間にしてあげる優しさ。そういった見せ方にはどうしたって胸を打たれてしまいますし、感情的な描写に静観としてスポットを充て続けた本作らしさが非常によく描かれ、演出されていたシーンだったと思えました。

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シーンは切り替わり、今度はかえでが自ら扉を開き兄と向き合います。その他にも回想カットは幾つか差し込まれましたが、この芝居をこの距離感で撮ってくれたことにどうしようもないほど良さを感じてしまいました。くるっと向き合う芝居が心の軽さを感じさせてくれます。

 

もちろん、ラストシーンで描かれたように二人にとっての問題はまだ残ったままですが、一筋縄では解決出来ない複雑な想いの重なりを “思春期症候群” と呼ぶのが本作の味。その内にある壁を一つでも乗り越えることが出来たのですから、今はその余韻に浸っていたいです。彼女たちの未来が良きものであることを願いたくなる、とても素敵な挿話でした。*2

*1:この話数の

*2:サムネ画像参考:

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『SSSS.GRIDMAN』9話の演出について

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不穏な空気を感じさせる警報音。多くの意味合いを含んでいたであろう信号と踏切。それは音響の側面とセルによって描かれた数多くのプロップ・情報量から世界観を描き続けてきた本作の徹底したスタンスの延長でありながら、新しい予感を生み落とすモチーフとしても強く存在感を示していました。

 

怪獣、踏切、モブと奥から描かれたレイアウトもおそらくは同様で、遮断機と踏切が両者を “分け隔てる” という関係性は現実とは違う舞台を描いた本話において大きな役割を果たしていたはずです。以降、幾度となくカットバックされた信号機のカットもそんな冒頭で描かれた物語の大枠を意識させるためのものであり、夢に揺蕩 (たゆた) い続ける話に対し違和感を差し込む役目も果たしていたのでしょう。それがさらなる緊張感を演出していたのは言うまでもなく、フィルム全体に異様な質感を与えていました。

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また、分け隔てるという意味においてはこういったカットも同じ役割を持っていたはずです。なぜなら、画面内に境界を引くというのはファーストシーンで描かれた踏切からの地続きとしての描写でもあるからです。それは冒頭で怪獣と人という関係を踏切によって分断したように、アカネと裕太、また元の世界と夢という大枠の括りに対しても同じことが言えるはずです。裕太がアカネを追い掛けようと境界を跨いだあとにグリッドマンが右寄りに映し出されるというのも、非常にインパクトのある絵面でありながら、ここが曖昧な世界であることの象徴としてとても意味のあるレイアウトになっていたと思います。

 

それぞれ1話における六花と裕太との同ポではありますが、振り返れば1話時点においても怪獣を認識できるかどうかなど見ているもの、感じていることの違いが台詞含め描写されていました。そういう意味ではこの作品は当初から境界というものには敏感であったのだと言えると思います。

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他にも、随所でフレームによる画面コントロールやレイアウトが目立っていました。前景でのBOOK、手前にセルを置いたりと覗き見るような画面を構築するのは他の話数でも多く見られましたが、夢という舞台を扱ったこの話数だからこそその意図はさらに際立って見えます。それぞれ空間への視線誘導も巧く、前景、セル、色、光の質感など情報の多い画面の中に二人をそれと分かるように配置するのがとても巧いです。アカネが彼らを夢の中に閉じ込めていることを示したショットであり、この広い世界 (情報量の多い画面) の中でそれでもアカネが六花たちに固執する様をカメラに収めた瞬間でもあるのでしょう。

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それぞれその前後のカットではありますが、こういったカメラワーク・トランジションも面白く、ドキッとさせられてしまいます。保健室のカットでは手前中央の窓枠がカメラの動きを遮る役目を担っていますが、それをワンカットのカメラワークで映しているため、強烈な断絶は感じられません。むしろ会話によるやり取りの中で徐々に打ち解けていく二人を支えるよう互いの壁をカメラが替わりに乗り越えているような印象さえ受けました。だからこそ直後のカットで六花がアカネの寝ているベッドに腰を掛けるという芝居に強い意味性を感じられるのでしょう。内海に関しては徐々にのめり込んでいく、仲を深めていく様子が描かれていますが、モブとポン寄りによりフレームの幅が少しずつ狭まることで自然に二人を近づけていくのがシームレスで良いです。

 

ですが、これまでの物語を踏まえた上では逆にそのシームレスさが不気味に映るというのがおそらくは今回のフィルムコンセプトでもあったはずです。新条アカネという存在。世界の謎と、繋がりを断たれただクロスカットで話が交わることなく紡がれていく三人の物語。インサートされる警報機の存在を含め、“なにを信じればいいのか分からなくさせる踏み込めなさ” が今回の話・映像の肝だったのだと思います。

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これまでは見れなかったような絵が散見されたのもそう感じてしまうことへ拍車を掛けていました。色・光の質感、レイアウト・構図に視る関係性、仕草や表情。そのどれもがこれまでとは違うニュアンスを帯びているようでした。青春という言葉がとても似合うフィルムなのに、少しダウナーで、違和感を感じさせられてしまうーー それもまた1話から描かれてきたことではありますが、今回の話はそれが特に顕著でのめり込みました。

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そしてアカネにより語られる「それが本来の形だから、私を好きになるためにつくられたんだから」という言葉。現実と理想のギャップ。晴天から曇天の雨に繋ぐカットの意味性、そして画面のコントラスト。ある種、ここまで予感が散りばめられていたフィルム*1であったものが、彼女のこの言葉とこの場面に至るまでの繋ぎによってグッと収束していく構成には息を飲みました。

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まただからこそ、それまで以上にグリッドマンは克明にアカネの世界に映り込み、もう一つの世界の存在を強烈にフィルムへと刻み込むことが出来たのだと思います。僅かな予感の集積とアカネの言葉による収束。メタ的に見れば “ここが本来居るべき場所ではない” ということへの気づきが映像として明らかにされ始めたからこそ、こことは違う場所へと向かうベクトルをより顕著に描き始めることが出来たということなのでしょう。それはアカネの呼びかけにより一度裕太が彼女に意識を傾けた*2あとに、再度グリッドマンがスクリーンに浮かび上がったことと同様の流れであり、平たく言ってしまえば 「一度何かがおかしい」 という予感を与えてしまった場合、 “そのまま” で済ますことはとても難しくなる、ということなのです。それは裕太の視点に立った物語においても、物語の映像構成としても同列なのだと思います。

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けれど、だからこそアカネはそうした元の世界へと向かうベクトルに流されないようただ懸命に走り、幾度となく映る別世界のフレームも意に介さずその流れに逆らおうとしたのでしょう。勿論、その行動の内にはまだ明かされていない物語の謎や彼女の想いが多く仮託されているのだとは思いますが、詳細な心情を描写せずともこういったエモーショナルなカットを入れることにより、今回の話が “ただアカネの見せる夢から抜け出すための物語ではない” ことを知らせていたのは本話の凄味と感傷性をまた一段上へと押し上げていたはずです。

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明度のコントラスト。初めて見るようなアカネの表情。ここでも未だ明かされないアカネの心情に寄せたショットで、青空が映された中盤のシーンとも非常に対比的になっています。それでも彼女へ掛けられるのは「ずっと忘れてる気がする」という無常な言葉で、その一連のやり取りをぽっかりと墓地の空いたカットのfixで撮り続けていたのがとても印象に残りました。アカネにとっても、裕太にとっても “ぽっかりと” という言葉が当て嵌まるからこそ、どちらの意味でも感傷的になれてしまう上に、そうしたどちらの視点にも立てるフィルムであったことがまた今回の話を決してシンプルではない複雑なものに仕立て上げていたと思います。

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そして話は分岐点へ。再び画面は境界によってそのフレームを二分されます。二つの世界。二つの感情。ここまで描いてきたことを再度突き付けるレイアウトです。けれどこれまでと違うのは「(忘れていることが)アカネにとって大事なこと」だという裕太の台詞とそれに呼応するようアカネを飛び越え、もう一つの境界の向こう側に裕太が立つ意味なのです。自分とアカネの間にある境界を破り、アカネの創る世界を受け入れるわけでもなく、その向こう側に立つということ。それはこの話で初めて描かれた彼の選択であり、それを裏付ける映像の運びに他なりません。

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そしてそれは六花にとっても同じだったのだと思います。自分と彼女を分け隔てる境界と、それにより二分される二人の世界。けれど六花が見つめていたのはさらにその先にあるグリッドマンの姿であり、もう一つ向こう側の世界でした。これまで率先して戦うこと、誰かの居場所が “無かったことにされてしまう” 怖さから足を踏み出せなかった彼女がその一歩をもう一つ踏み出した瞬間。バスから飛び降りるというのも、行き先は自分で決める、ということと同じ輪郭をもって語ることの出来る彼女なりの決断であったはずです。

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そして想定線を越える裕太とアカネの関係性。「俺はそっちには行けない」と、彼女の創り出す世界への拒絶がそのまま映像・モチーフとして現出します。けれど、アカネ自身を拒絶した訳ではない、というのがきっとこの先の物語では要になってくるのでしょう。残されたアカネと背景密度、そしてぽっかりと空いた青空は、序盤でも触れたセル密度故の情報量の多い画面と同列に語ることの出来るもの。細かな情報量の裏に隠された本当にアカネが欲したもの、その消失が非常に辛く映る画面です。

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自らが愛したものに加え、アカネをも置き去りにせざるを得なかった内海にとってもそれは同様です。少年少女が決断し、自ら踏み出しその道を駆け出すということ。むしろそれはこの作品が主軸に置くテーマの一つなのかも知れません。

 

アカネに至っては先程の裕太とのシーン同様、密度感あるものに囲まれていてもまるで満たされていないと語り掛けるようなカットが感傷を誘います。どこか隙間が空いていて、そこに彼女の感情が溢れ出していくような。「欲しいものはこれじゃないんだ」と語り掛けるカットをここに残した意味はその額面から感じ取れるもの以上にとても大きいものであったはずで、裕太たちの進むべき道をフォローしていく一方で、必ずアカネに寄り添うフィルムとしても繋いでくれていたことに強く胸を打たれました。

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大きなうねりを上げて収束していく物語と映像。ここまでクロスカッティングで描かれてきた各々の話がここから一気に同じ方向へと向かい始める快感は筆舌に尽くせませんでした。本話にとっては大きな存在であった踏切を越えるファーストカット。ロングショットフォローによる三人の走り作画*3、カッティングの良さ、劇伴・台詞の高揚感、そして物語 (彼らのバックボーン) が音を立てて動き出す瞬間を背景動画で描く意味。そういった全ての要素が噛み合い描かれていたことに本当に感動してしまい、ついぞ泣かされてしまいました。

 

背景動画時のT.Bも物凄く決まっていて、これから立ち向かうものの強大さを裏付けるようなカメラワークであった反面、それでも必死に足掻き手を伸ばすことに意味を見出すアクションづけであったこと。ここから彼らの新しく険しい道が始まっていくことを感覚として頭の内側に焼きつける力強さで溢れていたことが堪りませんでした。

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アクションが終ると、遮断機が上がり、警報器は鳴りを潜め、ファーストシーンとは違い怪獣とキャリバーたちの立ち位置が入れ替わります。アバンとは翻り、夢の終わりを告げるモチーフとして機能しているのが面白いですが、今話における踏切と境界の関係性を鑑みれば、消失した境界の先に本作が想い描いているものはもしかすれば新条アカネへと続く道なのかも知れません。勿論、その先に何があるのかはまだ分かりませんが、今回の話・映像を観てしまえばそう思わざるを得ないというのは、やはり仕方がないのかなとも思います。

 

なにより、戦闘を終えた後にも関わらずアンニュイさが払拭されないラストシーン。陰影に寄る分断。残るしこりと「まだ一人、目覚めさせなければならない人間がいる」、「聞いて欲しい話がある」というそれぞれの言葉。はっきりとは明言せずに映像の側面からあらゆることを訴えてきた本話においては、もうそれだけで十分な気が今はしています。

 

ラストカットまで抜かりなく。謎は謎のまま突き通すミステリアスなフィルムの質感と劇的なシークエンスの緩急。本当にとてつもないものを観てしまったという気持ちばかりが今も沸き続けています。絵コンテは今回初めてのコンテ担当となる五十嵐海さん。演出を金子祥之さん。作画、音響、色指定、撮影などあらゆるセクションの賜物であるということは重々承知した上で、この話数を設計し、完成に導いたお二方の手腕にもとても驚かされました。五十嵐さんが手掛ける作画に関してはこれまでも長らく追い続けてきましたが、今後は演出面でも見逃せない方となりそうです。本当に素晴らしい挿話をありがとうございましたと、心から。

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*1:時折り差し込まれるグリッドマンの影や、カッティングによる間の置き方、印象的なカットなど

*2:もう一つの世界の存在を彼女によって上書きされてしまった

*3:ここをロングショットにしているのが本当に良い

『22/7 「あの日の彼女たち」』day08 藤間桜の演出について

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独特な間合い、印象的なカッティング、そこに託された心情と関係性。少女たちの内面を寡黙に映すことを美徳とするかのような今シリーズの演出スタンスは健在でありながら、day04佐藤麗華編で描かれた関係性と対となるような見せ方で構成されていたのがとても良かったです。

 

特にこれまでも情緒的に使われてきた切り返しのカメラワークですが、冒頭の切り返しはまさにそれで、桜が振り返ると影中の麗華が桜の主観的に描かれるこのシーンは非常に意図的であったと思います。一瞬驚いたような表情をしてからおそらくは彼女らしい態度で反応を促せてみせた桜でしたが、day04で描かれたようにこの時の麗華は未だ “あの日の” 只中に居て、悩みを抱えたままだったのでしょう。

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振り返ってみれば、証明写真機の中で座る麗華、目元で切るレイアウト、光と陰の対比、影中の心象など徹底したモチーフ、暗示で画面は構成されていました。それこそ穿った見方をすれば非常口の誘導灯が彼女の一つの選択肢でもあるのだと言わんばかりの映像で、「リーダーっぽく」という言葉が*1麗華を悩ませているのだということをday04では克明に描いていたことが分かります。

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そして前述したように今回の話はその延長線上にある物語でもあったのでしょう。鞄を預け上段に上る麗華とそれを見つめる桜。上下の関係性が出来上がる中で位置を変えた麗華でしたが、やはり依然として彼女は影の中に留まってしまいます。麗華を見つめる桜の表情が時折り感傷的なものを含んでいたのも印象的で、ちょっとした遊びをしている中にあって二人の関係性や心情を描いていくという映像の方向性が本当に絶妙なバランスで描かれ続けていきます。

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ですが、忘れてはいけないのはこの映像が “藤間桜” の話であるということです。根幹にあるものは二人の物語である反面、その関係性を桜の視点で描いているというのが今話においては大切であったはずなのです。それは麗華を見つめる彼女の表情を多く捉えていたこともそうですし、信号を使った “閃き” のモチーフカッティングなども同様でした。どうすれば様子のおかしい麗華を元気づけられるのか、どうすれば彼女を影の中から連れ出すことが出来るのかーーと、まあそれはメタ的な視点になってしまいますが、ようは “自分が彼女に何をしてあげられるのか” ということを桜は考えていたのだと思います。それに対しての思いつき、アクション、赤から青へ替わることの心的合致。

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そういった桜視点の感情・思考の変遷を寡黙に、丁寧に描いていたからこそ、強引に話を進め、ずるをしてでも先手を勝ち取った彼女にとてつもなく感傷的な気持ちにさせられてしまうのだと思います。駆け出す彼女をスロー気味に捉えた瞬間などは決意の一瞬と代名したくなるほどのエモーショナルさを携えていましたし、だからこそ、あの踏み出す一歩をグッと沈み込むような作画で描く意味は途方もなく大きいのです。

 

引きの絵も良く、横構図で引き離していく様子を描いていくのは緩急やビジュアル的な意味合い以上にきっと麗華の前を走る桜を映すことに意味がある、そんな心情寄りの見方をせざるを得ない程に、桜が抱く情景がこのシーンには大きく仮託されていたはずです。

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本当は追い越した方が追い越された方に荷物を渡す、というルールであったはずがとにかく駆け抜ける桜。ですが脇目も振らずというわけではなく、やはりこれは麗華のためなんだと思える視線が本当に良く、素敵です。序盤で見せた視線を逸らす麗華の描写とも対比的で、悩みを赤裸々には打ち明けようとしない麗華をずっと見つめている彼女の在り方を指し示すようで、なんだか色々考えているとこのカット一つだけで目頭が熱くなってきてしまいます。

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そして髪を後ろで縛り、桜をめがけ駆け出す麗華。秋という舞台設定に対してのこの真っ直ぐな青さ、コントラストが本当に素晴らしいです。ですがその飾らなさ、都会の秋の風景にこの関係・物語を馴染ませながら描くことが、彼女たちもまた一介の少女であることをそこに描き出してくれていたのかも知れません。

 

奇しくも今回の話は「リーダーっぽさ」というある種の特別さに悩む少女の続話。画面のテンションを一定に保つというのもこのシリーズらしく、特別感を出し過ぎない映像が今回の話にとてもマッチしていました。芝居では麗華が過ぎ去ったあとに少しだけ桜が微笑んでいたのがとても好きです。

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また、今回の話を踏まえday04を観返すと少しだけ感慨深くなるものがありました。リーダーとしての立場を背負う佐藤麗華の苦悩、けれど彼女にはそんな自分の背中を支えてくれる人が居るのだということ。それが藤間桜であり、時には彼女に寄り掛かっても良いんだよというストーリーラインを重ねて描いていたことに気づき、また少し感傷的になってしまいました。だからこそ麗華の背中を追い掛けていく桜という立ち位置がラストカットであることにも二人の関係性や意味は芽生えるのでしょうし、舞台が歩道橋、橋であるということさえきっと全てそこに掛かってくるのでしょう。そんな彼女たちのこれからも見守り続けたいなと、そう思わせてくれる本当に素敵な  “あの日の彼女たち” というタイトルに相応しいフィルムだったと思います。

 

演出は山崎雄太さん。day06同様、画面を余り飾り過ぎないことが生かされた映像だったように感じられましたが、間の取り方や環境音の活かし方など監督である若林さん演出回により近づいているような印象も受けました。一概にどの話数がと言えるものではありませんが、今回の話は自分の中で特に素敵だと強く思えた話でもあったので、これからも定期的に観返していくことになりそうです。あとこれは前回の記事で言い忘れていたので、これまでの話も含め、改めて。本当に素晴らしいフィルムをありがとうございました。主要8人の話は終わりましたが、もし新しく加わった少女たちの話もあるのであれば、是非観てみたいなと思います。

*1:それだけが原因ではないにせよ